自由なラジオ Light Up! 013回
「決して辞めてやるものかと誓った! 研修所の個室に左遷された内部告発者の30年 」
https://youtu.be/afoPkLx4uq8?t=17m25s
~17分25秒第013回 Light Up!ジャーナル
世界でもっとも危険な原発、浜岡原発建設の際に住民に渡った原発マネーの正体とは?
http://jiyunaradio.jp/personality/journal/journal-013/
いまにし:
中部電力の浜岡原発、2011年の東日本大震災がありまして福島第一原発の事故。
それでですね、政府が要請をして、全ての原子炉が停止されて5年以上が過ぎました。浜岡原発1号機から4号機を建設するのに地元の住民組織、云わば町内会を大きくしたようなものらしいですが、総額30億7900万円ものお金が渡っていたという文書が見つかりました。その組織の代表を務めた男性が直筆のメモを残しておられたということで、それを関係者から提供を受けた立教大学共生社会研究センター
が5月10日から公開を始めました。
浜岡原発のいわゆる原発マネーの流入について小出さんに伺いたいのですが。まず、浜岡原発と言いますと、私も行ったことがあるんですけども、本当に太平洋の海に面した所にそびえ立ってるというようなあれなんですが、地域的にいわゆる南海トラフの地震があるとか、大きな地震が想定されているようなエリアで、世界で一番危険な原発と呼ばれているというような話もありますね。
https://youtu.be/MdH7Jpq-hzw
小出さん:
そうですね。皆さんご存知だと思いますけれども、浜岡原子力発電所は静岡県の御前崎市にあるのですが、遠州灘の砂浜に面して建っています。その場所は、過去繰り返し繰り返し東海地震という地震が襲って来た場所でして、今後、ごく近い将来のうちに、また東海地震がやって来るだろうと言って、世界中の地震学者がそう考えているわけです。
そして、その浜岡原子力発電所は、予想されている東海地震の予想震源域のど真ん中に建っているということになっています。
源八おじさんとタマ004
https://youtu.be/QpLPFXG1bLg
本当に近い将来に高い確率で地震が起きる。そして、その時の地震はマグニチュード8から9になるだろうと地震学者達が警告しているわけで、そんな場所に原子力発電所があるということ自身が、とてつもなくおかしなことだと私は思ってきましたし、おそらく浜岡原子力発電所を停止させたのは菅直人さんですが、彼もそのことに気付いて、浜岡だけは止めなければいけないと思ったのだと思います。ぜひ、そうして欲しいです。
いまにし:
はい。それで、地元の町内会を大きくしたような組織に30億円を超えるようなお金を支払っていたということなんですけれども。いわゆるこれも、そういう大事故、過酷な事故への懸念を住民の方々が持たれてて、そこに頬被りをしようかなみたいな意味合いがあったのかなと思うんですが。
小出さんも全国いろんな原発の立地自治体の方々から相談も受けておるのですけれども、こういう原発マネーっていうのはどこでもあるんですねえ。
小出さん:
はい。もちろん、どこでもあるわけでして、いまにしさんご自身も人形峠周辺での裏工作、裏金の使われ方ということを丹念に調査してくださって、そのことに関しては、いまにしさんが公表してくださいましたよね?
いまにし:
はい。
小出さん:
今回は、浜岡の住民がきちっとメモを取っていて、それを公開してくださったということで、極めてまれなことだと思います。公的な、例えば地方自治体、町とかというところに、某かの正規な形で援助をする、お金を落とすということは、これまでも明らかになってきた例があるのですけれども。そうではなくて、町内会を少し大きくしたような組織にまで、本当の裏金としてお金を落としていくわけですね。おそらく、中部電力の中でも、そんなことを知っている人はほとんどいないだろうと思いますけれども、本当にあきれた話ですし、汚い話だと私は思います。
いまにし:
それで、小出さんもいろんな原発の立地自治体で関わられてきたことがあろうかとは思うのですが、どうでしょう?実際に、この間まで原発反対と言った人が急に会合に来なくなったとか賛成とか言い始めたとか、なんかそういうような事ってございましたですか?
小出さん:
そういう事例を私自身が経験したかと問われているのであれば、私は知りません。ただし、ずっと原子力を反対してきた団体が次々と力を削がれて、やがて崩壊に追い込まれて行くというのはどこでもあった話ですので、おそらく電力会社からの切り崩しで次々とやられたんだろうなと私は思ってきました。
いまにし:
その裏側には、やっぱりこういういわゆる裏金的な大きなお金が動いているんだなぁというような、やっぱり事にも一つなるんでしょうね?切り崩しについては。
小出さん:
そうですね、お金もそうですし、例えば活動してきた中心人物の例えば息子を雇ってやるとかですね。そんな事ももちろんあったでしょうし、ある時には警察力を使って弾圧を加えて寝返らせるというような事もあったと思います。
いまにし:
はい。いわゆるそういう原発の立地する地域には、原発がお金のなる木という風になってしまっているということですよね?
小出さん:
そうですね。
いまにし:
東日本大震災で大きな事故が起こりました。福島第一原発でですね。
そのお金は、命の代償であるということをやはり今一度ちょっと考え直さないといけないのかなあと思うのですね。
【原発儲かる】原子力安全委員長
【最後は金】「原子力発電所、ものすごく儲かってる」
小出さん:
はい。そうですね。今の世の中というのは、とにかく目先の金ということが何より大事なんだという風に皆さん思わせられてしまっているわけですけれども、本当はそんなことではない。きちっと人々が安心して地域で暮らしていかれるということが一番大切なことだということに地域の人にも気付いてほしいですし、いわゆる企業のトップの人々も目先の金だけを追い求めるというようなことは止めてほしいと私は思います。
いまにし:
確かに、東日本大震災で福島第一原発の事故が起こりました。今も10万人を超える方々が、故郷に戻れないという状況が現実続いておるわけですからねえ。
小出さん:
そうですよね。皆さんお一人お一人も想像してほしいのですけれども、何気なく続いていた自分達の生活がある日突然断ち切られて、家も家族もバラバラになってしまう。地域の繋がりも断ち切られてしまうというようなことが起きたわけですし、それも1人でも2人でも10人でもなく、なんと10万人を超えるというような人々が事故から5年以上も経った今も苦難のどん底に落とされたままという事態が続いているのですね。
本当にひどいことが続いているんだということを日本に住んでる皆さん、何とか気がついて欲しいと思います。
原発事故5年目の記録
https://youtu.be/2igqKVrNv-g
いまにし:
はい。わかりました。小出さん、ありがとうございました。
小出さん:
こちらこそ、ありがとうございました。
福島第一原子力発電所事故と
浜岡原子力発電所再稼働
https://youtu.be/VmKvIx5KopA
2015年10月17日 小出裕章講演会
主催 浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク
311を忘れないin静岡
「科学者にとって原発とは」
~水戸巌の思い出を語らう夕べ in Studio Citizen
https://youtu.be/jJ1yqxEuOlo
昨年3月に京都大学原子炉実験所を定年退職された小出裕章さんと、1986年に亡くなられた反原発運動の草分け放射線物理学者、水戸巌さんの夫人、水戸喜世子さんとの対談を企画しました。
よみがえる科学者 水戸巌と3.11
http://dai.ly/x3w9t27
山間の仮設住宅で暮らすひとりの男性がつぶやいた。
「あの人の言葉に耳を傾けていれば、こんなことにはならなかった…」
男性は福島県浪江町の漁師。「あの人」とは物理学者の水戸巌である。
水戸巌は東大原子核研究所の研究者。日本の原子力研究の最前線に立った。だが原子力の利用はあまりにもリスクが大きいと、原子力政策に警鐘を鳴らすようになる。1970年代以降、東海村を皮切りに各地の原発訴訟では科学者の立場から原告の住民を支援。福島第一原発の周辺地域にも通い、浪江町の漁師たちとも交流した。そしておきた「3・11」。
番組では、科学者水戸巌の足跡を辿ることで日本の原子力政策の歴史と課題を振り返り、科学者のありようについても考えてみる。1986年、厳冬の剣岳で2人の息子とともに遭難死した水戸巌。没後30年、そして「3・11東日本大震災」から5年を迎えるいま、「行動する科学者」水戸巌がよみがえってきた。
2016年6月27日 NNNドキュメント
汚名 ~放射線を浴びたX年後~
http://dai.ly/x4iglwf
南海放送が、アメリカの核実験による被ばくを取り上げた「放射線を浴びたX年後」シリーズ。NNNドキュメント第4弾の本作は、父の死の真相を巡る女性の物語。
マグロ漁師だった父は、酒の飲み過ぎで早死にしたと思い込んでいた女性。真相解明に向けて聞き取りを進めると証言や遺品が得られ、手がかりをつかみ始める。一方で、国による被ばくデータの解析や船員保険申請への動きなど被ばく問題は新たな段階に差しかかっていた。
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福島原発 健康影響調査
事故当時5歳児「甲状腺がん疑い」の意味
(東京新聞【こちら特報部】)ニュースの追跡 2016年6月22日
福島原発事故の影響を調べる福島県の県民健康調査で、事故当時五歳だった男児が「甲状腺がん、ないしは疑い」と診断された。五歳以下の子どもでは初のケース。同県は甲状腺がんの発生と事故の因果関係を認めていないが、その理由の一つが「放射線の影響を受けやすい五歳以下に発症者がいない」だった。論拠の一つが揺らいだ形だ。
(鈴木伸幸)
県、なおも「影響考えにくい」
福島市で今月六日、県民健康調査検討委員会が開かれた。配布された甲状腺がんに関する資料には、二〇一一年十月からの一巡目の先行検査と、一四年四月からの二巡目の本格検査の結果が掲載されていた。
検査の対象は一巡目は事故当時十八歳以下だった約三十七万人、二巡目は事故後一年間に生まれた子どもを加えた約三十八万人。
「がん、ないしは疑い」と診断されたのは一巡目が百十六人。二巡目では五十七人が同様に診断され、その多くは一巡目で「問題なし」だった。結局、これまでにがんと確定したのは合計百三十一人で、疑いは計四十一人となった。
記者会見では、二巡目で「がん、ないしは疑い」と診断された事故当時五歳、検査時に九歳の男児について質問が集中した。
三月に検討委が作成した「中間取りまとめ」では、県内の甲状腺がんの発生は「放射線の影響とは考えにくい」と評価。「被ぱく線量がチェルノブイリ原発事故と比べて小さい」「地域別の発見率に大きな差がない」点などに加え、「五歳以下からの発見はない」ことが根拠だったためだ。
記者から「五歳以下から見つかった。見解を変えないのか」と再三、問われた検討委の星北斗座長(福島県医師会副会長)は「非常に少ないと表現を言い換える必要はあるかもしれない」としながらも、従来の見方に変更はないとした。
「五歳以下」が問題となる理由は、一九八六年のチェルノブイリ原発事故との比較にある。
チェルノブイリ事故の健康被害を調べたベラルーシの国立小児甲状腺がんセンターの報告書によると、同国内で事故前の十一年間に十五歳未満の甲状腺がん患者はわずか七人だったが、事故から四年後の九〇年から急激に増え、事故後十一年間の患者数は五百八人に上った。そこでは五歳以下の多発が認められた。
この前例に倣えば、福島原発事故での患者は昨年から急増するはず。事故当時五歳以下だった男児が検査された時期と符合する。
チェルノブイリ原発事故後、現地で治療に当たった医師で、長野県松本市の菅谷昭市長は「チェルノブイリでは汚染されたミルクを子どもが飲んだことで被害が拡大した。福島と単純な比較はできない」と慎重な見方をする。
だが、検討委の否定的な見解については「福島では事故発生当時、多くの子どもたちが野外にいた。高濃度の放射線を浴びた可能性は否定できない。今後、甲状腺がん患者が増えかねない。現時点では『分からない』と言うのが正しい姿勢だ」と問題視する。
「貴重な一例」とすれば、対応変わるはずなのに…
「患者が増えた場合にどう見解を変えるのか。そうなったときは行政に対する不信が増大するだけ。国や県は事故を『風化させよう』としているのかもしれないが、それでいいのか」
チェルノブイリ事故に関する著書もある甲状腺専門医の武市宣雄氏も「『一例だから大したことはない』とするのも一つの考え方だが、『貴重な一例』とすれば、今後の対応も変わってくる。被害を受けていない地域で比較のための検査もしていないのに、なぜ『影響とは考えにくい』と言えるのか」と疑問を呈した。
チェルノブイリの被害者は100万人
https://youtu.be/FCQI_s5U6CE
https://youtu.be/r-wzEokCr3U
参院選公示 福島原発立地の大熊、双葉避難者の思い
(東京新聞【こちら特報部】)2016年6月22日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016062202000134.html
東京電力福島第一原発の事故発生から5年以上がたち、避難区域の指定解除が進む。政府は住民の帰還を急がせるが、原発が立地する大熊町と双葉町はどうかといえば、めどは全く立たない。参院選がきょう22日、公示される。事故後、国政選挙は4度目となるが、故郷を追われた町民たちはいま何を思い、何を託すのか-。
(三沢典丈、白名正和)
「前向く人への支援を」
「夢を囗にしないと、悲しすぎる」
福島県民の避難者はまだ約九万人いる。大熊町は全町民約一万七百人のうち約七割は県内、三割は県外で暮らす。全体の96%が暮らした中心部は放射線量が高く、帰還のめどは立たないままだ。
大熊町商工会長の蜂須賀礼子さん(六四)は昨年末、郡山市の新興住宅街に居を構えた。住んでいた会津若松市の仮設住宅を出る人が増え、ゴーストタウンのようになったからだが、「仮設から人が去ったのは、多くが曲がりなりにも自立できるようになったから。ようやく自分たちが何をやるべきか、考えられる段階に来た」と前向きにとらえる。
五年間の国の政策や東電の対応については、「三時間語っても語り尽くせない」ほど不満がある。二〇一一~一二年、政府事故調査委員会の委員を務めた時、「声をかけてくる国会議員に『福島原発は何町にあるか知っていますか』と聞くと、半数は答えられなかった」という。
環境相に若手の丸川珠代氏を充てた安倍政権の姿勢を疑問視する。「ソフトさ演出が狙いかもしれないが、力不足は否めない。中間貯蔵施設の建設問題も政府の姿勢が優柔不断なため、町民が態度を決めかねているのに、国民からはゴネ得狙いと見られている」。
だから、参院選の候補者にはこんな注文をつける。
「新たなことに挑戦しようとしても、現行の補助金制度は条件が厳しく利用しづらい。一人一人が自立し、生きがいを持てる施策が必要。将来を見据えて進もうとしている人への支援を充実してほしい」
蜂須賀さんは、帰還困難区域から外れている大川原地区に新市街地を整備する町の復興計画を応援する。除染は終わったという。
「政府にやってもらうという意識ではダメ。歴史ある大熊町をなくさないため、町民自ら出資し、新たな町づくりに参加すべきです」
夢を追うには理由がある。「いまだに町民は補償金で遊んで暮らしていると思われている。私たちは悪者なのか。自宅を奪われ、収入の道も絶たれ、非常事態は続いている。夢を囗にしていないと、悲しすぎて涙が出てしまう。ここは仮の宿。必ず大熊町に帰る」
だが、こんなに前向きな町民は、少数派かもしれない。当初、七割超の町民は帰還を望んだが、昨年八月の調査では「戻りたい」が11・4%、「戻らない(戻れないと考えている)」が
63・5%だった。
かつて菓子店を営んでいた吉田正造さん(八六)は昨年四月から住み始めた郡山市の家を終のすみかと决めた。「帰りたくても、自宅は泥棒に入られてボロボロ。修理する資金もない。(参院選には)何も期待していない。もともと住民の少ない双葉郡にはほとんど選挙カーも来なかった」
大熊町出身で、浪江町で会社経営をしていた男性(五一)は故郷も、仕事場も空間放射線量が高く戻れない。「候補者は復興のために力を尽くすとか言うだろうが、帰還困難区域は、今後三十年間は人が暮らせないのが現実だ。そんな本音ベースで政策を訴えてほしい」
「あの街には帰れない」
参院選福島選挙区の立候補予定者は、自民党現職で法相の岩城光英氏(六六)、民進党現職の増子輝彦氏(六八)、幸福実現党新人の矢内筆勝氏(五四)。改選数は一に減っている。
福島第一原発が立地するもう一つの自治体、双葉町の人たちは、参院選に何を託すのか。
町民の三分の一以上、約二千九百人は福島県外で避難生活を送る。県内には約四千人。仮設住宅は県内六市町に十ヵ所。そのうちの一つ、いわき市南台仮設住宅を二十一日、訪ねた。
百四十五世帯、二百四十五人が生活するが、周囲に店は少ない。最寄りのJR植田駅への復興支援バスは一日五本。「みな歩き回るのも大変。うちらのところは何でも最後。何も進まないんだ」。野村政子さん(七四)は不満を漏らしつつ、参院選については「候補者は誰だったか…。投票はこれから考えたい」。
原発に関する動きは気になる。二十日、原子力規制委員会が、運転開始四十年超の関西電力高浜原発の運転期間延長を認可した。
「ちょっとあれはね…」と眉をひそめた。
双葉町には、原発事故による放射性廃棄物の中間貯蔵施設が造られる予定だ。六十代の男性は「今は中間貯蔵だが、いずれは最終処分場になって全国の廃棄物が集まるんだろう。私らはいつまでも住所不定のままで、全国を渡り歩かなくちゃいけなくなるよ」。
女性(六七)は「生活の基盤が失われたままだから、選挙どころではないの」と口にした。「もう五年だから前を向けと言われるけど、住んでいた場所を失って、家族も離れ離れ。生活で精いっぱいよ」。双葉町では近所で暮らしていた息子や娘は、仕事の都合で別の仮設で暮らす。「(避難指示が解除された)楢葉町がうらやましい。帰れるなら帰りたいんだ。家族みんなで暮らしたいんだよ」
病院から帰ってきた男性(七四)はいわき市内のマンションに来月、引っ越す。「双葉には帰らない。病院も商店も介護施設もない。生活できないでしょう。楢葉の人がどれだけ戻ったと思いますか」。自宅前で荷物の整理をしていた男性(六二)も近く市内の一戸建てに移るという。双葉の自宅は荒れ放題で、八人家族のうち「帰りたい」と言う人はいない。「父親が病気で、介助もしないといけない。もう戻らない。決まりです」
散歩中だった男性(六七)は「選挙で票を投じても住民の早期帰還という国の政策は変わらない」とあきらめ気味だ。双葉町のライフラインや生活環境が整う見込みはない。「もう若い人は戻らないし、高齢者だけが帰還しても町に未来はない」
「双葉をなくし、最終処分場に」
続けて、大胆なことを囗にした。「双葉をなくしてしまっていい」。その上で、放射性廃棄物の最終処分場にすればいいという。「他の自治体が受け入れない廃棄物も含めて置く。帰れなくなるのはつらいが、原子力の関連の補助金を受け取ってきた立地自治体の責任を、そういう形で取らないといけないんです」
郵便受けを見に玄関ドアを開けた男性(六一)も「双葉町をなくせばいいと思っている。浜通り一帯を国が買い上げて、別の場所に町を新しくつくればいい。避難指示が解除された自治体と、双葉は状況が違いすぎる。もうあの街には帰れないんだ」と話した。
「帰れない」という重い現実を、国会議員はどう受け止めるのか。男性の双葉町の自宅の空間放射線量が毎時七㍃シーベルトで。環境省の除染基準、毎時〇・二三㍃シーベルトの約三十倍だ。「政治家は口ばっかり。参院選に何も期待しない」
2016年6月25日 ETV特集
飯舘村5年~人間と放射能の記録~
http://dai.ly/x4idtdn
http://dai.ly/x4ieor3
原発事故で全村避難となった飯舘村。5年前、私たちは事故直後の村に入り、人々の暮らしや苦渋の避難をつぶさに記録した。人々は今、来春の避難解除に向け、いかなる未来を選択するのか岐路に立たされている。番組は事故直後に撮影された記録を手がかりに、その時出会った複数の家族を取材。原発事故は何を奪ったのか。そして今、何を取り戻したいと考えているのか。「人間と放射能の記録」を長期定点取材で描く。