戦争に協力するのに なぜ「国際平和支援法」なの?
(東京新聞【こちら特報部】)2015年4月23日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015042302000155.html
新たな安全保障法制についての与党協議が事実上終わり、来月にも、国会に関連法案が提出される。その中で、他国軍支援のための新法の名称を、「国際平和支援法」と名付けようとしていることが、特に引っかかる。自衛隊を戦場に近づける恒久法なのに、なぜ「平和」なのか。「積極的平和主義」と同じで、先には「戦争」がある。どんなに良い印象を与えようとしても、ごまかされるわけにはいかない。
(榊原崇仁、三沢典丈)
自衛隊他国軍に給油、輸送…
安倍政権が自衛隊海外派遣の恒久法を検討し始めたのは、昨年七月。だが、名称については何の言及もないまま突然、今月十四日の与党協議の場で、「国際平和支援法」と示された。
恒久法のため、自衛隊の海外派遣に際し、これまでのような有効期限を定めた特別措置法は不要となる。国会の事前承認は必要だが、法案審議をしなくてもよい。
国連決議を求めているほか、戦場での活動を禁止するなどの制限を設けてあるが、国際平和支援法ができれば、自衛隊による軍事行動中の他国軍への給油や輸送、医療が認められるようになる。こうした活動は「平和」とは、かけ離れたものになりかねない。
明治大の西川伸一教授(政治学)は「実際は戦争する国をバックアップするということだ。『国際平和支援法』という名称は本質を隠している。『国際戦争支援法』『外国戦争支援法』と呼ぶ方がふさわしい」と指摘した。
今月一日の参院予算委員会では、社民党副党首の福島瑞穂氏が、今国会に提出予定の国際平和支援法案を含む安保関連法案を、「戦争法案」と呼んで追及した。安倍晋三首相は強く反論した。「われわれが進めている安保法制にレッテルを貼り、議論を矮小(わいしょう)化している。断じて甘受できない」┐(´д`)┌
ただ、十七日になって委員会理事の自民党議員が福島氏を訪ね、1戦争法案」から「戦争関連法案」への表現の修正を求めている。
重要影響事態?
こうした自民の動きについて、西川氏は「法案の本質をオブラトトに包もうとしているのが分かる。一方で、法案が戦争と深く関連していることを、自民自身が認識していることもよくうかがえる」と分析した。
関連法でもう一つ引っかかるのが、「重要影響事態安全確保法案だ。周辺事態法の内容を変え、名称も改める。こちらも国際平和支]援法と同様ヽ自衛隊派遣の一
条件が緩和され、戦争に近づくというニュアンスは法律名からはうかがえない。
周辺事態法の「周辺」は朝鮮半島有事を念頭に置一き、米軍の後方支援を想定していた。新たな法案は、地理的な制約を取り除くことに主眼を置いている。
重要影響事態法が制定されれば、「わが国の平和および安全に重要な影響を与える事態」であれば、地球の裏側にも自衛隊は出向く。さらに、米軍以外の他国軍にも弾薬提供などの支援を行えるようになる。
西川氏は「『重要な影響を与える事態』必定義は曖昧。解釈次第でどんな状況でも、そうなり得る」と言う。地理的要因をふまえ、「『地球の裏側派遣法』がこの法の正体だ。国民の反発を招かないための仕掛けなのだろうが、あまりに卑怯(ひきょう)な手法というほかない」。
巧妙な名称本質包む
安倍政権による「平和」という言葉を用いた印象操作は、いまに始まったことではない。専修大の山田健太教授(言論法)は「安倍政権はメディア対策の一環として巧みに言葉づくりを行っている」と指摘する。
二〇一三年九月、安倍首相が訪米中にスピーチで言及した「積極的平和主義」もそうだ。帰国直後の所信表明演説で、「わが国が背負うべき二十一世紀の看板」と強調し、安全保障戦略で「国際平和と安定、繁栄確保にこれまで以上に積極的に寄与する」ことを表明した。
この「積極的平和主義」も、「平和」とは裏腹に、集団的自衛権を行使し、自衛隊が米軍などと共に国際紛争などの解決に当たるという意味が込められている。つまり、「積極的紛争介入主義」と呼んだ方が実情に近い。
昨年四月に閣議決定した「防衛装備移転三原則」にもごまかしがある。字面からは、自衛隊の装備品を国内で移す際の原則のように読めるが、違う。武器輸出を制限してきた方針を百八十度転換し、原則として認める「武器輸出促進三原則」にほかならない。
山田氏は「国際支援や平和など、誰もが賛成しやすい言葉を盛り込み、そこに別な言葉を加えることで新味を感じさせ、プラスの意味を作り出す狙いだろう」と指摘する。「行政・政治の言葉にこうした新しい言葉を組み込むことで、安倍首相は自分がやりたい政策を国民に浸透させようとしている」
原発事故関連でも 最終処分場を長期管理施設に
原発事故関連でも最近、名称変更があった。望月義夫環境相は十四日、東京電力福島第一原発事故で飛散した放射性物質を含む指定廃棄物を保管するための施設名を、「最終処分場」から「長期管理施設」に変えると発表した。最終処分をやめ、年月を経て廃棄物の放射線量が下がった後、廃棄物を搬出したり再利用したりするという。
永久に廃棄物を受け入れることに候補地の住民が反対し、受け入れ先が見つからないことが、背景にある。しかし、「長期」が何年なのか説明がない。
中間貯蔵施設の想定が三十年以内だから、それ以上なのは間違いない。結果として「半永久」の可能性も抬てきれず、住民からは「まやかしだ」と反発が出る。地方紙の河北新報は今後も「最終処分場」の名称を使い続けるという。
ほか、「高度プロフェッショナル制度」もそうだ。勤務時間ではなく、仕事の成果に応じて賃金を決める新しい労働制度というが、実態は「残業代ゼロ制度」で、「過労死が増える」と危ぶむ声が絶えない。
関東学院大の丸山重威教授(ジャーナリズム論)は自民と公明両党の安保法制協議について、「自公で対立点があるようなムード作りにすぎず、政府の方針を貫くためのパフォーマンスだ」と指摘した上で、マスコミ報道を批判した。
「安保法制では昨年の閣議決定の時点で、集団的自衛権に基づく武力行使は憲法違反との論点が既に示されている。にもかかわらず、与党がその後、出してきた新しい言葉に振り回されている。ほとんどの新聞、テレビ局は本質を報道できていない」
丸山氏は「何か問題なのか、論点を明確にして報道していくことが必要とされている」と訴え、国民も表面上の名称にだまされないように求める。「安倍政権による計算ずくの言葉は耳心地がよいかもしれないが、惑わされてはいけない。自分自身の頭で、個々の政策がどういうものなのか、判断しなければならない」
「普通の国」ってなんだ?
(東京新聞【こちら特報部】)2015年4月24日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015042402000168.html
安保法制をめぐる与党協議がおおむね決着し、来月には国会論戦が始まる。安倍政権下、国家安全保障会議(日本版NSC)設置、特定秘密保護法制定と続いた「普通の国」化は安保法制整備でほぼ完成する。これらは侵略戦争の反省と非戦の誓いを柱とした「戦後レジーム」からの脱却として位置づけられてきた。だが、そもそも普通の国とは何か。いまの政権の動きは、そのせりふとは逆行していないか。
(沢田千秋、林啓太)
与党いわく…集団的自衛権行使すれば
普通の国…でも本音は改憲
安保法制整備大詰め
「普通の国」という言い回しを最初に使ったのは、現在「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同代表を務める小沢一郎氏だ。
一九九三年に出した「日本改造計画」に登場し、「憲法九条に『平和創出のための自衛隊や国連待機軍の保有、さらに国連指揮下で国連待機軍が活動することは妨げない』との条項を加えるべきだ」と説いた。
その後、国連の枠を超えて、この言葉はタカ派の決まり文句になる。
「集団的自衛権についての解釈を変える方法は、簡単である。誰か、法制局官僚でない政治家か有識者を法制局長官に任命し、(中略)国際関係が大きく変わったので、見直すこととすると宣言すればよい」
これは安倍政権のプレーンの一人である北岡伸一・東大名誉教授(日本政治史)が二〇〇〇年に出版した「『普通の国』へ」の一節だ。この手法は安倍政権下で実施された。
普通の国という言葉は最近も、しばしば登場している。一三年十一月の特定秘密保護法案を扱った衆院国家安全保障特別委員会で、辻清人衆院議員(自民)は「ようやく日本が普通の国になるための始まりの終わり」と法案を賛美した。
元陸自幹部の佐藤正久参院議員(自民)は一四年十月、参院外交防衛委員会での安全保障法制の議論で「普通の国は、集団的自衛権とか個別的自衛権とかあまり分けて書く国は少ないように思う」と発言した。
しかし、普通の国とはどういう国を指すのか。「世界の警察官」を自任する米国は到底、普通とは言えない。中東の独裁国家もあてはまらないだろう。
英紙デーリー・テレグラフ日本特派員のジュリアン・ライオール氏は「英国には『普通の国』という言い方はない。第二次世界大戦の戦勝国で、軍隊を持つべきかどうかという議論もなかったから」と話す。
イタリアのニュース・チャンネル「スカイTG24」極東特派員のピオ・デミリア氏は「常備軍を廃止した中米のコスタリカは、特殊な国だろう。しかし、素晴らしい国だ」と、普通か否
かにこだわらない。
たしかに戦力放棄を憲法に掲げる国は類いまれだといえる。だが、この点について、ライオール氏は「日本は戦後の七十年間、平和主義で他国を侵略しようとしなかった」と、その精神の結果を肯定的にみる。
一方、デミリア氏は「日本は事実上の軍隊である自衛隊を持っている。半世紀以上も前から、とっくに普通の国だ。わざわざ、普通の国を強調する意味が分からない」と皮肉る。
「普通の国になりたかったら、まず米国のみに依存する政策はやめるべきだ。とりわけ、現政権の中国への強硬姿勢が気になる」
国際紛争で軍事参加しないと…安倍政権いわく
特殊な国…でも70年間平和
現在、政府与党は「普通の国」を掲げ、集団的自衛権の行使が可能な解釈改憲に乗り出している。
この必要性を説く際、登場するのが「湾岸戦争のトラウマ(心的外傷)」という物語だ。クウェートを占領中のイラクを多国籍軍が攻撃した一九九一年の湾岸戦争で、日本は百三十億ドル(当時のレートで一兆七千億円)を供出。これがクウェートに認められず、人的な派遣抜きには国際的な評価は得られないという「教訓」にされている。
供出資金の大半はクウェートの復興資金ではなく、米国など多国籍軍の戦費に回されたのが真相だが、これ以降、自衛隊の海外派遣が本格化していった。
それでも憲法九条が歯止めになり、本格的な軍事行動への参加はなかった。
現政権はこうした在り方を「特殊」とみて、他国と、軍事行動に参加できるように集団的自衛権を行使できる「普通の国」化を進めている。だが、集団的自衛権を行使する国が果たして、普通の国といえるのか。
元防衛官僚の柳沢協二氏は「歴史上、集団的自衛権の論理は大国が他国に軍事介入する際に利用されてきた」と語る。「他国を守るために軍隊を送ることは普通の国ではやらない」
だが、集団的自衛権の行使容認抜きに、朝鮮有事や中国の脅威には対応できないという主張も根強い。この種の議論について、柳沢氏は「そうしたケースは個別的自衛権の範囲で対応できる」と切り捨てる。
一方、対中脅威論と絡んで、自衛隊が米軍に「サービス」しなければ、日本は米国に見捨てられるという不安も語られる。これについても、柳沢氏は「価値ある国なら、米国は見捨てない。米国への依存を強くしながら、米国と対等な関係を目指すこと自体、矛盾している。米国の意に沿った集団的自衛権の行使容認は一層の対米従属を招く。この結果、主権国家として日本は何ら普通の国には近づかない」と断言する。
むしろ、日本が特殊だとすれば、それは敗戦後の歩みではそういえそうだ。
第二次世界大戦で敗れた枢軸国側の日本、ドイツ、イタリアの中で、戦前の指導層が戦後もほぽ生き残ったのは日本のみだった。
ドイツの場合、ナヂは崩壊し、懲罰に近い形で東西に分割された。イタリアでは敗戦前に王党派がファシスト勢力を打倒し、連合国に降伏している。
日本は東西冷戦の激化を背景に、米国の戦略拠点として、分裂を免れ、指導層も残った。懲罰的な措置の代わりに、侵略戦争を反省し、非戦の誓いを前面に押し出すことで、国際社会に溶け込んできた。
だが、こうした「戦後レジーム」からの脱却を掲げる安倍首相は、例えば戦後七十年談話について「植民地支配」や「心からのおわび」の文言を盛り込まない可能性を示唆している。
これは敗戦後、七十年かけて築いた「普通の国・日本」としての認知をゆるがせ、「やはり特殊な国だったのか」という警戒心を国際社会に招きかねない。
筑波大元教授(現代史)の千本秀樹氏は「安倍首相は、戦後の日本は占領軍によって弱い国にされてしまったという認識を持っている。ゆえに、求める普通の国とは強い国を指す。経済的に衰退してきた現在、軍事的プレゼンスを高めることで、その目的を果たそうとしている」とみる。
「安倍さんには、歴史や他人から学ぶ力が欠けているのではないか。政治家なら、戦前の大日本帝国の負の側面について、事実だけでなく、責任を語り継ぐことが必要だ。いま、日本は普通の国からかけ離れつつあるのかもしれない」
首相の「戦後談話」って何だ?
(東京新聞【こちら特報部】)2015年4月28日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015042802000165.html
安倍首相は二十九日、日本の首相では初めて米上下両院合同会議で演説する。その内容が注目されているのは、八月に発表する戦後七十年談話の伏線とみられているからだ。過去の村山談話や小泉談話にある「侵略」「植民地支配」「おわび」の表明が焦点になるが、そもそも首相の戦後談話とは何か。誰に対し、誰を代表し、何のために表明するのか。過去の談話の経緯を含めて、検証してみた。
(沢田千秋、三沢典丈)
「侵略と反省」
政府正式見解
最初の戦後談話は戦後五十年を迎えた一九九五年八月十五日、村山富市首相(当時)が発表した。先の大戦でのアジア諸国に対する「植民地支配と侵略」を認め、「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。
その十年後、小泉純一郎首相(同)は村山談話を踏襲しつつ「中国や韓国」と具体的な国名を入れた談話を発表。村山談話は小泉内閣以外の歴代内閣でも引き継がれ、日本政府の正式な見解となっている。
二つの談話は、単に敗戦から切りのいい年を理由に出されたわけではない。
村山内閣で蔵相を務めた武村正義氏は「東西冷戦の間、日本の戦争責任は米ソ対立に隠れ、国際社会であまり表面化しなかった。しかし、冷戦の終結後、中韓両国で戦争貴任を問う声が高まり、責任の明確化が迫られた」と回想する。
村山首相は国会決議に着手。植民地支配や侵略の反省を盛り込んだ決議案を可決したが、多くの保守系議員が欠席した。「これでは不十分と、村山さんを軸に政府談話を発表することになった」(武村氏)
さらに、そこには前段があった。前々任の細川護煕首相は七党連立内閣の合意事項に「かつての戦争に対する反省」を記し、自らも「侵略戦争」と発言。九三年の日韓首脳会談で、植民地支配を謝罪した。当時、首相特別補佐だった田中秀征・福山大客員教授は「細川首相が突破口を開かなければ、村山談話もなかったかもしれない」と語る。
二〇〇五年の小泉談話にも表明しなければならない背景があった。小泉首相は靖国神社参拝を強行し、近隣諸国から厳しい批判を浴びていた。田中氏は「小泉さん自身の考えは村山談話に近く、独自の談話発表は不必要だった。だが、靖国参拝による批判から、自身の歴史認識を明言する必要に迫られた」と振り返る。
安倍首相の場合、従来の談話を踏襲する限り、独自談話の発表を迫られるような特別な事情はない。
それでも出すと决めたのはなぜか。逆に国際社会は首相の歴史認識を疑っている。というのも、かねて首相の歴史認識をめぐる発言
がぶれているためだ。
○六年に発足した第一次政権では、村山談話の踏襲を明言。だが、第二次政権の一三年、国会で「村山談話をそのまま継承しているわけではない」「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と発言した。( ̄^ ̄)凸
これを米議会調査局が「歴史修正主義にくみしている」と問題視すると、「歴代内閣の立場を引き継いでいく」と修正した。
首相は自らの談話について、「(歴史認識は)全体として引き継ぐ」と話す一方、「引き継いでいくと言っている以上、これ(侵略や反省)をもう一度書く必要はない」としている。(゚д゚)
ぶれる安倍発言
歴史認識に疑念
踏襲なら発表する必要なし
背景に表明の必要があった過去二回の首相の戦後談話だが、そもそも首相談話とは何なのか。誰に向かって、誰を代表して、何のために発表するのか。
総理が国民に語りかける
内閣府総務官室の担当者によると、首相談話は国民全体に対して発表されるものだという。「内閣を代表して、総理が国民に語りかけるのが首相談話」(担当者)なのだという。
厳密には閣議決定が必要な「首柑談話」と必要のない「首相の談話」の二種類がある。「首相談話」は天皇陛下の外国訪問の際などに出され、震災犠牲者への哀悼の意などには「の」が入るケースが多い。
どちらにするかは首相自身が決める。内閣府総務官室の担当者は「これまでの五十年、六十年談話は中身の重さにかんがみて、閣議決定した」と説明する。
国民向けという位置づけでも、実際にはそうはならないと、京都産業大世界問題研究所長の東郷和彦教授(国際政治学)は話す。
「戦後談話は国の内側だけに向けたものではない。中国や韓国、欧米諸国も注目する。閣議決定されなければ、安倍談話は村山、小泉談話よりも、軽い談話と判断されるだろう」
菅義偉官房長官は今月二日、閣議決定のメリット、デメリットについて「両方ある」としつつ、最終決定は首相の判断とした。
閣議決定する場合、連立パートナーの公明党の承認が欠かせない。だが、見解は自民党内でも分かれる。二階俊博総務会長は「各党と調整を図ることは当然」と発言。一方、萩生田光一総裁特別補佐は「一言一句、与党の了解を取って出す性格のものではない。首相が専権事項としてやったらいい」と反論している。
元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士は「戦後談話は閣議決定を経て、内閣の意思として示すべきだ。閣議決定抜きなら、首相の私的見解となるのか。きちんと説明すべきだ」と説く。
談話の価値を高めるならぱ、国会決議も無視できない。五十年と六十年の首相談話では、ほぽ同内容の国会決議も議決された。
阪田弁護士は「決議は国会の意思表明なので、本来は各党の一致が基本。七十年談話の場合、野党の反発から、国会に決議案が提出されないかもしれない」とみる。現に自民党の谷垣禎一幹事長は先月、「国会決議をする必要は必ずしもない」と話し、杏定的だ。
閣議決定や国会決議を欠くとなれば、何のための七十年談話かは一段と見えにくくなる。「日本が苦悩の末に到達した最高の歴史認識」(東郷教授)である村山談話の継承ならば、首相の固執する「未来志向」を加味しても、閣議決定や国会決議を得ることはさほど難しくはないはずだ。
ただ、その際は「村山談話を引き継ぐと言うだけでは、心がこもっていないと受け取られる。明確に植民地支配、侵略、おわびの三つの言葉を入れないと、世界からはねつけられる」と東郷教授は指摘する。
首相は慰安婦問題で、中国や韓国のみならず、女性の人権の観点から、米国議会からも「歴史修正主義者ではないか」という疑問のまなざしを受けている。
三つの言葉を無視することになれば、その評価は決定的になりかねない。談話内容を助言する私的有識者会議「21世紀構想懇談会」のメンバーも、多くは首相に近い人物。強い助言は出てきそうにない。
東郷教授は米上下両院合同会議での首相の演説に注目する。「リビジョナリズム(歴史修正主義)は欧米では、とても否定的な言葉だ。世界が安倍さんをいかにうがって見ているか、よく分かる機会になる」
首脳会談 対米従属、きわまる
国民無視の暴走政治約束
(しんぶん赤旗)2015年4月30日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-30/2015043002_01_1.html
「戦後70年を機に日米同盟をいっそう強化する」との意義付けがなされた安倍晋三首相とオバマ大統領との日米首脳会談。これに先立つ27日、両首脳はリンカーン記念館を訪問しました。リンカーン大統領は「人民の人民による人民のための政治」という演説フレーズでも知られています。しかし、首脳会談での合意は、このフレーズとは裏腹に日本人民をことごとく無視したものとなりました。
TPP交渉
国民不在 妥結まい進
日米両国首脳は、「日米共同ビジョン声明」で、環太平洋連携協定(TPP)交渉における日米協議の「大きな進展」を強調しました。首脳会談直前に行われた甘利明TPP担当相とフロマン通商代表の閣僚級会合は、交渉の具体的内容を日本国民にいっさい明らかにしませんでした。国民を蚊帳の外に置いたままで、首脳間で「大きな進展」を誇示するのは、国民の「知る権利」をないがしろにするものです。
国民の反対世論を踏みにじり、TPPへ突き進めば、日本の農業が破壊されるだけでなく、経済主権さえ奪われてしまいます。オバマ大統領は共同記者会見で、「米国では、多くの日本車が走っている。日本でももっと多くの米国車が走るのを見たいものだ」と強調し、米国の多国籍企業のために日本市場をいっそう開放するよう求めました。「(TPPは)米国企業に現在、十分に開かれていない市場を解放する」とも述べました。
日米首脳は、米国基準に基づく経済圏の構想を目指すTPPを日米同盟の戦略目標の一角に位置付け、日米同盟に依拠して12カ国のTPP交渉を推進する姿勢をあらわにしました。
オバマ大統領は会見で、「米日がTPP諸国の二大経済大国として、達成した進展を基に、より広い交渉の迅速で成功裏の妥結へTPP諸国をいかに導くかを話し合った」と述べました。安倍首相も、「私はバラク(米大統領)とリーダーシップを発揮して早期妥結を目指していきたい」と強調しました。
オバマ大統領はさらに、TPPによって米国基準を国際基準としていっそう広く各国へ押し付ける意図を次のように述べました。
「(TPPは)次へと進むわれわれのより広範な経済課題の重要部分となるものだ。世界市場の95%が海外にあり、向こう側でわれわれが競争していくことを確実にしなければならない。われわれが競争できると確信している」
安倍首相も会見で、「TPPは多くの国々からみて、模範となるようなもの、中国にとっても模範となるような新たな経済圏をつくるという野心的な試みだ」とし、「TPPに入っていない国々にとっても、こうしたしっかりとしたルールをつくって自由な経済圏をつくっていくことこそが繁栄につながる」と強調しました。
日本でも米国でも、TPPに反対する国民の根強い運動が続いています。国民を置き去りにして、首脳間の確認で交渉の早期妥結へまい進する両国政府の「暴走」が際立っています。
(北川俊文)
「戦争立法」
“精力的に作業”説明
「安全保障法制の整備について、精力的に作業している」―。安倍晋三首相は28日の日米首脳会談で、オバマ大統領に「戦争立法」の推進を誓いました。
会談に先立つ27日には、両国の外務・軍事担当相の会合(2プラス2)で新たな日米軍事協力の指針(ガイドライン)を決定しました。新指針は、自衛隊が地球上のどこでもいつでもあらゆる事態に米軍を支援し戦争に参加できるようにするもの。両首脳は会談後に発表した「日米共同ビジョン声明」で、「同盟を変革し」「日本が地域の及びグローバルな安全への貢献を拡大することを可能にする」ものだと誇りました。
「戦争立法」はこの新指針を法制化するものです。安倍政権が諸法案を国会に提出するのはこの5月中旬。国会ではまだ何も審議していません。国会審議よりもまず米国に約束するというのは、国民無視の最たるものです。
しかも世論調査では「戦争立法」(安保法制)に反対が賛成を上回っています(共同通信、「朝日」、いずれも3月)。首脳会談後の共同記者会見で「日本がアメリカの戦争に巻き込まれるとの懸念が出ている」との質問が出たのも、その反映です。
ところが、首相はこれに対して「レッテル貼りだ」と強い口調で反論。1960年の日米安保条約改定の際も同様の議論があったものの、「その間違いは歴史が証明した。安保条約で日本の平和は守られた」と述べました。
しかし、「戦争立法」は、日本が「巻き込まれる」どころか、自ら海外へ出て行って米軍の戦争に参戦するものです。「巻き込まれ」論を持ち出すこと自体、話のすりかえです。
何より、首相の態度からは、“米国と約束したことに文句を言うな”という民意じゅうりんの姿勢が垣間見えています。
「2プラス2」の閣僚会見では、自衛隊派遣先の想定として南シナ海やホルムズ海峡に言及がありました。発表された首脳会談の確認事項(ファクトシート)は、アフリカで武装勢力と対峙(たいじ)する国連平和維持活動(PKO)分野での協力を明記しました。
アフリカの南スーダンのPKOにはすでに自衛隊が派遣されています。「戦争立法」で武器使用や任務が拡大されるなら、自衛隊員が「殺し殺される」危険が現実のものとなります。
(小玉純一)
辺野古新基地建設
沖縄の民意を足げに
「オバマ大統領へ沖縄県知事はじめ、県民は、辺野古移設計画に明確に反対しているということを伝えていただきたい」
安倍晋三首相の訪米を目前に控えた17日、沖縄県の翁長雄志知事は首相との会談で、沖縄の民意を伝えるよう強く求めました。
首相は「伝える」と約束。翁長氏の要望を受け入れざるをえなくなったのは、沖縄県民の約8割が新基地建設に反対しているという圧倒的民意に加え、全国的にも辺野古への新基地建設を推し進める政府の姿勢への批判の声が高まっているからです。
最近の世論調査を見ても、「反対」が53%(「毎日」20日付)、辺野古「移設」を「見直すべきだ」が47%(「日経」同)となり、いずれも、「賛成」「計画通りに」を上回っています。「朝日」21日付では、辺野古をめぐる政府対応を「評価せず」が55%となり「評価する」の25%を大幅に上回りました。
ところが、27日の日米外交・軍事閣僚による2プラス2共同声明で、辺野古「移設」が、普天間基地(沖縄県宜野湾市)問題の「唯一の解決策」だと明記。首脳会談が始まる前から、民意無視の姿勢を鮮明にしました。
首相は会談で、「翁長知事が(新基地に)反対している」と言及しました。ところが、民意をオバマ氏に“伝えた”直後に「辺野古移設が唯一の解決策としての立場は揺るがない」と自身の考えを言明。一方、オバマ大統領はこれに関して何の言及もせず、完全に無視しました。さらに、会談後の共同記者会見でも、共同声明でも、「沖縄の民意」についての言及はなく、米軍新基地建設推進の「互いの決意をあらためて確認」(安倍氏、共同会見)し合いました。
首脳会談が行われたその日、沖縄では県庁前や新基地建設が強行されている米軍キャンプ・シュワブゲート前、辺野古・大浦湾海上などで、「もう基地はいらない」「新基地建設を断念させよう」との抗議の声が終日、上げられました。
4月28日は沖縄にとって、1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本本土から切り離され、米軍の占領支配が継続した「屈辱の日」です。
その日にあわせた首脳会談で、沖縄の民意をまたしても踏みにじったことは許されません。
日米首脳会談を受けて翁長知事は29日の記者会見で、5月下旬に自ら訪米して、「新基地反対」を訴える考えを示しました。米政府は、真に民意を反映している翁長知事の言葉に、耳を傾けるべきです。
(山田英明)