ラジオの力、音楽の力
(ラジオフォーラム#154)
https://youtu.be/dh-f_TNiR_M?t=16m5s
16分5秒~第154回小出裕章ジャーナル
もんじゅに関する規制委の勧告について「ようやくにして出たということ、そのことはどちらかと言えばいいことだとは思いますけれども、遅すぎたと私は思います」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no154/
石井彰:
今日のテーマなんですけれども、先月11月13日に、あのあまり何もしない原子力規制委員会が、福井県の敦賀市にある高速増殖炉もんじゅの運営主体を日本原子力研究開発機構から変えなさいというふうに、所管する文部科学省に勧告をしたということなんですが、これを小出さんはどうご覧になってらっしゃいます?
小出さん:
はい、あまりにも遅すぎた。本当だったらもうずっと前にこのような勧告を出さなければいけなかったはずだと私は思います。ようやくにして出たということ、そのことはどちらかと言えばいいことだとは思いますけれども、遅すぎたと私は思います。
石井:
こういう勧告っていうのを出したことは、今までにあるんですか?
小出さん:
ありません。もともと原子炉というのは設置許可というものを与えるわけですけれども、与えた許可を取り消すという条文が法律にないのです。
本当だったらその許可を与えたけれども、この原子炉はダメだからといって取り消すというのが一番まっとうなやり方だと思うのですけれども、そのような法律的な裏付けがありませんので、仕方がなくて勧告というようなやり方をとったわけです。
石井:
なるほどね。少し技術的、科学的なことをお伺いしたいんですが、実は根本的な問題がいくつかあるそうですね。
小出さん:
はい、たくさんあります。もんじゅというのは、高速増殖炉という原子炉の実験的な原子炉なのですが、高速という言葉は、まずは高速中性子というですね、現在の原子力発電所で利用してる中性子とはちょっと違うスピードの速い中性子を利用しますという、そういう意味が高速です。
そして増殖というのは、燃えたプルトニウム以上にもっと多くのプルトニウムが生み出されるのだという夢のような話の原子炉なのです。
なぜ、こんな原子炉を造らなければいけなかったかと言うと、現在の原子力発電所で利用してるウランというものは、質量数235というウランを燃やせるだけなのです。ただし、ウラン全体の中で質量数235のウランはわずか0.7パーセントしかありませんで、現在のような原子力発電をやってる限りは、地球上のウランは簡単に枯渇してしまうということがもう昔からわかっているのです。
そうなると、ウランの中の全体の99.3パーセントというのは質量数238のウランというのが占めているのですが、それは現在の原子力発電所の原子炉では燃やすことができないのです。それをプルトニウムという物質に変えて、それを高速増殖炉で燃やそう、それができるのであれば、原子力の資源の量が60倍に増えるのだと。
そうなると、ようやく化石燃料に匹敵する程度にはなるかもしれないという、そんな期待の下で高速増殖炉というものを開発しようということになったのです。そのことは原子力開発の一番初めからわかっていまして、高速増殖炉が開発できなければ、原子力なんていうものは簡単に資源がなくなってしまうということで、米国にしてもロシアにしてもイギリスにしてもフランスにしても、何としても高速増殖炉を造りたいと思って開発を始めたのですが、あまりにも難しくて、全ての国がもう撤退してしまったというそういう原子炉なのです。
世界の高速増殖炉開発スケジュール 長期計画策定会議 参考資料より
未だに高速増殖炉にしがみついてるのはもう日本だけ、中国とかですね、そういう国がやるという話はありますけれども、長い間やり続けてきて、未だに諦めもしないというのは日本だけになってしまっています。
石井:
特に、冷却剤に使っている液体ナトリウムというのは非常に管理が難しいそうですね。
小出さん:
そうです。ナトリウムというのは、通常の温度ですと銀白色をした固体なのです。熱をかけていきますと液体になると。それをグルグル原子炉の中を回して、炉心を冷却しようという技術なのですけれども、ナトリウムというのは水に触れると爆発してしまうのです。
https://youtu.be/_26noqTNu50
空気中に出しておくと、今度は発火して火事になるという、そういうやっかいな物質でして、例えば大学の研究室、実験室で使う時には、0.何グラム、あるいは1グラムなんていうものを使うとなると、かなり注意を払ってやらなければいけないのですが、もんじゅという原子炉では1000トンものナトリウムを液体にして、ぐるぐるぐるぐる原子炉の中を回すというような、途方もない危険を抱えたものなのです。
石井:
小出さんに伺いたいのは、このままもんじゅは廃炉というふうになっていくんでしょうか?
小出さん:
難しいご質問ですけれども、規制委員会が今まで通り、日本原子力研究開発機構に任せてはいけないと、別の組織に任せるしかないという、そういう勧告を出したわけで、そうなりますと、文部科学省としては別の研究組織というのをどこからか探してこなければいけないのです。
しかし、ないと思います。日本原子力研究開発機構というのは、もともとは日本原子力研究所と動力炉核燃料開発事業団というような2頭立ての馬車でこれまで日本の原子力を進めてきたのですが、その2頭立ての馬車のうち、動力炉核燃料開発事業団という組織がもんじゅを運営してきたのです。
それがもう全くダメな組織であったがために、初め別々だったものがですね、統合させられて今、日本原子力研究開発機構になったわけですけれども。それがもしダメだったとなると、たぶんもう他には担える組織が日本にはないという、そういう状態だと私は思います。
崩壊熱で赤熱する原子力電池用の プルトニウム238
でも、私自身はまた別の力学というのがあると思っていて、もんじゅは最後には生き延びるのではないかと思っています。なぜかと言うと、原子炉というのはもともと核兵器の材料であるプルトニウムを造るための道具だったのですけれども、もんじゅという原子炉を動かすことができると、核分裂性のプルトニウムの割合が98パーセントという、超優秀な原爆材料が自動的に手に入るというそういう原子炉なのです。
それを目指してやってきた人達というのは、私は必ずいると思いますので、もんじゅというのは何としても生き延びさせると、なにがしかもんじゅを生き延びさせるための方策をまた考え出してくる可能性はあると思います。
石井:
ありがとうございました。
小出さん:
ありがとうございました。
「もんじゅ」と人の叡知
(小出 裕章:京都大学原子炉実験所)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Monju/souzou.htm
宇宙の一つの生命としての人類
宇宙に関して考え始めるときりがない。人類が生きている地球は、太陽を回る九つの惑星のうちの一つである。太陽は銀河といわれる星雲の中の一つの星であり、銀河の中には太陽と同じような星が二〇〇〇億個あるという。そして、宇宙の中には銀河と同じような星雲が一〇〇〇億個あるのだという。何百億光年の彼方にある星の、そのまた先に宇宙はあるのだろうか? 宇宙に果てがあるとすれば、そのまた先は何になっているのだろうか? 無限といえるほどの星の、どこかには地球と同じ様な星もありそうだが、そこには生命が存在するのだろうか? もし存在するとすれば、その生命とはどんなものなのだろうか?
エネルギー問題と原子力
私は第二次世界戦争の後に生まれ、高度成長といわれる時代に育った。私が中学・高校生の頃、一九六〇年代半ばには、「石油・石炭などの化石燃料は、燃やしてしまえば、いずれはなくなる。特に、石油はあと三〇年でなくなる。そのため、未来のエネルギーを確保するためどうしても原子力が必要だ」と言われていた。ところが、その後何年たっても、石油がなくなるまでの期間はあと三〇年と言われ続け、三〇年たった現在、石油がなくなるまでには、あと五〇年あると言われるようになった。石炭に関して言えば、それを使い切るまでにはおそらく一〇〇〇年の単位の時間が必要であると言われている。もちろん、石油にしても石炭にしても、地球が何億年かかけて作り上げてきた資源であり、それを一方的に使っていけば、いつかなくなることは当然である。しかし、「化石燃料がなくなるから原子力」といわれた原子力も、地下資源であるウランを燃料とする。当然、ウランも有限の資源である。おまけに、私自身も原子力に足を踏み込んではじめて知ったのであるが、ウランという資源は、利用できるエネルギー量に換算して、石油に比べて四分の一、石炭に比べれば一〇〇分の一程度しか存在しないという大変貧弱な資源なのであった。「原子力は近い将来、燃料がなくなるので、化石燃料を使い続けるしかない」というのが、むしろ正しい表現なのである。
ところが、原子力を推進する人たちには一つの夢があった。ウランには「燃えるウラン」と「燃えないウラン」があり、従来の原子力で利用できるウランは、ウラン全体のわずか一四〇分の一の「燃えるウラン」と呼ばれるものだけであった。しかし、「燃えないウラン」を「プルトニウム」に変換できれば、その「プルトニウム」もまた原子力の燃料として利用できるというのである。いや、もう少し直截に言ってしまえば、原子力とは「プルトニウム」を利用できるようになってはじめて意味のあるエネルギー源になるのであって、それができなければ、ごく短期間で枯渇してしまうエネルギー源なのであった。ただ、仮に原子力を推進する人たちの思惑どおりに「プルトニウム」の利用ができたとしても、その暁に利用できるエネルギーの総量は、ようやく石炭に匹敵する程度のものでしかなく、いずれにしても原子力が化石燃料を超えるエネルギー源となることはありえない。
その上、「プルトニウム」を利用するためには次の三つの困難な問題がある。①「プルトニウム」という元素は天然には存在せず、人類が初めて生み出したものであるが、それは一〇〇万分の一グラムで肺ガンをひき起こすという超危険物である。②「プルトニウム」はウラン以上に優秀な原爆材料となる。③「燃えないウラン」を「プルトニウム」に変換して利用するためには高速増殖炉と呼ばれる超危険な原子炉を動かさねばならない。
高速炉開発の歴史と「もんじゅ」
昨年暮事故を起こした「もんじゅ」と呼ばれる原子炉はこの高速増殖炉と呼ばれる原子炉の一つである。この型の原子炉が危険なのは、次の三つの理由による。①「プルトニウム」を高濃度で取り扱うため、爆発しやすい。②物理学的な理由から、原子炉を冷やす材料として水を用いることができず、ナトリウムを用いる。そのナトリウムは空気に触れると発火し、水に触れると爆発する。その上、水と違って不透明、さらには簡単に放射性を帯びるというように、著しく扱いにくい。③ナトリウムは「熱しやすく冷めやすい」という性質を持ち、原子炉の運転状態の変化によって配管などに大きな熱応力がかかる。それを緩和するため、配管が薄く長大にならざるを得ない。結果的に、プラント全体が複雑きわまりないものとなり、地震などの外力に弱い他、機械的なトラブルを生じやすい。
日本はもともと欧米各国に遅れて近代科学技術に触れた。そして欧米各国に追いつけ、追いこせと科学技術の発展に力を注いだ。しかし、第二次世界戦争で負けたことから、日本の科学技術はさらにまた何年も遅れを負わせれる。原子力はその筆頭であり、敗戦後一九五二年のサンフランシスコ講和条約締結まで日本は原子力開発を禁じられていた。そのため、日本の原子力開発は欧米各国に比べて一〇年から三〇年遅れて彼らの後を追うことになった。先を行っていた欧米各国も一度は高速増殖炉開発に向かったが、そのいずれもが高速増殖炉の危険性を乗り越えることができず、度重なる事故のあげくに開発を放棄するに至った。また米国の場合には、高速増殖炉の危険以上に、核拡散への懸念から「プルトニウム」利用そのものを放棄したのであった。日本は、「日本は核開発はしない」、「日本の技術は優秀だ」と主張しながら、遅れて高速増殖炉に取り組んだが、日本だけが例外であるはずもなく、当然のごとくに「もんじゅ」も事故に遭遇した。それも、未だに定格出力に達しない試運転の段階で、ごく初歩的な設計ミスからナトリウムを空気中に漏洩させ火災となった。この一事だけでも、日本の原子力技術の底の浅さを示すのに充分であった。しかし、「もんじゅ」の事故が示したものはそれだけではすまなかった。起こってしまった事故への対応を誤って事故の進展を拡大し、さらにその上、組織ぐるみで事故隠しまで行ったのであった。
原子力と核の関連
「もんじゅ」は今回の事故で致命的な欠陥を露呈した。運転を再開するにしても、長期の時間が必要であろうし、仮に再開されたとしても、その後また事故に遭遇するであろう。おそらくはそのあげくに欧米各国がそうしたように日本も高速増殖炉開発を断念することになると私は思う。
しかし、そう簡単に油断することもできない。何故なら、この世界には、どうしても高速炉(この場合は、「増殖炉」でなくても良い)を必要としている人たちがいるからである。これまで多くの日本人は、「核」と「原子力」はあたかも違うものであるかのように思いこまされてきた。しかし、もともと原子炉はエネルギーを生み出すために開発されたのではなく、核兵器材料、プルトニムを生み出すためにこそ開発されたものなのである。日本で「平和利用」と信じられている原子力発電が稼働すれば、原子炉の中には自然にプルトニウムが蓄積してくる。つい先日まで、日本は米国の尻馬に乗って、朝鮮民主主義人民共和国がプルトニウムを生み出したと非難していた。しかし、日本はすでに三〇年も前にプルトニウムを手にしていたし、仮に朝鮮がいま手にしていたとしても、その最大予想量の千倍、万倍にも相当する量のプルトニウムを日本は「平和利用」を口実にすでに手にしている。ただ、日本の原子力発電所から得られるプルトニウムは燃えるプルトニウムの割合が七〇%程度しかなく、優秀な核兵器製造には向いていない。そこで、高速炉が登場する。何故なら、高速炉が生み出すプルトニウムは燃えるプルトニウムの割合が九八%というように、超優秀な核兵器材料となるのからである。
「プルトニウムは超危険な毒物である。高速炉は超危険な原子炉である。エネルギー問題の解決にもたいして役立たない。それでも、優秀な核兵器を手にするためには、何としても高速炉を動かさねばならない」と考える人たちは、いつの時代にも、どこにでもいるのである。
文殊の知恵
宇宙の歴史は一五〇億年、地球の歴史は四六億年、人類の歴史は四〇〇万年といわれている。その人類が地球上で、他の生物を押し分けて繁栄してきた原因は、火と道具が使用できるようになったからである。したがって、人類の特徴はまず一番にエネルギーの使用にあるし、人類が生きるためにはいずれにしても何らかのエネルギーが必要である。しかし、二〇世紀といわれるこの百年で人類が使ったエネルギーは、四〇〇万年の人類の全歴史で使ったエネルギーの六割を超えるのである。さらに、たとえば日本の場合、この百年の間にエネルギー消費量は百倍に増加し、今では国土全体に降り注ぐ太陽エネルギーに比べて、約二〇〇分の一のエネルギーを人為的に使うようになっている。もしこのままのスピードでエネルギー消費を拡大していけば、二一〇〇年には、太陽エネルギーにほぼ匹敵するエネルギーを使うようになる。その時点ですでに人類の生存可能環境が日本に残っているとは考えにくいが、仮りに、その時点ではまだ生存できたとしても、さらにその百年後には、太陽エネルギーの百倍のエネルギーを使うことになってしまう。
地球の歴史の中では、たくさんの生物種が生まれては滅んできた。それが生命あるものの宿命でもある。人類もまた四〇〇万年前に発生した一生物種であるが、人類のこれまでの歴史を一日とすると、二〇世紀という一〇〇年は一日の終わりのわずか二秒にしかならない。その最後の二秒で、人類は自らの絶滅の道を急速に転げ落ちていっている。
高速増殖炉は人類に厖大なエネルギーを提供すると宣伝された。しかし、思惑通りに開発が進んだとしても、それが供給できるエネルギーは高々石炭に匹敵する程度でしかない。その上、一方で、核兵器の脅威がますます増大する。おまけに、人類にとっての真の課題は、際限のないエネルギー供給ではなく、エネルギー中毒からいかに抜け出すかにある。人類は自らを「万物の霊長」と名付けたが、人類は自らの愚かさのために、近い将来絶滅する瀬戸際にいるのである。
「もんじゅ」という名前は仏教の文殊菩薩から取られたという。文殊菩薩は知恵を象徴する菩薩である。人類が絶滅したところで、地球の運行は露ほどにも変わらないし、宇宙にとっては、まったく取るに足らないことであろう。しかし、今を生きる人類にとって、「もんじゅ」の事故から、せめて人類としての叡知を汲み取るべきだと私は思う。
本稿では、高速増殖炉、および「もんじゅ」の事故そのものについては、詳しく触れなかった。それらについては、私の同僚である小林圭二さんの優れた報告がある。興味のある方は、以下の本、雑誌をお読みください。
「高速増殖炉もんじゅ:巨大核技術の夢と現実」、七つ森書館(一九九四)
「もんじゅ」のナトリウム火災、技術と人間、一九九六年、一・二月合併号、十六~四一頁
サンデー毎日2002年6月2日号
「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね,憲法上は,小型であればですね」「戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが,日本人はちょっとそこを誤解しているんです」~官房副長官安倍晋三47歳
政府の新たな核兵器政策 核使用を容認「集団的自衛権として」
BS朝日・午後のニュースルーム 2013年5月17日
特集:原子力政策の“落とし穴”
高速増殖炉「もんじゅ」真の姿とは!?
日本が「核燃料サイクル」にこだわり続ける理由は、「使用済み核燃料=資産」という電力会社の経営問題と、「潜在的な核武装」という意味合い/田坂広志氏
http://dai.ly/xzyi3c
点検漏れ9800カ所以上! 巨額の税金が無駄に?
もんじゅが運転停止へ“夢の原子炉"の今後、核燃サイクルは極めて難しい夢の物語。
増殖するのは燃料だけでなく「核のゴミ」も推進派こそが原発の可能性をつぶす。
求められるのは原子力環境安全産業と脱原発交付金
もんじゅ核燃サイクルの落とし穴とは?
なぜ続ける?まわらない「核燃サイクル」
クローズアップ現代 2015年12月8月
“夢の原子炉”はどこへ
もんじゅ“失格”勧告の波紋
http://dai.ly/x3hg1ad
資源小国・日本にとって“夢の原子炉”と言われ、発電しながら燃やした以上の核燃料を生み出す高速増殖炉。その原型炉「もんじゅ」が揺れている。11月、原子力規制委員会は文部科学大臣に対して、運営組織の日本原子力研究開発機構はもんじゅを安全に運転する「資質を有していない」として別の運営組織を明示するよう勧告。国費1兆円を投じながらも事故や点検漏れ、規定違反などを繰り返してきたもんじゅが、いま大きな岐路に立っているのだ。規制委による勧告が投げかけた波紋から、日本の原子力政策を見つめる。
ムラはずっとごまかし
職員の死 妻が問う「なぜ」
回らぬ核サイクル
もんじゅ事故20年 上
(東京新聞)2015年12月7日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120702000116.html
高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で一九九五年十二月、ナトリウム漏れ事故が起きてから八日で二十年を迎える。この事故では一人の職員を死に追いやった。「夫はどうして死ななければならなかったのか」。東京都足立区の主婦西村トシ子さん(69)はこの二十年、ずっと問い続けてきたが今も分からない。事故で明らかになったもんじゅの、日本の核燃料サイクルを取り巻く“ムラ”の本質は「変わらない」とトシ子さんには思える。(中崎裕)
事故から一カ月ほどすぎた九六年一月十三日、土曜日の朝だった。目覚めても夫の成生(しげお)さんの姿がなかった。
もんじゅを運営していた動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の総務部次長として、情報隠し問題の内部調査に奔走していた。事故以来、仕事が終わらず職場に泊まり込むのはしょっちゅう。だが、そんなときも心配しないよう必ず連絡があったのに…。間もなく、夫の上司から「病院に運ばれた」と電話があり、慌てて駆け付けた。きのうの朝、いつものようにコーヒーを流し込んで出掛けていった夫が、霊安室で冷たく横たわっていた。
夫は亡くなる前日の記者会見で動燃に有利に働くうその情報を発表したのを苦にホテルから飛び降り自殺したとされた。動燃が取り仕切った葬儀には理事長や国会議員、官房長官など千五百人が参列。マスコミの厳しい追及が死者を出した-というムードが生まれ、情報隠し問題は収束に向かうことになる。
「何か、おかしい」。トシ子さんは納得できなかった。直前の正月、長男が年内に結婚を考えていることを報告していた。亡くなった翌日は次男の成人式。家族宛ての遺書はそれらに、ひと言も触れていなかった。
何より、あれだけの葬儀をしてくれた動燃が、夫の生前の様子や勤務状況、仕事の内容の説明を求めても応じてくれない。夫とは職場結婚だった。かつての同僚に様子を尋ねたが、「分かっていても話せない」と言われた。動燃から一応の説明があったのは、死から九カ月ほどたった十月末。労災申請をするために頼んで出てきた勤務記録は、なぜか、亡くなる直前の三日分が空白だった。
二〇〇四年、うその発表を強要され、自殺に追い込まれたとして損害賠償を求める裁判を起こした。事故の反省を踏まえ、運営主体は動燃から核燃料サイクル開発機構に替わっていた。裁判になれば、夫がどんな思いで仕事をしていたのか、少しでも分かるだろうと思っていた。
だが、証人尋問に立った同僚たちから出たのは「何で死んだのか分からない」「勝手に想定問答に書いていないことを発表した」といった話ばかり。夫の苦悩に迫れないまま、うその強要は認められず、一二年に最高裁で敗訴が確定する。
亡くなった翌年に生まれた孫は今年、高校三年生になった。「なぜ、おじいちゃんが亡くなったのか、教えられないままなんです」。西村家にとって事故はまだ終わっていない。
組織改編を繰り返し、現在、もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構も「失格」の烙印(らくいん)を押された。「点検漏れなどの話を聞いていると、組織を優先し、ずっとごまかしで(運営を)やってきたとしか思えない」。トシ子さんは仏壇に飾られた夫の遺影に目を落とした。
核燃サイクル政策を揺るがせた事故だが、国民の信頼を失ったのは高速増殖炉の危険性が明らかになったから、だけではない。「事故ではなく(その後の)対応が二十年の停滞を招いた」。事故当時、動燃の広報マンだった男性はそう述懐する。
<もんじゅ> 1991年に動燃が建設した国内初の高速増殖原型炉。発電しながら燃料を増やす「夢の原子炉」とのふれこみだったが、95年に冷却剤の液体ナトリウムが漏れ、火災が発生。事故の隠蔽(いんぺい)工作もあり、動燃は核燃料サイクル開発機構に改組。2005年に現在の日本原子力研究開発機構(原子力機構)となった。その後も点検漏れやミスが相次ぎ、今年11月、原子力規制委員会が運営主体の変更を勧告。これまで1兆円を超す税金が使われたが、運転は計250日にとどまる。
動燃がカットしたもんじゅナトリウム漏れ事故の映像~いわゆる16時ビデオのオリジナル:NPJ動画ニュース第5回の1
https://youtu.be/UgSV4wxXjQM
つきまとう秘密主義
回らぬ核サイクル
もんじゅ事故20年 下
(東京新聞)2015年12月8日
「能力は平均値以下だ」。十一月二日、東京・六本木で開かれた原子力規制委員会の会合。高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)を運営する日本原子力研究開発機構(原子力機構)からの意見聴取で、委員から容赦ない言葉が飛んだ。傍聴席で機構OBの武井博明
さん(六八)は悔しさで胸苦しくなった。「あの時と変わらないじゃないか…」
一九九五年十二月八日夜、もんじゅでナトリウム漏れ事故が起きたとき、原子力機構の前身で当時の運営主体、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の広報マンだった。事故直後から泊まり込みで報道対応に追われた。十日ほどすぎ、少し落ち着いてきたころ、事態は急転する。
福井県などの調査で、事故後に公開した現場のビデオ映像に編集が発覚したのだ。動燃トップは会見で意図的だったと認め「大事故で戸惑いがあった」と釈明した。さらに二日後、科学技術庁(当時)の立ち入り検査でも現場に入った時刻の虚偽説明や、新たな映像隠しなども明るみに。「そんなこと知らされてなかった」。武井さんは足をすくわれる思いがした。
世間から「ウソつき動燃」と呼ぱれ、バッシングの嵐が吹き荒れた。「直後の対応ミスが事故を事件にしてしまったんです」
きょう八日で事故から二十年。そのミスが事故後、まともに運転すらできなかったもんじゅの未来を決めたといえる。
日本の原子力政策には「秘密主義」がつきまとうが、核燃料サイクルの要を担い、核兵器にも転用できるプルトニウムを扱うもんじゅではなおさらだ。「情報は限定するのが当たり前。十のうち出すのは二くらいという文化で、世間の感覚とずれていた」。武井さんが打ち明ける。
事故以降、武井さんは地元の記者クラブで毎週、技術者を伴い、状況報告をするようになった。ふだん、施設内から出ない技術者に世間の感覚を「肌で知ってほしかった」からだ。
だが、動燃から生まれ変わったはずの原子力機構も今、容赦ない批判を浴びている。ここ数年で一万件以上もの点検漏れが発覚。規制委は機構を運営主体として「不適格」と断じ、変更を勧告した。結局、世間とのずれは解消できなかったのか。技術者が参加する状況報告もいつからか広報担当者だけになった。
原子力機構をめぐっては、OBらがいるファミリー企業との関係も問題視されてきた。
本紙の調べでは今年九月末までの一年余で、発注の二割ほどがファミリー企業に流れている。「核物質の防護に関する情報が広がるのを限定するため」(広報担当者)と、ヒミツを守るためにはやむを得ないらしい。ファミリー企業が担う業務には「他のところでもできる」(武井さん)という点検なども数多く含まれるのだが…。
十一月二日の規制委の会合で、機構は「とにかく今後を見ていただきたい」と訴えた。しかし、委員からはこんな言葉が出た。「もう十分待った」
(古根村進然、中崎裕)
福島第一原発から飛散した沈着物分布の推定
(後半は「もんじゅ」の想定)
https://youtu.be/CEFt9p7-Dxo
もんじゅが爆発した場合の放射性物質の拡散予測
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小出裕章先生:人類は自らの愚かさのために、近い将来絶滅する瀬戸際にいるのである。
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