衆議院選挙の翌日に、小出裕章さんにお話を聞く 1
http://youtu.be/kYC3kESmtGA
衆議院選挙翌日12月15日に、わたくし溝江玲子と遊絲社のスタッフが、京都大学原子炉実験所におじゃまして、小出裕章先生お話を伺いました。
川内原発の再稼働についてのお話、汚染地からの避難の問題、選挙制度の問題のこと、などなど、大いに話が弾みました。
※次回作がリリースされましたら追記します。
P.N.R. (Point of no return) 帰還不能点
(原発危機と平和)2011年09月02日
http://nagariyadani.seesaa.net/article/223850063.html
私の父方の祖父はポーランドのオシフィエンチムという小さな町で生まれました。私が講演するときこの町の名前を挙げると、その名前を知る日本人はほとんどいませんが、第二次世界大戦でドイツに占領され、ドイツ名でアウシュビッツと呼ばれるようになると、多くの人は、頭を縦に振って頷きます。
運よく私の祖父は、自分の町が死の工場となる前に、イスラエルに移住しました。
今年の夏休みに家族でポーランドとアウシュビッツに行ってきました。
この投稿の題名は帰還不能点です。
アウシュビッツをガイド付きで3時間歩き回ったあと、家族だけでもう一時間、ゆっくりと見て歩きながらいくつもの帰還不能点に出会いました。
上の写真に写っている門も一つの帰還不能点であると共に、今でも世界の大勢の人にとって一度くぐると二度と戻れないことのシンボルになっています。
ヨーロッパ中からこのような貨車に何十人と押し込まれて、時に一週間以上水も食料もなく、当然トイレもない状況でアウシュビッツに連れて行かれたユダヤ人にとって、この貨車も帰還不能点でした。
アウシュビッツの門をくぐったときには既に亡くなっていた人もいたし、写真に写っている広場で到着直後選別され、ガス室に送られた人はそれ以上にいました。
ガス室にすぐ送られた人、または奴隷さながらの労働をしながら人間としての尊厳を失い、数日、数週間、長くても3ヶ月でガス室に送られた人にとっても、ガス室と、上の写真の遺体焼却炉は完全な帰還不能点でした。
上の写真のトイレを見ながら、今回の投稿を思いつきました。そのトイレは本当にショッキングなものでした。長いコンクリート菅に丸い穴が開いていて、流す水も、トイレットペーパーも、手を洗う水もありませんでした。数千人に対してトイレは、一棟につき58人分の穴しかなく、それが3棟あるだけでした。毎朝5時に棒でたたき起こされ、6時までに自分の寝場所の整理をし、奪い合うようにしてトイレも済ませなければならなかったのです。間に合わなかった人は、一日の過酷の労働後のトイレの時間にするしかなかったのです。そして6時には各自の棟の前に整列させられ、時には数時間に及ぶ点呼を行ないました。その最中に倒れてしまった人は即撃たれるか、ガス室に送られるかしました。
1940~1945年の間にアウシュビッツを管理していた人は、およそ7000人です。別の収容所の管理、電車による輸送の管理、ナチスが絶滅を図った集団(ユダヤ人、ジプシー、障害者、ホモなど)を探し出す人、軍のトップの人たち、命令に従った兵士、その他あらゆる形でナチスに関わった人たちをあわせると、おそらく数万、数十万に上ったでしょう。このトイレを見ながら、そういった大勢の人々はなぜ声もあげずに、リーダーに従ったのかと疑問に思いました。
この疑問に対する私の中での答えは帰還不能点です。
この帰還不能点は今までとは別の意味の帰還不能点です。ですがおそらく、今までと同じぐらい恐ろしい帰還不能点です。
ナチス絶滅計画の内部から非を問う声が上がらなかったのはなぜでしょうか。
朝の短時間で大便にも間に合わずに通路で漏らしてしまい、それを多くの人々が踏み潰すような、尊厳を剥奪された光景を毎朝のように目にしたドイツ兵。整列時に怯える人々を鬼の形相で虐げたドイツ兵。彼らは数年前までは、おそらくそのような事を出来る人間ではなかったでしょう。彼らは1930年代に自分達がこのような非人間的な行為に走るとは想像もしなかったでしょう。声をあげる機会、疑問を投げかける機会はいくらでもあったでしょうが、残念ながら彼らは全ての帰還不能点を見逃しました。
この帰還不能点は大きな変わり目ではなく、小さな点の連なりでした。目をしっかり見開けば、その一つ一つで起きている事の重大性に気づくはずですが、見てみぬフリをしたり、忠告する人を無視したり、気づいてもさほど重大な事とは捉えなかったりしがちです。でも歴史に学べば、声をあげるべきものでした。そのようなプロセスは昔も起きたし、今現在も起きているし、これからそのような事が起きて欲しくないのならば、目を見開くべきなのです。
では、今のイスラエルではどうでしょうか。このような小さな帰還不能点をいくつ通り過ぎたでしょうか。
ヨルダン川西岸にイスラエルが設けている検問所で、たった19歳のイスラエル兵が、長い列を作るパレスチナの車の通行の可否を決める光景を横目に、無関心でチェックを受ける必要もなくイスラエル人が通り過ぎていくという姿も帰還不能点の一つです。それを今肯定する人は、いずれ、もっと進んだことも肯定するようになるでしょう。
この家は震度7の地震によってではなく、イスラエル軍の爆弾によって破壊されました。2008年のガザ攻撃で、イスラエル兵は子供300人を含む1400人を殺しました。それも帰還不能点の一つではないでしょうか。理由は何であれ、1400人の命を奪うことを肯定する人は、いずれ5万人の命を奪うことも肯定するようになるでしょう。
ドイツ兵とイスラエル兵を比べるつもりはないし、それぞれによって殺された人々の罪の有無を比べるつもりもなく、ただ、正しい殺しはあるのか、もっと良い道はないのか、私達はアウシュビッツから学ぶべきことを学んだのかを知りたいのです。
アウシュビッツを見てからの私個人の結論は、宗教、人種、性別に関係なくどんな理由であれ、人類はアウシュビッツのような事は二度と繰り返してはいけない、ということです。
日本での帰還不能点は・・・。
エネルギーのために多くの福島第一原発周辺の人々を危険にさらすことを肯定する人はいずれ、浜岡原発周辺のそれ以上に多くの人々を危険にさらすことも肯定するようになるでしょう。
経済より命
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ポイント・オブ・ノー・リターンは近い…(´・ω・`)
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