◆小出裕章ジャーナル~第51回
【イランの核開発について】2013/12/28
http://youtu.be/Q8z6YRTXzGA
聞き手:
今日はイランの核開発問題についてです。11月24日に、イランと米英仏独中ロの6ヵ国が、ウラン濃縮活動などの核開発の縮小と、その見返りにイランへの経済制裁を一部解除するということに合意しました。このイランの核開発協議はどのように見ていますか?
※イランと主要6カ国の核協議の合意内容(WSJ)
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303735804579218580728133324.html
小出さん:
いわゆる国連常任理事国という5ヵ国がありますね。アメリカ・イギリス、フランス、ロシア、中国ですけれども、それらの国々は核兵器を持っているからこそ、国連の常任理事国になっていられるという、そういう国際政治上のことがまずあるわけですね。
それらの5ヵ国が他の国には絶対核兵器を持たせない、と言って作った条約が核不拡散条約なわけですから私自身は、その条約自身に反対なのです。
私はできる限り公平な世界を作りたいと思っていますので、核保有国だけは持ってよくて他の国には一切許さない、そのような条約そのものを認めたくないと思っています。
じゃあ、他の国がどんどん作っていいのかと言えば、もちろん私はそう思いませんので、イランも含めて日本もそうですけれども、核兵器を何とか作らないという体制の方に行くしかないだろうと思っています。
聞き手:
ウラン濃縮5%を超えるものに関しては停止をするというこの線引きについてご説明いただけますでしょうか。
小出さん:
ウランという物質ですけれども、地球上あちこちにあるのですが、それを掘ってきた時に核分裂するウランと核分裂をしないウランと2種類あるのです。核分裂をするウランというのが原爆材料になったり原子力発電所の燃料になるのですが、それは掘ってきたウランの0.7%しかありません。
そんなものであっても、燃やしたいと思っても火がつかないのです。それで、なんとか苦労して火をつけようとするわけですけれども、今日日本で使っているような原子炉の場合には、燃えるウラン、核分裂をするウランを約5%ぐらいまで濃縮ということをやってようやく火をつけるのです。
もう一つはイランが主張しているように、研究のための原子炉を動かしたいのだと。研究のための原子炉であると、5%というような比率で燃えるようなウランがあると、そういう燃料では高性能な研究ができないということになりまして、せめて20%ぐらい核分裂性のウランを含んでいるというウランを使いたいということになります。
で、そのためにイランは自分のところでウランを濃縮して研究のために使いたいのだとして、20%というのをやろうとしてきたわけです。
で、さらにもっと言うならば、原爆を作ろうと思うときには90%以上の濃度で核分裂性のウランが欲しいということになるわけです。ですから、通常、私たちのようにウランを取り扱う人間では、5%、20%、そして90%というような数字を目安に使ってきたわけです。
イランはまあ、原子力発電所だけでよければ5%の濃縮のウランでいいわけですけれども、自分のところは研究のためのウランも動かしたいから20%を自前で作ると言ったのです。
しかし、そうしてしまうと5%から20%まで濃縮度が増えてしまうわけですし、そのまま進めてしまうと90%ということもできてしまうだろうということで、欧米各国が大変心配してイランには濃縮をさせないというそういうタガをはめようとしてきたのです。
聞き手:
このウラン濃縮を監視させよ、ということを欧米政府はずっと要求してきました。見せたり、見せなかったりと、あるいは、我々の国際的に平等に保証されるべき権利であるという立場をイランは取ってきました。小出さんは兵器転用を目的として濃縮活動を進めるというふうに受け取られてきましたか?
小出さん:
えっと、それはちょっと問題があると思うのですが、たとえばウラン濃縮という技術ですけれども、原子力発電所の燃料を作るためにもその技術が必要なわけですね。
研究炉の燃料を作るときにも必要なわけですし、核兵器を作ろうと思えばまたその技術が必要なわけですね。しかし、それは同じ技術なのです。
要するに平和利用だと言おうと、あるいはもろに核兵器のためだと言おうと技術自身は同じものなのです。
たとえば、日本ではですね、原子力というとあたかも平和利用で、核といえば軍事利用だというように言葉が使い分けられてきたのですね。でもたとえば「nuclear weapon」といえば核兵器ですけれども「nuclear power plant」といえば、原子力発電所と訳して使い分けてきました、日本では。
では「nuclear development」はどういうふうに訳すかというと、それをイランがやる時には「核開発」と訳す、そして日本がやる時には「原子力開発」と訳すんですね。
私はそういう訳し方が大変汚いやり方だと思っていまして、もしイランがウラン濃縮をするのを核開発だと訳すのであれば、日本もウラン濃縮をしているわけですから、ちゃんと核開発だと訳すべきだと思うのですが、イランは悪い国だから核開発、日本がウラン濃縮するなら原子力開発でいいものだというような情報操作がずっと行われてきたのですね。そのことにまずは私たち自身が注意しなければいけないと思います。
で、イラン自身は自分たちがやっているのは平和利用だとずっと言い続けているわけで、もし、日本がずっと平和利用だと言い続けて原子力開発だと訳してきたわけですから、イランが平和利用だというならば、原子力開発と訳さなければいけないと私は思います。
そういうところでも、公平性を欠いた報道だな、私は常々不愉快に思ってきました。
ただし、先ほどから聞いていただいているように、平和利用であろうと軍事利用であろうと技術は同じですので、イランという国がウラン濃縮をどんどんやってしまうということに関してはやはり注意をしなければいけないと思いますし、核兵器に結びつかないようなということで、イランにももっともっと透明性を持って、情報を公開して欲しいと願います。
核を求めた日本~被爆国の知られざる真実
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=5555656555&prgid=39595820
”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー
(内容全て書き出しました)みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-691.html
1-2原発と原爆~日本の原子力と米国の影~ザ・スク―プスペシャル
1-2原発と原爆~日本の原子力と米国の影~ザ・スク... 投稿者 gomizeromirai
2-2原発と原爆~日本の原子力と米国の影~ザ・スク―プスペシャル
2-2原発と原爆~日本の原子力と米国の影~ザ・スク... 投稿者 gomizeromirai
小出裕章:総括原価方式 / 核兵器開発能力保有
小出裕章:総括原価方式 / 核兵器開発能力保有 投稿者 Keiyu_Nara
日本の原発で核兵器製造可能 77年に米が見解 外交文書公開
日本の原発で核兵器製造可能 77年に米が見解 外交... 投稿者 LunaticEclipse-Nuclear2
日本の隠された #核 兵器開発計画 #原発 #再稼動 #福島 @monjukun
http://youtu.be/5S3vsDUCIvM
日本の核保有、外務省幹部が69年に言及か 西独と懇談
(朝日新聞)
http://web.archive.org/web/20101201045851/www.asahi.com/politics/update/1129/TKY201011290497.html
外務省は29日、1969年に同省幹部が西ドイツの外務省高官に日本の核兵器保有に言及していた可能性を認める報告書を発表した。幹部は核政策に直接関与する立場になく、閣僚ら政治レベルの了解・指示で行われたのかは判明しなかった。70年の核不拡散条約(NPT)署名を前に、同省内に核保有論がくすぶっていたことが浮かび上がった。
10月3日放映のNHKスペシャル「“核”を求めた日本」では、69年2月に日本と西ドイツの外務省が箱根で会議を開き、日本側出席者が「日本は核弾頭を作るための核物質を抽出することができる」などと発言したとされた。これを受け前原誠司外相の指示で同省が調査した。
報告書では、両国の外交当局者が東京で「政策企画協議」を行った後、箱根で懇談したことを確認した。西ドイツ側の出席者の代表だったエゴン・バール政策企画部長(当時)は今年11月、外務省の聞き取り調査に応じ、日本側の鈴木孝国際資料部長(当時)が「米国は、日本が平和的利用のために原子力開発を研究することには反対しなかった。これにより日本は、必要となれば、Korea(北朝鮮)などから脅威が発生した場合、核兵器を作ることが可能になった」などと語っていたことを明らかにした。同部は各国情勢の情報収集などを担当。外務省は、政策企画協議は自由な意見交換が目的で、政策の交渉や調整の場ではないとしている。
バール氏が当時作成した西ドイツ外相への報告書には「(懇談に参加した日本側の)若手職員の何人かは『注意深い国際的な監視の下にあっても、核分裂物質の5%程度を抽出するといったことを防ぐことは不可能であり、このようなことは核弾頭生産の基礎となりうる』と示唆した」との記述があった。
同省によると、日本側で懇談に参加した5人のうち3人に調査を行ったが、「記憶がない」などと答えたため、確認できなかった。だが、ドイツ側への調査結果などを踏まえ、報告書では、日本の核保有の可能性に関連する発言が「何らかの形でなされていた可能性を完全に排除できない」と結論づけた。(高橋純子)
イラク原子炉爆撃事件 - Wikipedia
100502副島隆彦06.flv
http://youtu.be/dnUVpq9vA_k
2010年5月2日、評論家の副島隆彦氏に、フリージャーナリストの岩上安身が単独インタビューしました。「50年以内に、イランとイスラエルが核兵器を一発ずつ撃ち合う」「大事なことは、戦争だけはしないと決めること。攻めてきたら戦うこと」。くわしくは、岩上安身HPのニュースのトリセツへ。
イランの核兵器開発疑惑 否定 CC日本語字幕 Democracy Now !
http://youtu.be/xMSlzVtz46A
イランの核兵器開発疑惑は米国の諜報機関によって否定されている セイモア・ハーシュ
http://democracynow.jp/video/20110603-1
日本54基の原発は軍事攻撃の絶対のターゲット!! 核大国のイスラエルには原発はない。
(今日の物語)
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/704adc53c0724a68a25dbade497af4d5
日本54基の原発は軍事攻撃の
絶対のターゲット!!
核大国のイスラエルには原発はない。
兵頭正俊Twitterより @hyodo_masatoshi:
日本は、米国、仏国に続いて、
「54基」(世界第3位)もの原発を持つ原発大国である。
わたしはこれまで、
日本が中国と戦争することを、54本のダイナマイトを体に巻いて、
しかもその1本には火がついた状態で、突撃するようなもの、と表現してきた。
http://twitter.com/hyodo_masatoshi/status/338265546917306368
イスラエルは、百発以上の核兵器、
地上発射の核ミサイル、核ミサイル搭載の潜水艦と
爆撃機という3本柱の核運搬手段をもつ「核大国」である。
しかし、高度な核能力をもちながら、
発電用原子炉を1基も建設・稼働させずにきた。
それは地上に原子炉を建設すれば軍事攻撃の絶好のターゲットとなるからだ。
無防備な海岸沿いに54基もの原発を建てるとき、
軍事上の観点から誰か意見をいったのか。
こんな平和ぼけした国は、原発をもつ資格などないのである。
日本を攻撃する国は、海岸線の54基の原発を狙うことは確実である。
最初に狙われるのは確実に福島原発である。
兵頭に訊こうブログより
原発と軍事(1)
日本は、米国、仏国に続いて、
「54基」(世界第3位)もの原発を持つ原発大国であ る。
わたしはこれまで、日本が中国と戦争することを、54本のダイナマイトを体に巻い て、しかもその1本には火がついた状態で、突撃するようなもの、と表現してきた。
中国との尖閣紛争を念頭に置いた好戦論は、日本を亡国に導くものである。好戦論がさ らに高まれば、外国の日本異質論に火を付け、またぞろカミカゼ突撃とヤユされるだろ う。
昨今、北朝鮮のミサイル発射について、不思議に北朝鮮の発表が信じられていて、北朝 鮮のミサイル発射がアナウンスされるたびに、あちこちに迎撃ミサイルを動かし、さも 迎撃できるかのようなパフォーマンスを繰り返す。
こんな余裕があるのなら、同時に訓練をかねて、原発周辺に配置したら少しは意味があ ろう。
しかし、それは原発安全神話に抵触するので、できないのだ。
こんな国は原発をもつ資格はないといわねばならない。
経済効率一辺倒から生まれた幻 想の安全神話が、国防を歪め、国民の生命と財産を危機に陥れている。
無防備な海岸沿いに54基もの原発を立てるとき、軍事上の観点から誰か意見をいった のか。
こんな平和ぼけした国は、原発をもつ資格などないのである。
日本を攻撃する国 は、海岸線の54基の原発を狙うことは確実である。
ところで、事実は小説より奇なり、というが、ダイナマイトを体に縛り付けるどころか、実は知らぬところで、ネズミ1匹で始末がつけられる脆弱な国家に日本はなっていた。
こんなわたしの問題意識に重なる論文を発見した。
立命館大学教師の藤岡惇が
「軍事攻撃されると原発はどうなるか」という論文を書いている。
「2001年9月11日の同時多発テロ事件は、多くの謎を残す奇怪な事件であったが、少な くとも、つぎのことを明らかにした。
すなわち民間飛行機をハイジャックして、軍事目標につっこむならば、民間機は「ミサイル」に変えることができるということだ。
ハイジャック犯の乗っ取った「即席ミサイル」がニューヨーク市北郊のインディアンポ イント原子力発電所に突っ込んでいたとしたら、世界貿易センタービル崩壊時の何百倍、何千倍もの被害が生まれたことだろう」 (引用終わり)
藤岡の論文は、ただの学者の論文ではない。
十分思想的な評論になっている。
大学にもまだこういった人物が残っている、と思わせる思想的な評論なので、ここに紹介を兼ね てわたしの考えを述べることにする。
藤岡は立命館大学経済学部教授である。
立命には元総長の末川博の方針もあって、優れ た教師を多く集めている。
この論文を読む限り、藤岡惇もそのひとりなのかもしれな い。
まず藤岡は原発を「ゆっくりと爆発する原爆」として、その狂気の現実を次のように描写するところから始める。
「1基の標準的な原子炉は、
どれだけの核分裂生成物(死の灰)を生み出すのか。
補修や点検があるため、年間9か月しか動かさないと仮定すると、このタイプの原子炉を1 年間動かせば、広島型原爆を1千発、10年間動かせば1万発、20年間動かせば2万発を 爆発させたに等しい「死の灰」が出てくるだろう。
2010年1月現在、世界で稼働中の原子炉は437基だったが、そのうち54基が日本国内で 動いていた。
日本の原子炉の平均発電容量は89.3万キロワット、平均の稼働期間は20 年を超えているのだから、広島型原爆100万発以上を爆発させたに等しい量の「死の 灰」(放射能の減衰までに数百年かかるものも多い)が、日本で生み出されてきたこと になる」 (引用終わり)
藤岡は原子炉の2つのアキレス腱を指摘する。
1 外部電源装置
2 各原子炉付属の6つの使用済み核燃料プールと1つの共用プール
藤岡は「外部電源装置も7つの核燃料プールも、ともに圧力容器・格納容器の外側にあるため、軍事攻撃は難しくない」とする。
ここは、本来は「3 」として建屋内の無数の配管と電気コード類をあげるべきところだ。
ミサイルが打ち込まれて数百本の配管と電気コードが破壊されただけで、日本の亡国は始まる。
もっとも中東でのイスラエルや米国による核施設の破壊を見ると、高性能爆弾を使えば 原子炉本体も破壊できることは確かだ。
藤岡は「原発が軍事反撃の絶好の標的となるのはなぜか」と問い、次のように述べる。
「新型戦争システムの現下の最大の弱点は、核施設、とくに原発だというのが、衆目の 一致する認識となっている。
米軍に抵抗する側にすれば、核施設の狙い撃ちこそが、 もっとも容易で有効な反撃策だと考えるだろう。
新型戦争に米国が注力すればするほど、米国とその同盟国の核施設を狙うことで、反撃しようとする動きが強まることは避けられない」 (引用終わり)
さて、憲法は日本のハレ(晴れ)で、ここで日本は独立を装っている。
日本のケ(褻)が、日米地位協定や「ジャパン・ハンドラーズ」、それに米国のシンク タンクの提言・要求などである。これが日本の実態を植民地としている。
したがって対米隷属の安倍晋三は、ハレ(晴れ)の憲法を変えることはしても、ケ (褻)を変えることはしないのだ。
知られているように日本の原子力政策は、このケ(褻)の米国の指示に基づいて行われ ている。
だから原発維持・推進は、対米隷属の自民党としては、やめたくてもやめられないので ある。
つまり現在の原発維持・推進政策を続けるかぎり、日本は米国から高価な兵器を購入し 続けなければならない。
真に米国と対等な関係を築ける政権と首相を持たねば、戦争即 亡国の負の連鎖から、日本は抜け出せないのである。
続いて藤岡は「なぜイスラエルやヨルダンでは原発の建設に積極的ではないのか」とい う問題意識のもとに、次のように述べる。
「中東諸国のなかでイスラエルとヨルダンには油田が乏しいために、両国ともエネル ギーの確保に苦労してきた。
とくにイスラエルは、百発以上の核兵器、地上発射の核ミ サイル、核ミサイル搭載の潜水艦と爆撃機という3本柱の核運搬手段をもつ「核大国」 であり、高度な核能力をもちながら、発電用原子炉を1基も建設・稼働させずにきた。
それはなぜか。地上に原子炉を建設すれば、軍事攻撃の絶好のターゲットとなることを
イスラエル支配層が自覚していること、地下深くに原発を作ったとしても、軍事攻撃さ れる悪夢を払えないし、コストアップとなると考えているからであろう。
これにたいして中東の親米国のヨルダンのばあい、首都アンマン近郊に原発を建設する とし、
2014年初めに加圧水型原子炉の建設契約を結び、2020年に稼働開始という計画 であった。
原子炉の受注をめぐっては三菱重工とフランスのアレバ社の合弁企業と、ロ シアの企業が競っていた。
しかし2011年の「アラブの春」運動が軍事的騒乱に発展するにいたると、2012年5月 13日にヨルダンの原子力委員長が「原発発注を3-4年延期することもありうる」と言 明した。
隣国シリアの内戦が激化すると、爆弾テロが波及し、原発が標的となることを懸念したからだと解説されている」
(引用終わり)
イスラエル、ヨルダンの動きをみると、原発が軍事と密接に絡んでいることがわかる。
日本のように54基もの原発を経済効率一辺倒で建設したりしない。
9.11以前は原発敷 地内へ入ることも、守衛の許可で済んでいた日本の平和ボケぶりとは大違いである。
兵頭に訊こうブログより 2013・5・25
http://m-hyodo.com/atomic-energy-8/#more-543
(2013.10.07) 「原発テロ~日本が直面する新たなリスク~」
(2013.10.07) 「原発テロ~日本が直面する新たなリスク... 投稿者 geda444
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2013-12-25当ブログ
宝物(子供)を守ろう! 小出裕章先生
にて、巡礼者さんからこのようなコメントをいただきました。
「こんばんわ
毎回文字起こしを拝見しています。小出助教の論理には疑問があります。彼は事故の危険を伝えた、数少ない専門家です。放射線、放射性物質は、悪影響がある、ということを前提とし、なぜ年齢によって、汚染度の違う食べ物を強制されるのか疑問です。人間、一つの命であり、平等だという前提で考えると、彼は論理的に破綻しています。彼の前提なら、汚染されたものは、誰も食べてはいけないのではないでしょうか。なぜ、こんな基本的なことが見逃されているのか理解できません。彼の理屈の背景にあるのは、罪悪感でしょう。罪悪感は、「何もできないから、何かしたつもりにする」という心理です。それを刺激して、「年長者は汚染されたものを食べろ」という、ある種の脅迫です。原発推進派というか、原子力ムラにとっては、彼の繰り返しの発言というのは、大変都合がいいと思います。本来食ってはならないものを食って、罪をあがなえ、と言うのですから、権力は笑いが止まらないでしょう。最大の敵が、国民を洗脳してくれているのですから、彼等にとっては、最高の広告塔です。彼の論理は破綻しており、その論理の構造は、ダブルバインドです。権力を批判する人がその論理の破綻を直視せず、彼の言葉を、まるで良心の如くひろめて啓蒙するのはマスコミより金のいらない洗脳ですから、原子力ムラの人たちは、笑いが止まらないでしょう。自分には、あなたも権力に踊らされているのだとしか、毎回、記事を拝見して思うのです。彼がどう考えているか、ではなく、あなたが何を考えておられるのか知りたいです。なぜ、東日本は壊滅していることを認められないのですか?それをしないと、避難もできません。現地の人たちは本当は避難したいのです。しかし、そうしたインタビューは活字になると、「避難」という言葉はメディアによって削除されます。ZDFや米国の学者の解説を動画で見ると終わっているのです。毎回、このテーマの記事を拝見していて、非常に疑問です。真実を直視せねば、権力に利用されるだけです。ご自分としては、どう考えられますか?
巡礼者拝」
私は回答に窮しまして回答を保留して、小出裕章先生に質問してみました。
小出先生からさっそくお返事をいただき、チェルノブイリ事故当時書いた文書を2ついただきました。回答文を掲載の許可をいただいたので、掲示します。
○○×× 様
おはようございます。
ご丁寧なメール、ありがとうございました。
ブログへの投稿の件、そのようなご批判があることはもとから承知しています。
私はこの議論をチェルノブイリ事故の後に始めました。
○○さんはご存知かもしれませんが、当時書いた文書を2つ添付します。
ファイルサイズが大きくてひょっとするとお受け取りいただけないかもしれませんが、その場合はお知らせください。
1つずつお送りするなど考えます。
投稿者の方が書いているように放射線はどんなに微量でも危険であり、放射性物質を食べることは微量であっても危険です。
ただし、残念ながら、この地球は大気圏内核実験以降すべて人工放射性物質で汚染されており、汚れていないものは何もありません。
もし、放射能を食べてはいけないというのであれば、人は食べ物を失います。
その上に福島原発事故に起因する汚染が上乗せされました。
どこかに線を引いて、それ以上の汚染は食べてはならないと決めたとしても、それ以下の領域にも汚染した食べ物は連続的に分布しています。
汚染の程度の違った食べ物をどのように分担するかという選択しか残されていません。
それなら、汚染に責任のある度合いに応じて分配するべきだと私は思います。
子どもたちには原子力を選択した責任がありませんし、子どもは大人に比べて放射線感受性が高いので、子どもには汚染が極力低いものを回すべきです。
そして、食べ物のパイが決まっている以上、大人は責任の度合いに応じて汚染の強いものを食べるべきと、私は思います。
以上でよろしいでしょうか?
2013/12/26 小出 裕章
放射能汚染の現実を超えて
1987年10月 小出裕章
より
本当に必要なこと
現在日本の国が輸入食品の境制という手段を借りて行なっていることは、原子力開発がもたらした汚染の其実を隠すという作業である。それに対して、これまで立派な活動を続けてきた反原発諸団体は、現在その多くが、より隊しい規制値をとるよう国に求めている。しかし、私にはそうした反原発諸団体の運動が理解できない。私は、もちろん放射能で汚れた食ぺ物を食ぺたくない。また、日本の子供たちにも食ぺさせたくない。日本が輸入食品の規制強化を行なえば、それに応じて私たち日本人の被曝量を下げられるごとも、また聞違いない。しかし、日本が輸入拒否して、汚染食糧が日本国内に入ってこないということと、汚染食糧がこの世から無くなるということは、当然のことながら等し<ない。日本が拒否した食糧は、他の誰かが食べさせられるだけである。それが誰になるかは正常な常識をもうている人には理解してもらえると思う。即ち、これまで原子力を利用してこなかった国々、それ故に汚染を検査することすらできない国々、貧しく食糧に事欠いている国々が汚染食糧を負わされるのである。私は、日本以外の国の子供たちにも放射能で汚れた食糧を食べさせたくない。ましてや、原子力の恩恵に全く預かりてこなかった子供たちには食べさせたくない。
一度許してしまった環境の放射能汚染は消えない。その環境から生育する食糧の汚染も避けられない。私たちに選択し得る問題は、汚染した食糧を誰が食ぺるべきかという一点である。力のいものが弱いものに儀牲を強いてきたのは、歴史の常である。しかし、反原発運動の原則とは一体何であったのか。カの弱いものを踏台にしてはなちないという点こそが、もっとも大切な原則であろうと思うし、自分だけは汚染を拒否するが、あとはそれぞれの国で運動をすればよいなど
というのでは、今後の反原発運動の展望は決して切り開けない。
略
日本は現在、世界第四位の原子力発電保有国である。そして、チェルノブイリ原発事故以降、フランスと並んで、なおかつ原発建設を強行しようとしている国でもある。チェルノブイリ原子力発電所事故は、大きた教訓を二つ与えてくれた。一つは、原子力発電という巨大技術が事故と無縁でないというごく当然の事実であり、もう一つは、先にも述ぺたように、事故によって放出された放射能にとって国境が何の障害にもならなかったことである。そうであるならば、原子力
開発によるデメリットは、誰を置いても原子力を推進している国々こそが連帯して負うぺきであって、間違っても原子力を選択していない国々に負わせるべきではない。そして、そうであるならば、チェルノブイリ原子力発電所事故による汚染は、少なくともその汚染が選択可能なものである限り、当のソ連は当然にしてもフランス、日本のような原子力開発に積極的た国々こそが引き受けるべきである。
飢餓で苦しむ入々に、自分では決して食べない食糧を与えるという考え方に、私は組しない。しかし、日本が放射能で汚染した食糧を拒否するということは、実質的にそれと同じ
ことを行なうことになる。繰り返しになるが、放射能で汚れた食べ物を私は食ぺたくない。日本の子供達にも食べさせたくない。しかし、日本という国が少なくとも現在原子力を選択している限り、日本人は白らの目の前に汚染Lた食糧を上らせて、原子力を選択することの意味を十分に考えてみるべきだと思う。誤解を恐れずに敢えて言うたらば、日本の子供であるか否かにかかわらず、子供たちに真実を知らせないまま放射能汚染食糧を与えるよりは、私は真実を噛みしめながらそれを食ぺたいと思う。
反原発運動は、今や非常に大切な試練に立たされている。これまで、その運動を担oてきた住民運動や消費者運動の本質は、端的に言ってしまえぱ、 「云われない被害を拒否する」ということであり、被害者としての運動でありた。しかし、そうすることが、他の人々に「云われない被害」を強制する、つまり、加害者として存在してしまうことになるとき、真に原発を廃絶させる道がどのようたものなのか、もう一度立ち止まって考えてみるべきだと、私は思う。その道は、少たくとも日本という国として汚染食糧の輸入を拒否するということにはならないと思う。私が国に対して求めることは、規制値を高くすることでも低くすることでもない。そのような規制値にはかかわりなく、正しく汚染の状況を測定し、それを正しく人々に伝えることである。
宮沢賢治は、書いている。
世界藻ぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない
(中略)
個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ
現在、ソ連、ヨーロッパの汚染のただなかで、真実を知らされずに子供たちが生きている.また、それらの国々から真実を知らされずに汚染食糧を押しつけられている子供たちもいる。そのことを思うとき、私たちは一人ひとり、何を為すべきで、また何を為してはならないのか。
放射能汚染の中での反原発
1988年3月 小出裕章
より
この現実を差別と呼ばずに何と呼ぶのか
私が「放射能汚染した食糧は、原子力で恩恵を受けてきた国々の人が食ぺよ」と主張したのに対して、「汚染したものをだれが食ぺるべきか? ということについて、誰も食ぺるべきではない。非汚染物が少なくなってくれば皆で少しずつ分けて食べよう、とりあえず」と書いてきてくれた人がいた。その意見に私は賛成である。そうなって欲しいと心から願わずにはいられない。また、「毒物はできうる限り避けなけれぱならないといえなければ、原発をとめようと人々に呼びかけることなどできない」という批判もいただいた。しかし、現在日本のような飽食の国がある一方、アフリカ諸国のように深刻な飢餓で苦しんでいる国々がある。私達あるいは私達の子供達が、たまたま日本に生まれたことで私達の大多数は食ぺ物に困るほどの生活を強いられていない。しかし、アフリカ諸国に生まれた人々、子供達は、ただそれだけの理由で日常的な飢餓に直面したければならないのがいま現在の現実である。図2に世界の穀物消費実績を示す。この図から、一人当たりの穀物消費量(帯の高さ)で比ぺた場合、西側工業文明国の人々は、世界全体の半分を占める第三世界の人々に比べて、なんと約三倍もの穀物を消費していることがわかるし、消費量(帯の面積)で比ぺても、西側工業文明国ではたった五分の一にも満たない人口(帯の横幅)で世界の穀物の約三分の一蔭消費していることが分かる。この図のデータは一九七三年から一九七五年にかけてのものであり、この格差は現在ではもっと著しくなっているはずである。日本が拒否した汚染食糧が飢餓で苦しむ国の子供達の口にも入らないのだとすれば、勿諭私は汚染食料を食べたくない。
こうした比較をネルギー消費について行なうと、もっと著しい格差が浮かび上がる。図2を作成したのと同じようにして世界のエネルギー消費実績を図示すると図3となる。一人当たりの消費量でいえば、最もエネルギーを消費している国と、最もエネルギーを利用できない国とでは、なんと一〇〇〇倍もの格差があるのである。私達日本人も世界平均の二倍以上のエネルギーを消費しているし、東南アジア諸国の人々に比ぺれぱ一〇人から一〇〇人分ものエネルギーを使っているのである。世界全体では、わずか四分の一の人口がエネルギーの八〇%をも使っている。この格差を差別といわずに何と呼べばよいのか私には分からない。四人の人間がいるとすれば、その内の一人が80%ものエネルギーを使ってしまい、あとの三入で残りの二〇%を使っているのであるが、一番少ない一人はわずか一%以下のエネルギー消費しか許されていないのである。
私達はまさに無茶苦茶な差別社会に生きているのであり、日本あるいは日本人は差別する側にいるのである。それにもかかわらず、生活を向上させるためにはもっとネルギーが要るから、原発は必要だというのが大多数の日本入の意識である。その上、原発がダメだというなら別のエネルギー源を示すべきだなどという論理が、良識として通用しているような国がこの日本という国である。
一言いっておくならば、平和な日本で法に触れることなく生きているからといって、ただそのことで一人ひとりの日本人が『無罪』であるとはいえないし、日本国内で反原発を闘っているとしても、私自身を含めて、それで『無罪』であるとは、私には思えない。
小出裕章 - 放射能を噛みしめながら (1988)
http://www.youtube.com/playlist?list=PL792DD38D516D4779
mobile版:小出裕章さん熊谷講演会 2013.12.22.
http://youtu.be/Tm8_MVQVW-8
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小出裕章先生からお返事をいただきました!
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