明けましておめでとうございます。
(。´∇`)
いわさきちひろ 晴れ着を着た姉弟
相田みつを - Wikipedia
人間にとって一番大切なものは何でしょうか?
お金ですか??名誉や地位ですか???
違いますよね!?それは言うまでもなく自分の命です!!
自らの命を軽んじる者は他者の命も軽んじるものではないでしょうか?
一億総活躍社会と標榜しながら、「日本死ね!」と言わしめる社会の実態…貧困拡大、高齢者・障害者切り捨て、極めつけは相模原障害者施設殺傷事件です。産業社会に役立たない人を消耗品扱いしてその排除を主張するのは、まさに「重度障がい者は人間の皮をかぶった物だ」とするナチスの優生思想そのものです。
ナチスが作ったプロパガンダポスター
日本国憲法第25条でいうところの「生存権」つまり「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことであります。
人生で健康が一番!健康でなければ人生を生きる原動力である「悦び」が得にくくなります。
では、人の幸福とは何でしょう?
お金を得ることや社会的地位や名誉を得ることでしょうか??
それとも、愛や信頼なのでしょうか?
確かにお金は人が生きていく上で必要なものですね?しかし、現代の社会では新自由主義→アベノミクスのもとで収奪者からどんどん収奪・搾取され、格差や貧困がますます広がっているのが現実です。必要以上のお金を得て満足せずさらにお金を得ようとしてお金・資本の奴隷となっている人の多いことか…いや、現実は逆ですね?資本の奴隷としてしか自らを生かすしか道が無いという地獄のような現実。いかに利益を創出したかが人の価値を計る唯一の物差しとなっているこの社会の現実。「有益な人」と「無益な人」との分断!
そんな人生が本当に幸せと言えるのでしょうか?
他人の幸福を破壊しておきながら自分は幸福になるなどということは私はできないと思います。なぜならば、人間は社会を作って生活をする動物だからです。この世の中の法則は人に悦びを与えるものは他者からも悦びを与えられるが、他者に苦痛を与えるものは他者からも苦痛を与えられるのではないでしょうか?
歴史は繰り返すといいます。しかし、単純に同じようなことが繰り返されるわけではない。低次のものから高次ものへ発展変化しながら、まるで螺旋階段のように進んでいくものではないでしょうか?
宮沢賢治はこのように言ってます。(毎年引用させてもらっています)
農民芸術概論綱要
宮沢賢治
序論
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
人間は自然と社会という二足のわらじで生きています。だから最終的に、自然の法則にも逆らうことはできないし、社会の法則にも逆らって生きることはできません。自然・社会は不動のものではなくて絶えず低次のものから高次のものへと発展しています。(正確に言えば事物は生成・発展・消滅のいずれかの過程にある)現在の宇宙論は今ある自然はビックバンから始まり素粒子を作り物質誕生した後に銀河を作り恒星が生まれ惑星が誕生する。
私たちが住む、この地球という稀有な星に生物が誕生した。それは奇跡であると同時に自然の発展法則による必然でもあったのですね。その自然史の中で私たち人間が生まれたことを意識している人は少ないのではないでしょうか?
私たちは宇宙の子です。自然の子です。私たちを構成している物質は先代の太陽が超新星爆発と同時に核融合によって生成された酸素や炭素その他の星間物質です。
シュミレーションを元に描かれた超新星爆発のイメージ
自然の物質から構成されている人間が自然の法則に逆らって生きていけましょうか?
私の身体もあなたの身体も星間物質でできているのです。私たちは宇宙の子なのです。だからこそ、私たち一人ひとりの命は平等で尊いのではないのではないでしょうか?
よく、差別や貧困、飢えや病気や戦争によって本来の寿命がまっとうできないことをもって、命は平等ではないと主張する人がいますが、それは敗北主義ではないでしょうか?だからこそ宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の言葉が重い意味を持つのではないでしょうか?
個々人の違いは個性というのであって不平等ではない。真に生存権をまっとうできる社会建設を目指すのがまっとうだと思うのですがいかがでしょう?
自然史の発展によって自己意識を持つ生物の誕生し社会を作って生きていく。それが人間です。その人間が自然によって生かされ、自然を合理的に改造しながら社会の発展法則に従いながら人間独自の文化を作り出し様々な生産様式を経て発展してきた人間の歴史。人間によって構成される社会がごく少数者のためのものであっていいのか?金や名誉のために従属させていいのか?
水の星
茨木のり子
宇宙の漆黒の闇のなかを
ひっそりまわる水の星
まわりには仲間もなく親戚もなく
まるで孤独な星なんだ
生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真
こういうところに棲んでいましたか
これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの意識の差が出てくる筈なのに
みんなわりあいぼんやりしている
太陽からの距離がほどほどで
それで水がたっぷりと渦まくのであるらしい
中は火の玉だっていうのに
ありえない不思議 蒼い星
すさまじい洪水の記憶が残り
ノアの箱舟の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに
子子孫孫のていたらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい
軌道を逸れることもなく いまだ死の星にもならず
いのちの豊饒を抱えながら
どこかさびしげな 水の星
極小の一分子でもある人間が ゆえなくさびしいのもあたりまえで
あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう
マハトマ・ガンジー 7つの大罪
https://youtu.be/Fl2TfF-u9JQ
奇跡であり必然である私たち星の子…子供たちに明るい日本を渡してあげられるのは遺伝子を受け継ぐ私たちの責務じゃないでしょうか?皆さんひとりひとりの努力と工夫が必ずや目標を達成する力となることを確信しています。
この世で情熱なしに達成された偉大なことなどないと確信する。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
おとなは二度と子どもになることができず、できるとすれば子どもじみた姿になるだけである。とはいえ、子どもの天真爛漫は、おとなを喜ばせはしないだろうか。そしておとなが、今度は自分たち自身で、より高次の段階において子どものもつ素直さを再生産することに努力してはならないのだろうか。
「経済学批判要綱」(序説)
現在の社会は決して固定した結晶体ではなく、変化することの可能な、そして常に変化の過程にある有機体なのだ
『資本論』(第1版序文)
カール・マルクス
真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず
村を破らず 人を殺さざるべし
田中正造
子供を幸福にしたければ、親が幸福になりなさい。だって不幸な親から幸福な子は決してうまれません。
むのたけじ
ひとは子どもが幸せになるために生きているのではありませんか
田尻宗昭
生きる
生きているということ
今生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎていくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
谷川 俊太郎
https://youtu.be/Ax4sIodnCHI
生きる
志村喬
故郷
より
魯迅
わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然(しか)る可(べ)きだ。
わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。
夢うつつの中(うち)に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。
希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。
(一九二一年一月)
そもそも
我々が人生の意味を
問うてはいけません。
我々は人生に
問われている立場であり
我々が人生の答えを
出さなければならないのです。
どのような状況になろうとも
人間にはひとつだけ
自由が残されている。
それは
どう行動するかだ。
ヴィクトール・フランクル
皆様にとって、本年が幸せな年でありますように( ´-`)
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明けましておめでとうございます 年頭に思う
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