うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」
https://youtu.be/JUDG_LSSyZ8
新年企画「面魂」
「戦わないために闘う」沖縄の八十七歳オバア
(東京新聞【こちら特報部】)2016年1月1日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016010102000125.html
新しい年が明けた。どこか華やかさに欠ける感は否めない。それは社会を覆う不穏な影と無縁ではないのだろう。もはや、従来の常識や倫理を語る者は少数派のそしりを免れない。しかし、常識や倫理は人びとの経験の集積であり、それと断絶された未来はない。浮つかず、自らの経験と体感を軸に歩み続ける人たちがいる。そうした少数派の表情を見つめつつ、私たちの現在を問い返したい。
戦わないために闘う
辺野古 座り込み 横田チヨ子さん(87)
「新基地反対!」「新基地いらない!」。年の瀬なのに、額から汗がにじむ。沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプーシュワブのゲート前。新基地建設に反対する市民たちの声が響く。
時折、濃緑色の軍用車がゲートをくぐる。それを機動隊と警備員が守る。「NO BASE(基地は不
要)!」と記されたプラカードを掲げる約百人の抗議者の中に八十七歳のオバア、横田チヨ子はいた。
「基地があるから、爆弾が落とされ、弾が撃ち込まれる。なけりや、攻撃されない。私はサイパン島で経験しているんだよ」
そう話す横田の自宅は新基地への移転が計画される米軍普天間飛行場(宜野湾市)の近く。バスで片道一時間半かかるが、一昨年七月から、辺野古での座り込みに加わっている。
「誰が言ったか知らないけれど『座り込みの日当が三千円』なんてウソ。往復のバス代千円を払って、弁当をつくって来ている。年金暮らしには痛い。でも、子や孫の時代に戦争を起こさせてはいけない」
新基地建設で埋め立てが予定される大浦湾には、ジュゴンが生息する藻場がある。マリンブルーの大浦湾に面した砂浜に立つたび、横田はサイパン島を思い出すという。「海岸線が似ている。沖合に延びる岬も。本当は思い出したくないけど…」と目をつぶった。
太平洋戦争前、サイパン島など南洋群島は日本が委任統治していた。日本は開拓のため、主に沖縄で移民を募集。最盛期で約五万五千人が沖縄から渡った。
酒やたばこはやらず、寡黙な大工だった父も一九二八年ごろ、一人でサイパン島に渡った。大工仕事の傍ら、サトウキビ畑で働き、牛や豚も育てた。三年後に母、兄とともに三歳の横田も渡った。開拓生活には苦労はあったが、比較的恵まれた生活だったという。
「七歳から学校に通つたな。十代になると、父の自転車に乗って、映画館や芝居小屋、パン屋にカフェもあった西海岸の繁華街に出かけてブラブラすることが楽しみになった」
だが、四一年十二月に日本軍が真珠湾を攻撃。太平洋戦争が始まった。四二年六月のミッドウェー海戦で
日本軍が大敗すると、南洋群島でも戦時色が一気に強まった。
「サイパン島は『海の生命線』と呼ばれ、守りを固めるために、海軍に加えて陸軍も入ってきた。学校では『ぜいたくは敵だ』『欲しがりません、勝つまでは』と教えられ、金属製品を供出させられた」
米軍が沖縄に上陸する十ヵ月前の四四年六月。米軍は空襲と艦砲射撃でサイパン島へ猛攻撃を開始した。爆音が響き、煙が上がる。戦闘機からは機銃掃射。海兵隊も上陸した。横田は運よく両親と弟、そして兄一家と合流できた。安全を求めて逃避行が始まった。
基地がなければ
攻撃されない
避難民であふれる山道も容赦なく攻撃された。機銃掃射にバタバタと人びとが倒れ、空爆に吹き飛ばされる人もいた。生き地獄。ただただ逃げ惑った。
横田家も無傷ではなかった。迫撃砲にやられ、土煙の中からはい出てきた兄は腹部から大出血。ハアハアと肩で息をしながら、横田の目の前で果てた。
父も迫撃砲で右腕に大けがをした。足手まといになると思ったのか。近くにいた知り合いに右腕を切り落とさせ、大出血して動かなくなった。最期に「生きて沖縄に帰れ」と言った。
ふと、兄嫁を見ると、腕の中にいた三歳のめいがグッタリしていた。洞穴に隠れた際、兄嫁は日本兵から「泣かせるな。殺せ」と何度もすごまれていた。父と兄を失い、無意識に手にかけたのだろう。兄嫁はぼうぜんとしていた。
横田も迫撃砲や機銃掃射で左足と右脇腹を負傷していた。それでも、昼夜問わず、ニカ月以上も逃げ回った。母、弟とはぐれ、兄嫁と二人きりに。「日本は神の国。負けない」と信じていた。援軍が来て、助けてくれると疑わなかった。
だが、日本軍は孤立し、ほぼ一ヵ月で玉砕。横田はそれを知らず、山中に隠れてさまよい歩いた。
「生きて虜囚の辱めを受けず」と教え込まれた時代だった。北部の岸壁では幼子を抱えた若い母親が、米艦船のスピーカーから流れる「シナナイデクダサイ」との呼び掛けを無視し、相次いで飛び降りていた。
あちらこちらに遺体が転がり、異臭が漂う。横田と兄嫁も逃げ疲れ「もう無理だ。海で死のう」。手をつないで、砂浜から海に入った。ところが、波が鼻や囗に入り込む。背が低い兄嫁が先にむせて苦しみだす。死にきれずにいるところ、米軍の捕虜となった。
家族を奪った米軍が憎かつた。捕虜収容所では、日系人米兵に「何であんたがアメリカなの」と突っかかり、食事には手を付けなかった。すると、ある米兵が日本語で「国と国の戦争で、あなたと私は闘ってはいない。それとこれは別だ」と食事を勧めてきた。
一万人以上の民間人が犠牲になったとされるサイパン島。ふと振り返れば、日本軍の基地が落ちれば、米軍の攻撃は収まっていた。「基地があったから狙われたんだ」と感じた。
収容所で母、弟と再会。約二年後に沖縄に戻った。焦土と化した故郷では、生活のために必死たった。農業に励み、鮮魚店で働き、生命保険の営業員を務めた。六人の子どもと十八人の孫に恵まれた。
サイパン島の戦いから今年で七十二年。それでも、沖縄には米軍基地が居座り、辺野古には新基地が計画されている。サイパン島へは慰霊に三十年以上前から毎年、通っている。人生の最晩年に一歩踏み出し、反基地運動に参加した。
「ウチナンチュー(沖縄人)はサイパン島でだまされてのたれ死んだ。また沖縄はだまされるのか-。戦火をくぐり抜け、生かされている私の使命は、サイパン島の悲劇を繰り返させないこと。基地がなければ、沖縄は攻撃されない。それが私の最後の仕事」
機動隊にアメ玉手渡し…
「普天間も新基地もいらない」と、オスプレイが配備された普天間飛行場の爆音訴訟の原告に加わり、辺野古では座り込む。
だが、目の前の機動隊や警備員には手を上げない。目前に立つ彼らには時々、アメ玉を与える。
「そっと囗に入れなさい。基地には反対だが、あんたとは闘つていない。それとこれとは別だ」と。
安倍政権が実力行使で進める新基地建設。横田は話す。「どんなに時間がかかっても、話し合いを続けなければいけない。それが民主主義。私たちの闘いは戦争を起こさない、戦わないための闘いです」
(鈴木伸幸、敬称略)
離れても「辺野古反対」応援しています
(東京新聞)2016年1月10日
辺野古の新年は穏やかに明けた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設作業が進み、反対派市民らが激しい抗議活動を連日展開する同県名護市辺野古。年末年始は作業が中断した。反対派には励ましの年賀状が届き、笑みがこぼれた。二〇一六年の反対派の活動は、埋め立て予定地の海に臨む浜辺で始まった。琉球舞踊などで初日の出を迎え、集まった数百人が「辺野古問題を今年で終わらせる」と決意を新たにした。
隣接する米軍キャンプーシュワブのゲート前に張られたテントは反対派の活動拠点。ここに、抗議に賛同する県内外の人々から年賀状が届いた。宛先は「ゲート前テント村」だ。
「お体を大切に」「いつも東京から現地に心を寄せています」。送り主の多くは、この場を過去に訪れた人だという。宜野座村の橋本武志さん(六四)は「地元に帰っても『辺野古反対』の思いを持ち続けてくれ、うれしい」と表情を和ませた。
国は五日に移設作業を再開。抗議活動も再び本格化した。反対派によると、年末年始は離れていた警視庁機動隊も五日に戻ってきた。沖縄県警を含めた機動隊と市民の衝突は、今年も激しくなるのだろうか。
ぼくらの対話ネット
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沖縄建白書
http://img01.ti-da.net/usr/k/e/n/kenmintaikai2012/%E5%BB%BA%E7%99%BD%E6%9B%B8k%E7%BD%B2%E5%90%8D%E5%85%A5%E3%82%8Ak.pdf
普天間基地解決
「移設条件なし」でこそ
衆院予算委 赤嶺議員の質問
(しんぶん赤旗)2016年1月13日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-01-13/2016011302_02_1.html
24日投開票の沖縄・宜野湾市長選挙で重大争点になっている米軍普天間基地問題。日本共産党の赤嶺政賢議員は12日の衆院予算委員会で、名護市辺野古への米軍新基地建設か、普天間基地の固定化かの二者択一を迫る安倍政権の不当性を追及しました。
https://youtu.be/8-VPJYwAJC4
「移設」か「固定化」か
選びようのない選択迫る政府
「名護市には(辺野古への新基地建設で)今回初めて米軍基地がやってくるわけではない」―。赤嶺氏は、名護市にはすでに、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、辺野古弾薬庫、八重岳通信所の4基地が存在し、総面積は2300ヘクタールに及ぶことを指摘。「米軍三沢基地を抱え、基地の面積では沖縄県に次ぐ青森県が2400ヘクタール。名護市だけで青森県にほぼ匹敵する広大な米軍基地を抱えている」と強調しました。
シュワブ、ハンセンには、米軍が実弾射撃訓練やヘリ、MV22オスプレイなどの離着陸訓練を日常的に行う訓練場が広がっており、周辺住民の騒音被害は深刻です。
「辺野古、豊原、久志、許田、幸喜という五つの集落上空を縦横無尽にオスプレイが飛び回っている」―。日本政府は、辺野古新基地にオスプレイが移った後は、海上を飛行するので騒音はなくなると説明しています。ところが、赤嶺氏が示したのは、実際に名護市上空を飛び交うオスプレイの実態(図上)でした。
中谷防衛相は、「(オスプレイの)経路については確認していない」と述べ、無責任な答弁に終始。一方で、「キャンプ・シュワブ周辺の学校、幼稚園、保育園に対しては防音工事の助成を行っている」と答弁。事実上、騒音被害の存在を認めました。
「新基地ができれば、(集落上空を飛びまわるオスプレイの)訓練はなくなるのか」。赤嶺氏は政府の矛盾を追及。首相は、「(新基地に)移った後も訓練はさまざまある」と述べ、陸上での訓練を否定しませんでした。
赤嶺氏は、「今、新基地はないのに着陸帯があるために、オスプレイが集落上空で訓練をしている。新基地ができても着陸帯がそのままあるわけだから、騒音はなくなるわけがない」と反論。「東村高江でも伊江島でも、沖縄県内で新しい基地をつくるか、さもなければ普天間基地は固定化するというのは、選択しようのない選択肢を政府が県民に突きつけるものだ。こんな選択肢など選びようがない」と厳しく批判しました。
普天間の危険を言いつつ政府
市街地上空の飛行拡大を容認
安倍政権は、「普天間の一刻も早い危険性の除去」と繰り返し述べて、辺野古への米軍新基地建設を強行しています。赤嶺氏は、日本政府こそが米軍言いなりに、普天間基地の危険性を拡大してきた欺まんを厳しく追及しました。
赤嶺氏は、1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が普天間基地返還合意した3カ月後に、宜野湾市に対して普天間基地の副司令官が滑走路の東側だけでなく、西側にも飛行経路を拡大すると一方的に通告したことを告発。さらに、東側の飛行経路は一部を除いてほぼ基地内に収まるように設定されていたのに、西側は初めから民間地域上空に設定されていると指摘した上で、自らが設定した経路さえ無視して米軍機が市街地上空を飛び回っている実態(図下)を突きつけました。
そのうえで、赤嶺氏は、当時の桃原(とうばる)正賢・宜野湾市長が、飛行経路拡大を拒否したのに米軍が聞き入れなかったと指摘し、「米側は押し切って危険を拡大した。日本政府はやめろと言ったのか」と迫りました。
中谷防衛相は、「その点については確認しなければならない」と述べ、答弁できませんでした。それどころか、風向きや天候の影響などを挙げて「安全にヘリコプターを運用していくことが必要ではなかったのか」と米軍を擁護しました。
赤嶺氏は「住民の安全を考えれば、普天間基地の外を飛ぼうと言うのを断るのが当たり前ではないか」と迫りました。
もう一つの“危険性の拡大”は、米軍機による市街地上空での深夜・早朝訓練です。赤嶺氏は騒音の被害が宜野湾市民に「耐えられない苦しみ」を与え続けていると怒りをぶつけました。日米両政府が午後10時~午前6時の飛行を制限すると合意しているのに「なぜ守らせないのか」と迫りました。
中谷防衛相は「(米側と)事前に協議して決めていることを順守していただくよう協議し、違反すること等があったら申し入れをして改善をうながしている」と発言し、県民が苦しむ実態に寄りそわない答弁に終始しました。
赤嶺氏は、「辺野古には基地を移せない。普天間基地は一刻も早くなくさなければいけない。この二つの条件を満たすのが、沖縄県民が総理に提出した『建白書』だ」と述べました。そのうえで、「基地をいっそう危険にしているのは、県民の暮らしや安全よりも米軍の運用を優先する日本政府の態度が大本にある。普天間基地問題を解決するためには移設条件なしの撤去以外にない」と迫りました。
赤嶺政賢衆院議員のコメント
https://youtu.be/yWKT4RvceZ8
宜野湾市長選ルポ
政権側、露骨な懐柔策
知事側反発、辺野古移設は押しつけ
(東京新聞【こちら特報部】)2016年1月6日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016010602000147.html
米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の市長選(17日告示、24日投開票)が熱を帯びてきた。県内移設の容認派が推す現職と、反対する新人が激突する構図。現職を支援する政府と、新人を応援する翁長雄志知事の代理戦争の様相だ。政府側が繰り出す露骨な「アメ」攻撃に、知事側は強く反発している。選挙結果は、辺野古移設問題だけでなく、夏の参院選にも影響を与えそうだ。
(木村留美、三沢典丈)
正月三が日が明けたばかりにもかかわらず気温が二五度を上回り、強い日差しが降り注ぐ宜野湾市。時折ゴーツと大きな音を立てて軍用機が上空を通過する。住宅や学校が米軍普天間飛行場に隣接し、「世界一危険な飛行場」ともいわれてきた。市長選では名護市辺野古への移設の是非が嚴大の争点となっている。
有権者はどのように感じているのか。スーパーに買い物に訪れていた主婦(七八)は「騒音がひどく、学校に通っている子どもたちがかわいそう。やはり基地は辺野古に移った方がいいのかなこと、小さい声で話した。主婦の呉屋シゲさん(八二)も「オスプレイが学校にでも落ちたらどうしてくれるのか。なるべく早く移設してほしい」と言う。ただ、「辺野古も同じ沖縄。本当は持って行きたくないけれど、行き場がない。海外や本土で引き取ってくれれば一番いいのだけど」と、複雑な思いを吐露する。
一方、主婦の呉屋恵美子さん(六五)は「基地の撤去を願っている」と話しながらも「県内でたらい回しにはできない」と辺野古移設には「反対」の立場。有権者の思いは揺れている。
市長選に出馬を表明しているのは、再選を目指す現職の佐喜真淳氏(五一)と、新人の元県幹部、志村恵一郎氏(六三)。自民、公明が佐喜真氏を推薦。翁長知事らが志村氏を支援する。
佐喜真氏は普天間飛行場の返還・移設問題について記者会見で「普天間飛行場の固定化を許さず、その危険性を除去すべく一日も早い閉鎖返還を強く求める」と述べる。ただ、辺野古への移設に関しては、記者の再三の質問にも、賛否を明言していない。佐喜真陣営は「まず返還されることを最優先にしている。移設先については、どうこう言える立場ではなく、政府に責任をもって决めてほしい」と説明する。
一方の志村氏は、明確に辺野古移設反対を打ち出す。志村氏の父は元自民党県議で県議会議長や自民党県連会長を務めた。一部経済界も支援し、保革を超えた「オール沖縄」を印象づける。志村陣営は「辺野古に新基地を造らせ、基地の被害を県内のほかの地域に押しつけるわけにはいかない」と主張する。
選挙結果は、普天間飛行場の移設問題に大きな影響を与えるだけに、官邸はてこ入れに必死だ。
菅義偉官房長官は昨年十二月四日、普天間飛行場の一部を含む基地返還の前倒しについて、ケネディ駐日米大使と並んで発表するパフォーマンスを演じた。
昨年十二月八日には、佐喜真氏が公約に掲げる基地跡地へのディズニーリゾート誘致構想に協力を要請したのに対し、菅氏は「非常に夢のある話だ。政府として全力で誘致実現に取り組むことを誓う」と約束してみせた。佐喜真氏を東京ディズニーリソートの運営会社幹部に紹介する念の入りようだ。
一六年度予算案では、沖縄振興予算を一五年度当初比十億円増の三千三百五十億円を計上した。島尻安伊子沖縄北方担当相は「厳しい環境の中、しっかり確保できた」と胸を張った。
「撤去、でも県内たらい回しは…」
「ディズニー誘致なんて夢物語」
戸惑う有権者
官邸主導で、「選挙対策」を矢継ぎ早に打ち出すのには、理由がある。
沖縄では、一四年一月の名護市長選、同年十一月の知事選、同年十二月の衆院選のいずれも辺野古移設反対派が勝利してきた。ここで、宜野湾市長選でも反対派が勝てば、反対運動はいっそう勢いづき、政府の進める辺野古移設計画は大きく狂うことになりかねない。
これまでも、選挙の前に政府・自民党が「アメ」をちらつかせるのは、常とう手段だった。
名護市長選では、自民党の石破茂幹事長(当時)が、五百億円の振興基金構想をぶち上げたが、逆に「カネで票を買うのか」と反発を呼び、推進派が敗れる原因となった。知事選前には、防衛省が普天間所属のオスプレイの訓練移転を打ち出した。いずれも、その後、実現していない。
宜野湾市長選での政府の姿勢について、沖縄国際大学の前泊博盛教授は「これまでの選挙でも、懐柔策はあったけど、さらにあからさまになっている印象だ」と話す。
政府は、普天間飛行場の東側沿い約四ヘクタールについて、昨年十二月十七日に早速返還に向けた工事を始め、基地負担軽減への取り組みをアピールしている。だが、先行返還が決まった土地は、飛行場約四百八十一ヘクタールの1%未満にすぎない。
菅宣房長官が「全面的に協力していきたい」と強調したディズニー誘致は、県内進出の方針を明らかにしている米映画テーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)
の二番煎じの感が否めない。
沖縄振興予算をめぐっては、辺野古移設を容認した仲井真弘多前知事時代に、増加傾向にあったが、翁長知事就任後の一五年度予算で減額に。一六年度予算案でも、島尻担当相は当初、翁長知事の政治姿勢が「予算確保にまったく影響がないというものでもない」と減額の可能性を示唆していた、結局、前年度と比べて微増となったが、政府が選挙を意識して配慮したことは間違いない。
政府のこうしたやり方に、有権者は冷ややかだ。
普天間飛行場から数十㍍の場所に住む農業の男性(七八)は「選挙の度にいろいろな話が持ち上がりざわざわするが、終われば知らん顔。選挙の種になっているだけで、この二十年近く何も変わっていない」と突き放す。ディズニー誘致構想にいたっては、有権者の多くが懐疑的。無職の男性(六〇)は「そんな話、信用していない。本当に来るとしても、自分が死んだ後でしょう」とあきれる。「選挙前だからと、政府が絶対にありえない夢物語をちらつかせているだけだ」との声もあった。
夏の参院選に影響も
東京経済大の戸辺秀明准教授(沖縄近現代史)は安倍政権の狙いを「市長選の勝利を本土でも誇示し、現政権の姿勢を正当化すること」と指摘する。目指すのは市長選での勝利を弾みに、六月の沖縄県議選、四月の衆院北海道5区補選へとつなぎ、今夏の参院選の勝利へと導くことだ。あわよくぱ、衆参同日選に持ち込み、大勝すれば、悲願の改憲も見えてくる。
戸辺准教授は「普天間飛行場の跡地利用は沖縄財界の多様な期待が絡んでいる。USJより現実昧が薄いディズニーなど、地元は本気で望んでいない」と政権のなりふり構わぬ利益誘導を批判する。
「こんな材料まで提示せざるを得ないのは、政権側の焦りを表している」