ETV特集
それはホロコーストのリハーサルだった
~障害者虐殺70年目の真実
http://dai.ly/x3cyf72
600万人以上のユダヤ人犠牲者を出し、「人類史上、最大の悲劇」として語り継がれてきたナチス・ドイツによるホロコースト。しかし、 ユダヤ人大虐殺の前段に、いわば“リハーサル”として、およそ20万人ものドイツ人の精神障害者や知的障害者、回復の見込みがないとされ た病人たちがガス室などで殺害されたことについては、表だって語られてこなかった。
終戦から70年もの年月がたった今、ようやく事実に向き合う動きが始まっている。きっかけの一つは5年前、ドイツ精神医学精神療法神経学会が長年の沈黙を破り、過去に患者の殺害に大きく関わったとして謝罪したこと。学会は事実究明のために専門家を入れた国際委員会を設置、 いかにして医師たちが“自発的に”殺人に関わるようになったのかなどを報告書にまとめ、この秋発表する。
番組では、こうした暗い歴史を背負う現場を、日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さん(自身は視覚障害)が訪ねる。ホロコーストの “リハーサル”はどうして起きたのか、そして止めようとする人たちはいなかったのか・・・。 資料や遺族の証言などから、時空を超えていま、問いかけられていることを考える。
人間が人間を見下す行為は、いじめ、ブラックバイト、パワハラなどたくさんころがっている。差別と虐待の究極の姿として、すべてつながっている問題だと思った。それを国家権力が先導し、助長することはあってはならない。戦後70年、日本国憲法が守られるのかどうか、今、私たちの足元ともつながっている。
投稿者:こう ETV特集HPより
シリーズ戦後70年 障害者と戦争
ナチスから迫害された障害者たち
(1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか
http://dai.ly/x336fe9
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-08/25.html
戦後70年の節目に、「障害者と戦争」について考えるハートネットTV・8月のシリーズ。
日本編に続いて舞台をドイツに移します。
600万人ものユダヤ人犠牲者を出したといわれる、ナチス政権によるホロコースト。これを忘れてはならないとする認識は、戦後ドイツの基本です。しかし、ユダヤ人大虐殺の前に、いわば‘リハーサル’として、20万人以上の障害のあるドイツ人らが殺害されたことは同じようには語られてきませんでした。
5年前、ドイツ精神医学精神療法神経学会が長年の沈黙を破り、自分たち医師が患者殺害に関わったことを謝罪したのをきっかけにようやく今、真実に向き合う動きが始まっています。学会は今年の秋に報告書をまとめる予定です。
なぜ、これだけ大量の障害者が殺害されたのか、止めようとした人たちはいなかったのでしょか。そしてなぜ被害者の遺族もこれまで沈黙を保ってきたのでしょうか――。
日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さんがドイツを訪ね、当時のドイツと今のあり方、日本を見つめ、歴史を繰り返さないために何が必要かを考えます。
(2)ある視覚障害者の抵抗
http://dai.ly/x33j3tu
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-08/26.html
戦後70年の節目に、「障害者と戦争」について考えるハートネットTV・8月のシリーズ。ドイツ編2夜目。
いわゆる優生思想を背景にしたナチス・ドイツによる障害者虐殺の実態を知るために、この夏ドイツを訪れる、藤井克徳さん(日本障害者協議会代表・自らも視覚障害)。
今回の旅で特に注目している人物がいます。ナチス政権下、ベルリン市内で作業所を経営していたオットー・ヴァイトというドイツ人です。自身も視覚に障害のあったヴァイトは、当時迫害されていたユダヤ人や障害者たちを積極的に雇い、ナチスからかくまったといいます。自らの命を危険にさらしながらも強いリーダーシップを見せたヴァイト。
今、私たちは彼から何を学べるのでしょうか。藤井さんがその軌跡をたどるとともに、障害当事者リーダーたちと対話しながら時空を超えて、ヴァイトを見つめ直します。
(3)命の選別を繰り返さないために
http://dai.ly/x37uto1
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-09/15.html
戦後70年の節目に、「障害者と戦争」について考えるハートネットTV夏のシリーズ・ドイツ編の第3回。
ハートネットTVでは8月に、ナチス政権時代、20万人以上の精神・知的障害のあるドイツ人らが殺害されたことや、ユダヤ人迫害が強まる中、ユダヤ人障害者たちを自らの作業所で積極的に雇い、ナチスからかくまったドイツ人視覚障害者がいたことを伝えてきました。
第3回は、現地を訪れ、これらのことを直に取材してきた藤井克徳さん(日本障害者協議会代表・自身も視覚障害)が、ドイツの精神医学会の元会長を直撃。なぜ、これだけ多くの障害者が殺されなければならなかったのか。そしてなぜ、本来命を救うべき医師が加担したのか疑問をぶつけます。また、もっと早く事態を察知し、止めようとする人はいなかったのか-。歴史家や、障害当事者とも対話し、掘り下げます。
“戦後70年”の馴染みのキャラクターも登場。同じ過ちを繰り返さないために、いま私たちが「命の価値」についてどう考えるべきか、時空を超えて問いかけます。
断種は処罰ではない 解放運動である
遺伝性疾患子孫防止法-1933年ドイツ
第1条
1 遺伝病者は、医学的な経験に照らして大きな確度をもって、その子孫が重度の肉体的・精神的な遺伝疾患に悩まされることが予想できるときは、外科的不妊手術(断種)を受けることができる。
2 本法にいう遺伝病とは以下の疾病の一つに患った場合をいう。
①先天性知的障害
②精神分裂病
③周期性精神異常(そううつ病)
④遺伝性てんかん
⑤遺伝性舞踏病(ハンチントン舞踏病)
⑥遺伝性全盲
⑦遺伝性ろうあ
⑧重度の遺伝性身体奇形
3 また、重度のアルコール依存症である場合も断種できる。
戦時下、障害者切り捨て
「弱者締め出す社会 弱くもろい」
(東京新聞【こちら特報部】)2015年11月1日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015110102000158.html
戦争は人を狂気へと駆り立てる。日本やドイツは先の大戦で「強い国」を旗印に、弱者を切り捨てた。目を背けたくなる過去を直視しなければ、同じ過ちを繰り返すかもしれない。二つの国で障害者が犠牲になった歴史に向き合う人々の話から、戦争の本当の怖さを思い知る。
(沢田千秋)
ナチス 20万人を虐殺
日本障害者協議会代表の藤井克徳さん(六六)は昨夏、ドイツを訪れた。
「『T4作戦』は遠い過去の遠い国の話とは思えない。今の日本と重ねながら、ドイツで起きた戦争の矛盾を自分で確かめたかった」
ヒトラーは、ユダヤ人虐殺にみられる「民族浄化思想」とともに、強い「優生思想」を持っていた。ナチスは一九三三年、いわゆる「劣等遺伝子予防法」を制定した。精神・身体障害、てんかん患者ら約三十万人に不妊措置を取らせた。それが、障害者「安楽死」にエスカレート。三九年、中央本部の所在地にちなみ、T4作戦と名付けられ、四〇年一月から始まった。
ドイツ人ジャーナリスト、フランツ・ルツィウス著の「灰色のバスがやってきた」で詳細に描かれている。
ベッドに横たわる精神障害の八歳男児ら患者を前に、ある医師が宣言した。「私はこれらの生きる価値なき患者たちに対して、民族共同体の利益のために、安楽死を直接実行する責任を、喜んで負う」。多量の薬物を腕の静脈に注射すると、少年らは、泡を噴き痙攣(けいれん)しながら息絶えた。薬物の他、一酸化炭素(CO)ガスも使った。大勢をシャワーと称して一室に閉じ込め中毒死させた。
六ヵ所の施設で四一年八月まで続き、七万人が殺害された。作戦中止命令後も、看護師や施設職員が暴走し、さらに十三万人が虐殺されたという。
フランクフルトの北約八十㌔のハダマーに残るT4作戦施設跡。全盲の藤井さんは、七十五年前に障害者かたどった死への道程を自らの足で歩いた。
「障害者や病人を積んだ灰色のバスが車庫に入ると扉が閉まる。一つしかない出口を進むと脱衣所があり、服を脱いで診察を受ける。医師は、心臓まひや脳出血など六十種類の死因から適当に選び、カルテに記入したという。続いて、階段を十七段上がると十二平方㍍の部屋に五十人が入れられ扉が閉まる。医師は小窓から中を見ながらガス栓をひねる。十分間で死に至り、二十分間放置して、今度は扉を開く。職員が死体の脇の下に手を入れ、滑りやすく加工した床の上をひきずり、焼き場へ運んだ」
追体験を終えた藤井さんは言う。「高さ一㍍の壁面に残るガス管の穴の感触が忘れられない。T4作戦はユダヤ人虐殺前夜の壮大な殺りく実験だった。しかし、ユダヤ人虐殺に比べ、長らく目が向けられなかった。惨劇の闇の深さを物語っている」
日本 施設から追い出し
差別の連鎖 ここから
東京都の離島、大島の知的障害者施設「藤倉学園」は一九一九年、故・川田貞治郎氏が篤志家の出資を基に設立した。温暖な気候のもと、入所者はのびのび学び、自給自足で暮らしていた。しかし、太平洋戦争中の四四年、日本軍は大島の要塞化を計画し、校舎の明け渡しを命じた。
関東各県の知事に受け入れを直訴したが、拒否された。見つかったのは山梨県の清里高原でキリスト教団が建てた寮。川田氏は現在の価値で数千万円を捻出し、同年八月、入所者約三十人と移り住んだ。
待っていたのは、大島と対照的な厳しい寒さと飢えだった。つららを解かして水を確保した。風呂は週に一度。みな、大島のサツマイモを懐かしがり、「フーフー」と冷ましながら食べるマネを繰り返した。(´;ω;`)
四四年十二月、最初の死者が出た。四五年九月までに入所者十人が死亡。いずれも衰弱死たった。
清里で暮らす酒井治孝さん(七九)は、高台の寮から、遺体を載せて下りてくる牛車と火葬の様子を覚えている。「墓地の隅で焼いた骨を近くの土に埋めていた。昔はマイナスニ五度まで下がり、みそやしょうゆも凍った。木の板を並べただけの夏向き仕様の寮は、さぞ寒かっただろう」
藤倉学園の歴史を研究する聖徳大の高野聡子准教授(心身障害学)は「結果として、十人が亡くなってしまったけれど、川田氏らは厳しい暮らしの中でも、入所者たちが少しでも楽しめるように、できる限り努力していた」と話す。
国内で唯一、体が不自由な子供のための学校だった都立光明学校(世田谷区)も戦争で取り残された。国民学校は学童疎開を進めたが、光明学校の子供たちは校舎で寝泊まりを続けた。空襲の激化で、校長たった故松本保平氏が訪ね歩き、長野県の上山田ホテルで受け入れてもらえることに。四五年五月、小中学生六十人と疎開した。十日後、校舎は空襲で焼失した。
戦後、光明学校の教員を務めた松本昌介さん(七九)は当時の記録を丹念に調べた。「障害がある子たちは、戦力にもならず、何もしないで食べるだけの『ごくつぶし』と言われ、真っ先に見捨てられた。食事のたび、子供たちは後ろめたい思いを強いられたようだ」
だが、障害者を切り捨て「強い国」を目指した揚げ句、敗北した。前出の藤井さんは「一部の構成員を締め出す社会は弱くもろい」と国連が以前に明示したことを挙げて語る。「障害者を消せば、次に弱い立場の高齢者や病人、女性らという弱者探しの連鎖が始まる。際限なき弱者差別の入り口が障害者。人類の倫理を問う問題で、社会のあり方に直結する」
では、真に「強い国」とはどんな国なのか。光明学校の児童として上山田ホテルに疎開した今西美奈子さん(八〇)=大阪府枚方市=の話が物語る。
「疎開前は登下校時に石を投げられたり、汽車の中で『この非常時にそんな体でウロウロするな』と怒鳴られた。でも、ホテルでは私たちの松葉づえや義肢、義足で畳や壁が傷ついても怒られなかった。歩行訓練で千曲川まで行くと、村の人が食べられる野草を教えてくれた。冬は寒かったけど、舂には桜やあんずが一斉に咲いた。疎開が長引いた時、オーナーは『わしが生きているうちは子供たちを守る』と言っていたと、大人になって知った」
焼けた光明学校の再建は後回しにされた。ホテルは四九年舂まで、子供たちを受け入れ続けた。
日本ファシズムと優生思想
藤野豊 著 かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/na/377.html
「存在に値しない命」とは何か。
病気・障害者への断種政策はナチスだけではなかった。優生思想が政策として社会に受容されていく過程を克明に描いた労作。
序章 日本ファシズムと優生思想―研究の現状と課題
第1章 第一次世界大戦と優生思想
第2章 優生運動の展開
第3章 人口問題と優生政策
第4章 ナチズムへの憧憬と警戒
第5章 アイヌ民族と優生思想
第6章 ファシズム体制下の優生政策
補論1 近代日本と優生思想の受容
補論2 部落問題と優生思想
補論3 近代日本のキリスト教と優生思想
終章 「戦後民主主義」下の優生思想
『精神医療』より(現代書館 フォービギナーシリーズ)
より 精神病院法成立
http://nagano.dee.cc/begiwar.pdf
「大日本帝国」が日中戦争から太平洋戦争へと突き進む中で、精神病院建設などという金を使う余裕はなくなり、「精神病」者にとっては新たな苦難が始まる。
1938(昭和13)年厚生省が作られる。厚生省は戦争に役立つ「健康な国民」を作りだそうという目的で生まれたのだ。そして「精神病」者、「障害」者の発生予防を目的として国民優生法が1940(昭和15)年に作られる。国民優生法は現在の母性保護法の前身であリ(現在は母性保護法の管轄は厚生省母子保健課である)、これに基づき「精神病」者や「障害」者の断種が行われた。忘れてならないのは、戦時下の精神病院の多くの入院患者が餓死したことである。
一般の食料事情の悪化は当然精神病院など不可能な入院患者には闇の食料など手にはいるはずもなく、監禁されたままで餓死する患者が続出した。たとえば九州の筑紫保養院(現福岡県立太宰府病院)では戦争末期から戦争直後にかけて、何と70%が餓死した。東京の松沢病院でも、戦争末期から戦争直後に大量のが死者を出している(グラフ参照)。さらに松沢病院に対してはかりに本土決戦となれば、陸軍によって「誤爆」するという計画までたてられたといわれている『声なき虐殺』塚畸直樹編、BOC出版1983年
戦時中動物園で猛獣が殺されたことは『かわいそうな象』などのもまた「猛獣」なみの扱いをされ、空襲などで「精神病」者を監禁している檻が壊れたら、「精神病」者が暴れて困るという発想で、その前に「誤爆」ということにして病院を爆撃し入院患者を殺してしまえ、という計画なのである。「精神病」者から社会を守れ、という思想の極限がここにある。
実現するか断種法
民族・血の浄化へ
各国の立法例と方法
(読売新聞)1938年4月19日
…昔から「馬鹿につける薬はない」といわれる通り、近代医学の力も低能には及ばない。しかもこの低能わ困ったことに普通人よりも生殖力が旺盛なうえに、遺伝率百パーセントという優性なのだから始末が悪い。こうした精神異状者をどうするか、というのが当局悩みの種で諸外国も亦同じ悩みに悩んでいる。
昔も今もこの新聞は…(怒)( ̄^ ̄)凸
世界は狂人によって支配されている ジョン・レノン
能力主義と教育基本法「改正」
―非才、無才、そして障害者の立場から考える
北村小夜 著 現代書館
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN4-7684-3442-8.htm
100人に1人のエリート養成のための能力主義教育、戦争できる「ふつうの国」づくりのための愛国主義教育は誰のための教育「改革」なのか。「お国のために役立たない」と排除された側から「改革」の本質を糾す。
[著者紹介・編集担当者より]
「修身」の教科書と「心のノート」がよく似ているとはよく言われることだが、明らかに弱者を排除しようとする「改正」案、競争の時代、進む習熟度学習、これで、心豊かな人間は育つのだろうか。競争はあっても良い、しかし、弱者を切り捨てては、絶対にいけない。(宮)
現代における福祉思想の可能性
唯物論研究協会 第 33 回大会 シンポジウム趣意書
http://www.zenkokuyuiken.jp/contents/taikai/33taikai/33syuisyo.pdf
…近年の格差社会を前提にした「社会保障」の在り方――昨今の所得控除額削減と取引になりかねない子ども手当てや、抜け穴だらけの非正規雇用規制法制などを含む――、とりわけ「自立」を強調し、結果的に多くの弱者を更に酷い目に遇わせる法制度等々に拠るものだけではない。更には、法を市民法に限定し、「福祉」や「社会保障」の基盤たる社会法を本来の法から放逐する動きや、昨今はやりの公共性論や新たな市民社会論などが、「福祉」を真剣には扱ってないことなどに対する疑義もある。…
…そもそも既存の「福祉」の歴史は今に至るも優生思想にまみれたものであった。それは、サンガーどころか、ウェッブ夫妻、ベヴァリッジ等々の著名な「福祉」推進者の例を挙げるに留まらない。優生思想は、海野幸徳などの日本の「福祉」の先導者とされる人物達にも、また福沢諭吉等々の著名人達にも、更には出生前診断賞揚の現代的議論にも見られる。そうした優生思想との批判的対決は、新たな福祉思想を構想する際には必須である。
平和じゃないと生きられない
~沖縄で語りだした障害者たち~
https://youtu.be/wv4-lgVYDdU
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-10/14.html
1944年10月10日。今から70年前の太平洋戦争後期、アメリカ軍による大規模な空襲を機に、沖縄は戦場と化していきました。地上戦が全土に広がり、民間人に甚大な被害が出る中で、障害者は「足手まとい」と置き去りにされたり、壕から追い出されたり、スパイ容疑で拘束されるなど、何重もの苦しみを体験したといいます。しかし多くの障害者たちは、そのあまりの凄惨さや戦後も続いた障害への無理解・差別から、固く口を閉ざし、実態はあまり知られていません。
あれから70年。先月沖縄で起きた辺野古への基地移設を巡るデモの中に、80歳になる視覚障害者のおじいもいました。「沖縄は、現在も戦後を生き続けている。だからこそ障害者として平和を訴えていく」――沖縄で戦争を生き抜き、これまで声を上げることができなかった障害者たちが、今、少しずつ語り始めました。
生活の地がひとたび戦場になると、一体どんなことが起きるのでしょうか。沖縄県在住の盲目のシンガー・ソングライター・大城友弥さん(24)とともに証言者を訪ね、その声に耳を傾けます。
辺野古で新基地建設に反対するデモの中に、視覚障害者の山田親幸氏(80)の姿もあった。
山田氏は、「戦争中、障害者は反戦とかという思想は持たないんですよ」と言う。障害者は、「兵隊に行けないのは、非国民とは言わなくても『国家の米食い虫』と言われた」、だからこそ、かえって、戦争に協力するという気持ちになるのだと。そういう精神構造、精神的なメカニズムは理解できなくはない。
しかし、山田氏は、そこから「脱皮」すべきことを訴える。
「可能な範囲で表に出て言葉悪いかもしれませんが、自分をさらけ出して欲しい。家にこもって障害を隠すとか、本人だけじゃなくて家族までも隠す時代があったわけだからそれから脱皮してね、大きく自分達の権利を主張することも大事だしそのためには自分も皆に知ってもらわなければならんと」
番組の最後に山田氏が述べる。
「一生懸命戦争に協力するのよ、障害者は。反戦に行くんじゃなくてね。堂々と今の平和運動にも入れない、思いはあっても。ここまで僕らも大変嫌な戦争を経験して初めてこれは目覚めんといかんなと思ってるわけですよ。そういうものは戦争を知らない皆さんもたぶんそのまま戦争を迎えたら障害のある人達も愛国心とか何とかにあれされてつらい目に遭いながら思想的には、かえって戦争協力というふうになるんだと思うんですよ。僕なんかとことん戦争はこりごりだととことん戦争は反対だということですよ」
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一番大切もの、それは”いのち”だ!(`・ω・´)弱者・障害者は殺してもかまわないのか《゚Д゚》
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