The Liberty Bell March
http://youtu.be/l6Dd0EaEbqg
Liberty Bell
日本近代史上唯一の勝利
「三閉伊一揆」知ってますか?
(生活と健康を守る新聞)2015年3月8日
今を去る168年前のこと、朝ドラ「あまちゃん」で一躍有名になった北三陸地方で、「黒船来る」よりも震撼させた出来事がありました。時の為政者の悪政をただすため農民、漁民、輸送業者、鉱山労働者が用意周到のもと統一戦線を広げ、日本近代史上唯一証文を受けとり勝利したこの一揆は後世「三閉伊一揆」と称されました。1月26日、社会運動史家の牛山靖夫さんを愛車ジムニーに乗せ、盛岡から約110キロ、一揆発祥の地、田野畑村へ向かいました。
悪税廃止など49か条の要求を掲げ民衆が参集
1847(弘化4)年に1万2000人、1853(嘉永6)年に1万6000人が野田・宮古・大槌の街道(閉伊郡の3つの道から三閉伊と呼ばれる)を悪税廃止など49か条の要求と「小○」の旗を掲げ参集。当時この地域で暮らす人たちは6万人。何と4人に1人が女性という行進になりました。
この一揆を題材にして、わらぴ座が「東北の鬼」を上映、今は亡き児童文学作家・後藤竜二さんの作品「白赤だすき小○の旗風」を見た、読んだ人も多いことでしょう。
さて、一揆の指導者、佐々木弥五兵衛、畠山太助の郷里・田野畑村(人口3582人)には、一揆の全容を見学できる「田野畑村民族資料館」があり、上映されている「三閉伊の炎」は圧巻です。
資料館の広場には弥五兵衛、太助の像が凛として彼方を見つめています。
この田野畑村に「原発誘致」が持ち上がった時、婦人団体協議会会長の岩見ヒサさん(元開拓保健婦・現在96歳)が村挙げての一大学習運動を提起。「お金でだまされない、危険な物はいらない、宝の海を守ろう」と、まさにオール田野畑をつくり上げ、時の首相・鈴木善幸をして断念させたことも付記します。
なお、この地は、作家の吉村昭、津村節子夫妻が何度も足を運び「三陸大津波」の作品を生み出しました。
三陸の一大景勝地「北山崎」の断崖絶壁もお見逃しなく。
ウニなど海の幸は最高 ワカメは震災前の8割
「海は山の恋人」と言われるように、北上山地のエネルギーを取り込み育んだ海の幸は絶品です。鮭、アワビ、ウニ、カレイ、アイナメ、ヒラメ、当地以外に知られていないドンコは、白身の魚、鍋に良し、タタキは日本酒の好きな人にとっては最高です。
国道45号線沿いの「北川食堂」が提供する日替わり海鮮丼(980円)はお薦めです。
水産業も大地震・津波で甚大な被害を被りましたが、確実に復興してきています。その名も知られる「三陸ワカメ」は震災前の8割まで生産が回復、しかし、悲しいことに、今なお続く放射能風評被害で売上高は5割減になっています。
北リアス線島越駅完成 心が洗われる列車の旅
全て流された北リアス線「島越駅」の駅舎は、完成し、久慈と宮古間の鉄路は確保されました。旧駅合側にあった宮澤賢治の碑は健在でした。北三陸の海を眺めながらのローカル列車の旅は、心が洗われます。夏期は復興支援を兼ね全国からのリピーターで活況を呈していますが、この日、2両編成の列車の乗客はわずか5人でした。冬期間の観光客誘致が課題になっています。車で海岸沿いをたどって行くと、漁港は復旧していますが、周辺の民家はなくなり、河川の護岸工事や道路、盛土工事の槌音ばかりで
住民の姿が見えません。まさに復興は緒に就いたばかりです。
遠野路ら魅力しつぱい 郷土芸が”ぎっしり”
弘化4年、野田・宮古・大槌街道の三方から寄せた一揆の一行1万2000人は、遠野市(人口2万880人)の早瀬川河原に集結し、盛岡藩筆頭家老の南部弥六郎と交渉、御用金を撤廃させ、帰途に要する食糧をも支給させたと言います。
「民話の里」で知られる遠野路も魅力にあふれています。「遠野ふるさと村」は、江戸中期から明治中期の「曲り家」を移築し、一つの集落を再現しました。陶芸、染め物、織物、それに昔ながらの里山体験ができる場所です。
11月下旬から3月末まで開催される「どぺっこ祭り」は地産のどぶろくを心行くまで堪能できます。
遠野駅前にある「とおの昔語の館」では毎日、遠野の語り部による昔話や郷土芸能が楽しめます。
限りなく勇気と希望を与えてをれる三閉伊旅
「三閉伊一揆の旅」は今を生きる私たちに限りなく大きな勇気と希望を与えてくれます。復興支援になるこの旅にあなたも「おでんせ(おいでください)」。
お問い合わせ先L岩手県生活と健康を守る会連合会・電話・FAX=019(653)0128。
(川口義治通信員)
「小○」とは「困る」こと。(`・ω・´)
これ以上、収奪されるのは、小○
新基地岸壁 271.8メートル 揚陸艦接岸基準と一致
米軍公開文書 辺野古 巨大軍港化裏付け
(しんぶん赤旗)2015年3月5日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-05/2015030501_01_1.html
沖縄県名護市辺野古の米軍新基地に設置が計画されている岸壁の長さ(271・8メートル)が、強襲揚陸艦の安全な係留に必要とされる長さと一致していることが、米軍の公開文書から明らかになりました。新基地に巨大な軍港機能が付加され、米海兵隊の一大出撃拠点になる危険性が改めて裏付けられました。
文書は、米海軍施設エンジニアリング・サービスセンター(NFESC)が米海軍の指示で作成した技術書(1998年5月)で、沖縄環境ネットワークの真喜志(まきし)好一世話人が発見しました。
同文書は、ノーフォーク海軍造船所(米東部バージニア州)の第5埠頭(ふとう)を例示し、全長257メートルのワスプ級強襲揚陸艦(LHD1)が49ノット(秒速25メートル)の風でも安全に係留できる距離が271・86メートルであることを示しています。(図)
米海軍佐世保基地(長崎県佐世保市)に配備されている強襲揚陸艦ボノム・リシャール(写真)もワスプ級です。同艦は在沖縄米海兵隊が派兵する際、ホワイトビーチ(うるま市)に寄港して部隊や装備を積んでいます。辺野古への係留が可能になれば、新基地に配備される垂直離着陸機MV22オスプレイや戦闘部隊を直接積み込むことができます。
沖縄防衛局が2012年12月に提出した辺野古新基地の環境影響補正評価書では、岸壁の長さは200メートルでした。ところが13年3月の埋め立て申請書で271・8メートルに延ばされていました。
安倍晋三首相は「岸壁の整備は運搬船の接岸のため。強襲揚陸艦の運用を前提とするものではまったくない」(2月17日、衆院本会議)などと述べ、軍港機能を否定しています。
しかし、政府が想定している「運搬船」の全長は183・5メートルにとどまり、係留に必要な距離は最大でも238・1メートルにとどまることが、埋め立て申請書にも明記されています。
真喜志氏は「なぜ271・8メートルなのか。政府は具体的な根拠を示すべきだ」と指摘します。
沖縄・辺野古新基地
「移設」どころか最新巨大基地化
(しんぶん赤旗)2015年3月5日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-05/2015030503_01_0.html
これでも「沖縄の基地負担軽減」だと言い張るのか―。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地に設置が計画されている岸壁の長さ(271・8メートル)が、米軍が示している強襲揚陸艦の係留に必要な基準と一致していることが明らかになりました。新基地は、住宅地のど真ん中にある普天間基地(宜野湾市)の「移設」だとされていますが、単なる「移設」どころか、普天間にはない機能を追加し、最新鋭の巨大基地にする狙いは明白です。
(竹下岳)
「271.8メートル」根拠説明なし
政府は辺野古新基地に係船機能付き護岸―いわゆる軍港を設ける計画を示しています。その理由は、新基地に配備されるオスプレイなどが故障した場合、「船舶を使用した輸送を実施する必要がある」(2012年12月の環境影響補正評価書)ためとしています。
普天間基地に配備されているヘリは修理の際、米本土から飛来する大型輸送機に積んで輸送します。しかし、新基地の滑走路は普天間より1000メートル短く、大型機は離着陸できません。このため、輸送船が必要になるという説明です。
ここで政府が想定している輸送船の全長は183・5メートルです。軍港の全長も200メートルを想定していました。それが突然、13年3月の埋め立て申請書で271・8メートルになったのです。
埋め立て申請書(図)を見ても、輸送船の安全な係留に必要な長さは、最大238メートルとなっています。これより短くても係留は可能です。
不思議なのは、埋め立て申請書に「238・1メートル」の説明はあるのに、「271・8メートル」について何も説明していないことです。
沖縄環境ネットワークの真喜志好一世話人は、「強襲揚陸艦の接岸を可能にするよう、米軍からの要求があった可能性は高い。271・8メートルという中途半端な長さは、米軍が用いるヤードをメートルに換算した結果ではないか」と推測します。
戦闘部隊1カ所集中
仮に辺野古への接岸が可能になったらどうなるのでしょうか。
沖縄の海兵隊(第31海兵遠征隊)はおおむね、年に2回ほどアジア太平洋に展開します。その際、まず佐世保基地(長崎県佐世保市)から強襲揚陸艦隊がホワイトビーチ(うるま市、WB)に寄港し、部隊や装備を積み込みます。イラク戦争の際も、2004年にWBから出撃しました。
ただ、海兵隊の基地は沖縄本島の中部から北部の広範囲に機能別に点在しており、移動には一定の時間がかかります。
日本共産党の渡久地修議員が4日の沖縄県議会一般質問でただしたところ、県の末吉幸満土木建築部長はWBまでの移動距離と時間、信号の基数を、次のように算出しました。(いずれも陸路)
(1)キャンプ・シュワブ~50キロ、1時間、30基
(2)嘉手納弾薬庫~26キロ、1時間、50基
(3)普天間基地~24キロ、50分、50基
(4)キャンプ・ハンセン~36キロ、1時間、50基
しかし、辺野古に普天間基地の航空部隊が移れば、シュワブや、陸続きになっているハンセン(中部訓練場)に駐留している地上戦闘部隊や戦闘車両などと一体になります。さらに新基地には弾薬庫も置かれます。
新基地に強襲揚陸艦が接岸できれば、すべてが1カ所に集中し、効率良い運用が可能になります。
東村高江などを含む北部訓練場や伊江島補助飛行場などと併せ、「沖縄本島北部が、海兵隊の訓練から出撃まですべてが可能になる一大拠点に変ぼうする」―渡久地議員の指摘に対して翁長(おなが)雄志知事は、「そのような印象を受ける」と同感し、「新しい基地に関して、沖縄は将来にわたって何の配慮もされないことは見通せるので、新辺野古基地はつくってはいけない」とあらためて答弁しました。
自然壊し戦争拠点に
沖縄防衛局は新基地建設に反対する県民の総意を無視し、連日、工事を続けています。近く海底掘削(ボーリング)調査や、事実上の埋め立てである仮設桟橋の建設を強行するかまえです。
辺野古の海には、世界遺産に登録されている世界最大のサンゴ礁地域、グレートバリアリーフ(豪州)を上回る数のサンゴが生息しているとされます。また、国際的な保護動物ジュゴンの生息域の北限です。新基地に伴う埋め立てで、これらが壊滅的な打撃を受けることになります。
貴重な自然を破壊し、イラク・アフガニスタンでの侵略戦争のような殺りくへの出撃拠点にする―。まさに人類への犯罪行為です。
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ホワイトビーチ 強襲揚陸艦入港
米海軍佐世保基地(長崎県)を母港とする強襲揚陸艦ボノム・リシャールが4日、ホワイトビーチ(沖縄県うるま市)に入港しました。今年1月以来の入港で、在沖縄米海兵隊の訓練激化が予想されます。
辺野古新基地は最新鋭の基地/海兵隊は沖縄から出て行け
http://youtu.be/JlGRTI7bm0w
ジュゴン
辺野古沖にジュゴン 空と海中から撮影に成功
http://youtu.be/VvkgQFVk7qs
辺野古の海にコンクリートブロック「サンゴ破壊」の現場(報道ステーション)
http://youtu.be/IiWq2guNQCM
旅券返納 沖縄の悪夢 「渡航の自由なかった」
(東京新聞【こちら特報部】)2015年3月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015030402000176.html
憲法は渡航の自由を保障する。一九七二年の日本復帰までの二十七年間、米軍統治下の「無憲法状態」に置かれた沖縄では、米軍ににらまれた人物の本土渡航が大幅に制限された。シリアの現地取材を計画したフリーカメラマン男性への旅券返納命令は、復帰前の沖縄を知る人たちにとっては悪夢の再来だ。権力側の恣意(しい)的な判断で「自由」が踏みにじられる。ジャーナリズムの喉元に突きつけられた匕首(あいくち)は、やがて一般市民にも向けられるのではないか。
(篠ケ瀬祐司、林啓太)
本土復帰前米側か大幅制限
二月十八日、参院議員会館で開かれた緊急集会「パスポート返納命令を考える」。旅券返納命令を受けたフリーカメラマン杉本祐一さん(五八)の報告に続き、マイクを握った沖縄選出衆院議員の照屋寛徳さん(六九)は「沖縄の人たちには復帰まで渡航の自由がなかっ
た。進学した本土の大学で復帰運動をして、パスポートを取り上げられた学生もいた」と力を込めた。
米軍統治下の沖縄では本土に渡る際、琉球列島米国民政府が発給する「日本渡航証明書」(パスポー卜)が必要だった。氏名の前には「琉球住民」と表記された。申請後、一部には「補助申請書」の提出を求める書留が届いた。
一九八二年に発行された「沖縄県祖国復帰闘争史」には、補助申請書の内容が紹介されている。質問項目は二十七。身体的な特徴は、身長や体重はおろか、髪や目の色、傷痕まで書かされる。過去や現在の所属団体や共産運動経験の有無、その経験者はいきさつも問われた。もちろん、今の日本ではパスポートを申請しても、外国での退去命令や日本国内での刑罰に関する事項を除き、こんな追加質問はされない。
「闘争史」は補助申請書について「体のいい(発給)拒否」と断じる。五七~六○年に百三十四人が補助申請書を強いられ、五人が申請を取り消した。補助申請書を出しても却下された例もある。
直接的な発給拒否や取り消しもあった。
照屋さんも琉球大の学生会役員だった六四年、東京行きのために申請したパスポートがなかなか発給されなかった。「仲間の抗議の座り込みでやっと発給された時には、予定の船は出航してしまっていた」
与那国島に暮らす元沖縄県議の宮良作(みやらさく)さん(八七)は、中央大を卒業した五四年、理由が告げられないままパスポートが発給されず、故郷に戻れなかった。「学生時代に沖縄の本土復帰運動をしていたためだろう。パスポートを手にしたのは、復帰が決まった後の七一年になってからだった」
所持していたパスポートが、一方的に無効化された人もいる。復帰後の初代沖縄県知事を務めた故屋良朝苗(やら ちょうびょう)さんだ。五〇年代に戦災校舎の復興運動を進めると、パスポートは無効とされた。
屋良さんの下で教職員組合活動に取り組んだ元沖縄県教職員組合委員長の石川元平さん(六六)は「屋良さんらの活動が、沖縄を統治していた米国を刺激したためだ」とみる。
「米国は沖縄を『民主主義のショーウインドー』と称し、善政を敷いていると宣伝していた。校舎復興すら進まない沖縄の惨状が本土に伝わることや、復帰運動の広まりを嫌っていた」
規制対象 権力の恣意
市民に拡大可能性も
今回の旅券返納命令が「あしき前例」となれば、渡航の自由とともに、報道や取材の自由が侵害されかねない。危険地帯で取材するか否かの決定権を政府に握られてしまうためだ。
当の杉本さんは「日本人人質事件の直後で、政府による『国民の安全確保に努めている』という宣伝に利用された」と憤る。アジアプレス・インターナショナル代表の野中章弘さん(六一)は「政府発表以外の情報を人々に提供し、現状を判断する材料にしてもらうのが報道の役割だ。政府はジャーナリストの行動を縛ってはならない。観光客の安全を確保することとは次元が違う」と主張する。
復帰前の沖縄の状況を考えれば、影響はジャーナリズムの世界にとどまらないかもしれない。日本政府と対峙する勢力にも矛先が向く可能性がある。
照屋さんは「旅券返納命令に黙っていては、かつての沖縄のような渡航制限に直結しかねない」と訴える。石川さんも「当時の米国民政府も安倍政権も、大衆の権利をコントロールして支配しようとしている。権利の制限は今は一部でも、いつ誰に拡大するか分からない」と警鐘を鳴らす。
「政府の意にそぐわない活動をするNGO(非政府組織)など民間団体の関係者の渡航を妨害する可能性も皆無ではない」と指摘するのは、ジャーナリストの安田純平さん(四〇)だ。安田さんは、外務省の退避勧告が出ていたイラクで二〇〇四年に拘束された際、政府要人からも「自己責任」と非難された。
イラクやパレスチナなどの紛争地で人道支援に取り組むNGO「日本国際ボランティアセンター」事務局長の長谷部貴俊さん(四一)は「アフガニスタンには二年ほど入れていない。外務省の安全対策の要請が厳しくなったからだが、政府から補助金をもらっているので要請は拒みづらい」と明かす。
もとより安倍政権下では、憲法で保障された権利がないがしろにされる事例に事欠かない。
特定秘密保護法は、表現の自由や知る権利を脅かす。集団的自衛権の行使容認は九条の平和主義の原則をねじ曲げる。沖縄の辺野古新基地建設反対派の男性が逮捕された事件は、表現の自由だけでなく、人身の自由まで侵している。
憲法が専門の渡辺治一橋大名誉教授(六八)は「渡航制限や秘密法、集団的自衛権はそれぞれ別の問題であるかに見えるが、憲法の観点からは通底する」と断じる。「ジャーナリストに対する渡航制限は人命を尊重しているようで聞こえは良いが、その実は秘密法や集団的自衛権の行使容認と同様に危うい憲法違反だ。報道や取材の自由を保障する人権の一角が崩れれば民主主義の基礎全体の崩壊につながりかねない」
この「無憲法」ともいえる状態は「反憲法」へとつなかっている。安田さんは「危険な海外渡航を安易に許す憲法がおかしい、という意見さえネット上などで見られる。現実の問題に対応する力がないと憲法をあげつらうのは本末転倒だ。憲法がまず先にあるという立憲主義の原則を国民全体で再確認する必要がある」と強調する。
杉本さんは大手メディアの自覚を促す。
「自分らが首を絞められている問題だとの強い当事者意識を大手の報道機関に持つてほしい。私に旅券を再度、発行するよう世論を喚起してほしい」
旅券返納命令問題 日本人人質事件が起きたシリアでの取材を計画していたフリーカメラマン杉本祐一さん(58)=新潟市=に対し、外務省は2月7日、旅券(パスポート)の返納を命じ、渡航を阻止した。法的根拠は、旅券法19条の「生命、身体または財産の保護のために渡航を中止させる必要」がある場合、返納を命じることができるという規定。同省は、シリアの危険度を最高レベルの「退避勧告」にしていた。違反者には、最高で懲役5年などが科せられる。この規定による命令は初めて。
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まやかしで…これ以上、収奪されるのは「小○」 (´・_・`)
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