ここは本州最北の地・大間岬
津軽海峡を隔てて遠くに北海道・函館を望む場所です。
ここは良好な漁場で、マグロの一本釣りの名所として知られています。
大間崎
大間崎のある街、大間町で原子力発電建設の話が持ち上がったのは1976年春のこと。
大間町商工会が大間町議会に”原子力発電所新設に係る環境調査実施方”を請願したのが事の発端です。
1973年10月第四次中東戦争が勃発した影響でオイルショックがおこり、石油資源の節約が叫ばれていました。火力発電所依存から原子力発電へ大きく傾斜していく時代でした。
おりしも、日本列島改造論に日本中が湧き、イケイケどんどんの時代でしたからね?(笑)
そんな中で1974年に電源三法が成立し、原発立地の促進が図られるのでした。1976年に当時の科学技術庁に原子力安全委員会を設置。
こんな状況下で大間原発建設の動きが開始されたのでした。
大間崎から南に約2km、ここに一人、大間原発に一貫して反対していた地権者・熊谷あさ子さん(1938~2006)の無売却の土地があります。
そこにはログハウスが建っていてその名も”あさこはうす”
あさこはうす入口
最初は教えられた通りに行ったのですが、なかなか判らなくて何度も通り過ぎていました・・(^_^;)
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あさこはうすへの道をたどるとすぐに監視小屋のようなものがありました。私もチェックされたのでしょうね?(-.-;)
あさこはうすへの道1
周囲は電源開発(J-POWER)の所有らしく、道の両側に沿ってフェンスが立っています。
あさこはうすへの道2
遠くに見えるは大間原発港湾です。
あさこはうすへの道3
前方に見えるのが建設中の大間原発です。
あさこはうすへの道4
あさこはうす看板
大間原発全体配置図
オレンジ色に塗ったところがあさこはうすの地所です。
ここは原発敷地のほぼ中心部、建設中の原子炉から250Mしか離れていない場所。
あさこはうすはそこにあった!
お母さん(熊谷あさ子さん)の写真
原発建設のための土地買収で、母親のあさ子さんに対して2億円の金額が提示されたのだとか。「10億円積まれても土地は売らない」「お金の問題ではない」とあさ子さんは電源開発からの申し入れをはねつけたそうです。
原発マネーでも屈服できないとなればお決まりのように尾行に始まり、脅迫状、町からの圧力などなど・・嫌がらせを受けたそうです。
小笠原厚子さん1
母親のあさ子さんがこの土地を頑として売らなかったことは知っていたけれど、母からバトンタッチされるまで、原発のことはほとんど知らなかったと語る厚子さん。
小笠原厚子さん2
当初原発計画では、原子炉から50mの所にあさこさんの所有地があったそうです。お母さんの頑張りに電源開発も困り果て、当初予定より200mも原子炉の位置をずらして建設に踏み切ったのだそうで、過去の原発設置計画で原子炉の位置をずらしたのはここだけ!と語る厚子さん。
地権者175人に対して電源開発の買収工作に屈しなかった人たちへの懐柔を生々しく語る厚子さん。
最初は近寄って来て挨拶に始まり、顔見知りになったら、家に上がり込んでお茶飲みながら世間話をする・・そんなたわいもないことから始まるのだそうです。
次は飲みに行っておごってあげたり、温泉で接待。転職・就職の世話などなど、生活のあらゆるところに入り込んできてターゲットをがんじがらめにしてしまう・・
「あの時こうしたでしょ・・?」と言われてしまうともうどうにもならない・・怖いですね・・(´・_・`)
国道からあさこはうすに至る専用道路はあさ子さんの土地買収が失敗して、電源開発が作った道。電源開発があさこはうすは継続的に居住してないと、この道路さえも撤去する構えをみせているとのことです。生活道路と認めさせていくためにも、毎日の郵便配達や宅配便、あさこはうすへの訪問など、人の往来はとても歓迎するとのことでした。
小笠原厚子さん3
東日本大震災以前は大間の町にお出かけするとほとんどの人から無視されていたそうです。
しかし、それ以降、福島の現状を目の当たりにしてやや変化してきたようだと語る厚子さん。
自分がそうだったように、日本国民のほとんどの人が原発問題を自分の問題として捉えきれていないと語る。
東日本大震災直後の2011年青森県知事選挙の結果にはがっくり・・「周囲の様子を見て自分の投票先を決めている」「あまり物事を深く考えていない」
小笠原厚子さん4
しかし、厚子さんは未来を信じています。
「私がそうだったように、気づいた時から始めればいいのよ!」
最後は感極まってか・・厚子さんの目にうっすり涙が・・(;▽;)
小笠原厚子さんと鴨
昨年から合鴨農法による水田を奥の土地で行う予定だった厚子さん。
しかし、その水田予定地の水が止まってしまって(何者に止められた??)中止せざる得なくなったそうです。
生まれたての雛を購入したのが育っちゃって・・と笑う厚子さん。
横に雨水から生活水を作る装置がありました。
あさこはうすをバックに
「町に住んでいない人間が町の実情を知らずに何を言うのか」という批判もあるでしょう。確かに私はただの通りすがりの旅人でしかない。しかし、その実情の苦しさから免れるようにして電源交付金欲しさに原発を立地していった各自治体・住民は豊かになれたのか?幸せで未来ある生活を営んでいるのか?
その最終的な答えが福島原発事故に表現されているのではないでしょうか?
放射能を無害化する手段を持っていない私たち。そして、年々増え続けてきた放射性物質。
放射能は自然と人類にとって共存できない絶対悪ともいえるもの・・。
あさこはうすと小笠原厚子さんをみて、すべての人たちが自然と共存できる暮らしを実現するのがこれからの流れだと思います。
「ひとりの命も、東京の何十万何百万人の命も、命の重さは一緒だと思うんですね。なので、もうこれ以上、原発は造らないでほしい。そうでなくても、今の原発あるだけでも、子ども達は(自分達は)、原発造ってもいいですよ、造っちゃだめですよって、ひと言も言ってないんです。なのに、子ども達はこれから、いっぱい背中に背負って、背負っていかなければならないんす。これは大人の責任です。
わたし達がお詫びをし、そして、これからどうやって子ども達を守っていくか、それを一緒に考えながら、もう原発はこれ以上造らない、これ以上子ども達に負担を背負わさない、そう思いながら頑張っていきたいと思います。そして、母は、35年間、あの土地を売らないで守りました。
母としたら、別にその、難しいことは分からなかったと思うんです。
ただ、自分の子ども達や海を守りたい。あと、友人やらみんなを守りたい。そのことだけを思って、守ってきたんだと思います。これからは、わたしがそう思いながら、守っていきたいと思います。
みなさんもどうぞ、ご協力お願いします。」小笠原厚子
『あさこはうす郵便』
〒番号039-4601
青森県下北郡大間町大字大間字小奥戸396
あさこはうす内 小笠原厚子 宛
【あさこはうすゆうびん】は一枚200円、生活の維持のためのカンパを含んでいます。
購入を希望の方は、厚子さんのゆうちょの講座へ、代金を振り込んでください。
あさこはうす郵便・振込先
ゆうちょ02760-3-66063
『あさこはうすの会』
「あさこはうすゆうびん◯◯枚購入希望」と記入ください。
画像データはこちら
http://yu-min.sakura.ne.jp/photo/asakohouse.jpg
「あさこはうす」に水も!
電気は自家発電でとりあえずは足りているとのこと。しかし水不足だそうです。
地元で調達?そして、全国から送られてきた水のペットボトルがたくさんありました。
水の調達には苦労しているらしく、あさこはうすに水も送ってください。
宅配便の業者によって送り先・電話番号が必要な場合、小笠原厚子さんの携帯番号〔090-9528-4168〕を記入してください(ご本人承諾済)
@あさこはうす
http://asakohouse.cocolog-nifty.com/
あさこはうす応援プロジェクト
http://ouen.org/asakohouse/
「あさこハウス」に郵便物による支援を!
http://blogs.yahoo.co.jp/biwalakesix/30053334.html
『あさこはうす』小笠原厚子さん密着取材・
福島みずほ党首交流会・記者会見
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あさこはうす
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