東北旅行3日目
ああ、眠たい・・
10月24日午前7時、携帯のアラームが「時間だよ~!、時間だよ~!、・・」とけたたましく爆睡中の私を起こしてくれました・・毎度お馴染みのフレーズです(笑)
昨日は夜遅くに食事をしたのでよく眠れなかったです、そしてもたれ気味・・(^-^;
さて、今日は三陸海岸で震災の跡を巡る旅・・う~ん、ちょっと複雑な気持ち(´ヘ`;)
車に飛び乗り、いざ出発!
八戸より国道45号線を南下します。
朝のラッシュに引っかからないように、早めの行動を・・スピード違反ではありませんよ~(^^♪
南下すること約2時間、久慈に到着しました。
久慈と言えば、朝の連続ドラマ「あまちゃん」のロケ地ですね!
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」
http://www1.nhk.or.jp/amachan/
三陸ジオパーク
http://sanriku-geo.com/
道の駅くじ
久慈では朝食に海女丼とまめぶ汁を食べようと思います。
ん?じぇじぇじぇ!!道の駅併設のレストランの開店時間は午前11時から・・またしても目的のものが食べれず・・(´;ω;`)
仕方がないので、同じ道の駅併設の売店で唐揚げ弁当を購入・・ああ、ここでは生”まめぶ”は売っているのに・・(´・ω・`)
構内の会議室?でしょぼしょぼお弁当を食べるのでした・・ε=(・д・`*)
久慈秋まつり山車
この山車は何ですか~(@_@;)!ウサギさんたちが雅楽を奏でて、それをバックにリオのカーニバルよろしくお姉さん達が熱狂的に踊り、ペガサスが舞い上がるのですね~!?
いや~!夏ばっぱ(宮本信子)や北三陸の越路吹雪(渡辺えり)が出てきそうですね~(^^♪
あまちゃんロケ地 小袖の震災写真
北三陸駅の絵
北三陸駅の駅長(杉本哲太)と副駅長(荒川良々)が出てきてほしい~(笑)
海女丼の食べ方~How to eat the amadon~
http://youtu.be/mXIBmn0-c8g
大きな地図で見る
道の駅くじ やませ土風館
http://dofukan.com/
久慈から国道45号線をさらに南下して、途中で県道173号線を進みます。けっこう、険しい道です。
22 龍泉洞
ようやく到着しました(^-^)/
龍泉洞前
龍泉洞入口
ここも楽しみにしていた場所ですよ~(^^♪
ん?・・・
「龍泉洞は先日の大雨の影響で増水しており、10月22日(火)から閉洞しています」
アッちゃー!!じぇじぇじぇ(´・ω・`)
またしても、想・定・外・・ああ~(ToT)
実際はこんな感じです↓
龍泉洞地底湖
2011 岩手県龍泉洞
http://youtu.be/3tKHyOwPdyU
龍泉洞 - 岩泉町
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/~ryusendo/
ウンッもう!~(*'ω'*)
一体どうなっているのか判りません(笑)
仕方なく次に向かいます・・ε=(・д・`*)ハァ…
国道455号線を太平洋方向に進み、再び国道45号線に合流し南下します。
25 田老
宮古市に入ってからしばらく進むと周囲が急に開けてきました。
おお!下り線側に仮設バラック作りのコンビニが!
ローソン 宮古田老乙部店
その向かいに三陸大津波の標識が!
三陸大津波 標識
コンビニで小休止します。
ここは津波で多くの犠牲者を出した、宮古市田老町の北の入口です。
震災前の岩手県宮古市田老地区2
http://youtu.be/NI4uQkvouqY
田老町 復旧 災害 大津波被災
http://youtu.be/ZFpqz0VX_iw
田老港へ行ってみます。
すると・・
たろう観光ホテル
震災前の岩手県宮古市田老地区
http://youtu.be/UuhsajlhV9U
被災地は今!東日本大震災 岩手県宮古市田老港~世界最強の防波堤が~
http://youtu.be/p-KTR-kaec8
田老 津波到達表示板
下から
昭和三陸地震津波 10m
明治三陸地震津波 15m
(表示版はありませんが)東北地方太平洋沖地震津波 18m
3 1F tunamitarou
http://youtu.be/-U77l6Fscho
1.ローソン 宮古田老乙部店・三陸大津波標識
2.たろう観光ホテル
3.津波到達表示板
NPO*立ち上がるぞ!宮古市田老*
http://npotarou.web.fc2.com/index.html
複雑な気持ちで田老を後にします。
23 浄土ヶ浜
浄土ヶ浜は前に一度来ています(^-^)/
以前は浄土ヶ浜に直接車を乗り付けられるともいましたが・・ゲートが閉まっていて、監視員がいますね・・
浄土ヶ浜入口
浄土ヶ浜
う~ん、ここから浄土ヶ浜まで歩いて15分ですか・・どうしようかな・・?
旅の疲れも溜まってきているし、ここは浄土ヶ浜ビジターセンターの見学のみにしたいと思います。
浄土ヶ浜ビジターセンター
http://www.jodogahama-vc.bz-office.net/
浄土ヶ浜 宮古市
http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-1382.html
宮古市中心部を過ぎて国道45号線をさらに南下し、釜石市に入り鵜住居から少し海岸方向を進みます。田老もそうでしたが、ここ鵜住居も建物跡の荒地が広がっています。
35釜石 根浜・鵜住居
根浜・宝来館
宝来館・裏山
津波 TSUNAMI - Earthquake (3/11) 20110411
http://youtu.be/_m8jLnOYzfg
釜石消防署鵜住居出張所跡
釜石消防署鵜住居出張所跡内部
第5部・備えの死角
(1)避難所/施設の役割、誤認広がる
(河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1114/20130430_02.htm
釜石市 鵜住居地区の津波被害
http://youtu.be/ARv_4a_8FBA
衝撃と胸の痛みが続きますね・・
さらに南下し三陸縦貫自動車道を進み、陸前高田に出てきました。
陸前高田
陸前高田米沢商会ビル
米沢商会ビル津波表示板
東日本大震災/屋上、高さ14メートルに津波表示板/ビル所有者の米沢さん(河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130208t33009.htm
東日本大震災の津波で被災した岩手県陸前高田市の3階建てビルの屋上に7日、所有者で、包装資材販売「米沢商会」を経営する米沢祐一さん(48)が、津波の到達点を示す表示板を設置した。高さは約14メートル。屋上の煙突にしがみつき、九死に一生を得た米沢さんは「津波の記憶を風化させたくない」と力を込める。
屋上の煙突部分に縦1.3メートル、横1メートルのアルミ複合製の表示板2枚を取り付けた。
大学時代の友人に設置を勧められ資金面でも協力してもらった。
震災時、近くの倉庫で地震に遭った。すぐ戻ると、父の節祐さん=当時(74)=、母の静枝さん=同(70)=、弟の忍さん=同(38)=がいた。3人は約70メートル離れた市民会館に避難し、米沢さんは残った。
避難しようと2階に上がろうとした時、津波が襲ってきた。慌てて屋上の煙突まで駆け上がり、 しがみついたところで、津波は建物全体をのみこんだ。
黒い水が街を覆い、市民会館も何も見えなくなった。津波は足元まで迫った。煙突にしがみ ついたまま一日を過ごし、自衛隊のヘリで救助された。市民会館に避難した3人は遺体で見つかった。
陸前高田市では、市民会館や旧市役所など被災建物の取り壊しが進む。米沢さんのビルも希望すれば国の予算で解体できたが、断った。
米沢さんは「壊したら二度と戻らない。実物がないと実感が湧かない。ここまで津波が襲ったという教訓も伝えられなくなる」と言う。
米沢商会のビルの位置は市が計画するかさ上げ地域から外れているため、現段階では解体は求められていない。先行きは分からないが、米沢さんは「できれば、ずっと残したい」と話した。
津波浸水高の表示板を設置した煙突で、助かった状況を再現する米沢さん
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20130207025jd.jpg
津波が全体を襲った米沢商会のビル
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20130207026jd.jpg
米沢商会のビル
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20130207027jd.jpg
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【東日本大震災】陸前高田市 -あの日あの時-
3.11.2011 Tsunami JAPAN
http://youtu.be/zVfpPQ2lAPA
陸前高田から気仙沼まで南下してきました。
48 気仙沼
気仙沼で県道34号線を進みます。
ああ、やはり間に合いませんでしたね・・
第十八共徳丸
打ち上げ漁船跡で捜索=「第18共徳丸」解体終え-宮城県警
(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013102800035
東日本大震災の津波によって宮城県気仙沼市の内陸部に打ち上げられた巻き網漁船「第18共徳丸」(330トン)の解体作業が終了したことを受け、県警気仙沼署は28日、漂着跡地で行方不明者の捜索を実施した。
【動画】気仙沼に襲来した大津波
共徳丸の解体作業は9月から行われ、今月24日に終了。捜索は、同船があったためこれまで捜すことができなかった部分を中心に、18人態勢で進められた。共徳丸の下敷きになっていた自動車が専門業者によって撤去されると、署員はがれきやごみなどをかき分け、手作業で捜索した。(2013/10/28-11:47)
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私が到着したその日に解体作業が終了したのですね・・。
予想はしていましたが(笑)
辺は黄昏てきました。
南三陸町は通過のみとしますね。
南三陸町で渋滞に遭ってしまいましたが、街の中心部だったところ思われる道に車列のテールランプがずっと続く中で、周囲が真っ暗だったのが印象深いでした・・(。-_-。)
ようやく、石巻に入り友人に会うことができました(^-^)/
5年ぶりですかね・・(・∀・)
震災当時、連絡が取れずに随分と心配したものです・・(^-^;
会えて良かった・・(^▽^)
旧交を温めて更けゆく石巻でした!
東北・震災のつめあとを辿る・・旅行その4
に続く。
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東北・震災のつめあとを辿る・・旅行その3
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