ひきこもりは自己責任なのか?
(ラジオフォーラム#120)
https://youtu.be/qvm5MQW5_os?t=15m56s
15分56秒~第120回小出裕章ジャーナル
【公開収録から】伊方原発反対運動について「住民自身が調査をするということで、初めて電力会社にプレッシャーをかけて放射能を出させないようにできたというそういうことだと思います」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no120/
景山佳代子:
今回は公開収録ということで小出さん、よろしくお願いします。
小出さん:
よろしくお願いします。
景山:
今回のテーマでこちら伺いたいのが、四国愛媛の伊方原発との小出さんの関わりについて、今日は伺っていきたいなと思ってるんですけれども。1973年8月27日に、実は日本で初めての原発の設置取消許可を求める住民訴訟というのが、これが起きたわけですが、こちらの原発の行政訴訟に、小出さんの所属される京都大学の原子炉実験所のメンバーの方もすごい全面的なサポートをされて。
小出さん:
そうです。はい。
景山:
こちらがですね今、見るとですね「今日の原発の安全性論争の原点を作った」というふうに書かれて、紹介もされていたんですが。
小出さん:
はい。自分で言うのも変ですけれども、そうだと思います。
司法が行政に従属 ( ̄^ ̄)凸
景山:
はい。ただ残念なことに、こちら敗訴というふうになったわけですが。
小出さん:
そうです。
景山:
今日の質問、まず最初なんですけれども、1978年に松山地裁では、この住民からの原発の設置許可を取り消してくれっていう、この請求は棄却されたんですが、これをきっかけに実は地元、近隣住民の方達がこの磯津公害問題若人研究会ですね。
小出さん:
そうですね。
景山:
これを起ち上げて、そこの地元の方達がいろいろその原発が立地されてからどんな問題があるのか、これ調査されていたっていうことを伺ったんですけれども。この調査の目的とか、あと小出さんなんでここに関わるようになったのかとか、その辺りの経緯とかをちょっと伺ってみたいなと思ったんですけど。
小出さん:
はい。私は、74年の4月に原子炉実験所に就職しました。今おっしゃって下さった通り、73年の8月から裁判が始まっていたわけで、私は就職したその時から、その裁判に関わるようになりました。世界で初めて、原子力発電所の安全性を全面的に争う裁判だったと。
景山:
世界最初ですか?
小出さん:
はい、と思います。徹底的に戦って、私から見ると、もう圧勝したと、科学論争で言えば。と思ったのですけれども、敗訴しました。
そういう中で、住民達もさんざん苦しんだ。裁判というのは、皆さんあまり関わってないと思いますが、大変です。もうお金もかかるし、労力もかかるし、みんなもう疲労困ぱいしながら戦ったわけですけれども。それでも、いくらやってもやはり勝てないということになったわけです。そういうことを見ながら、磯津という小ちゃな町の若人、私も当時まだ20才代でしたし。
景山:
若人ですね?
小出さん:
若人です。
景山:
はい。
小出さん:
その磯津という、その原子力発電所のごく近くに住んでいる若人達が、なんか自分達ができることをやろうということで集まってくれていたのです。その前からも、ずっと彼らは原子力発電所の建設に対しても抗議行動をするなりして、警察に捕まったりしながら戦いをずっとしてくれていました。その中で現地の人間として、やはり自分達の住んでいる海がどんなふうに汚れるかということを自分達で調べて公表したいと言い出したのです。
その中には漁民もいました。つまり、自分が生活してる基盤がどんなふうに汚れてるかということを自分で調べて公表するというようなことを選ぶという人達が生まれてきたのです。私はもちろん協力したいということで、1977年あるいは78年だったかもしれませんが、その頃から伊方原子力発電所の前面の海の放射能汚染を調査するという仕事を始めまして、確か去年までだったと思いますが。
景山:
そうですね。私、映像観させて頂いたんですけど。
小出さん:
はい、続けてきました。ただし当時20才代で若人と言っていた連中が、みんな老人になってしまいまして、私も含めて。今、伊方の原子力発電所も全て止まっているわけですから、とりあえずこれで調査も終わりにしようということで、一応報告会をやって終わりにしたということになりました。
景山:
その33年間にわたってずっと調査してきたことから明らかになったこととか、この成果というものがあれば。
小出さん:
調査を始めてすぐに、伊方原子力発電所の前面の海が放水口側の湾の方に、放射性物質が溜まってくるということがわかりました。すぐに、それを彼ら自身が自分達の生活している海が汚れてるということを公表するようにしたわけです。
彼らにとっても苦しい公表だったと思いますけど、四国電力も証拠を突きつけられてしまいましたので、たぶんそれ以降、放射性物質をなんとか流さないようにしようというような工夫をだんだん強化していくということを四国電力の方もやったのだと思います。ですから調査をしていくと、当初の頃は、結構汚れていたものがだんだんだんだん汚れが少なくなって。
景山:
コバルト60ですよね。
小出さん:
30何年も調査してきましたけれども、もう最近はほとんどその私が測定しても海の汚染が見つからないというぐらいまで減ってきてくれました。それは、ですから今聞いて頂いたように、住民自身が調査をするということで、初めて電力会社にプレッシャーをかけて、放射能を出させないようにできたという、そういうことだと思います。
景山:
裁判では、確かに負けたんですけど、負けた後に、こうやって科学的な調査を継続することによって、これ明らかに抑止力になったということ…
小出さん:
はい。環境汚染ということに関しては抑止力になったと思います。
3月27日に開かれた「ラジオフォーラム感謝祭2015」での、
小出裕章ジャーナル公開収録の模様
景山:
っていうようなお話をちょっとまた伊方の、私は実は小出さんのお話を聞くまで全然知らなかったんです。原発の問題っていうのは。ただこうやってお話聞くようになってから、本当にいろいろ調べるようになって、その中で見た最初の映像が、実はこの伊方の映像で、非常に印象に残りました。
小出さん:
はい。
景山:
それがなぜかと言うと、小出さんのご著書の中に、マハトマ・ガンジーの7つの社会的罪という言葉があって、それを紹介されてるんですけど、その中のひとつが理念なき政治っていうのと、道徳なき経済、それと最後にもうひとつあったのが、人間性なき科学というのがあった。
小出さん:
そうです。
景山:
これは、本当に福島原発事故のなんか集約してるなあと思って、同時に小出さんは人間性を土台にした科学というのを実践されてるなあというふうに思いました。
小出さん:
はい。そうしたいと願ってはきましたけど。はい。
景山:
小出さん、どうもありがとうございました。
小出さん:
ありがとうございました。
2014.5.25 伊方原子力発電所周辺の汚染
小出裕章(京都大学原子炉実験所)
https://youtu.be/7cwBX2Up6fo
公害研究団体、伊方原発沖調査に幕 八幡浜
(愛媛新聞)2014年05月26日(月)
http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20140526/news20140526394.html
2014/05/24 【愛媛】小出裕章氏講演会「原子力発電所という機械」
http://youtu.be/B_EVQSCyqVw
松山市に隣接する愛媛県伊予郡松前町の松前総合文化センターで、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)講演会「原子力発電所という機械」が行われた
斉間満著『原発の来た町 原発はこうして建てられた 伊方原発の30年』
(南海日日新聞社、2002年発行)
http://www.hangenpatsu.net/files/SaimaIkataBook.pdf
より
伊方原発 問われる“安全神話”
http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=eichieichi&skey=Wave&prgid=43697837
"フクシマ"によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも"安全神話"が続く原子力発電の現場を見つめる。
伊方原発訴訟判決の問題点
(磯野弥生)
http://www.nippyo.co.jp/download/SHINSAI/PDF2/jihou_50_7_p68.pdf
伊方原発訴訟判決の科学・技術的問題点
<その二>生物・医学的問題点
(市川定夫)
http://www.yuhikaku.co.jp/static_files/shinsai/jurist/J0668028.pdf
七 むすび
以上述べてきたように、今回の判決は、原告、被告両者の主張を、予断なく真剣かつ綿密に対比したうえで判断するのではなく、最初から国の主張を相当と認定すべく、提出された諸証拠を都合よくかつ予断を持って取捨選択した結果なのである。裁判所は、伊方原発がこの行政訴訟にかかおりなくすでに運転に入っているという既成事実と行政におもねり、その重責を放棄したのである。「原子炉設置許可処分は、高度の専門的知識と高度の政策的判断を必要とし、国の裁量行為に属すると断じながら、裁判所自身が「安全」問題に深く立ち入り「安全」との結論を出した矛盾は、その何よりの証拠であろう。
かかる「安全」判決には、行政におもねる裁判所の姿は顕著に見られても、国内外の注目に応えうる説得力は、何ら見出しえないのである。
「安全審査における地震問題…伊方訴訟の経験から…」
2003.12.12 荻野晃也(電磁波環境研究所)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No95/ogino031212.pdf
伊方3号炉 西日本全域がほぼ危険地帯に!
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No90/P8.pdf
「原発事故後の日本を生きるということ」
小出裕章、中嶌哲演、槌田劭 著
農文協ブックレット(2012/11/20発行)
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54012165/
より
巨大科学技術は"想定外"のすきまだらけ
―伊方原発裁判という経験― 小出裕章、槌田劭 対談
槌田
短い期間のあいだに学園紛争の影響と女川の原発という現実に出会って、小出さんは大きく脱皮した。そして、京大に来られて伊方の裁判。伊方の裁判で、僕との関わりでいうと、当時、私は原子炉の「げ」の字も知らんぐらい。ほんと、そうなんですよ。沸騰水型、加圧水型、そういう言葉は知っていたと思います。それがどういうことなんかということが本当にわかっていたか、という程度なんですよ。
ですので、荻野さんや久米さんが、なんで僕のところに言ってきたかっていうのは全くわからない話でした。ただ、僕が科学文明社会に疑問を持ち始めているということについては、もちろん知っておられたんでしょうね。
来られたときに、ぽくは知識もなく、責任をもてんから、と辞退することになりますよね。にもかかわらず、裁判を始めた住民には、いわゆる専門家といわれる人を応援団にもつことのできない現実がありました。
小出
原子力を専門にする人で、反原発に協力する人がいるはずがないです。
槌田
いるはずがないね。いるはずがないという事実は、知らないわけではなかった。研究費を出してくれるスポンサーにさからう人はいない。御用学者ばかりになっていたんですね。
「協力する人がいないから協力しろ。専門でなくても、化学と金属のことをやっているのだろう」という説得ですね。
ノーと言ってしまえば、こんなふうにならなかった。結局、いろんなことを皆さんに一から教えてもらいながら、反対の論理、理屈を僕なりに立てて、裁判にお手伝いさせてもらうことになったんです。
伊方の裁判は勉強になりましが、何よりもおもしろ かった。
小出
私がおもしろかったのは、1979年にスリーマイル鳥の事故が起きで、何か起きているかということを、伊方の弁護団が倹討会をしましたね。
槌田
事故発生の直後に技術的検討をやりました。
小出
みんなで、ああだこうだと言いなから。最後に、槌田さんが炉心の絵を描いたんです。絵を描いて、ここの真ん中の部分かメルトしているんだ、と。
槌田 もう溶けているのは確実だ。炉心の構造と制御棒の性質を考えると論理的に当然のことだ、と言いましたね。
小出
そういう絵を槌田さんか描いて、マスコミに向けて発表したんですね。国のほうは、そんなことはない、溶けてないと、ずうっと言い張っていました。
槌田
私たちの記者発表は無視されました。朝日新聞も地方面の一部に載りましたが、途中で消えました。その筋からの圧力があったのでしょう。
小出
事実はスリーマイル島の事故が起きて6年たってふたを開けてみて、少しずつ調べてみたら原子炉はもう半分溶けてしまっていました。それが最終的にわかったのは7年半後です。それを私たちと伊方の弁護団は事故の直後にちゃんと言い当てたわけです。そういうのは、たいへんおもしろい。
隣接領域がわからないから事故の進展もわからない「専門家」たち
槌田
伊方の裁判で、炉心燃料の危険性を論証したのですが、国側の証人は東大の三島良績さん。有名な燃料の専門家、国際的な権威者ですよね。私はずぶずぶの素人。もう勝負は、名前を聞いただけでついているわけですよね。
小出
肩書と名前だけならそうです。
槌田
ここが、科学技術というか、とくにこの危険な科学技術、巨大な技術の核心に触れてくる点だと思うんです。
だけど、裁判の結果はおもしろかったですよね。三島さんは弁護士さんの質問に答えられず、恥をかき続けました。他方で、ぼくは鈍感だったからかもしれんけれど、答弁に窮したことはなかったです。
小出
こちら側の、住民側の証人は誰も答弁に窮しないし、国側の証人はみんな突っ伏してしまっていました。
槌田
10組余りのペアの対決だったと思うんだけれども、どのペアでもそうでしたね。
小出
痛快でした。裁判は全体的に圧勝でした。
槌田
伊方の裁判のときにね、炉心燃料のところだけで言うと、ぼくが直接関係したから強く思うんです。一流の炉心の専門家が、なんと何も知らないのかって思いました。
狭い狭い専門の研究分野については、ものすごくよく知っているかもしれないけど、それの意味するところとか、それに関連する隣の領域のことにつなぐと途端に何もわからない。
小出
それは、いわゆる専門バカだから。燃料のことはわかるけれども、他の、全体の炉心の構造に関してはわからない。事故のシナリオに関しても多分わからない。
槌田
燃料を入れる鞘の材料となるジルコニウムは、高温の水蒸気と接すると、何が起こるかということについては、知らないはずはないんですが、考えていない。
僕たちは誘導尋問的に、質問を重ねたのですが、三島教授は最後はもうしどろもどろになりましたね。要するに、安全審査の基準とまるで矛盾することを言わざるを得なくなってしまった。
小出
安全審査の基準では燃料棒の破損はあってならぬことであるのに、40%壊れたって大丈夫だ、というような発言に結局なってしまった。彼は燃料の専門家であっても、40%壊れたときの炉心の状況、そして、事故の進展ということに関しては多分知らないんです。
槌田
高度な科学技術は巨大になりすぎて、科学技術の粋を集めても「想定外」のすき間だらけなのです。専門バカによる穴が科学技術の危険となるのです。伊方裁判ではその危険が炉心燃料だけでなく、全面的に暴露されました。
伊方裁判は、原発問題の基本を限りなく明快に浮き彫りにした
小出
裁判は内容的にいって負けようがありませんでした。
槌田
負けようがなかったです。国策だからという心配だけでした。証人調べが終わって結審したときに、「こんなおもしろい裁判やったことがない」というのが、弁護士さんの感想でした。ただ弁護にさんは「国策だからどうかなあ」と言ってましたが。
その直後に裁判官が入れ替わったのです。こんな難しい技術問題が絡んでいる裁判を、証人調べもしない裁判官にやらせてよいのだと考える最高裁人事は露骨な政治的介入です。その犯罪はものすごい。司法の放棄、三権分立、民主主義の死です。
小出
そうです。向こうは、それをあえてやったわけですから。ひどい。
槌田
証人調べした裁判官だったらね、内容がわからなくってもあの風景を見ているだけで、どちらが形勢有利かというのは見えたでしょうね。
小出
そうですね。権力者はそこまでやるんだな、と思いました。判決は住民原告側の全面敗訴。実に理不尽…。
槌田
それで、私は科学者を辞める決断をするわけです。論理的な科学論争だけでは出口がない。一般市民の生活レベルの言葉で生きようと思ったのです。科学者としては戦線の離脱で申し訳ない。
小出
わたしから見れば、槌田さんに残ってほしい思いは、もちろんありました。でもそれは、人生なんて一回しか生きられないわけですから。槌田さんは槌田さんなりの強い意志で今日まで生きてこられたわけ だし、別に科学者辞めたからって、槌田さんがいなくなるわけではないし…。槌田さんはもっと活躍の場 を、ご自分でつくっていったわけだから。
槌田
そんなことで、伊方の裁判への関わりから、 原発の恐ろしさというのは、非常に明快に見えた。も っと言うと、伊方の裁判ってね、原子力問題の基本は かなり明快に浮き彫りにしましたね。
小出
もうあれ以上、何をやる必要もないぐらいにやったと思います。
偽証と裁判長更迭で作った伊方原発 ETV特集より
http://youtu.be/TtLPmETfOO8
最高裁事務総局が「原発訴訟」を歪めている!
司法トップとエリートが原発推進をハ・ックアップ !?
(取材 口文・撮影/西 島博之)週刊プレイボーイ2013年4月16日号
http://civilopinions.main.jp/items/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4.pdf
そして、裁判長は飛ばされた 高浜原発再稼働「差し止め仮処分はけしからん」 最高裁・高裁のお偉方は原発が大好き(上)
(週刊現代)2015年04月28日(火)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43092
「歴史に残る」決断だった
「日本の原発再稼働の流れを食い止める画期的な決定です。大飯と今回の高浜。歴史的な判決、決定を出してくれ、僕らは大変感謝しています」
こう語るのは、原告側弁護団長を務めた河合弘之弁護士だ。
4月14日、福井地裁は、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めを認める仮処分を決定した。今後、関電側の不服申し立てが認められるまで、2基の再稼働はできない。
今回、裁判長を務めたのは福井地裁の樋口英明氏(62歳)。大飯原発3、4号機の運転差し止め訴訟も担当し、昨年5月には、福島第一原発事故後初めて、原発の運転を認めない判決を下し、注目を浴びた。その際、
〈人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない〉
〈豊かな国土とそこに国民が生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だ〉
と、人格権を尊重し、住民の思いに寄り添った判決文を読み上げた。その判決から1年経たずして、再び画期的な判断が下されたのだ。
元裁判官で明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志氏が語る。
「今回の決定は非常に踏み込んだものだと思います。『新規制基準は緩やかにすぎて合理性を欠く』と、新規制基準に適合していても危険な場合があると認定しました。原子力規制委員会がゴーサインを出した原発の再稼働についても厳密に審査するという考え方をはっきりと打ち出し、地震国日本の原発の危険性に警鐘を鳴らしているといえます」
これまでの原発行政の常識を打ち破り、「歴史に残る」決定を下したと言っていい樋口裁判官。だが、本来であれば、樋口氏は今回の仮処分を決定することはできなかった。なぜなら4月1日付けで、同氏は福井地裁から名古屋家裁に異動。「左遷」されていたのだ。
一体何が起きていたのか。実は今回の裁判を巡っては、さまざまな紆余曲折があった。3月11日に行われた第2回審尋で、関電側は学者や専門機関による意見書の提出を要求したが、樋口氏は「結審します」として認めなかった。すると、関電側がその場で裁判官の交代を求める「忌避」を申し立てた。
そのため、名古屋高裁でそれが棄却されるまで、一時的に裁判は中断、そうこうしている間に4月を迎え、樋口氏は「定期異動」という名目で、名古屋家裁に異動となっていたのだ。
最後の意地を見せた
だが、裁判所法28条には「裁判官の職務の代行」というものが存在する。前出の瀬木氏が解説する。
「職務代行とは『裁判事務の取扱上さし迫つた必要があるとき』に、ほかの裁判所の裁判官が代理で裁判官の職務を行うことができるというものです。
このケースだと、樋口さんが『これは自分でやるから職務代行にしてくれ』と強く主張されたのでしょう。これまでも彼が審理してきたわけですから、強く希望したのであれば、裁判所としても代行を拒否するわけにはいかないはずです」
つまり、関電サイドの「忌避」申請などが時間稼ぎになり、樋口氏は異動、本来は今回の決定を下す役目を担うのは、別の裁判官になる予定だった。これに対し、飛ばされたはずの樋口氏が「職務代行」を使うことで、最後にして最大の抵抗を行い、意地を示したのだ。
樋口裁判官とは、一体どんな人物なのだろうか。
同氏は京都大学法学部を卒業後、'83年に福岡地裁の判事補に任官し、裁判官としてのキャリアをスタートさせる。樋口氏と同期で、同じ弁護士事務所で研修をしていた弁護士が語る。
「司法修習生時代から、裁判官になりたいという気持ちが強い人でした。何事にも真剣で、研究熱心。裁判官になってもそれは変わらないようで、両方の意見をよく聞き、常に原理原則に従い、平等に徹しているようです。少し偏屈に見られることはありますが、それも彼の持ち味なんですよ」
また、樋口氏の素顔を知る福井の別の弁護士によれば、会ってみると非常に社交的な人物だったという。
「小さな事件ではありますが、何度か担当判事として法廷でお会いしたことがあります。今年の3月のことですが、まもなく異動されると聞いたので、福井地裁で偶然出会ったとき挨拶をさせていただいたんです。樋口さんは『福井はいいところでした。皆さんにお世話になりました』と言い、にっこり笑っていました。法廷に臨んだ弁護士からすれば厳しい裁判官に見えていましたが、私にとっては優しい紳士的な方という印象です」
これまでに、静岡、宮崎、大阪など各地の地裁を経て、'12年に福井地裁判事に任官した樋口氏。実は原発訴訟以外にもいくつか社会の注目を浴びる判決を下している。
'14年、福井県内の会社に勤務していた男性(当時19歳)が自殺した原因が上司のパワハラにあるかどうかが争われた裁判を担当し、遺族である原告側の訴えを認めた。未成年者へのパワハラと自殺の因果関係を認めた判決は、全国で初のことだったという。
「樋口さんがこの事件で証拠として採用したのが、男性の遺したメモです。そこに書かれていたのは、上司から男性へ向けた『死んでしまえばいい』『うそを平気でつく』といった辛辣な言葉でした。
樋口さんはこの言葉がパワハラにあたると認定したんです。それまではどういった行為や言葉がパワハラに当たるのか、基準が定かではなかった。この裁判は、今後その一つの指標になると法曹界で言われています」(前出・福井の弁護士)
一方で、同氏は政治家や行政サイドに対しては、原理原則に基づいた厳格な判断を貫く裁判官としても知られている。
「県議会議員の海外視察が年度末に集中していることを受け、市民オンブズマンが政務調査費の返還を求めた訴訟でのことです。
樋口裁判長は、視察そのものの意義を認めつつも、ホテルの食事代は視察目的には認めないとし、返還を言い渡しました。関係者からは『視察すれば食事くらいするだろうに』と言われていましたが、堅実で誠実な判決をする裁判官という印象がより強まりましたね」(福井在住のジャーナリスト)
「原発に触れるな」という空気
仕事に熱心で、裁判官としての誇りを持った樋口氏。法の番人として、厳格かつ公正な判断を下すことを第一とし、前例や組織の思惑には縛られることはなかった。
だが、そのような振る舞いはときに反感を買うこともある。組織に属しながらも、組織の意にそぐわない行動をする異端者への風当たりは強い。それがたとえ公正中立を謳う司法の世界だとしても同じことなのだ。
今回の樋口氏の人事異動に「違和感」を持つ司法関係者は……
そして、裁判長は飛ばされた 高浜原発再稼働「差し止め仮処分はけしからん」 最高裁・高裁のお偉方は原発が大好き(下)
(週刊現代)2015年04月28日(火)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43093
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小出裕章先生:権力者はそこまでやるんだな…ひどい…実に理不尽…
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