現代の戦争~現実化するスターウォーズへの道
(ラジオフォーラム#149)
https://youtu.be/DshhYlRe3Ho?t=12m49s
12分49秒~第149回小出裕章ジャーナル
原爆は人体実験?「治療してしまってはもう研究自身ができなくなってしまうということですから、治療は一切しないということになっていました」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no149/
西谷文和:
小出さん、今日はズバリですね、今日のテーマ「広島・長崎の被爆者は人体実験されたのか?」ということで題してお聞きしたいと思うのですが、私最近ですね『少女・十四歳からの原爆体験記』、これ橋爪文さんという方が書かれている高文研から出てるんですけど、この本を読んだんですが、橋爪さんがおっしゃってるのは、アメリカは原爆被害があまりにも酷かったので、海外からの広島・長崎への入国とかジャーナリストの報道を禁じたというふうに橋爪さんおっしゃってるんですが、これは本当なんですよねえ。
小出さん:
そうです。要するに、米国が日本を占領していたわけですから、全てはその米国の指揮下にありましたので、広島・長崎の原爆報道というのは外に出すことが禁じられました。
西谷:
これ、国際赤十字からの救援も断ったということですよ。
小出さん:
私は細かいことは知りませんけど、多分そうだったんだと思います。
西谷:
被爆者を治療しようというそういう団体も断ってしまったと、アメリカはね。そしてですね、広島への進駐軍がですね、広島の山の上に原爆傷害調査委員会を立てた。これは後にABCCと呼ばれたということなんですが、この橋爪さんの体験によると、少年達・少女達はパンツまで脱がされて丸裸にされて、いろんな角度から写真を撮られたと。治療はしなかったということですが。
一部閲覧注意
https://youtu.be/NhKPMcHR1WY
小出さん:
そうです。
西谷:
これはABCCは治療する機関ではない…
小出さん:
治療してしまっては目的が果たせないのです。ABCCの仕事というのは、被爆者にどんな病気が出てくるかということを調べるのが彼らの仕事でした。そのためには被爆者に出てくる病気と被ばくをしなかった人に出てくる病気をずっと追跡して、どういう結果になるのかということを調べるしかなかったのです。
「人間に対する詳細かつ長期的な、生物学的かつ医学的影響の研究はアメリカと人類一般に対して緊急の重要性を持つ」トルーマンのABCCへの命令書
調べて、例えば被爆者に病気が出た時に、それを治療してしまってはもう研究自身ができなくなってしまうということですから、治療は一切しないということになっていました。基本的には白血病であるとかがんであるとか、その他の病気がどんなふうに被ばくをしなかった人と違って表れてくるかということをずっと調べ続けました。
沖縄タイムス2012年4月22日
広島長崎への原爆投下の数年後に被爆者の親から死産したり生後亡くなったりした赤ちゃんのうち、臓器標本やカルテが米国に送られ放射線研究に利用された人数が1200人に上ることが分かった
西谷:
橋爪さんが体験されたことですけどね、被爆者亡くなりますよねえ、そうすると、ABCCが待機していて、霊柩車からそっと死体を抜き出して、内臓だけを取り出して返したって書いてあるんですよ。もうまさに犯罪じゃないですか。これはねえ。そして、データを全てアメリカが持ち帰ったんですねえ。
小出さん:
そうです。はい。
西谷:
ABCCは今、日米共同の放射線影響研究所、略称・放影研になった。放影研の資料ではですね、被爆者のことをサンプルとかいうふうに呼んでるらしかったんですけど。開いた口が塞がらんなと思うんですが。
小出さん:
医学というのは、そういうことをずっとやってきたわけですね。特に戦争中というのは、日本は731部隊というのを満州につくって中国の人達を散々実験道具にして、731の時には中国の人達、「丸太」と呼んだと。
731部隊人体実験の犠牲者
西谷:
チフスの菌を植え付けたりしたんですよねえ。
小出さん:
はい。そうです。
西谷:
このABCCですね、これと、いわゆるIAEAですね、国際原子力機関についてのお伺いしたいのですが。ABCCはアメリカがつくった施設ですが、その今言ったようにデータも公表しなかったんですけど、それに対してIAEAはですね、1957年に設立された国連の機関ですよね? このコーナーでも取り上げましたが、この2つは結構つながっているのでしょうか?
小出さん:
組織としてはもちろん別の組織です。今、西谷さんがおっしゃって下さったように、ABCCは米軍の研究所ですし、IAEAはいわゆる国連の傘下にあるわけです。
ただ、IAEAの目的というのは、米国を含めたいわゆる核保有国というものが、平和利用ということを標榜しながら世界中に原子力をバラまいて金儲けをするということはひとつの目的ですし、バラまいてしまうと世界の他の国々は核兵器をつくるようになってしまうので、それをIAEAが監視してつくらせないというそういう2つの役割を持っていたのです。
西谷:
なるほど。原発だけで儲けたくて、核兵器をつくらせないようにする。
小出さん:
そうです。大変矛盾した役割なんですけれども、それはまあ言ってみれば米国を中心とした現在の世界を支配している人達が、支配を一層強めるためにつくった組織なわけです。ですから、まあ米国の思惑が色濃くIAEAには初めからあったし、今もあるということです。
西谷:
これ、小出先生にこの前も聞きましたが、要はアメリカは濃縮ウランが余っていたので、これで商売をしたかったというのもあるんでしょうねえ。
小出さん:
もちろんあります。核兵器用に、ウランを濃縮してたくさん保有してしまったのですけれども、それが余ってしまったし、濃縮工場というのをつくってしまったのですが、それを動かせばどんどんどんどん濃縮ウランができてきてしまって、それを海外に売りつけて金儲けをしようと、彼らは思ったのです。
西谷:
濃縮工場は、マンハッタン計画で広島型原爆をつくるためにつくられた分ですね?
小出さん:
そうです。おっしゃる通りです。
西谷:
このABCCのですね日本側の代表を務めた方に、重松さんという方がおられるんですが。この方はですね、チェルノブイリの原発事故の時に安全宣言を出したということなんですが、これ一体どういうことなんでしょうか?
小出さん:
まあ、重松さんという方、トータルで人間を評価するというのはあまり良いことではないかもしれませんけれども、でもABCCにも深く関わり、IAEAにも深く関わり、いわゆる被爆者問題にも関わり、それも全ていわゆる国家の側からの要請を担って関わってきた方ですので、いわゆる原子力の中心にいた方だった。
西谷:
研究者の中心におられたわけでしょうか?
小出さん:
はい、そうです。
西谷:
なんか人格なき学問っていうのがありますけど。
小出さん:
そうですね。そんなふうに思ってしまいます。
西谷:
思ってしまいますねえ。要は、このチェルノブイリの時に大したことないと言ったので、現地の人も安心したということだったですもんねえ。
小出さん:
そうです。行って、重松さんなんかは「こんな被ばくではなんでもない」ということを言って歩いていたのですが、やがて甲状腺のがんが多発して、結局はIAEAもチェルノブイリの事故のために甲状腺が多発したということを認めざるを得なくなりました。
西谷:
そのチェルノブイリの事故の教訓を福島に活かさないかんのですが、福島でもなんか似たようなことがありましたよねえ。
https://youtu.be/PuwFrNEgDTg
小出さん:
はい。今現在もそうですね。原子力を進めてきた人達は、福島で今、甲状腺がんが多発しているのですけれども、それは被ばくとの因果関係がないというようなことを主張しているわけです。ただまあ年が経てば、いずれにしても事実は明らかになるはずだと私は思います。
西谷:
この重松氏が、もしご存知だったら教えて欲しいんでが、どうしてチェルノブイリのその委員長に選ばれんでしょうかねえ。
小出さん:
まあ、原子力を進める推進側の中心にいたわけですから、そういう人を使って調査をするということはもちろん日本もそうしたかったわけですし、IAEAとしてもそうしたかった。だから、重松さんがなったということだと思います。
西谷:
この話を聞いてるとですね、全然、その歴史が繰り返されるあなと思うんですけど。
小出さん:
おっしゃる通りですね。
西谷:
結局は、お友達みたいな人を集めてお墨付きを与えて、そして進めていくという。これ、今の規制委員会でもそうですもんねえ。
小出さん:
そうですね。いわゆる原子力ムラ、私は最近、原子力マフィアと呼んでるところに人々が集まってきているわけですけれども、そういう人々があっちに行ったりこっちに行ったりして、それぞれの組織を支配するという形になっているわけです。
原子力PA方策の考え方
(日本原子力文化振興財団原子力PA方策委員会報告書)
http://labor-manabiya.news.coocan.jp/shiryoushitsu/PAhousaku.pdf
↑凸(゚Д゚#)↑
西谷:
そしてですね、最近は研究費をカットしてるじゃないですか、国が。だから、その研究費の欲しさにですね、なんかそこに飛びついてしまう方もおられるのではないかと危惧しますねえ。
小出さん:
はい。もちろんそれもありますし、今度は防衛省が軍事的な研究の予算をばらまくというようなことをやり始めまして、それに対しても研究者がまた群がっていくということになっています。
西谷:
防衛装備庁なんていうのをつくりましたからねえ。
小出さん:
はい。そうです。
西谷:
本当に、なんかこの国はなんか市民が願ってることの逆の方へ逆の方へ行ってるような気がしますが。
小出さん:
はい。私は自分のことを戦後世代と呼んできたのですけれども、今やそうではなくて、私が実は戦前世代にもう今は生きてるんだと思うようになりました。
西谷:
私も何となくそんな暗い気持ちになってしまいますが、何とかここで踏ん張ってですね、本当にそうならないように頑張っていきたいですねえ。
小出さん:
はい。ぜひそうしたいと思います。
西谷:
どうも今日は小出さん、ありがとうございました。
小出さん:
いえ、ありがとうございました。
封印された原爆報告書
http://dai.ly/xkca1f
アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。調査は国を代表する医師や科学者らが参加し、終戦直後から2年にわたって行われた。しかしその結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカへと渡されていたのだ。
なぜ貴重な資料が、被爆者のために生かされることなく、長年、封印されていたのか?被爆から65年、NHKでは初めて181冊の報告書すべてを入手。調査にあたった関係者などへの取材から、その背後にある日米の知られざる思惑が浮かび上がってきた。報告書に埋もれていた原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本がどのように被爆の現実と向き合ってきたのか検証する。
ドイツZDF「殺人医師たち」
https://youtu.be/IAawt9F4uLc
少女・十四歳の原爆体験記
『原爆体験と世界に伝えなければならないこと』
詩人橋爪文氏ワールドフォーラム
https://youtu.be/HwBzI4XdNTI
2011年8月4日・5日放送 NHKラジオ深夜便
原爆体験を世界に 橋爪文(2/2)
http://dai.ly/xso2w9
3. 「生き残り」というのは「あ、こういう事なのか」と思ったんですね
8/5橋爪文氏(文字起こし)みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2862.html
4. 「知っているつもりで知らないのは日本だな」私は痛感しながら海外を歩いた 8/5橋爪文氏(文字起こし)みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2866.html
5完.「あなたは原爆と原発と同じものだと思いますか?」「同じものです」と言いました。 8/5橋爪文氏(文字起こし)みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2865.html
終わりなき被爆との闘い
~被爆者と医師の68年~
http://dai.ly/x12rfmv
原爆投下から68年。今、被爆者の間で「第2の白血病」と呼ばれる病気になり、亡くなる人が増えている。原子爆弾が爆発した時放出された放射線によってつけられた、幾つもの遺伝子の傷。その一つが、今になって発病に至ったと考えられる。被爆者の遺伝子には、あの瞬間、いわば幾つもの「時限爆弾」が埋め込まれ、それが次々と爆発するように発病していることが、長年の研究でわかってきた。
原爆投下の年に、見た目は無傷の多くの人の命を奪った急性障害。急性障害の猛威が去ったあと、被爆者に多発した白血病。様々な固形がん。そして「第2の白血病」。
被爆者の命を救うため患者に向き合い、病状などを記録し、メカニズムの解明に取り組んできた広島・長崎の医師たちの日々に密着し、ようやくわかってきた最新の知見も盛り込みながら、人々を苦しめ続ける「終わりなき被爆」の実態を明らかにしていく。
20120728
知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研
http://dai.ly/xsgr38
報道特集より。
原爆の悲惨さを訴えて今も読み継がれているマンガ「はだしのゲン」。
放影研の前身であるABCCを描いた場面が出てくる。
「なにもくれず、まるハダカにされ、白い布をかぶせられ、血を抜かれて体をすみずみまで調べられた‥」「アメリカは原爆を落としたあと、放射能で原爆症の病気が出ることがわかっていた‥ わかっていておとしたんじゃのう」「戦争を利用して、わしらを原爆の実験にしやがったのか」
はだしのゲン作者の中沢啓治さんは自身も被ばくしている。母が亡くなったとき、ABCCが来て、母親の内蔵をくれと言われたという。
ABCCによる被爆者調査の背景を物語る文書がある。
「アメリカにとってきわめて重要な放射線の医学的/生物学的な影響を調査するには、またとない機会だ‥。」
1947年、広島でABCCが設立された。
ABCCが当初もっとも重視したのが遺伝的な影響だった。
広島、長崎で生まれた被曝2世、約7万7000人を調査。
担当部長は死産や生まれた日に死んだ赤ちゃんも調べたという。
そんな放影研に福島県郡山市から依頼があった。
大久保利晃理事長が市の健康アドバイザーとして招かれたのだ。
しかし実は放影研の調査対象は高線量外部被ばくだけ。
福島でいま起きていることは、これとは異なり、内部被ばくだ。
内部被ばくについては、ABCCの時代から調査の対象外としてきた。
だがABCCが一時期、内部被ばくの調査に着手していたことが、取材でわかった。
当時の生物統計部長だったウッドベリー氏は、内部被ばくの原因となった黒い雨の本格的な調査を主張していた。
そして1953年から1年ほど、内部被ばくの予備調査が続いた。
その調査の担当者だった日本人の研究員、玉垣秀也氏は、黒い雨をはじめ、残留放射能の調査を命じられた。
しかし上司は衛生状態の悪化が原因だとして調査を打ち切った。
そしてABCCから放影研に変わったあとも、内部被ばくの調査は再開されなかったという。
ABCCと放射線影響研究所
市民と科学者の内部被曝問題研究会
広報委員長 守田敏也
http://www.acsir.org/news/news.php?25
私たち、市民と科学者の内部被曝問題研究会は、本年6月に、ちょうどその頃訪日されていたヨーロッパ放射線リスク委員会会長とドイツ放射線防護協会会長とともに、広島にある放射線影響研究所を訪問しました。そこで重要な情報のいくつかを得ることができました。
その後、TBSの報道特集で、放影研に関する非常に重要な内容が放映されました。ここで、私たちの放影研訪問の意義を深め、今後の活動につなげるために、番組内容の捉え返しを行い、あわせて、放影研訪問内容の報告を行いたいと思います。なお記事内容は、報道特集がなされた直後に私が書いたものにもとづいています。
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7月28日にTBSの報道特集で【知られざる”放射線影響研究所”の実態を初取材】というタイトルの番組が流されました。さっそく視聴してみて、これまでの取材にない、かなり鋭い切込がなされていると感じました。
関係者の発言についても貴重なものが多いと感じたため、資料とするために急きょ、文字起こしをしました。ぜひお読みください。
はだしのゲンは終わらない
幻の続編からのメッセージ
http://dai.ly/xw979y
広島の原爆資料館に、14枚の漫画の原画が寄贈された。それは、世界に原爆を伝えた「はだしのゲン」の続編だった。この続編は作者の中沢啓治さんが「訴えなければならないテーマがある」と語ってきたものだった。しかし中沢さんは、描きかけにも関わらず、資料館に寄贈した。続編はなぜ発表されなかったのか。そして、そこに込められるはずだったメッセージとは。中沢啓治さんが訴えようとした「ゲンの真実」に迫る。
「はだしのゲン」と歩む
中沢ミサヨさんの思い
(東京新聞【こちら特報部】)2015年11月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015110202000114.html
広島での被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」の著者、中沢啓治さんが七十三歳で亡くなってから、来月で三年。戦争の悲惨さを訴え続けた中沢さんの遺志を継ぐのが、妻のミサヨさん(72)だ。支持者たちの尽力もあり、愛読者の輪が広がる一方、二年前には松江市教育委員会による小中学校への閲覧制限要請が物議を醸した。平和や言論の自由に対する圧力が増している現在、ミサヨさんは夫の思いをいま一度、かみしめている。
(池田悌一)
ゲンは国境を越えて
思い継ぎ「原爆絶対ダメ」
部屋の隅にある大きな製図台。台の端には三年前と変わらず、使いかけの鉛筆や消しゴムが転かっている。製図台に寄り添うように、小さな机が並ぶ。
「私もここで背景画とか手伝ってたのよ。主人に『立体感が足りない』つて直されたりしながらね」
ミサヨさんが照れくさそうに笑う。埼玉県所沢市の自宅一階の作業部屋。遺影の中沢さんがほほ笑む。
「悲しむ暇もないほど、あっという間の三年でした。でも世の中はすっかり変わってしまいましたね」
広島県呉市出身のミサヨさん。知人の紹介で知り合った中沢さんとは数回会っただけで「相性が合ったみたい」と結婚を决めた。
一九六六年秋、娯楽作品が中心だった中沢さんに、転機が訪れる。ともに被爆した母が亡くなった。火葬後に残ったのは灰だけ。
「放射能は骨まで奪うんか…」。原爆への怒りを作品にぶつけるようになった。
「はだしのゲン」は七三年、週刊少年ジャンプで連載が始まった。小学二年だった主人公の中岡元は四五年八月六日朝、広島市中心部で被爆する。
「ピカ」の強烈な光で気を失い、がれきからはい出たゲンの目に地獄絵図が飛び込む。皮膚がただれ、さまよう大人たち、川を埋め尽くした死体―。父と姉弟は燃える自宅に押しつぶされ、弟は苦痛で叫びながら短い生涯を閉じる。
「こんなだったの…」。原画を見たミサヨさんに、中沢さんは淡々と話した。
「本当はこんなもんじゃなかった。でもこれ以上描くと子どもが読みたくなくなるだろ。俺は多くの人が読める漫画で『戦争は絶対にダメだ』と訴えたい」
ミサヨさんは「被爆した人がなぜ体験を語りたがらないか、分かったような気がしてね。どれほどひどい状況だったか、言葉だけで説明するのは難しい。何も言えずに苦しんでいる人を思うとつらい」と話す。
十四年かけて全十巻を完結させた中沢さん。糖尿病や肺がんを患いながらも「俺はずっと一匹おおかみでやってきた。命がある限りやめない」と、各地で講演活動を続け、逝った。
「俺が死んでも、ゲンは残る」。夫の思いを継ぎ七いと思った。しかし、ミサヨさんは大前に出るのが苦手。夫が書き残した未発表の詩「広島 愛の川」が手元にあったが、どう扱ったらいいか、分からない。
ゲンの連載四十周年を記念した二〇一三年六月のシンポジウム。対談を頼まれたミサヨさんは迷った末に引き受けた。「この場で詩を朗読させてもらおう」。広島の怒り、悲しみ、優しさをつづった詩は反響を呼び、歌手加藤登紀子さんの楽曲になった。
「被爆していない私に原爆を語ることはできない。でも被爆した人の苦しみは隣で見てきた。原爆が絶対ダメだということだけは、はっきりと言える」
国内遺志への逆行次々
閲覧制限、安保法…
「夫怒っていると思う」
「はだしのゲン」は中沢さんの死後も、国内外で愛読者の輪を広げている。
さまざまな分野の有志たちが翻訳し、今春の「シンハラ語」版で二十三言語になった。最初に連載を単行本化した汐文社によると、世界でおよそ一千万部が販売されているという。
仲間と英語やロシア語に訳した金沢市の主婦浅妻南海江さん(七三)は「海外の友人が原爆がどんな結果をもたらしたかを知らず、ショックを受けた」ことが翻訳のきっかけだったと語る。
中沢さんが生前、海外に飛び出したゲンを思い「あいつは頑張ってますなあ」といとおしそうに話していたことが忘れられない。
浅妻さんらは一ニ年末、NPO法人「『はだしのゲン』をひろめる会」を設立した。寄付金や会費を元にして、欧米の小中学校など三十以上の団体・個人に贈ってきた。仲間の医師たちは、石川県内の小中学校約六十校に寄贈。いずれも作品を求める声に応えたもので、米国の中学生からは「核兵器を廃絶してほしいと思った」という感想文も届いた。
「ゲンのけなげな生き方や絵の力が国籍や年齢を問わず、人々の胸に響くのでしょう。もっと多くの人に知ってもらえるよう活動を続けたい」(浅妻さん)
しかし、一方で中沢さんの遺志を踏みにじるような波も起きた。一三年八月、松江市教委事務局が「描写が過激」として市立小中学校に閲覧制限を要請したことが表面化した。ゲンを所蔵していた全四十五校が閉架措置にしていた。
報道された途端、全国から「表現の自由の軽視だ」「子どもの知る権利や考える機会を奪う」と批判が殺到。市教委は報道から十日後、要請を撤回したが、他の自治体でも撤去を求める請願が相次ぎ、ゲンを排除する動きが広かった。
閲覧制限は、市内の男性が市議会や市教委に再三撤去を求めたことがきっかけだった。市教委はいまになって取材に「過剰反応してしまった」と軽率さを認めるが、その余波は思わぬところにも影を落とした。
浅妻さんらとゲンの英訳に携わった米国人の翻訳家アラン・グリースンさん(六四)は閲覧制限問題の二ヵ月後、当時住んでいた東京都杉並区の区立中学校長から一本の電話を受けた。
「あすの講演、ゲンについて話すのなら中止します」校長からの依頼で、ゲンの英訳で感じたことを生徒に語る予定だった。「いろいろ事情があって」と言葉を濁す校長に、グカースンさんが「松江の影響で圧力があったのか」と問うと、校長は即座に否定した。
グリースンさんは「軍部の市民に対する抑圧や、米国の原爆投下責任を鋭い視点で描いているのが『はだしのゲン』の特徴。校長も本来、私を通して中沢さんの世界観を子どもたちに伝えたかったはず。学校現場が何らかの圧力に負け、中止を決断したのだとしたら、言論の自由を自ら放棄したに等しい」と危ぶむ。
ただ、そうした暗い流れは勢いを増しつつある。中沢さんの死後、「知る権利」を侵す恐れのある特定秘密保護法が施行され、今年九月には「戦争ができる国」への転換を意味する安保関連法が成立した。
自治体が護憲を掲げた催しの後援を拒んだり、大学が政府批判の集会を許可しないという事態があちこちで発生している。先月には「自由と民主主義のための必読書50」と題した書店のフェアが、突然中止になるという騒ぎもあった。
息苦しさを訴える声が上かっている。中沢さんが生きていたら、現在の風潮をどうみるだろう。
ミサヨさんは主人は常々『平和憲法を守るためなら言うべきことは言うし、やるべきことはやる』と言っていた。すごく怒っていると思う」と話した。
広島 愛の川。加藤登紀子
https://youtu.be/Yg8mbo6rI_Y