財界・政界を駆け抜けたキーマンが語る
「成長神話の終わり」
(ラジオフォーラム#150)
https://youtu.be/yiba6MvC9GA?t=15m12s
15分12秒~第150回小出裕章ジャーナル
浜岡原発の再稼働問題「世界の地震学者が揃って東海地震はいつ起きてももう不思議ではないんだと言ってる地震で、その予想震源域のど真ん中に浜岡原子力発電所があるという状態になっています」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no150/
今西憲之:
今日は、スタジオに水野誠一さんをお招きしております。
水野さん:
はい、どうも小出さん、お久しぶりです。
小出さん:
はい、ご無沙汰しております。
水野さん:
こちらこそ、よろしくお願いします。
小出さん:
ありがとうございます。お忙しいでしょうに。
水野さん:
いえ、とんでもないです。楽しみしてまいりました。
小出さん:
よろしくお願いします。
水野さん:
わかりました。
今西:
今日のゲストの水野さんは、福島第一原発の事故の前から静岡県の浜岡原発の廃止を訴えてこられました。今も再稼働を反対運動をなさっておられます。今日は小出さんに、いわゆる科学者の視点から浜岡原発の現状と未来というところについてお尋ねしたいと思うのですが。中部電力は今年6月に浜岡原発3号機の再稼働に向けて、新規制基準に基づく審査を規制委員会に申請をしました。浜岡原発は昨年2月の4号機に続いて2基目なんですけれども、中部電力ですね何がなんでも再稼働したいというようなメッセージかなあと思うんですが、いかがお感じになられましたでしょうか?
小出さん:
あまりにも愚かだなと私は思います。つい先日も私、浜岡原発まで行ってきたのですけれども、防潮堤というか防波堤というか高さ22メートルに及ぶコンクリートの壁を築いて、津波から守ろうというようなことをやっていました。そんなことまでして守らなければいけない原発なんだろうかと私は思いましたし、中部電力という管内で電気が不足するというようなことは、もうこの5年近く一度もなかったわけですし、もういい加減に原子力から足を洗うということを考えるべきだと私は思います。
静岡新聞2011年5月12日
今西:
水野さん。どうなんでしょう? 実際その静岡県において、やっぱり中部電力のその原発への執着度というのは、これやはりすごいものがあるんでしょうか?
浜岡原発1991年10月23日
水野さん:
まあ中部電力っていうのは1ヶ所しか持ってないんですね、いわゆる原発を。浜岡原発しかないということなんで、何とかそれは守りたいというか継続したいという意志ははあると思うんです。ただ今、小出さんおっしゃったようにですね、私も防潮壁と言うべき、つまり防潮堤ではないんですね。もう本当に薄い壁がただただ丈が高い22メートルあるという壁があるだけで、そんな物をつくって、絶対津波に耐えるはずがないというような物までつくってるわけです。しかも、これ3000億近い金を確か投下してるんじゃないかと思うんですが。
今西:
そうですねえ。
水野さん:
それつくるっていう話が出た時にですね、私、川勝知事にお会いして、「浜岡は何が何でも止めて欲しい」ということをお願いに上がったんですね。そしたら、防潮壁、堤と言うよりは壁と言った方がいいんですが、その話になりましてね。川勝知事も「あれはちょっと馬鹿げてる」と。つまりあんな物ではもたないし、両側に川があるんで、川から津波が上がってしまったら今度、中から引く時にですね、あの壁は倒れてしまうだろうというようなことをおっしゃってました。そんな物です。
静岡新聞2015年5月11日
今西:
なるほど。そんな中で、浜岡原発再稼働しようということで今申請出してるわけなんですが、小出さん、浜岡原発と言うと当然、東海地震とか南海トラフ地震で、これもし現実に起これば大変なことになるんではないかということで、常に筆頭にあげられるんですけれども、なかなかそいういう反省がないのかなあと思うんですが、いかがお感じでしょうか?
小出さん:
そうですね。今、水野さんが正しくご指摘下さったけれども、防潮堤と言うよりは、むしろ防潮壁と言うですね、ただただ薄っぺらい壁をつくっているわけです。
それをどうして中部電力がつくらざるを得なくなったかと言うと、福島第一原子力発電所の事故の後に、当時、菅さんという方が首相をしていたのですが、菅さんが浜岡に対して防潮壁をつくることを提案したのです。それを中部電力が受けてこれまでやってきたわけですけれど、私としては、浜岡原発は津波なんかの心配をするより前に、地震の心配をしなければいけないんだと思います。
皆さんもご存知だろうと思いますが、浜岡原子力発電所というのは静岡県の御前崎のごく近くにあるのですけれども、その部分はいわゆる東海地震という巨大な地震が繰り返し繰り返し約100年、150年の周期で襲ってきたというその場所なのです。そして世界の地震学者が揃って東海地震はいつ起きてももう不思議ではないんだと言ってる地震で、その予想震源域のど真ん中に浜岡原子力発電所があるという状態になっています。
その原子力発電所で何よりも心配すべきなのは、津波よりも前に地震ということなのであって、予想される東海地震のマグニチュードは、8~8.5、あるいは9になるかもしれないというような巨大な地震なのであって、本当であれば耐震ということをもっと本気で考えるべきことだと私は思います。
今西:
小出さん、もうひとつですね、万が一の時に心配になるのはいわゆる浜岡原発ですね、沸騰水型、いわゆる福島第一原発ですね、同じタイプの原発ですよね?その辺いかがでしょうか?
小出さん:
今、全ての原子力発電所が止まってるわけですが、それは、なぜ止まったかと言えば、もちろん福島第一原子力発電所が巨大な事故を起こしたからなのであって、沸騰水型という原子力発電所が事実として炉心が溶け落ちるというような事故になったわけです。
ですから、まずは沸騰水型原子力発電所の炉心を溶かさないためには、どうしなければいけないかということをしっかりと調べなければいけないのですが、残念ながら5年近く経った現在も福島第一原子力発電所の事故現場に行くことすらができないのです。
※格納容器外で9.4シーベルト=2号機、除染に時間-福島第1
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201510/2015102901005
どうしてあのような酷い事故になったかという原因を確定することすらが、まだできていないわけで、それと同じ原子力発電所を動かしてしまうというようなことは、技術的に考えても本当におかしなことになっていると私は思います。
今西:
なるほど、なるほど。そういう中で、非常に交通の便も不便な所にあるわけで、万が一の場合、これまた周辺の住民の方、避難するっていうのは、これ大変なことですよねえ?
水野さん:
大変ですね。しかも、あそこは新幹線もそう遠くありませんしね。東名高速道路も。もうこれも全部おそらく破綻するような事故につながる可能性ってあると思いますね。そうした時には、ほんと東西の主要な交通路っていうのが断たれてしまうということもありますし、その周辺の道路も非常に混乱をきたすことは間違いないということが言えると思いますね。
今西:
なるほど。それで小出さん。再稼働を認めるにあたって、お題目のように語られてる言葉があります。世界一厳しい安全基準を適合してるので、再稼働は大丈夫なんだということが語られるわけなんですけれども、浜岡原発の現状と、そこにはらむ危険性を照らし合わせて、その世界一厳しい安全基準というのが、小出さん、どのように評価されますでしょうか?
小出さん:
もちろんそんなことあるはずがないのです。浜岡原子力発電所も含めて、日本で動いてきた原子力発電所はかなり古いタイプの原子力発電所でして、様々な安全装置というのがまだ付いていない。そんなことを考えてもいなかった段階に設計された原子炉なのです。
※安全装置とは
「非常用復水器」(非常用炉心冷却装置ECCS)、
「蒸気タービン駆動の非常用炉心冷却装置」(隔離時冷却系)、
「蒸気凝縮系機能冷却システム」
例えば、これからつくられようとしている原子力発電所では格納容器を二重構造にするであるとか、もし炉心が溶け落ちてしまった時には、それを受けとめるだけの地下の構造物をつくってあるだとか、そういうことが基準に入っているわけですけれども、もちろん浜岡の原子力発電所も、そんなものは全くないまま運転が再開されようとしてしまっているわけです。
福島第一原発の安全装置は小泉政権が撤去していた
https://youtu.be/8e-Z2gn2F5A
※福島第一第二原発事故を予見していた共産党吉井英勝衆院議員(京大工学部原子核工学科卒)の2005-07の国会質問(その3)地震で電源が破壊され冷却システムが機能停止する危険を2006年に指摘するも、政府は「大丈夫」の一点張り マスコミも大スポンサー電力会社に「配慮」して今回起きた危険が指摘されていたのを総スルー
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/03/2005-073-4f4d.html
今西:
なるほど。どうでしょう?水野さん、静岡の方、世界一厳しい安全基準でやってるということで、その言葉で納得されるような感じでしょうか?
水野さん:
いや、気付いている人達は全然安心してないですね。ただ一般の人達というのは未だに、例えば「県がそう言ってるから」とか「中部電力がそう言ってるから」って言って、信じ込んでしまう方もいらっしゃるんでね。やっぱり我々は気づきを少しでも広げていかないといけないなと思っていますけど。
2015/10/14配管継ぎ目から25トン水漏れ 中電、浜岡4号機
http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/hamaoka/161054.html
今西:
なるほど。やっぱり小出さん、まだまだ原発の安全神話っていうのは根強いんでしょうか。
小出さん:
残念ながらそのようですね。国が安全神話を流してきたし、今でも流しているわけですし、私から見ると大変残念なことですけれども、日本のマスコミがほとんど全て揃って、国の宣伝だけを流すというような状態になってしまっているわけですので、多くの人々が安全神話を信じてしまうということはあり得ることだと思います。
今西:
分かりました。小出さん、ありがとうございました。
小出さん:
こちらこそ、ありがとうございました。
源八おじさんとタマ004
https://youtu.be/QpLPFXG1bLg
2011年東北地方太平洋沖地震による「原発震災」について
(石橋克彦)
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html
◆ 2011年3月15日
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(M9.0)で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された膨大な皆様に心からお見舞いを申し上げます。そして、一人でも多くの方が救出されることを切に願っております。
激甚な地震津波災害のうえに、東京電力福島第一原子力発電所で重大な事故が発生し、かなりの放射能が漏出して多くの住民が避難を強いられていることは、痛恨の極みです。
私は、大地震によってこのような事態が生ずることを憂慮し、1997年から警鐘を鳴らしてきましたが、こんなに早く懸念が現実化してしまうとは思いませんでした。
今は、東京電力・協力企業、政府、地元自治体、消防・警察、自衛隊、国際的な援助チームの関係者のご奮闘により、一刻も早く危機を脱して最悪の事態が回避され、住民の被曝と不自由な生活が最小限に抑えられることを祈るばかりです。
私がこれまで書いたり話したりしてきたことは、今の緊急事態に役立つことではないのですが、私が願っていたことを少しずつ纏めておきたい気がしてきました。幸いに危機的状況を脱することができたら、今後の日本社会をより安全に復興するために多少は参考にしていただけるかもしれないとも思います。まずは3点をアップします。
「原発震災」の原典: 原発が地震で大事故を起こす恐れは1970年代から指摘されていますが、私は震災論の立場から「原発震災」という言葉・概念を下記で提唱し、震災軽減の重要な一環としてその回避を訴えました。細かい点は古いですが、基本的コンセプトは今も通用すると思います。
石橋克彦:「原発震災-破滅を避けるために」
『科学』(岩波書店) Vol.67, No.10 (1997年10月号) に掲載
2007年新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発の被災の後に書いた下記では、「(地震活動期の)日本の海岸線を縁取る(中略)原発の地震被害が日常的風景になるといってもよい」として、地震列島における原発依存は、原発震災以外にも、電力供給危機の長期継続といった地震リスクを抱えていることを指摘しました。
石橋克彦:「原発に頼れない地震列島」
『都市問題』(東京市政調査会) Vol.99, No.8 (2008年8月号) に掲載
石橋克彦:「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難-技術的防災から国土政策・社会経済システムの根本的変革へ-」
第162回国会衆議院予算委員会公聴会(2005年2月23日)で公述
『人間家族』(スタジオ・リーフ)2005年3・4月号(通算345号)に掲載
(時間が30分に限られていたとはいえ、東日本への目配りが薄かったことは反省しています)
東海地震で原発危ない?
学者警告 中電は反論
朝日新聞2003年7月14日
「東海地震が起きたら浜岡原発は危ない」。高名な地震学者2人が今月上旬、国際学会で「原発震災」の可能性を警告し、世界の科学者を驚かせた。中部電力はホームページで「安全性は確認済み」と反論したが、学者が再反諭するなど議論は白熱している。
安全性巡り議論白熱
「中電は揺れ予測の意味が全くわかっていない。怖いぐらいだ」
16日、郎岡県掛川市での講演会で、石橋克彦・神戸大教授(58)は真っ向から電力会社を批判した。石橋さんは東大助手時代の76年、「あす大地震が起きても不思議ではない」と警鐘を鳴らし、国が東海地震対策に腰を上げるきっかけをつくった。
批判の前段となったのは今月初め、札幌市で開かれた国際測地学・地球物理学連合の総会だった。国内外から気象、地震などの研究者5千人が集まった。
茂木清夫・東大名誉教授(73)は1日、講演のなかで「直下でマグニチュード(M)8の大地震が確実に起き原発は、浜岡が世界で唯一。極めて危険だ」と語った。
茂木さんは、おととしまで地震予知連絡会の会長を務めていた。地震研究の大御所の発言に、口シア人科学者は「われわれは地震の危険性の高い原発計画をやめさせた」と呼応した。
石橋さんも7日、「浜岡原発で全地球規模の事故が起きる可能性がある」と講演した。大地震で破壊され、放射能が測れる「原発震災」を警告したのは初めてではない。だが、内外の注目が集まる大舞台だけにインパクトは大きかった。
翌日、中電はホームページに「東海地震への耐震安金性は十分担保されている」と反諭を掲載した。「原発への不信感が高まる中、権威ある学会で権威ある研究をが発言したとあっては見過ごせない」と広報部。
根拠のひとつは中央防災会議の予測だ。同会議は01年、東海地震の震源域を22年ぶりに見直し、1㌔四方の区域ごとに揺れの強さなどを予測した。「この予測一似でシミュレーションしても安全だった」と中電はいう。
しかし石橋さんは、予測のため想定モデルを作った専門調査会の専門委員でもある。「大地震のことはわかっていないことが多く、モデル通りに地震が起きる保証はとこにもない」という。
中電は「国の耐震設計審査指針にもとづいて検証したが、大丈夫だった」とも主張している。この指針は78年のもの。最新の地震学にそぐわないとして見直し作業が進められている。浜岡1号機の着工は71年、2号機は74年。いずれも指針ができる前に設計された。
「古い原発」への地元の不安は、01年11月に起きた配管破断事故で大きくふくらんだ。県内12市町の議会が中電に廃炉を申し入れたり、意見書を可決したりした。
浜岡町では昨秋と今年3月、原発震災を防げと訴える全国集会が開かれた。「阪神大震災以来、原発の耐震性に関心が高まっている」と、市民団体「浜岡町原発問題を考える会」代表の伊藤実さん(62)。市民ら11人は今月3日、運転差し止めを求める訴訟を静岡地裁に起こした。
本間義明・浜岡町長は安全性論争について「不安がないわけではないが、国を信頼して受け入れたのだから。何かあれぱ国の貞任だ」と話す。
口火を切った形の茂木さんは「これまでは、都合のいい学者の話ばかり聞いてきたんじやないか。本当に最善をつくして安全性を検討してきたのか」と国や電力会社の姿勢に批判的だ。
(河畑達雄、添田孝史)
これは必見!福島原発事故が起こる二年も前に過酷事故が予言されているではないか!(`・ω・´)
浜岡原発の危険を語る。
内藤新吾 原発Nチャンネル
https://youtu.be/CmXGqHpwd1U
2009年4月、持続可能な未来を模索するセブンジェネレーションズウォークのメンバーが、浜岡原発まで歩き牧師の内藤新吾さんから、その真の危険性について話を聞いた。
原発安全神話は如何につくられたか
https://youtu.be/ZpbWmejc63Y
災害の発生から18日過ぎた。被災された方々の苦しみは、日一日と厳しくなり始めている。親族を失った方、避難所で辛い時間を過ごしておられる被災者の方々が本当に復興へ向けて一歩を踏み出すにしては、あまりに過酷すぎる現実ではないか。その上、人災。私は福島第一原発事故はまさしく人災と思う。それが追い討ちをかけている。「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」と嘘を唱えてきた。その安全神話が崩れ、地震津波という自然災害に加えて、人災が今、追い討ちをかけてしまった。
原発安全神話はどのように作られたか。
島の電力会社はもちろんのことだが、科学の名において「安全だ」と主張してきた夥しい数の学者、研究者、行政の責任は免れない。原発推進は今も各地で続いているのだから。
私は29年前(1982年)『原発への警鐘』(講談社)という本を書いた。ある雑誌の連載を本にしたものだ。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061838260
当時、原発立地をめぐって住民と話し合う「公開ヒアリング」が開かれていた。そのありさまも詳しく書いた。公開ヒアリング、今はこれさえ行われていない。例えば、島根原発2号機を増設するときに、「住民の声を聞く公開ヒアリング」というものが丸2日間行われた。私はその全てを取材した。忘れられないのはある主婦の悲痛な言葉だった。「もし原発に事故があったら、私達はどうやって逃げろと言うのですか。宍道(しんじ)湖を泳いで逃げろと言うのですか。なぜそんな大切なことが安全審査の対象にならないのですか」と。
この方は、予定地のすぐ側に住んでおられる子供二人を持つ主婦の方。必死の質問をしておられた。その時の様子が今もはっきり記憶に残っている。この悲鳴とも言える質問に対して、当時の原子力安全委員会は何の答えもせず、「本日は、原子力安全委員会としては、皆様のご意見を伺う為に参っておりますので、安全委員会としての意見を表明することはご容赦願います」とそれだけ言って突っぱねてしまった。住民の不満の声で会場が騒然とする中、そうした声を一切無視して、「次は通産省(今の経済産業省)の方、ご説明をお願いします」といった具合で、どんどんリジッドに物事を進めてしまった。
住民と意見を戦わせて議論をする場ではなく、住民の意見を聞くだけが目的だと会場に徹底させる、それが原子力委員会の役割だった。こういうことが初めからはっきりしていた展開だった。
こういうことに一役買ったのが、研究者、学者と呼ばれる人たちだった。反対する住民や、原発に警鐘を鳴らす者は、「科学の国のドンキホーテだ、時代遅れの素人だ」という扱いだった。
原発安全神話が崩れた今、このような形で進められた原発大国であるが故に、これからのエネルギー選択のあり方をめぐって、その前途は一層厳しくなってくることを考えてほしい。
次に、(本の中でも詳しく書いたことだが、)原発PA戦略(パブリック・アクセプタンス Public Acceptance)の徹底ぶりを挙げなければならない。PA戦略とは、原発を社会に受け入れさせるための戦略的な働きかけのことをいう。
これは大きく3つの柱から成り立っている。壮大な規模で展開されてきた。
第1に、電気事業連合会(電事連)が行ってきた、言論に対する抗議戦略。様々な報道機関、メディアに送り続けた抗議書。これは「関連報道に関する当会の見解」という共通見出しが付いている。膨大な量に上っている。私はそのほとんどを集めている。(内容は時間がないので今日は触れられない。)
第2に、小学校低学年から中学高校まで「エネルギー環境教育」という名の原発是認教育が授業として実施されてきた。社会、理科、総合などの授業で児童・学生等に教師が教え込んでいく。そこで採点して、それが生徒の成績まで左右することになっている。
第3に、何と言っても名の知れた文化人を起用し、「いかに原発が安全か」ということを語らせる「パブリシティ記事」である。あらゆるメディアを使って展開してきた。費用も膨大だったはずだ。男女の文化人を原発施設に案内し、滅多に公開されることのない地下の施設などで、男女の文化人をヘルメット姿で立たせて語りをやらせる。それを記事にする。名の知れたあるテレビキャスターは「原子力問題は論理的に考えよう」などとご託宣を下しておられる。
こんなふうにしてPA戦略は進められてきた。
『原発への警鐘』の中で、米国の「マンクーゾ報告」を紹介している。アメリカのピッツバーグ大学教授(当時)、トーマス・F・マンクーゾ博士によって1977年末に書かれた報告書。放射線による被害に対し「緩やかなる死(スロー・デス slow death)」という言葉でもって警鐘を鳴らした。そのマンクーゾ博士が、日本からの取材者に応えて、ゆっくりと誠実な言葉で次のように語った。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-03-01-02
「日本はアメリカに比べて国土も狭いし、人口も密集している。この広いアメリカでも原発の危険性が常に議論されているのに、狭い日本でもし原発事故が各地に広がった場合、いったい日本人はどこに避難するつもりでしょうか。日本人は、広島、長崎と二度も悲惨な原爆の悲劇を経験しているではありませんか」と。
私はマンクーゾ報告を正当に評価なさる、京都大学原子炉実験所の原子力専門家の話も詳しく紹介した。
今この国のあり方を根幹から考え直すこと、それが夥しい犠牲者に対する、生きている者のせめてもの責務ではないか。私はそう考える。
2011/04/21テレ朝 浜岡原発
https://youtu.be/MdH7Jpq-hzw
「浜岡以外も見直しを」 元地震予知連会長が警鐘
【福島原発事故】(東京新聞)2011年5月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2011050902000086.html
東海地震の想定震源域内にある中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)について、政府はついに運転停止を要請した。二〇〇一年まで十年間、地震予知連絡会の会長を務め、その後、浜岡原発廃止を訴え続けた地震学者の茂木清夫さん(81)=東大名誉教授=は、今回の決断を評価しつつ「浜岡以外も見直すべきだ」と、さらなる警鐘を鳴らす。
(宇佐見昭彦、写真・木口慎子)
-浜岡原発の停止要請をどう思ったか?
「良かった。本当はもっと早いほうが良かったが、とにかく止めろと行動で示した。(想定以上の地震や津波が)今までないから今後もないとはいえない、ということを今回の地震で教えられた」
-東日本大震災は、想定を超えるマグニチュード(M)9の超巨大地震だった。
「耐震上で想定するMとか活断層とかは、全く仮想の話であって、これ以上の地震は起きないと勝手に人間が決めて『ないと思っていた』では困る」
-人間のおごりか?
「おごりというより無知。地球全体ではチリ地震(一九六〇年、M9・5)、アラスカ地震(六四年、M9・2)、アリューシャン地震(五七年、M9・1)、カムチャツカ地震(五二年、M9・0)とM9以上が起きている。日本も環太平洋地震帯の立派な一部。起きて不思議はない。東京電力も国も『地震が来ても絶対安全』と言ってきた。根拠を与えた専門家も含め、変わってもらわないと」
「地震も物の破壊もまだよく分からないことが多い。原子炉本体は頑丈でも、複雑な配管や装置が取り巻く複合体だ。弱い所に力が集中したら何が起きるか分からない。絶対大丈夫なんてことは絶対言えない。福島の原発も特別に(危険と)思っていた人はいないのでは。原発全体がそういうものだから」
-浜岡原発の運転差し止め訴訟で、中部電力は「東海でM9はない」と主張した。
「それは通用しない。東海地震単独ではM9にならないが(東南海・南海などと連動し)広域に起こらない保証はない。歴史的にも一緒に起きている。ただ、そんなに大きくなくても危険性はあるわけで、M9だけの問題ではない。M7でも直下で起きれば怖い」
「東京電力の柏崎刈羽原発が被災(火災、放射能漏れ)し、想定を大幅に超す揺れを記録した二〇〇七年の新潟県中越沖地震はM6・8。M7・4~7・5だったら福島のようなことが起きたかも。浜岡以外も徹底して見直す、あるいは止めるという検討が必要だ」
「日本は唯一の被爆国で、第一級の地震多発国。そういう所で『原発実験』をやってはならない。太陽エネルギーとか風力とか、ほかの手を一生懸命みんなで考えようよ、ということじゃないかね」
<もぎ・きよお> 1929年、山形県生まれ。東大理学部地球物理学科卒。東大地震研究所教授、同所長、地震予知連絡会会長、東海地震の前兆を監視する「地震防災対策強化地域判定会」の会長などを歴任。物の「破壊」を研究する実験岩石力学の専門家でもある。
<浜岡原発と東海地震> 1969年、東海地震の可能性を茂木氏が指摘。浜岡1号機は翌70年設置許可、76年稼働。東海地震に備え大規模地震対策特別措置法が施行された78年には2号機も稼働。以後、5号機まで増設した。現在1~2号機は廃炉手続き中。6号機の新設計画もある。
東海地震は単独でM8、東南海・南海地震との連動でM8・7程度を想定。さらに日向灘などが連動すればM9があり得るとの指摘もある。中部電力の想定はM8・5まで。
福島原発の実態 元技術者が語る
ずさんな建設現場 被ばく労働あった
(東京新聞【こちら特報部】)2011年4月14日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011041402000051.html
原子炉格納容器の鉄板が作業員の立ち小便で腐食する。補修工事では、放射能まみれの原子炉内壁を人が水洗い-。「原発が最先端の技術で造られているというのは真っ赤なウソ」。かつて東京電力福島第一原発6号機などの建設に携わった元技術者の菊地洋一氏(69)=宮崎県串間市在住=は今、「反原発」行脚を続けている。現場にいた技術者でなければ知り得ない驚くべき実態を語った。
(佐藤圭)
ずさんな建設現場
図面変更十数回■格椨容器で小便
■配管のこ欠陥を放置
「いつ、どこで起こるかは分からないが、必ずおこるシビアアクシデント(過酷事故)「いつ、どこで起こるかは分からないが、必ずシビアアクシデント(過酷事故)は起こる。それが、たまたま福島だったということ」。菊地氏は串間市の自宅で、電源喪失から制御不能に陥った福島第一原発事故を冷静に受け止める。
生まれは東日本大震災の津波で壊滅的状態となった岩手県釜石市。大学卒業後、建築コンサルタント業を営んでいたが、知人から「原子力の平和利用に力を貸してほしい」と誚われ、一九七三年、米ゼネラルーエレクトリック社(GE)の原発関連会社に入社した。
八〇年に退職するまでの約七年間、福島第一原発6号機(福島県双葉町、定期点検忠と、日本原子力発電の東海第二原発(茨城県東海村)の建設を担当した。
福島第一原発などは沸騰水型軽水炉で設計はGE、施工は「国産化」を目指して日本の原発メーカーなどが担った。菊地氏は企画工程管理者とし原発建設に当時、四年を要した。東海は丸四年間、福島には最後の一年間だけかかわった。「原子力の技術は全然確立されていなかった。とにかくハチャメチャだった」
ともに図面の変更は日常茶飯事だったという。「実際の工事では図面通りにならないことばかり。十数回も書き直すのは珍しくなかった」。時には強引な施工方法で図面とのつじつまを合わせた。6号機は追加工事で六十億円もかかった。
現場もずさんだった。作業員の立ち小便は6号機建設の際、原子炉格納容器の底の部分で常態化していた。格納容器上部にあるトイレまで上がっていくのが面倒だったからだ。「厳重に塗装することにしたが、小便が原因でさびるとは言えなかった」
未熟な作業員も少なくなく、「自信がない」と不安げにつぶやく若い溶接工もいた。「職人根性がある人ばかりとは限らない。一日の仕事を終えて早く帰りたいだけの人がたくさんいた」
現場の業者が、工事ミスをメーカーや東電側に伝えることはほとんどない。本当のことを言えば煙たがられ、次から使ってもらえないからだ。当然、過酷事故につながりかねない欠陥は放置される。
菊地氏自身、6号機で重大な欠陥を見つけた。水や蒸気が流れる配管で、検査用の穴をふさぐ栓が内側に最大一・八㌢も飛び出していたのだ。
出っ張りがあると流れが乱れ、配管が削られて薄くなっていく。場合によっては突然、配管が折れる「ギロチン破断」しかねない。品質管理責任者に報告したが、結局、「安全性に既題なし」とされた。「私が発見するまで誰も気が付かなかった。絶対にやってはいけないことが平然と行われていた」
被ばく労働あった
安全対策は気休め
「浜岡」直下地震が心配
菊池氏は今回起こした福島第一原発の改修工事にも携わった。現場は被ばくの危険と隣
り合わせだったという。
原子炉圧力容器から使用済み燃料を抜いた後、放射能まみれの圧力容器を洗浄する。作業員は、天井のクレーンにつるされた鉄のゴンドラで圧力容器内に入っていく。そこからノズルを突き出し、放射能だらけの水あかを落とす。
圧力容器の直径は約六㍍。水の反動で押し返され、ゴンドラが揺れるような感じになる。菊地氏は、圧力容器の上部まで降りていったが、「それだけでも恐怖だった。作業員はもっと恐ろしかったと思う。被ばく労働の実態は一般には知られていない」と振り返る。
工事は、圧力容器と配管の接続邵分のひび割れを補修するものだった。稼働中に震動で配管などは揺れる。心臓部のひび割れは大ごとだが、当時、マスコミで騒がれていたという記憶はない。「気が付かないでひび割れすることはよくあるということだ。ずさんな工事の実態からすれば当然かもしれない」
で石油施設の建設などに従事したが、原発が頭から離れることはなかった。「事故の夢を毎日のように見た。圧力容器につながる配管がギロチン破断し、格納容器内で暴れ回る。現場ではニタコ踊り二と言っていた」
八九年の福島第二原発3号機の再循環ポンプ事故などを契機に、反原発運助に身を投じた。原発の危険性を訴えずにはいられなくなった。「国も電力会社も、原発の実態が分かっていない」
今回の事故で、原子炉の仕組みが広く知られるようになった。福島第一原発1~6号機のうち、1~5号機は格納容器がフラスコ状の「マークⅠ、菊地氏が担当した6号機は、釣り瞳状の「マークⅡ」と呼ばれる。
福島第二原発1~4号機(富岡町)と、柏崎刈羽原発―~7号機(新潟県柏崎市、刈羽村)はマークⅡなどだ。
マークーは容積が小さく、過酷事故の際、当初の想定よりも大きな負荷がかかることが判明。容量を一・六倍に増やした改良タイプが「マークⅡ」だ。「マークーに比べれば、マークⅡの方が確かに安全だ。それを知らずにマークーを次々と五機も造ったのは大きな間違いだった」
福島第一原発1~3号機は事故後、ガス抜きパイプ(ベンド)が開放され、放射性物質を逃がさなければならなかったが、当初は付いていなかったという。「国は大過酷事故は起こり得ない’という方針だったから、なかなかベンドを取り付けようとしなかった」
ではマークⅡならいいのか。「GEの設計者は過酷事故を十分考えている。「原発は安全」としか言わない日本の政府や電力会社とは大間違いだ。
けれども、マークⅡの安全対策も気休めにすぎない。原子炉がいったん、暴走したら町ることはできないからだ。守ろうとする発想自体が間違っているしヽ仮に計算上、可能だったとしても、施工技術が追いつかない」
二〇〇二年から約一年間、静岡県函南町に住み、東海地震の直撃を受ける中部電力浜岡原発の即時停止を求めた。現在、串間市に居を構えているのも、九州電力の原発計画を阻止するためだ。
菊地氏は今、浜岡原発が心配で仕方がない。原子炉が「タコ踊り」する姿が目に浮かぶ。「直下型地皮が発生すればひとたまりもない。関東一円も人が住めなくなる。福島以上だろう」
2011年3月29日
菊地洋一さん講演記録in静岡
https://youtu.be/Rbj-vPouRxg
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小出裕章先生:国が安全神話を流しマスコミが国の宣伝を流すので、多くの人々が安全神話を信じてしまう
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