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第046回ライトアップジャーナル / 「原発の隣に帰れるか」(´・_・`)

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第46回自由なラジオ Light UP!
自主避難した元福島第一原発作業員の怒り。子供たちにまで放射線管理区域で暮らせというこの国の狂気!


https://youtu.be/9XIzCFT-jXE?t=42m45s
42分25秒~第046回ライトアップジャーナル
おしどりによる原発被害者集団訴訟の裁判レポート

http://jiyunaradio.jp/personality/journal/journal-046/
福島、指示解除も現実厳しく

おしどり(マコ):
おしどりは3.11以降、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故の取材を続けています。その中で今日お伝えしたいことは、原発事故に関する裁判のことです。
2017年にどんどん福島第一原発の集団訴訟の判決が出てきます。
一番初めは群馬ですね。群馬の集団訴訟の判決はですね、去年の2016年10月31日に結審と言って、全ての審議が終わりまして、今年の3月17日に判決が出てきます。ここが一番早い。

原子力損害賠償群馬弁護団ニュース第22号

おしどり(ケン):
もうすぐですねえ。ほんとに。

おしどり(マコ):
うん。もう全国に先駆けて。そして2番目は、千葉県の訴訟ですね。福島第一原発の千葉訴訟が1月31日に結審。全ての審議が終わって判決が出るのは9月22日。

おしどり(ケン):
9月22日判決。

おしどり(マコ):
金曜日。そう。
今日スケジュールに入れてるから知ってる。金曜日に判決が出てきます。そして、その次が福島地裁で行われている生業(なりわい)訴訟。生業を返せ、地域を返せ、福島第一原発訴訟という所で。それは3月21日に結審、全ての審議が終わりまして、そして、その日に判決がいつ出てくるかということが発表されます。

『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟原告団

おしどり(ケン):
なるほど。

おしどり(マコ):
この3つが集団訴訟。全国21ある集団訴訟に先駆けて、今年度判決が出てくる所なんですね。

おしどり(ケン):
分かりました。

おしどり(マコ):
はい。私たち1月30日にですね、まず福島訴訟の生業訴訟の取材に行ってまいりまして。

おしどり(ケン):
行ってまいりました。

おしどり(マコ):
翌日、それが1月30日の生業訴訟が、その結審の前のラスト前の弁論だったんですけども。

おしどり(ケン):
そうでしたねえ。

おしどり(マコ):
その翌日、1月31日が千葉地裁で結審ということで、そちらも取材に行ってきました。

おしどり(ケン):
行ってきました。朝からもう一日でしたねえ。

おしどり(マコ):
そうそう。

おしどり(ケン):
両方ともねえ。

おしどり(マコ):
そう。結審の弁論自体は3時間半。凄く長かったけど、私は傍聴券が当たったんで傍聴しましたけど、あっという間でした。それで私ね、昨日傍聴してて審議を聴いてて、何度も何度も泣いてしまったんですけど。

おしどり(ケン):
そうらしいですねえ。

おしどり(マコ):
そう。もうなんか帰りながらもケンちゃんに話しながらも何度も泣いてね。何が私悲しかったかって言うと、千葉訴訟の原告が提訴した時はもともと47人だったんですけど、もう既に6人亡くなったんです。原告がね

おしどり(ケン):
原告の方が6人亡くなられた。

おしどり(マコ):
そう。亡くなられて、そのお子さんが亡くなった原告の意志をついで、原告になっていたりされているんだけど。もう6人も、避難先で避難したまま亡くなっておられるんですよね。

おしどり(ケン):
はい。

おしどり(マコ):
昨日、結審の時に意見陳述された原告の方は、その92歳のお母様が2016年、去年の4月に亡くなられたというお話をされておられました。

福島原発事故で死者なし 高市早苗

おしどり(ケン):
92歳のお母様が、じゃあ最初原告だったんですか?

おしどり(マコ):
そう。だったんだって。それで、そのお母様は福島から千葉に避難されて、地震のすぐ後は原発事故のすぐ後は津波も大変だったからね、自分が生き残ったのは神様に生かされたんだと。
だから、しっかり生きなくてはっていうことおっしゃってたんですって。でも、その言葉も違うし、もう全然周りに知り合いもいないし、避難先でどんどんどん弱っていってらして、唯一の楽しみは福島のお友達にお電話をすることで。
でも、そのお友達の親友が亡くなってから、見る間に元気がなくなったんですって。それで、その親友が亡くなってからね、「親友は旦那さんがお迎えに来てくれていいな」と「私の主人は何でお迎えに来ないんだろう」っていうことを言い出して、どんどん弱っていったんですって。

おしどり(ケン):
ちょっと切ないですねえ。

おしどり(マコ):
切ない。地震の直後は、「神様に生かされた命だから頑張らないと」っておっしゃっていたのに、もう周りのお友達がどんどん亡くなって、外に出て言葉も違うし、全然知らない人達ばかりだというので、外に出て行けなくなったうちに、足腰も弱っていって、そして、言葉もだんだん呂律が回らなくなっていって、言語障害が出てきて、「もう早く旦那さんにお迎えに来て欲しい」って言うようになっちゃったんだって。
でもね、そのような中でも、本と新聞はとてもしっかりご自分で読んで自分の意見をはっきり言う方で、新聞で千葉で集団訴訟が始まるということを知って、すぐに原告に名乗りを上げたんですって。国と東京電力の責任はきちんと追及したいと

おしどり(ケン):
凄い。

おしどり(マコ):
凄いでしょ。
でね、東京電力だけが悪いんじゃない。国も責任があるんだと。その責任をきちんと明らかにすることは、私達、私がやらないといけないという事で。もう90前ですよ。その時点で。

国と東京電力は責任を果たせ

おしどり(ケン):
そっか。

おしどり(マコ):
そう。でもね、原告に自分が決めて、すぐに自分で連絡をとったっていうことを娘さんおっしゃってました。

おしどり(ケン):
その姿はね、娘さんは傍でご覧になってたんですよねえ。

おしどり(マコ):
そう。でもね、それで「故郷にいつか帰りたい、帰りたい」っておっしゃっていて、おっしゃっていたんだけど、でも、もうほんとにどんどん「旦那さん早く迎えに来て欲しい」とおっしゃるようになって、それで、「自分が死んだら、骨は海にまいてくれ」っておっしゃってたんですって、娘さんにね。
それで、「自分が先祖代々伝わってきた家もお墓も守れなかったから、そんな自分はご先祖様と同じお墓に入る資格はない」と「だから、自分が死んだらもうお墓に入れないから、ご先祖様に申し訳ないから、骨は焼いて海にまいて」って娘さんに言ってたんですって

浪江町で放棄された墓

おしどり(ケン):
そんなお母さんの責任じゃないじゃない。

おしどり(マコ):
そうよ。ほんとにねえ。でも、「早く一度帰って、故郷の桜を見たかった見たかった」っておっしゃっていて。でも、お母様は去年の4月に亡くなられて、今、でもやっぱりね、ご先祖様と同じお墓に入られたので、今は母は故郷の桜を見られたんだなあと思っていますということをおっしゃってました。
その国と東京電力の責任をきちんと追及したいと言っていた母の意志を継いで、今は私が原告になっていますと。
これ以上、こんな思いをする人を出さないでくださいと。きちんと責任を明らかにして下さいということを意見陳述してらっしゃいました。ほんとにそんな感じで、年配の方が故郷に帰りたいとずっとおっしゃっていた方が、国と東京電力の責任を明らかにしたいと。そして、こんな思いをする人間をもうこれ以上出さないで欲しいということで、私達で終わりにしてほしいということで、原告になっている方々が本当に沢山おられていて、集団訴訟が各地で立ち上がっています。でも、ほんとにね、結構、原告は年配の方々が多いじゃないですか。生業訴訟は4千人近く原告がおられるんですけど、年配の方々が多いんですよねえ。

『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟

おしどり(ケン):
ほんとよねえ。

おしどり(マコ):
うん。私達、水俣病とか泉南アスベストとかいろいろ他の公害問題も取材していて、そして、その水俣病の溝口訴訟とか関西F3訴訟、そして、泉南アスベストという裁判が2013年や2014年に最高裁判決が出て、そして、原告側が勝って、国が悪かったと国の賠償責任を認めたんですけどね、もう裁判自体何十年もかかっていて、もう原告たくさん亡くなっていて、みな最高裁の判決の時に亡くなった原告の遺影を手に持ったお子さん方が多かったんですよ。

おしどり(ケン):
今思えば、ほんとに遺影を持った方ばっかりと言うとちょっと言い過ぎですけども、ほんとに多いですよね。

おしどり(マコ):
そう。水俣病の裁判もF3訴訟も溝口訴訟も泉南アスベストもそうだったじゃないですか。それで、私、千葉地裁の結審の取材に行って、地裁の第一審の取材に行ってね、他の全国でやってる原発事故の裁判の弁護士の方々も沢山来られていていろいろ話してたんですよ。
いろいろ話をしてたら、「その資料送ってちょうだい」とか「東京電力の原発事故のことに関して、今度、弁護士事務所に来てちょっといろいろ資料の読み方とかいろいろ教えてほしい」
と私いろいろ言われてたのよね。でも、もうすぐ一審が終わる所もあるので、「でも、もうこれもうすぐ結審なんで間に合いませんよね」っていう事を言ったら、その弁護士さんに私ね、「大丈夫、まだまだ高裁も最高裁まであるから、先は長いよ」って言われたんですよね。「ああ、そうか」と私そこでやっと初めて思い当たって。
この裁判は、その国や東京電力側とその原告側が住民の方々と争っているけど、どっちが勝っても負けても控訴して高裁に行って、最高裁まで行くんですよ。行く想定なんですよ。両方ともね。

おしどり(ケン):
時間を考えるとね。どれだけかかるか。

おしどり(マコ):
そう。だから、私、千葉訴訟で取材をしていてね、もう既に47人のうち、もう3年で6人原告が亡くなっていたら、最高裁に行くまでにいったい何人亡くなってしまうんだろうっていうことを思い当たったんです。

おしどり(ケン):
そうやね。

おしどり(マコ):
私達ほら、水俣病とアスベストの取材をしてその事は分かりきっていたはずなのに、長年、何十年も最高裁まで行くうちに、国がなかなか責任を認めないうちに原告の方がどんどん亡くなっている裁判を見ているのに、今の事ときちんとリンクして繋げて考えることができていなくって。いつも、ほらあちこちの裁判に行って、いつもニコニコ笑って写真を撮るおじいちゃんとか、お饅頭くれるおばあちゃんとか、おにぎり持ってきてくれるおばあちゃんとか、そういう原告の方々がもう90近い方、80歳過ぎている方が最高裁まではきっとおられないだろうなっていうのに思い当たった時に、凄い腹が立って悔しくて悲しかったんです

おしどり(ケン):
それで、昨日はほんとに何回も泣いてましたね。

おしどり(マコ):
何回も泣いた。こんな国だと分かっていたのにと思って、凄い泣きました。ほんとにね裁判を起こしている方々は、よくね地元でも凄く批判をされるんですよ。「そんなにお金が欲しいか」と「そんなに賠償金が欲しいのか」ってよく言われるんですけど

おしどり(ケン):
その話、よく聞きますよね。

おしどり(マコ):
そう。でも、裁判起こすことって本当に大変で。全然自分のお金儲けの為じゃなくって、きちんと責任を何が起こったのか、誰が悪かったのか、二度と同じことを起こさないように、二度と同じような辛い目にあう人がいないように、きちんと追及したいという方々ばっかりなんです

おしどり(ケン):
なんか、こういう事を繰り返して下さることで、なんか自分達の権利とかそういう物を守り続けてるんやなって思いますよね。

おしどり(マコ):
そう思う。ほんとに90前の方が原告になるっていうのは、自分が最高裁まで行かないと分かっていて、それでも原告にならねばと思う、そのお気持ちっていうのはね。それを私は千葉訴訟の意見陳述を伺って凄く感じました。
ほんとにどんどんどんどん結審、あちこちの裁判が結審されて判決が出てきます。このあちこちにある原発事故の集団訴訟。集団訴訟じゃなくても、いろんな裁判が起こってます。それを皆さんが傍聴したりとかいろいろ足を運んでどういうお話になってるのかなと関心を持って声を上げることっていうのも凄い大きな力になります

おしどり(ケン):
それは凄くなんか力になるって、弁護士の先生もおっしゃってましたね。

おしどり(マコ):
おっしゃってた。
だからもう結審の頃になったら、もう裁判に対して出来ることと言ったら、裁判所に対してきちんと世論の声が聞いてくれという署名を提出することなんですって。だから、様々な今年判決が出る様々な裁判、判決が出なくてもいろんな裁判でどんどん署名活動が始まっています。本当に日本の私達の戦い、私達の権利を守る戦いとして、原発事故の被災者の方々が裁判を起こして下さってるので、私達もいろいろ頑張って戦いに参加したいもんですね

おしどり(ケン):
ほんとに注目ですね。

おしどり(マコ):
はい。ということで、今日はおしどりによるLight Up!ジャーナルでした。



NHKスペシャル 2013年7月26日
動き出した時間 ~“旧警戒区域”はいま~

http://dai.ly/x12bin1
東日本大震災から2年余り。復興が進む被災地の中で、唯一取り残されてきた地域が、ようやく新しい局面を迎えようとしている。福島第一原発事故により、『警戒区域』として立ち入りが禁じられてきた9つの自治体だ。
去年始まった「避難区域の再編」が5月(※2013年)に全て完了。『帰還準備を進める区域』と、5年以上戻れない『帰還困難区域』とに分けられることになった。それぞれの自治体と住民は、いま“故郷をめぐる決断”を迫られている。
浪江町では、住民の8割が住む地区が「帰還準備を進める区域」に指定された。生活や仕事の再建のために帰る人たち。町の復旧事業課も6月から元の役場に戻る。想像以上に痛んだ家屋やインフラの復旧作業など、復興に取り組み始める。
一方、双葉町では、5月末(※2013年)、住民の9割が住む地区が「帰還困難区域」に指定された。故郷を離れざるを得ないと決断する人たち。新しい生活の場を、どこにどう作るのか、住民の間では話し合いが始まっている。
番組では、故郷に戻る人と移住を選ぶ人、それぞれの今に寄り添い、深く傷ついた「旧警戒区域」でようやく動き始めた人々の“決断の重み”を見つめる。


NNNドキュメント 2013年10月27日
チェルノブイリから福島へ 未来の答案

http://dai.ly/x16htki
爆発した原発の廃炉は、通常の廃炉より格段に難しい。
今も福島第一では溶けた核燃料がどうなっているか全く分からない。しかも廃炉にあたるのは、3次、4次、5次下請けなどの原発関連の作業経験が少ない人が多い。被曝線量がオーバーすると働けなくなり、また新たな人が補填される。
これでは想定の30~40年で廃炉を完了できるとは思えない。
核大国・旧ソ連がチェルノブイリ収束の為に取った対応と比較して、今の日本はどうなのか?
一番の違いは姿勢だ。
チェルノブイリには廃炉・除染の作業員を養成する訓練センターが作られた。廃炉に手練れを、という戦略だ。
日本は今の形のままでいいのか?
福島とチェルノブイリの大きな違いをつまびらかにし、日本が取るべき正しい道筋を探りたい。



震災 原発
「時期尚早」募る不安
第2原発立地の富岡町 避難指示一部解除へ

(しんぶん赤旗)2017年2月11日

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年―。政府は福島県の自治体に出した避難指示のうち、帰還困難区域以外は4月までに解除する方針です。避難自治体は今、どうなっているのか。順次紹介します。

第2原発立地の富岡町 避難指示一部解除へ

福島原発事故6年
避難自治体は今

 「夜になるとイノシシが群れでやってくる。鉄線を張っているが、だめだ。昼間だけでなく、夜の町をみんな自分の目でみてくれ。もうおれたちの町じゃなくなっている
福島県富岡町、帰還困難区域のすぐ外側の猪
 福島県郡山市で開かれ、約300人が参加した住民説明会で、帰還に向けた準備のために政府が許可した「準備宿泊」をしている同県富岡町の男性はそう訴えました。
 富岡町は楢葉町とともに東京電力福島第2原発の立地自治体で、全域が避難区域。政府は4月1日に同町の帰還困難区域以外の避難指示を解除しようとしています。いわき市、郡山市を中心に約1万5千人の住民が避難しています。政府が避難指示を解除する予定の居住制限区域、避難指示解除準備区域の住民は9601人で町民の約7割を占めます。

1ミリシーベルト上回る

 政府は住民説明会で避難指示解除に向けた取り組みを説明。さらに準備宿泊を行っている住民への調査で、放射線被ばく線量中央値が年間1・52ミリシーベルトと推定されると明らかにしました。政府が避難指示解除の目安としている年間20ミリシーベルトは下回りますが、除染活動目標の1ミリシーベルトを上回る数値です。
 農業を営んでいた渡辺幸一さん(64)は説明会後にこう語りました。
 「20ミリ―ベルとでも1ミリシーベルトでも、まあ年だし、おれはいいよ。問題は孫、その次の世代。そこを考えたら福島だけでなく日本の原発はなくさなくてはいけない。これだけははっきりしている
 説明会では、▽第1、第2原発は安全といえるのか▽固定資産税や医療費減免は続くのか▽解除は時期尚早。インフラ整備がもっと進んでから▽アンケートなど住民合意が必要―など多くの意見が出ました

帰還に向けて

 帰還に向けて複合商業施設「さくらモールとみおか」が3月末にオープン予定。昨年11月からホームセンターと飲食店1店、弁当店1店が先行オープンしています。
 午後2時ごろ、訪れると客はまばら。弁当店の店員の話では、昼どきを中心に復興事業の作業員を中心に1日200人を超す客が来るとのこと。
 食事をしていた町の女性(69)は話します。
 「避難前は畑もやっていたが、イノシシに荒らされるのであきらめている。買うとジャガイモ一つ50円くらいするのでばからしいけど。一番不便なのは医者。いわき市の病院まで行くので1時間以上かかる。家族もばらばらにされ原発はこりごりだ。原発再稼働を進める安倍首相はだめだね

追加除染まだ必要 宮本皓一町長

 避難指示解除は復興のスタートラインに立つということです。放射線被ばく線量を年間1ミリシーベルト以下にするための追加除染など、必要なことはまだまだあります
 国は4月までの解除方針を出していますが、町にあった労働基準監督署、法務局、ハローワークなどの国の出先機関を町に戻す方針を示していない。この点では私たちに寄り添っているとは言えません。医療費無償化も1年ごとの措置で、長期の展望が見えず、町民に不安を与えています。
 県工事の防潮堤、県道整備もこれからで、災害公営住宅を建設するなど、曲田(まがた)地区を復興拠点とする町の計画と歩調がとれていない状況です。
 福島第2原発の廃炉は当然だと思います。町そのものが廃炉を提言することはしていませんが、6年の長期にわたる避難という苦難の中で、「どうぞ再稼働してください」という人は町民の中にはいないでしょう。

東京電力福島第1原発事故による避難
 政府による避難指示はこれまで福島県の12市町村(広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町ヽ、双葉町、浪江町、葛尾村、田村市、南相馬市、川俣町、飯舘村)に出されました。 2016年末時点で、広野町、楢葉町、田村市、川内村では全域で避難指示が解除され、残る自治体で帰還困難区域(年間放射線積算線量
 50ミリシーベルト)、居住制限区域(同20~50ミリシーベルト)、避難指示解除準備区域(同20ミリシーベルト以下)に分けられ、全域または一部で避難指示が続いています。


「原発の隣に帰れるか」
来月避難指示解除へ疑問噴出
浪江町の住民説明会
(東京新聞【こちら特報部】)2017年2月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017020202000140.html
 東京電力福島第一原発事故による福島県内の避難指示が今春、帰還困難区域以外のすべての区域で解除される見通しだ。飯舘村と川俣町山木屋地区の解除が決まったほか、浪江町や富岡町も国と日程調整を続けている。だが、困惑する住民は少なくない。「この状況でなぜ帰れるのか」。先月下旬から町民への説明会が始まっている浪江町では、「安全」を強調する政府の解除方針に疑問の声が噴出した。
(白名正和)

「原発の隣に帰れるか」_1

大量の燃料未処理・土壌汚染の不安残る

 「廃炉作業中にまた事故が起きたらどうするのか
 一日、福島市内で浪江町と国が開いた説明会で、参加した百四十六人の町民から相次いだのは不安の声だ。国の姿勢をただす厳しい意見にはひときわ大きな拍手が湧いた。
 浪江町は福島第一原発が立地する双葉町の北隣。原発事故の放射性物質が町全域に降り注ぎ、全町避難を余儀なくされている。町によると、一万八千四百九十三人(二〇一六年末現在)が県内外でちりぢりに暮らしている。
 国は「町民が生活できる環境がおおむね整っている」として、三月三十一日で「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」の避難指示解除を提案した。
 両区域は町東部の太平洋に面した一帯にあたり、面積は町全体の約二割だが、対象となる町民は一万五千三百五十六人と全体の八割に上る。これまで指示が解除された五市町村よりも多
く、最大規模の解除となる。
 先月二十六日に始まった説明会は、二月十日まで県内各地や避難民が多く住む東京と大阪の計十ヵ所で開かれる。一日の説明会で馬場有町長は「解除するしないは別として、われわれの町を荒涼としたままにはできない。町をなくさないという気持ちで頑張っていきたい」と力を込めたが、会場からは解除方針への疑問がやまない
 福島市に避難する久中和博さん(七〇)は「第一原発では大量の燃料が処理されないままになっている。どのくらい危険なのかを住民に分かるように説明してから、復興の話をすべきではないのか」と事故状況の説明を求めた。だが、国の担当者は「原発はメルトダウン(炉心溶融)の状況だ」などと説明するのみで、詳細には触れなかった。自宅が原発から約十㌔という久中さんは「こちら特報部」の取材に「浪江町に帰ることは、廃炉が進む原発の隣町に帰らなければいけないということ。この点をごまかして帰還の話をするのは、納得がいかない」と憤った。
 説明会では「私は解除されたらすぐに帰る。帰る人の足を引っ張らないでほしい」と賛意を示した参加者もいたが、多くが汚染が残る現状への不安の声だ。男性町民からは「これ以上の被ぱくは受け入れられない。私たちはモルモットではない」と悲鳴のような声も。福島市の復興住宅に住む今野寿美雄さん(五二)は「土壌汚染の不安は残ったままで、とても安全とは言えない。住民が戻ってから対策をとるのでなく、対策をとってから住民が戻るべきだろう」と拙速な解除方針を批判した。「安全というなら、説明している国の担当者たちが、家族と浪江に住んでほしい。その上で私たちに帰れと言ってくれ」と力を込めると、会場からは「私の家を無償で貸すぞ」と合いの手も上がった。
 実際、町では昨年十一月から、町民の長期滞在を認める準備宿泊が始まっているが、登録者は五百十三人(先月二十二日現在)で解除対象の3%強でしかない。町民の何人が帰るか見通しも立っていない。

「原発の隣に帰れるか」_2

「若い意見聞かぬまま」
子育て、親の世話…戻るのは難しい

 前日の三十一日に郡山市内で開かれた説明会でも町民の質問はひっきりなしだった。二十代の子どもたちがいる上野勝也さん(五一)は「これから町を担う若い人の意見を聞かないまま、話が進んでいる。親の面倒をどうするかとか、子どもを町で育てられるかとか、問題は多い。もっと若い人の声を聞いて、その上で帰るか帰らないかという話をしても、遅くないのではないか」と意見した。
 上野さんは「こちら特報部」の取材に「同居する父母は浪江への帰還を望んでいる。望み通りにしてあげたいが、高齢の二人だけで生活させるわけにはいかない。でも働く先がない限り自分は帰れない。どうすればいいのか、いつまでたっても答えにたどり着かない」と苦悩を明かした。
 避難指示が解除されると、十五歳未満の子どもたちであっても町内で暮らせるようになる。それを制限しない「判断」への不信感も根強い
 兼業農家の女性からは、農業用水に使っていた大柿ダムの底の汚泥の汚染度を問う場面も。国側はダムの水を使った作物の実験結果でも安全を確認していると強調する一方、汚泥は一㌔当たり二〇万ベクレル前後になる」と説明。会場からは「そんな危険なところに子どもを帰せというのか」と怒りの声があがった。馬場町長「同じ被害者なんですから」と国目線に立たないでほしいと訴える町民も
 津波被害にあった請戸地区の紺野広光さん(七二)は「生まれ育ち、老後の準備をしていた家がすべて流された。原発は国策で事故は人為によるもの。なのに今回の原発事故では誰も責任を取っていない。事故の責任をはっきりさせない限り、同じことが繰り返されかねない」と訴えた。この訴えに国側の担当者は「当時の東電幹部や経済産業省幹部が辞めている」と強調。「その他に責任の取り方がある」とも述べ、復興への協力や「原発に一定程度の依存」を前提に安全に原発政策を進めることが、事故の責任を取っていることになるとの見解を示した。(の´ⅴ`の)
 説明会後、紺野さんは「きちんと答えてもらえなかった」と嘆息。「国は反省もしないで、前へ前へと進もうとしている。このままでは同じことがいつか起こる」とつぶやいた。

「原発の隣に帰れるか」_図版

「五輪を利用して幕引きか」

 今春、避難指示の解除が相次ぐのは、政府が二〇一五年六月に决めた復興方針に基づく。一六年度末までに「帰還困難区域」を除くすべての解除をうたっており、その政府目標に沿ってこれまで楢葉町南相馬市小高区など五市町村で解除されてきた。残る飯舘村川俣町山木屋地区も今年三月三十一日に解除、浪江町も同日、富岡町に
は四月一日の解除が提案されている。
 いずれも除染やインフラ整備が進んだという理由だが、避難指示が解除された区域でも住民の帰還は進んでいない。昨年七月に解除された南相馬市小高区に帰還した住民は千百三十二人(一月二十六日現在)。震災当時の人口の一割強が戻ったにすぎない。葛尾村も「月一日時点で帰還者は百七人。かつての一割未満だ。
 福島第一原発では1~3号機から使用済み核燃料を取り出す計画が大幅に遅れている。廃炉作業の見通しが立たない中、住民の帰還だけが「予定通り」に進められている
 「原発事故被害者団体連絡会」共同代表の武藤類子さんは「除染が進んだと言っても放射線量は国際基準から見ても高い。安全かどうか疑問で、政府が解除を進めようとするのは納得できない」と訴える。解除方針について「避難が長引くと賠償費用がかさむだけでなく、原発輸出や再稼働と推進したい政府にとって避難地域がいつまでもあるのは不都合だからでないか」と指摘。二○年東京五輪に向け復興をアピールするためとの見方も根強いが「むしろ五輪を利用して早々に福島の原発事故を幕引きしたいように見える」と危ぶんだ。
(木村留美)

「原発の隣に帰れるか」_デスクメモ



NHKスペシャル 2015年3月7日
それでも村で生きる ~福島 “帰還”した人々の記録~

http://dai.ly/x2iwxzb
東京電力福島第一原発から南西30キロ圏にほぼ収まるところに位置する川内村。
事故直後、自治体ごと村外に避難したが、翌年(2012年)、避難自治体の中で最も早く「帰村」を宣言した。そして去年(2014年)の秋には避難指示が続いていた「20キロ圏内」のほとんどの地域も、インフラの復旧が進み、かつ除染がほぼ完了したとして避難指示が解除された。
原発事故で避難を強いられた自治体の中で川内村は、国から「帰還のトップランナー」、「原発事故の収束」を象徴する村とされてきた。
しかし、帰村後の再生の道は険しい。除染で出た廃棄物は、中間貯蔵施設の建設が遅れていることから、いまだ村内の至る所に野積みにされたまま。放射線への不安を抱く若年層の多くは、帰村していない。
番組では「帰還」の先頭を走ってきた川内村のいまを見つめ、原発事故から4年目の現実を活写する。


シリーズ東日本大震災 2017年1月9日
それでも、生きようとした
~原発事故から5年・福島からの報告~


http://dai.ly/x57x7bw
去年、世界的な医学誌に、日本の医師がまとめたあるデータが掲載された。年齢構成などをならし他県と比較した福島県の自殺率が震災4年後から上昇しているというものだ。現場からもそれを裏付ける現象が報告されている。福島で心の問題を受けつける電話相談には1日平均150本の相談電話が寄せられ、その数は全国と比較すると3倍以上。相談内容は年を追うごとに緊急性の高いものが増え、一件当たりの相談時間も長くなっている。今になって増加の傾向を見せる福島の自殺。背景の一つとして指摘されるのが、時間を経るごとに複雑化する原発事故被災者を取り巻く環境だ。また、個々の境遇にも違いが現れ、かつて親しかった親族や知人との間に分断が生まれ孤立感が深まっているという指摘もある。番組では、死を防ごうと福島で奔走する医師やNPOの取り組みを中心に、震災から5年半が過ぎた今、被災者の心に何が起きているのかを考えてゆく。


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