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Channel: 私にとって人間的なもので無縁なものはない
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小出裕章先生:マスコミも何か政府のやり方にグルになって乗っているように私は見える

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テレビ報道が危ない
(ラジオフォーラム#146)

https://youtu.be/SUw6bixmhhw?t=15m36s
放射能汚染 無能無策
第146回小出裕章ジャーナル
台風・大雨との闘い「当面はもうどうにもならない状態で、放射能汚染水が海へ流れ出てしまうということになってしまっています」

http://www.rafjp.org/koidejournal/no146/
コントロールできてる?
石井彰:
今年は台風や大雨によって各地に記録的な被害がもたらされました。今週は原発における水との闘いについて、小出裕章さんに伺います。9月9日の台風18号では、原子炉建屋周辺の雨水などを集める排水溝の汚染水が海へ流れ出しました。実は2013年にも2つの台風が福島を通ったためにですね、台風対策を講じると言っていたんですけれども、こうした大雨についての対策っていうのはどうなっているんでしょうか? まとまった雨が降るたびにですね、汚染水がどんどん出ていくっていう可能性は今後も続くんでしょうか?
排水路からの汚染雨水の流失は7度目

小出さん:
はい。もちろん今後も続きますし、まず基本的なことから聞いて頂きたいのですが、福島第一原子力発電所の原子炉1号機、2号機、3号機のものが溶けてしまいまして、今どこにあるかわからないわけです。仕方がないので、とにかく水をかけて冷やそうということをして、原子炉の中、つまり原子炉建屋の中にある原子炉の中に水を送り込んでいるのですが、原子炉建屋そのものが、既に2011年3月11日の巨大な地震であちこちにもうひび割れが入っているのです

そのため地下水も原子炉建屋の中に流れ込んでしまって、人為的に注入している水ともう混然一体となって汚染水が膨れ上がってきているのです。その一部は「回収しながら浄化をしている」と東京電力は言っているわけですが、浄化の程度もきちっとはできていませんし、地下水が流れ込んでくる分だけはどんどんどんどん増えてしまって、今地上にタンクをつくって貯めているという状態なのです。
多核種除去設備 (ALPS)
実はそれだけでは済すみませんで、原子炉建屋がひび割れているということは流入している分もあるし、流れ出ていってしまってる分もあるわけです。そのため福島第一原子力発電所の敷地の中のいわゆる屋外の井戸ですけれども、そういう井戸の中の水も猛烈に汚染してしまってるという場所があるのです。
サブドレン地下水から高濃度の放射性物質セシウム
つまり、私自身は福島第一原子力発電所の敷地全体が濃い薄いはありますけれども、放射能の沼のような状態になってしまっていると思いますし、そう発言してきています。そして福島第一原子力発電所の敷地の中に流れ込んでくる地下水は、さきほども聞いて頂いたように、一部は原子炉建屋の中に流れ込んできているのですが、そうではなくて直接海へ流れ出してしまってるものも大量に毎日600トンぐらいはあると思います。それが放射能の沼のような状態になってる敷地を通って海へ流れていってるわけですから、もう元々どうしょうもない状態になっているのです
放射能の沼
今、石井さんが聞いて下さった9月9日の台風で流れ出た汚染水というのは、原子炉建屋の周辺の水を受ける排水溝があって、それが港湾の外に直接流れ出てしまっているのですが、東京電力はそれはあまりにも格好が悪いということで、出口の所にポンプを設置して、別の排水溝に流してきたのですけれども、ではその排水溝の水はどうなっているかと言えば、ただ港湾の内側に流れていってるというだけであって、結局は海へ流れてしまうのです。
福島第一原発のK排水路問題と対策
ですから基本的なことを言えば、もう放射能汚染水問題はどうにも手の打ちようがないという状態になっているわけで、私はもう以前から抜本的に解決するためには、水を注入する冷却方式を諦めなければいけない、そして原子炉建屋周辺に地下の遮水壁、地下ダムというようなものを張り巡らせて、汚染水が外に出ないようにしなければいけないと発言を続けてきました。

その2つの対策ができない限りは、どんなことをやっても結局はだめだということですし、その2つの対策を実施するまでにはまだまだ長い時間がかかってしまいますので、当面はもうどうにもならない状態で、放射能汚染水が海へ流れ出てしまうということになってしまっています。

小出裕章ジャーナル

石井:
汚染水の流出だけでなくですね、今回のことで分かったことは東京電力福島第一原発事故の除染廃物、小出さんは廃棄すべきではないというふうにおっしゃってらっしゃるんで、廃棄物ではなくて廃物を入れた袋がですね、大雨の影響で福島県飯舘村の川に流出した問題もありましたね。

https://youtu.be/P4G1BOD8A5k

小出さん:
ありましたね。これもほんとに厄介な問題で、あちこちにいわゆる私達がフレコンバックと呼んでいる袋が積み上げてあったわけですけれども。大雨の影響で、確か300数十体だったと思いますが、それが流れ出てしまって、破れて中身ももうなんんにもないというような状態であちこちへ流れ出てしまったわけです。

ほんとに自然の力というのは、人間が及ぶようなものではないのだなと改めて私は思いました。集めたゴミですね、フレコンバックというのに集めたものは、多分もう数百万袋、あるいはもう1千万を超えてるのかもしれないと私は思いますけれども、その量全体からすれば、流れ出た量はわずかだったわけです。

ではその全体をどうするかと言うと、それすらがどうしていいかわからないという状態になってしまっていて、中間貯蔵施設であるとか、あるいは、それぞれの自治体で埋め捨てにしてしまえだとかいうことを言ってるわけですけれども、基本的にその問題もこれから何十年も抱えていかなければならないという問題なのです

https://youtu.be/5ZI9xrqTByY

石井:
小出さん、ずっと続いていくというのは大変私達にとっては、特に福島に住んでらっしゃる方々、あるいは漁業、農業をやってる方達には大変な被害を永続的、継続的にもたらせてしまうことになるんですが、残念ながら東京のですけれども、新聞やテレビの方がとても扱いが小さかったり、あるいはほとんど報じない、伝えないという状況になってきちゃってる、つまり慣れっこになってきちゃってるんじゃないかという危機感を私は感じてるんですが、小出さんはいかがですか?

小出さん:
はい、私も同感です。2011年3月11日に大きな地震と津波が起きて、福島第一原子力発電所が壊されてしまったわけですが、その日の夜、原子力緊急事態宣言というものが出されたのです。その緊急事態宣言というのは、実は4年半以上経った今現在も解除されていないのです
原子力緊急事態宣言
今は緊急事態だということで、従来あった被ばく関連の法律も全てがもう保護になされてしまっていて、福島第一原子力発電所事故に関する限りは、もう法令が守ることができないという状態が、今現在も続いているのです。

マスコミもキチッとそのことを国民に知らせるというのが一番の彼らの責務だと思うのですが、政府そのものが忘れさせてしまおうとしているし、マスコミも何か政府のやり方にグルになって乗っているように私は見えるのです。本当にこの国って困った国だなと思います。


忘れさせようとする策謀


週刊女性自身 (2015年3月24日号)より
週刊女性自身 (2015年3月24日号)より

土壌汚染 福島市・郡山市の深刻度 矢ケ崎克馬・琉球大名誉教授に聞く
(東京新聞【こちら特報部】)2011年9月22日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011092202000038.html
 福島第一原発事故で放射能に汚染された福島市や郡山市の土壌濃度は、チェルノブイリ原発事故で健康被害が続出した地区に匹敵する-。内部被ばくに詳しい矢ケ崎克馬・琉球大名誉教授(67)は、先月30日に文部科学省が発表した詳細な土壌汚染マップを基に両事故の汚染度を比較した。その結果、「子どもら住民の健康被害が予想される」として、学校疎開を含めた被ばく軽減対策を最優先に取り組むよう訴えている。
(小倉貞俊)

土壌汚染 矢ケ崎克馬・琉球大名誉教授に聞く

「棄民政策」やめて

内部被ばく無視の国際基準

 矢ヶ崎氏は、国際放射線防護委員会(ICRP)が定める一般人の年間被ばく線量の限度「1ミリシーベルト(自然放射線量を除く)以下」にも危惧を強めている。
 同地区の管理強化ゾーンは、被ばく線量が、1.59~0.83ミリシーベルト。
つまり、ICRPの基準ライン上で多くの病気が発症していることから、「内部被ばくを無視しており、基準自体が疑問だ
 その背景について、「核戦略と原子力利用を推進してきた米国の存在がある」と続ける「原発を運営する側の立場を優先させ、人の健康を後回しにしている。日本の科学者も米に追随して、放射線の健康被害を隠ぺいする工作に加わってきた。」
 チェルノブイリ事故でも同様だ。
 「数々の健康被害が報告されながら、被害を極めて少なく見せようという動きがまだ主流を占めている。」
 矢ヶ崎氏が典型的な例とするのは、国際原子力機関(IAEA)の依頼を受けた国際諮問委員会の報告だ。その中では、「住民は放射線が原因と見られる障害を受けていない。
悪いのは、放射能を怖がる精神的ストレスだ」と述べられていた。
 ICRPが、「100ミリシーベルト以下では健康被害へのデータがない」との立場をとっていることや、国がICRPの勧告に従い、年間被ばく量の限度を20ミリシーベルトにしようとしたことについて、「到底許し難い。放射能の犠牲者を意図的に隠しながら、今も生み出している」と切り捨てた。
 こうした怒りは、どこから来るのか。
 長野県松本市の出身で、物理学を学ぶため広島大大学院に進学。被爆者と接して平和への思いを深め、原爆の健康被害を認めようとしない国の姿勢に疑問を持った。琉球大の教授だった2004年から、原爆症認定集団訴訟を支援。内部被ばくについて、二度証言に立ち、一審、二審の19回の判決全てでの勝訴につながった。

学校疎開の訴訟を支援

 矢ヶ崎氏は、今、新たな訴訟に力を貸す。6月に郡山市の児童・生徒と親たちが、同市に学校ごと疎開する措置を求める仮処分を福島地裁郡山支部に申請。その親たちから要望を受け、9月上旬に冒頭の内容をまとめ、意見書として提出した。
 同支部は意見書を受けて、審尋内容の見直しを表明し、結審は先に延ばされた。矢ヶ崎氏は、「お母さん方は血のにじむような思いで暮らしている。その努力で日本の子どもたちが守られていることを、忘れてはいけない。」と訴える。
収穫の秋を迎えた。ウクライナでは汚染食品への警戒を怠った人も少なくない。国は、暫定規制値を超えた食品の出荷を禁じているが、「規制値以下ならただちに健康に影響はない」という姿勢だ。
 「政府が生産者と消費者を分断させているようなもの。今の方針では被ばくし続ける」として、矢ヶ崎氏は提言をする。「汚染された土地の産物を売ってはいけない。食べてもいけない。汚染食品は、政府が買い上げ、生産者の生活を保障すること」また、田畑が汚染されたため農業を離れざるを得ない生産者には「被災地以外の休耕田、耕作放棄地を一時的に貸すなどの仕組みもあっていいのではないか」。
 今後、予測される健康被害を前に、健康制度の充実と 医療的な保障制度づくりも急務という。「国はチェルノブイリ事故や原爆訴訟が何であったのかを受け止め、学んで改めてほしい。
このままでは、『棄民政策』といわれても仕方がない」


実測チェルノブイリ放射能汚染地図 福島の人が住
http://www.daysjapan.net/bn/1406.html



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世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福は

政治家が無関心にさせているのさ

政治に無関心でいいなんて言ってると…



今こそ叫ぶ 「戦争は人類の大犯罪
むのたけじ


https://youtu.be/EAGnnzwoZvo
「戦争は(自分の周りで)静かにいつのまにか始まるものだ。なぜならば、事前に日時を決めて(それを相手に伝えて)開戦することなどはない。だから、情報が漏れないように政府は自国民への情報を統制しようとする…戦争をやめさせるには、戦争が始まってからではダメだ。国民は抵抗のしようがない…戦争は勝ち負けがハッキリするまでやめられない…新聞が真実を書かなかったのは軍の圧力もあったけれども、一番の原因は記者自身が自己規制の枠を作ってしまったことにある。(戦争をおこさせないためには)自分を存分に表現すること…かけがいのない人間という存在という資格で、誇りと責任を持つということ。




非国民 はだしのゲン
はだしのゲン より


支配されることを望んでいる
国民の反知性

小田嶋隆 コラムニスト
注目の人 直撃インタビュー
(日刊ゲンダイ)2015年10月30日

 反知性主義という言葉が流行している。立憲主義を否定し、学者の声も黙殺した安倍首相に対して向けられたもので、社会学者の上野干鶴子・東大名誉教授は「立憲主義の危機だけではない。知性の危機、学問の危機、大学の危機だ」と訴えた。そこで話題なのが「超・反知性主義入門」(日経BP)の著者、この人だ。反知性主義なのは野蛮政権のトップだけではない。そういう政権を選んだ国民にも危険な兆候が広がりつつあるという。

支配されることを望んでいる国民の反知性

言論弾圧は民衆が始める

 -この本は小田嶋さんの連載コラムをまとめられたものですが、もうパサバサというか、日本人の反知性主義が「これでもか」と出てきますね。生贄(いけにえ)を求める社会、絆思考の危うさ、言論の自殺幇助(ほうじょ)…。世の中、全体が思考停止というか、反知性主義に毒されたというか。

 言論の自殺幇助でいえば言論弾圧って、憲兵がやってきて、言論の自由を掲げる闘士をしょっぴくみたいなイメージがあるじゃないですか。でも、実際は違って、公安や警察が直接手を出すことなんてまずあり得ない。戦前もそうだっだけど、自主規制なんですよ。このテーマを書くと編集長がいい顔しないよ、読者の抗議はがきが殺到するよって。こんなふうに外側からやんわりと圧力がかかって書きにくくなる。ある種、言論に対する民意か言論の自殺幇助になる。

 -本の中には戦前の息苦しさを描いた「言論抑圧」(中公新書・将基面貴已著)の引用が出てきます。〈いかなる官憲も、軍人も、私自身に向かって、この原稿が悪いとか、こういうことを書くなと命じ、または話してくれたこともない。すべてが雑誌記者もしくは新聞記者を通じての間接射撃であった〉という馬場恒吾氏の言葉です。この間接射撃をしている主体は国民なんてすね?

 戦前の言論弾圧だって、そんなことを言うのは非国民だ、お国のためにならない、許すなって、そういう民衆がたくさんいたと思うし、今がまた、同じような社会になっていると思います。

 -よく安倍政権の言論弾圧が話題になるけど、それをやらせているのは、国民であると?

 ユネスコの記憶遺産に南京大虐殺が登録された時、菅官房長官は分担金を減らすことを示唆しました。驚天動地の発言で、昔だったらクビが飛んでいると思う。虐殺した数についての議論はあってしかるべきだが、虐殺の事実そのものを否定したり、分担金を減らしてユネスコに圧力をかけるのは別次元の話でしょう。しかし、菅官房長官がああ言うのは、国民の方に『ユネスコはケシカラン』という応援の声があるのを感じたからだと思う。ああいう発言ができちゃう空気が、すでに存在しているんですよ

 -戦前の「欲しがりません」みたいな国策標語も、むしろ民衆が率先したような気がします。

 標語にあおられて戦争が泥沼化したのではなく、民衆にこびるような標語が作られた。順序として国民の熱狂の方が先たったように思います。

 -五輪招致の時も、賛成しないと「なんて水をかけるんだという空気がある」と言われてましたね。

 五輪招致に賛成ではないという国民か2、3割はいるんじゃないですか?でも少数派の意見は控えろみたいな。こういうのが言論の不自由の最初の兆候です。会議は全員一致、会社は全社一丸。これがよき社会の在り方であると。シラけるような行動はやめなさいって。

 -そういうところ、本当にありますね。

 最初は招致活動に反対だったのが、始まっちゃうと、やるんだったら勝ちたいよね、となる。招致に成功すると、決まった以上、みんなで頑張ろうねとなる。戦争もそうなんです。誰も戦争なんかしたくないけど、始まったら、戦争反対の声はかき消されて、国策標語の世界になる

 -危ない国民性ですね。

 だから、政治家は夕力をくくっているんですよ。反対運動が多くても断固として信念を貫き通せば、日本人の場合、賛成に転じると思っている。安保法制もそうだと思います

 -お上のやっていることだから、しょうがねえかと?

 主体性がないんです。サラリーマンもそうです。これはおかしいと思って会社批判をしながら、しかし、最後は社の方針だからとかいって、黙ってしまう。理屈じゃなくて、最後は「だっておまえ、日本人だろ」「だって、同じ社員だろ」つてのが殺し文句みたいになる

日本人はユニフォームを着ると残酷になる

 -集団になると、理性的な判断を棚上げしてしまうんですかね?

 日本人は集団になると変わってしまう。揃いのユニホームとか着ると、2割くらい下品になるじゃないですか。祭りの法被、慰安旅行での浴衣。そういうの着ると、途端に乱暴になったりするでしょう。個々の日本入は普段、控えめで温かいのに、チームになると、とても残酷になったりする。これがスポーツ観戦ならいいんです。あれはチケット買って、選手と同じユニホームを着て、人工的な一体感を買うゲームのようなもので、2時間くらいすれば覚めるから。しかし、この残酷さが社会の中で出てくると怖いと思う。お国のための一体感、陶酔感で、人が変わってしまった国民が、非国民探しを始めたりするんです

 -みんなで生贄を求めるような社会風潮も気になりますね。これも反知性主義として、ご本で取り上げられている。

 端的なのは佐野研二郎氏叩きですね。彼の仕事の中に、若干、コピペ、パクリを疑われる事例があったことは事実ですが、膨大な仕事の中から、疑わしいものを拾い集め、叩く。擁護すると「グルか?」となる。この先、新しいエンブレムができても、ネット検閲のゲシュタポが出てくると思いますよ。

 -お話を聞いていると、集団になると人が変わって残酷化する日本人と安倍政権の組み合わせが怖くなります。くしくも、この政権は個を否定しようとしている。一億総活躍とかいって、個人の利益よりも公共の利益を押し出そうとしている。それに対して、国民は反発するかと思ったら、のほほんとしている。

 国民の側も、自分たちが独立した個であることをそんなに望んでいないじゃないですか。歴史を振り返ってみても日本人ってそうでしょう。

 ‐お上の言うことを聞いて、付和雷同の方が楽だから?

 戦後民主主義は人間か個人として尊重されるべきであり、それはいいことであると。アメリカから輸入した憲法にそう書かれていて、それをうのみにして信じてきた人は多いけど、そうした考え方は、日本の伝統を分断する悪の思想だと思っている人も決して少なくないと思います

 -最近はそういう人が増えてきた。あるいは目立つようになってきた。そこに安倍政権が登場して、個よりも国家を押し出している。

 キッカケは景気が悪くなったことでしょうね。景気がいい時は個だとか公だとか、どっちを優先すべきかなんて考えない。どういう原則で国が動こうが、おおむねうまくいっていればOKになる。しかし、20年、30年と不況が続くと、何かいけないんだろう?と考える。もしかしたら個人主義が国をむしばんでいるんじゃないか。そう思う人が出てくる。1億総活躍という言葉は「活躍」じゃなくて、「総」に力点か置かれている。1億人が一塊になるべきだという思想ですよね。私は活躍も嫌だけど、1億って言葉の方がもっと嫌です。その下にどんなすてきな言葉が入ろうが絶対に嫌ですが、そうじゃない人々が安倍さんの「日本を取り戻す」という考え方に変なところで呼応しているように感じます

助け合う社会が美しいという勘違い

 -「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界?みんなで助け合って頑張れぱ、もう一度、高度成長時代が来るって妄想?

 安倍さんは新著で、あの時代の日本は貧しかったけど人々のつながりがあったと書いていますか、この人は何も知らないなと思いました。あの時代、貧乏だから、助け合わなければ社会が回らなかった。相互扶助を本来の地域社会の美しい姿だというのは違いますよ。助け合わないのが悪いんじゃなくて、困れば、みんな助け合います。干渉しないで生きていけるようになったんだから、それはそれでいいんです。しかし、個人の利益よりも公の助け合いを強調すれば、息苦しい社会になる。町の治安を守るために隣組が監視するようになる。みんなと違う意見を言う人は黙れと言われる。そんな社会のどこがいいのかと思います

ヒトラーの大衆扇動術









市民・団体がプレーヤー
戦争法廃止へ
今 言わなければ

IWJ代表 岩上安身さん
(しんぶん赤旗)2015年11月1日
市民・団体がプレーヤー 岩上安身

 日本共産党の戦争法(安保法制)廃止の「国民連合政府」の提案は、共産党主導といっているわけではありません。政党だけがプレーヤーではなく、個人、市民、団体がプレーヤーだというのは大変大事なポイントだと思います。

集団的ケンカ権

 野党が本当に力を合わせないと、来年夏の参院選で32の一人区で自公の候補を全部落とすことはできません。
 安保法制のどこが許せないか。安倍首相が集団的自衛権の説明にもちだした、たとえ話がありました。”アソウ君と道を歩いていたら不良にからまれた。アソウ君に殴りかかった不良をやっつける”という話です。
 まともな「堅気(かたぎ)」なら友達が殴られたらケンヵを止めに入るでしょう。まわりに助けを呼びます。そうした制止をせず、まず、相手に殴りかかるというのは「集団的ケンカ権」「集団的殴り権」というべきで、不良かやくざの論理です。日本国民は不良なんかではありません。
 しかも、アソウ君で誰をたとえているかといえば、米国です。アメリカは、史上最大の軍事金融帝国です。「地球上最大最強のワル」といっていい。援護しなければならない弱者ではない。
 このアメリカといっしょに「ケンカ相手を見つけに、わざわざ夜道をうろつき、地球の裏側までいく」というのが安保法制の中身です


明文改憲を狙う

 今回クーデター的に憲法を解釈で変えた安倍政権が次に狙っているのは明文改憲です。自民党の自主憲法草案は、国民主権も言論の自由も民主主義も全部奪う、すさまじい内容です。
 自民党の総裁に再選された安倍氏は、「次の参院選で、憲法改正を公約として掲げ、憲法改正を発議できる3分の2以上の多数派を形成していく努力をしていく」と明言しています。
 次、野党が負けて「明文改憲」が行われたら、もう取り返しがつかない。来年の参院選にむけて、安倍自民党は改憲発議を本気でねらっているのだということ、自民党憲法草案の中身のひどさを国民に広く知らせていくべきだと思います

聞き手・写真 原田浩一朗


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