ドイツと日本徹底比較~こんなに違う戦後の歩み
(ラジオフォーラム#144)
戦争責任に未だ向き合うドイツと歴史修正主義の日本。今回は「ドイツと日本徹底比較~こんなに違う戦後の歩み」と題して、ドイツ現代政治の専門家・木戸衛一さんにお話を伺います。
http://www.rafjp.org/program-archive/144-3/
ポグロム - Wikipedia
ウクライナ、ポグロム / 市民によるユダヤ人虐殺(1941年)
歴史修正主義 - Wikipedia
ヘイトクライム - Wikipedia
民衆扇動罪 - Wikipedia
ナチスが自負した「支配民族」にせよ、「在特会」らが奉じる「神国・日本」にせよ、究極の集団的ナルシシズムとでも呼ぶべき選民思想は、容易に他者を辱め、その人間性を剥奪しようとする。まさに、「愛国心は悪党の最後の拠り所」(サミュエル・ジョンソン)なのである。
日本に限らずヨーロッパでも、新自由主義の政治によって、労働と生存が不安定化し、格差・分断が深刻化する現実への不満をナショナリズムで回収しようとする動きがある。ちなみに、ドイツでは2006年8月、就労における、人種・民族的出自・性・宗教・世界観・障害・年齢・性的アイデンティティを理由とした不利益を阻止・排除するための「反差別法」(正式には「一般平等処遇法」)が施行された。
歴史を歪曲し、差別と排外主義を公然と標榜する「悪党」を、このまま野放しにしているのでは、日本の国家意思が疑われることになる。「在日」を初め、被差別部落・アイヌ民族・沖縄の人びとや、外国人・移住労働者の「異なる他者」の尊厳をあからさまに踏みにじる行為を禁じることは、「集会、結社、表現の自由等を不当に制約すること」にも「正当な言論を不当に萎縮させること」にもなるはずがなかろう。と同時に、市民社会の側も、「敵のイメージ」に煽られ、かつてのような「抑圧委譲」の愚を繰り返さない覚悟が求められている。
https://youtu.be/ygCuFKG0nZ0?t=15m13s
15分13秒~第144回小出裕章ジャーナル
脱原発、日独の違い「自分達が始末も出来ないような核分裂生成物、いわゆる放射性物質を未来の子供達に押し付けていくという、そのこと自身が許せないというそういう判断をしているわけです」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no144/
西谷文和:
今日のテーマは、「ドイツはなぜ脱原発に舵を切れたのか?」、そして「なぜ日本はできなかったのか?」ということでお聞きしたいと思うのですが。今回の小出ジャーナルは、大阪大学准教授の木戸衛一先生にも入ってもらいたいと思います。木戸先生もよろしくお願い致します。
木戸衛一さん:
よろしくお願いします。
小出さん:
どうも、木戸さんお久しぶりでした。
木戸さん:
ご無沙汰してます、どうも。
小出さん:
よろしくお願いします。
木戸さん:
こちらこそ。
西谷:
まずですね、2011年福島第一原発の爆発した年ですけど、ドイツはこの原発事故を受けて脱原発政策に舵を切りましたが、まず木戸先生からお聞きしたんですが、この経過はどうやって?
木戸さん:
福島の事故が起こった時のドイツの政権というのは、キリスト教社会民主同盟と自由民主党という政党の連合政権で、この連合政権は、その前に社会民主党と緑の党が2000年の時点でですね、いったん脱原発の政策を決めていたので反故にしたんですね。いわば、脱脱原発をしてしまった。
西谷:
ひっくり返してたわけですか?
木戸さん:
はい。そして、福島の事故の後、メルケル首相はいろいろ状況を見ていて、このままでは選挙に勝てないと。実施にその3月の末にはですね、バーデン=ヴュルテンベルク州という所で、初めて緑の党の州首相が誕生する…
西谷:
州の首相?
木戸さん:
はい。これはもう歴史上、初めてなんですけれども、そういう事態を迎えてですね、もうこのままではまずいと。特にドイツの選挙制度は日本と違ってですね、民意がそのまんま比較的公正に…
西谷:
小選挙区ではないんですね?
木戸さん:
小選挙区もありますけれども、比例代表の方が重要だということで、民意がそのまま議席に基本的に反映するということですから、このまんまその原発政策に固執していてはまずいという政治判断ですね。
西谷:
メルケルさんは、そこでちょっと危機感を抱いたので。
木戸さん:
そうです。
西谷:
そういうことですか?
木戸さん:
はい。
西谷:
小出さん、今の経過を聞かれて率直なご感想はどんなもんでしょうか?
小出さん:
私は、ちょっとひとつだけ言っておきたいことがあるのです。メルケルさんが脱原発ということを最終的に決めたのはですね、政府が作った委員会が2つありまして、原発の技術的な安全性を検討する委員会というのと、それから原子力を選択することに関する倫理的な問題を考える委員会というのがありまして、その倫理的な問題を考える委員会、日本の政府なんかそんなこと設置するというようなことも全く頭の中にないわけですけれども、ドイツという国では、原子力なんてやってほんとにその自分達の生き方、倫理的な問題というのが良いのか悪いのかということを、きちっと政府の中で委員会を作って考えるというようなことができるわけです。
そして、その倫理委員会が福島第一原子力発電所の事故が起きてしまったことも、もちろん問題だということで取り上げてるわけですけれども。それ以外に、自分達が始末も出来ないような核分裂生成物、いわゆる放射性物質を未来の子供達に押し付けていくという、そのこと自身が許せないというそういう判断をしているわけです。
ですから、電気代が高いのどうのというよりも、もっと前にやはり原子力というものは止めるべきだという考え方というのが、ドイツの中できちっと定着しているということなのです。とてもしっかりした国民というかですね、日本に比べればはるかにましな人達なんだなと私は思いました。
西谷:
今日のテーマでもね、その戦争犯罪にどう向き合うかというテーマも今やってるんですけど、やはりこの原発の事故にもちゃんと向き合っていたということでしょうかねえ。
小出さん:
そうです。
西谷:
そんな中でですね、日本はドイツやEU、オーストリア、あるいはデンマーク、こういう取り組みのどういうところを参考にして、今後やっていけばいいのかということでお聞きしたいのですが。木戸先生、やっぱりドイツでできたその国民的な背景っていうのはどういう所が?
木戸さん:
そうですね。よくドイツは哲学者と詩人の国とか言われたりしていますけれども先程、小出さんがおっしゃった倫理委員会では、哲学者、社会学者、カトリック、プロテスタント、もういろいろなですね、分野の人が席に並んでるんですね。つまり、日本ですと、何か原子力の委員会と言うと、極めて狭隘なカッコつきの専門家が…
西谷:
よくお友達が集まったりしますよねえ。
木戸さん:
そういうことですねえ。内向きの議論しかやらないというのに対して、この倫理委員会は文字通り、この人間存在と原子力と、言い換えれば人間が人間であるために、原子力というのはどういう意味があるのか、それは負の意味しかないという結論を出していくわけですね。
そういうその委員会の構成ひとつとっても、やっぱり日本とドイツは違うなあと思うんですけれども、もうひとつ、ドイツの隣のオーストリアというのが非常に面白い国で、もうすでに70年代に、もう完成していたツヴェンテンドルフという原発を簡単に言うと、51対49という僅差の国民投票で政府は稼働を断念するわけですね。それ以降、もちろんオーストリアに原発はないわけですが、福島の事故を受けて、例えばその原発電力の輸入を禁止しようとかですね。
ツヴェンテンドルフ原子力発電所
西谷:
そんなことまでやってるんですか?
木戸さん:
はい。例えばそのドイツが一時期、原発止めていた時に、日本でもよく言われたことですけれども、「いや、そんなこと言ったって、フランスやチェコから原発の電力をドイツは買っていたじゃないか」と。
西谷:
そういう方、おっしゃってた方多かったですねえ。
木戸さん:
揶揄するような意見ありましたねえ。
西谷:
はい。
木戸さん:
それも実は正確ではなくて、ドイツが原発を止めていた時でも、風の強い日は風力が回っていて、むしろ輸出していたくらいなんです。
西谷:
そうなんですか?
木戸さん:
はい。とは言っても、なるほどその原発電力を輸入するということが問題だということ自体は、その通りだと思うんですね。そこで、オーストリアのような先程のイニシアティブがあったり、EUの中で原発を持っていない国々と、反原子力連盟という形でですね。文字通り、脱原発政策がEUだいになるようにという。もちろんオーストリアというのは小国ではありますけれども、非常にこう面白いイニシアティブを発揮していると。
西谷:
分かりました。小出先生、ドイツやオーストリアが脱原発に舵を切って、その隣の国とかに呼びかけているそういう中でですね、日本はトルコとかに、同じような原発を売り込みにかけてるんですが、この差はなんでしょう? この違いは?
「原発輸出」に前のめりの安倍首相
小出さん:
今日は、その戦争責任問題もこれから考えて下さるということでありがたく思いますし、私は日本というこの国が、戦争責任問題をきちっと明らかにしないまま、誰も責任をとらないというそういう体勢が、政治の場でも経済の場でも、他の場でも、ずっと続いてきてしまったということに一番の根っこがあると思います。今日、木戸さんが多分、そういうことをキチっと解説して下さるんだと思いますし、私も聞かせて頂きたいと思っています。
西谷:
小出さん、今日はありがとうございました。
小出さん: こちらこそ、ありがとうございました。
「地獄への道は善意が敷き詰められている。」
サミュエル・ジョンソン
安保法「聴取不能」の議事録 与党判断で「可決」追記
(東京新聞)2015年10月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015101290070252.html
安全保障関連法を採決した九月十七日の参院特別委員会の議事録が、十一日に参院ホームページ(HP)で公開された。採決は委員長の宣告後に行われるのが規則。採決を宣告したと主張する委員長発言を「聴取不能」と認めておきながら、安保法を「可決すべきものと決定した」と付け加えた。採決に続き、議事録の内容まで与党側が決めたと、野党は反発している。 (篠ケ瀬祐司)
野党議員によると、参院事務局は、追加部分は「委員長が認定した」と説明しているが、野党側は事前の打診に同意していない。
九月十七日の特別委では、委員長不信任動議が否決されて鴻池祥肇(こうのいけよしただ)氏が委員長席に着席。民主党理事の福山哲郎氏が話しかけたところ、自民党議員らが委員長の周囲を取り囲んだ。野党議員も駆け付け混乱状態の中、委員長による質疑終局と採決の宣告は全く聞こえず、自民党理事の合図で与党議員らが起立を繰り返した。野党議員は何を採決しているのか分からない状況だった。
九月十八日に正式な議事録の前に未定稿が各議員に示された。鴻池氏の発言は「……(発言する者多く、議場騒然、聴取不能)」となっていた。
議事録は「聴取不能」までは未定稿と同じ内容。しかし「委員長復席の後の議事経過は、次のとおりである」との説明を追加。審議再開を意味する「速記を開始」して安保法制を議題とし、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、(安保法制について)付帯決議を行った」と明記した。
福山氏によると、今月八日に参院事務局担当者が、この議事録を福山氏に示した。福山氏は「委員長が追加部分を議事録に掲載するよう判断したとしても、理事会を開いて与野党で協議する話だ」と了承しなかった。
福山氏は議事録公開について「与党議員らが先に委員長席を取り囲んで『聴取不能』にし、後から速記を開始して可決したと追加する。これでは議事録の信頼性が揺らぐ」と指摘した。
議事録には、安保法の委員会可決だけでなく、付帯決議を行ったことも書き加えられた。この付帯決議は、自衛隊の海外派遣の際の国会関与強化を盛り込む内容で、次世代の党など野党三党と与党が合意した。法律に付帯決議を入れる場合は、委員会で読み上げられるが、野党側は全く聞き取れなかったと主張する。
特別委委員だった福島瑞穂議員(社民)は「可決ばかりか付帯決議もしたと書くのは許されない」と批判する。
委員会採決の翌日、委員会可決について「法的に存在したとは評価できない」との声明を出した弁護士有志メンバーの山中真人氏は、議事録の追加部分について「議員や速記者が委員長の声が聞こえていない以上、採決は存在しない」と強調した。
(東京新聞)
これは酷いですね…独裁じゃ!(`・ω・´)
集団的自衛権行使容認の閣議決定
ワイマール空文化、ナチスと同じ手口
三島憲一・大阪大名誉教授に聞く
(毎日新聞)2014年07月14日
集団的自衛権の行使容認が閣議決定されて以来、気になって仕方がないことがある。かつて世界で最も民主的とされたドイツのワイマール憲法がナチスによって骨抜きにされた歴史だ。そこから何を学ぶべきか。ドイツの政治思想史に詳しい三島憲一・大阪大名誉教授を訪ねた。
(浦松丈二)
「今から思えば、『静かにやろう』と麻生(太郎)氏が言ったのは閣議決定のことだったのでしょう。憲法改正はあきらめたが、実質は同じ。結局、狙い通りになっている」。開口一番、三島さんは麻生財務相のナチス発言に切り込んだ。
昨夏、安倍晋三首相らが憲法改正を容易にする96条改正を目指し、改憲派からも「筋違い」と批判されていたころ、麻生氏は講演でこう語った。<静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね>
三島さんは「そもそも『ナチス憲法』というものは存在しない」と前置きをしたうえで、指摘する。「ヒトラー内閣は1933年3月に全権委任法を成立させ、ワイマール憲法を骨抜きにしたが、憲法自体は廃止されなかった。ナチスは憲法を空文化することで独裁体制を築いたのです」
全権委任法は、憲法から逸脱する法律を公布する権限をヒトラー内閣に一括して付与した。前代未聞の法律が議会を通過したのはなぜか。直前に国会議事堂が不審火で全焼し、ナチスはこれを口実に共産党系議員を「予防拘禁」するなど反対派を徹底弾圧したからだとされる。
炎上する国会議事堂
「麻生氏の言うように『誰も気付かないで』変わったわけではありません。全権委任法成立は、議事運営の盲点を突いたもので、大騒ぎの中で採決されました。当時のドイツの経済状況はとてつもなくひどかった。世界恐慌(29年~)で失業者があふれていたのに、議会は小党分裂、左右対立の権力闘争に明け暮れ、機能停止状態だった。ナチスは社会の混乱に乗じ、巧みに憲法を崩していったのです」
三島さんの専門はドイツ哲学。65年に東大を卒業した後、日独を往復して、ナチスを生み出したメンタリティーが戦後も残っていたことを長く問題視し続けたハーバーマス氏ら一群の知識人の思想を研究、紹介してきた。同氏の政治的発言集「近代--未完のプロジェクト」を訳してもいる。
その三島さんの目に集団的自衛権の閣議決定はどう映るのか。「憲法の空文化という点ではナチスの手口と同じです。あからさまな暴力を使わないところは違いますが。ただ、国民操縦の手段はもっと巧みになっています」。厳しい口調でそう言い切った。
戦前のワイマール憲法の空文化はナチスの独裁から第二次世界大戦、ユダヤ人の大量虐殺につながっていく。私たちはその歴史から何を学び、何を警戒すべきなのか。
三島さんはこんな説明を始めた。「ドイツの憲法にあたる基本法は第1条が決定的です。『人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し守ることはすべての国家権力の義務である』。この格調高い第1条から第19条までに表現の自由や男女平等などの基本権を定め連邦、議会制度などが続く。国家があるから憲法があるのではなく、市民の合意で憲法が作られることで国家が成立するとの思想です」。そのどこに、戦前の教訓が生かされているのか。
「ワイマール憲法にも人権条項はありましたが、司法当局などは宣言、努力目標と受け止めていました。どんな美しい条文も、それを支える政治文化や世論が機能しなければ空文化してしまう。だからナチス独裁も起きた。この反省から人間の尊厳を1条に掲げ、条文解釈を基本権が縛る仕組みにした。さらに独立性の高い憲法裁判所を設けて、その保障を担保した。外国人でさえ行政当局に不当な扱いをされ、他の手段が尽きた時には憲法裁判所に訴えることができる。実際に多くの違憲判決が出されています」
「一方」と続けた。「日本では『権力を縛るもの』との憲法理解が一般的です。憲法第1条は天皇条項。構成の違いも思想の違いを反映しているのです。いわば建国文書であり、憲法裁判所に守られたドイツ基本法に比べると、日本国憲法は国民の生活に根ざしたものになりにくい」
ドイツ基本法も歴史の波にさらされてきた。冷戦下の西ドイツは、現在の日本よりはるかに厳しい安全保障問題に直面していた。55年にはNATO(北大西洋条約機構)に加入し、再軍備した際は国論が二分された。
「保守政権が推し進めた再軍備と徴兵制導入には反対の世論が吹き荒れ、兵隊になるのは嫌だと多くの人が国を出てカナダやニュージーランド、オーストラリアなどに移民しました。それでも、連邦軍設立は基本法改正を経たものであり、解釈で自衛隊を作った日本とは違う」
ドイツ基本法は約60回改正されている。「国民は個々の条項に不満があっても、公共の議論を吸収してきた基本法を信頼している。国内の徹底した議論の成果でしょう」
公論で憲法を取り戻せ
翻って日本はどうか。「日本では改正による再軍備は国民に抵抗感が強かったため、政権側は憲法改正を避け、解釈で自衛隊を拡充してきた。結果、現実と憲法の緊張関係は限界まで緩み、憲法9条の下に自衛隊が存在する虚構ができあがった」
自衛権の行使を容認する閣議決定で、日本国憲法の空文化はまた、進んだ。
「閣議決定という手続きで解釈改憲に踏み切った政権側だけでなく、護憲派にも責任があると私は考えています。9条を守ろうとするあまり自衛隊の議論を後回しにし、結果的に、空文化を招いた一面もある。憲法を自衛隊に合うように改正させたら、その先なにをやられるかわからないという恐怖は私も共有していましたが、改正させてそこで『戦争をしない国家』という歯止めを作るという手段もあったかもしれません」
三島さんは今年4月、学者らでつくる市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人になった。「憲法の理念である国民主権とは、公論を通じて実現します。声を上げ、日常生活で憲法を生かし、憲法に内実を与え続けることでしか空文化は防げない。空文化を謀る勢力に論争を挑んで憲法を国民の手に取り戻さないといけません」
黙っていたら憲法の空文化に手を貸すことになる。それがワイマール憲法の教訓だ。