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小出裕章先生:自分の理論をきちんと持って、忠実に生き抜く

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ヘイト活動と闘う(ラジオフォーラム#92)

http://youtu.be/jOIIYwB3wq0?t=15m39s
15分39秒~第92回小出裕章ジャーナル
原子炉実験所ってどんな所?「物理学・化学・生物学というような非常に基礎的な学問研究をしている所で、原子力の研究をしてるという人はほとんどいないという、そんな状態です」

http://www.rafjp.org/koidejournal/no92/
石丸次郎:
今日は小出さんご自身がどういう職場で、どんなお仕事をされているのかというのをちょっと紹介させて頂きたいと思うんですね。まず、小出さんがいらっしゃる京都大学原子炉実験所、これが京都ではなく、実は大阪の熊取町にあるんですね。我々、関西在住の人間は大体どのあたりかなということが分かります。関西空港のそば、大阪府のだいぶ南の方にあるんですけれども、なぜ京都大学の施設がそもそも京都でなくて、大阪にあるんでしょうか?
京都大学原子炉実験所

小出さん:
私の職場には、名前どおり原子炉実験所ということで原子炉があります。原子炉は人が住んでいる所には造ることができないということで、京都の町には造ることができませんでした。どこに建てようかということで、候補の敷地をあちこち探したのですけれども、結局どこも人が住んでいるからダメと断られ続けまして、ようやく今ある大阪府泉南郡熊取町という、もうすぐ和歌山という所に敷地を確保して、そこに建てたということです

石丸:
小出さんは今、資料を見させて頂きますと、原子炉実験所に74年から勤務をされているということですが、この熊取の施設はいつ頃できたんですか?
青年 小出裕章
1988年

小出さん:
63年に原子炉実験所という組織が京都大学の中にできました。そして、64年から原子炉自身が動き出したという歴史です。

京都大学原子炉実験所 沿革

石丸:
なるほど。この熊取の実験所は、どれぐらいの規模の施設なんですか?敷地、あるいは働いている人達の人数?

小出さん:
敷地は10万坪あります。

石丸:
10万坪って相当広大ですね。

小出さん:
はい。原子炉があるために、それだけ広大な敷地を取らなければいけないわけですけれども、最近はもう大阪のベッドタウンに飲み込まれてしまいまして、周辺全部、住宅街になっているのですが、原子炉実験所の敷地の中だけは、緑がたくさん残っていまして、夜になると動物のサンクチュアリになっています。
https://goo.gl/maps/jIfc5

石丸:
なるほど。そこで働いてる職員・研究者の人達はどれぐらいの数になるんですか?

小出さん:
全所員で200名、教育研究に携わってる人間が約80名です。
京大原子炉実験所の運営と研究のための組織

石丸:
そこで運用されている原子炉、この規模と言いますか、大きさというはどれぐらいのものですか?

小出さん:
はい。まず、原子炉と言うと、皆さん原子力発電ということをイメージされると思うのですが、全く関係ありません。発電をするためにはタービンとか発電機が必要なわけですが、私の所の原子炉はただただ研究のために使うという原子炉で、原子力発電所等に比べれば、原子炉の大きさが3千分の1というようなオモチャのような原子炉です。
京都大学原子炉実験所 原子炉
京都大学原子炉実験所 原子炉チェレンコフ光
京都大学原子炉実験所 原子炉チェレンコフ光

石丸:
なるほど。皆さんがひとつの研究をやられてるわけじゃなくて、いろんな多様な研究をされていると思うんですけれども、主にはどういうことをこの原子炉実験所でやってるんでしょうか?

小出さん:
もうさまざまです。大学ですので、基礎的な学問研究をするというのが役割でして、80名の研究者の中にも物理学をやってる人もいますし、化学をやってる人、生物学・医学をやってる人、農学をやってる人と、いろいろな方々がそれぞれの研究をやっています。共通しているのは中性子という素粒子を使いたい。そのためには原子炉が必要だということで原子炉実験所を造ったわけで、大抵の方々はそれぞれの学問分野の中で、中性子を使いながら研究を続けています。

石丸:
やっぱりその中で、当然その原子力を専門とされている研究者も当然そこで働いておられると思うんですけれども。

小出さん:
原子炉実験所と言うと、皆さん何かその原子力発電、ウランの核分裂をエネルギーに使うことを中心にしてるという風に考えられるようなのですが、実は全くそうではなくて、物理学・化学・生物学というような非常に基礎的な学問研究をしている所で、原子力の研究をしてるという人はほとんどいないという、そんな状態です。
京大原子炉実験所の部門別組織図

石丸:
ほとんどいないんですか?

小出さん:
はい。

小出裕章ジャーナル

石丸:
小出さんは、この原子炉実験所の中では少数派と言ってもいいんでしょうか?

小出さん:
そうですね。私は原子力に興味がありましたし、「原子力を進めることでどんな悪影響が出てきてしまうのか」ということを私の研究テーマにしています。ですから、原子力発電所という機械のどこに問題があって、どこに危険が潜んでいる、どこに事故になる可能性があるのかというようなことをずっと調べながら来ましたし、「事故時、あるいは平常運転時にどんな環境汚染が起きるのか」ということも私の研究テーマにしてきました

そのために、様々な放射線測定ということをやらなければいけませんでしたので、そのための機器の開発・プログラムの作成というようなことも私の仕事でした。そして、もうひとつ私自身は、放射能のゴミのお守りをするということを仕事にしています。
放射性廃棄物処理棟で説明する小出裕章先生
放射性廃棄物処理棟で説明する小出裕章先生

石丸:
ゴミのお守りですか?

小出さん:
はい。

石丸:
ゴミの管理ということですか?

小出さん:
そういうことです。

石丸:
当然その原子炉実験所でも核のゴミが出ますよね?

小出さん:
もちろんです。

石丸:
それはどういう風に現状、処理をしてるんですか?

小出さん:
通常、その原子力発電所等の核のゴミの一番重要なものは、使用済みの燃料そのものなのです。うちの原子炉の場合には、先程も聞いて頂いたように、燃料が93%濃縮ウランということで、原爆材料そのものだったわけです
広島原爆の構造
それを原子炉の燃料にして使ったわけですが、もうこれ以上この原子炉の中では燃えないという状態になってもなお、核分裂性のウランが70%ぐらい燃料の中に含まれているのです。
濃縮度が異なるウラン粒子の FTの顕微鏡写真
濃縮度が異なるウラン粒子の FT(フィッショントラック)の顕微鏡写真

そうなりますと、米国としては、そんなものを日本に置いとくことはダメだということで、「使い切った燃料は必ず返せ」という、そういう契約でした。ですから、実験所としても、その大変重荷になる使用済み燃料というものを持っていなくても済むようになりまして、燃やしたものは米国に返してしまうということでやってきたのです。

大変、実験所としたはありがたいことだったと思います。それ以外に原子炉が動くと、さまざまなゴミが出てきます。気体のゴミ・液体のゴミ・固体のゴミ、そういう物が周辺にもちろん出ていくようなことになると、周辺の人々を被ばくさせてしまうわけですから、できる限りそれを捕まえて敷地の外に出さないという、そういう仕事を私はしています。
京都大学原子炉実験所 廃棄物処理棟

石丸:
なるほど。もっと、どんなお仕事をされているか聞きたいところなんですけど、またの機会にさせて頂きたいと思います。今日は小出さんに、京都大学原子炉実験所はどんな所なのかと、どういうお仕事をされているのかということについてお話を聞きました。小出さん、どうもありがとうございました。

小出さん:
いえ、ありがとうございました。



あの人に迫る
小出裕章 京都大原子炉実験所助教
(東京新聞)2012年12月16日

 東京電力福島原発事故が起きてからは、各地の講演会に引っ張りだこの京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)助教の小出裕章さん(六三)だが、それまでは少数派の一人として反原発を訴えてきた。足尾鉱毒事件に半生を捧げ、来年没後百年になる政治家田中正造を最も敬愛する人物に挙げる。反骨の学者はどうやって生まれたのか。
(稲垣太郎記者)

小出裕章氏「原子力は間違い やめるしかない」

原子力は間違い やめるしかない

 田中正造を最も敬愛しておられます。
 大学に入った頃は日本の公害問題が顕在化した時代でもあった。水俣病も猛烈に悲惨な状態になっていたし、日本の公害というものがどこで、どんなふうに起きて、広がって、どんなふうになってきたのかということに無関心ではいられない時代だった。公害の問題をあれこれと調べて勉強していたのですが、水俣病とかイタイイタイ病とかのずっと前に足尾鉱毒という問題があったということに突き当たった。自分で調べ、正造さんに、巡り合いました。
 生き方そのものがあまりにも強烈で。会社、大学でもいいですが組織に入ると組織の論理というものが必ずあるわけで、組織の論理は、その社会の体制の論理にほとんどが組み込まれている。正造さんが生きた時代だって、明治大正の時代で、日清、日露戦争を戦って、日本が強国になることが大切なんだという論理があった中で足尾鉱毒という問題が起きた時に、組織や体制の論理ではなく、自分の論理をきちんと持って、忠実に生き抜いたのです

 正造の生まれ育った栃木県佐野市での講演では、正造が心の支えになったと話されました。
 正造さんは栃木県の県議会議員になったり、議長になったり、第一回帝国議会の議員になったりと出世街道まっしぐらで人生を歩んだけれど、政治や議会というものが人々の幸せの妨害になっていると気付き、議会を捨て、自分のそういう人生を捨てたんですね。その後は自分の信念に従って生きるという生き方を選択し、死ぬまでそうしたわけです。
 私も初めは原子力に夢を持ってしまったけれども、それが間違いだと気付いた以上、捨てるしかなかったし、捨てて以降はとにかく自分の思うところを忠実に生きるしかないと思っているので、正造さんが示した人生を生きたいと生きています。
 原子力との出合いからお聞かせください。
 中学、高校の時に東京で広島、長崎の原爆展がしきりに開かれ、何度も見に行く機会があった。原爆というのはひどいものだなと思ったし、同時に猛烈なエネルギーを出すものだなと頭に刷り込まれた。当時は原子力に夢をかけていた時代でした。例えば手塚治虫さんが鉄腕アトムを描いていて、アトムの妹はウランちゃんという、そんな時代だった。
 原子力を軍事的に使えば悲惨なことになるけれど、平和的に使えばきっと役に立つと思い込んでしまった。それで大学(東北大)に行く時に原子力を選んでしまった。とにかく原子力をやりたいという思いに凝り固まっていた。学生服を着て、授業は一時間も欠席することなく受けた。

 その後転機がきたんですね。
 一九六九年一月の東大安田講堂の攻防戦を生活協同組合の購買部に置いてあったテレビで見て、今、大学で起きていること、大学闘争でやっていることが何なのか考えざるを得なくなった。ちょうどその頃、東北電力が原子力発電所を造る計画を発表した。原子力をやりたい私としては歓迎しましたが、建設場所は電気をたくさん使う仙台という大都市ではなく、女川という本当に小さな漁村に建てるということになった。女川の人たちが「何でだ」という声を上げたんですね。
 日本中、世界中が原子力の夢に浮かれていて、原子力発電はちゃんとやれば安全だし、猛烈に役に立つものだという宣伝ばっかりだった時に、女川の人たちは「どうして自分たちのところに持ってくるのか」と疑問の声を上げたのです
 どうしてなんだろうという疑問が私の中に起こった。他方で大学闘争があり、他方で原発建設という計画があり、大学闘争に向き合わざるを得なくなって。一体何をしているんだろうかと考えて、たどり着いた結論が、自分がやろうとしている学問が社会の中でどういう意味を持っているのか答えるべきだというのが大学闘争の問い掛けだったと気付いた
 自分がやろうとしている学問は原子力なわけだから、それの社会への表れ方、つまり、原子力発電がどういう意味を持っているのか答えざるを得なくなった。なぜ原発を大都会の仙台ではなく、女川という過疎地に建てるのかという答えを探し求め始めた。だが東北大工学部原子核工学科もそうですけど、原子力を推進するための教育をする場所だったので、教員は皆、原子力は良いものだという教育しかしてくれなかった。いくら聞いても、どうして仙台ではなく女川なんだということに答えられない。そうなると自分で勉強するしかないということになった。
 ちょうど当時は米国で原子力に対する科学的、専門的な問題の洗い出しが出てきた頃で、米国から入る情報を入手して勉強した。そして工学部の教員たちと論争を始め、たどり着いたのが、原子力発電には都会では引き受けることができないほどの危険を持っているが故に過疎地に押し付けるのだという結論だった
 そう決してしまうと私としてはそんなものに人生を懸ける気はしないし、そんなものを許すこともできないと思うようになり、以降、原子力発電をやめさせなければならないという生き方をすることになった。

 大学院を出て助手として就職した京大原子炉実験所では助教授や教授の公募に応募しなかった。
 昇進のことですか。私を採用する時も公募という制度で採用されているのですね。この実験所の教員の採用は全て公募です。助教授も教授も公募して、応募した人の中から誰かを選ぶ。私自身は助教授や教授になりたいわけでもないし、自分のやりたいことができればいいのであって、組織の中で上のポストに就いて、人を動かすという役割はしたくなかった。だから一度も応募をしないで今日まできています。
 教員の独創性を重んじるという京大の特殊性と、職場の特殊性が合わさって、誰かから命令されたり、迫害されたりということが全くないままここにきています。
 大学生の時の決意をずっと今まで貫けたのはなぜでしょうか。
 例えば正造さんだったら何度も投獄されるなど物凄い困難の中で貫いたが、私は何の苦労も、組織からバッシングや命令を受けたこともなく、国家から逮捕されたこともなく、この研究室で好きなことをやることができる。何の困難もないぬるま湯のような状況の中でずっと生きてきてしまって、貫くもなにもないでのです。最高の居心地の中でやりたいように生きてきた。それだけです。

インタビューを終えて
 取材を申し込んだメールの返信には「毎日を戦争のように過ごしており」とあった。田中正造の大きなパネル写真が飾られた研究室は、極力電気を使わないように照明が落とされ、パソコンの画面だけが光っていた。
 二年後の定年後について尋ねると「生きているかどうかも自信がありません」との答え。聞くと、次男が障害がある状態で生まれ、三ヶ月で退院しながら半年で亡くなった経験から、「生きものはいつ死ぬかわからないと心底思っている」と打ち明けてくれた。この「決定的に私に教えてくれた」という死が、小出さんを強く、優しくしたのではないかと思った

あなたにえたい
(田中正造は)組織や体制の理論ではなく、自分の理論をきちんと持って、忠実に生き抜いたのです。


入浴する智子と母
入浴する智子(胎児性水俣病)と母 - Eugene Smith


小出裕章氏講演 "田中正造アースデイ  ひとに夢、地球に愛"

http://www.youtube.com/playlist?list=PL2hEjnCla-LOM09Jw02_eouIU3XYBr8Sp


なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・"異端"の研究者たち

http://youtu.be/z6ioBm6aAS0



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新人6人立候補 知事選告示 26日投票
(福島民報)
http://www.minpo.jp/news/detail/2014100918547
 任期満了に伴う第20回知事選は9日、告示された。同日午前9時半現在、無所属の新人6人が立候補し、26日の投票に向けて17日間の選挙戦に入った。 
 立候補したのは届け出順に、前副知事で無職の内堀雅雄氏(50)=自民、民主、公明、維新、社民各党が支援=、元双葉町長で無職の井戸川克隆氏(68)、牧師の五十嵐義隆氏(36)、元岩手県宮古市長で医師の熊坂義裕氏(62)=共産、新党改革両党が支援=、コンビニ店長の伊関明子氏(59)、会社役員の金子芳尚氏(58)。 
 各候補は福島市などで第一声を上げ、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故からの本県復興に向けた政策などを訴える。 
 投票は26日に県内1296カ所で行われる。県内の有権者数は8日現在、161万2738人(男78万573人、女83万2165人)。


3号機爆発


第一声における原発問題の割合


原発事故後、初の福島知事選きょう告示 有権者不満 原発政策最優先のはず
(東京新聞【こちら特報部】)2014年10月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014100902000133.html
 東京電力福島第一原発の事故後、初めてとなる福島県知事選には、新人六人が出馬を表明している。県民約十二万五千人が今も避難生活を続け、復興は道半ば。「福島の人が原発について意思を示す選挙」という声が上がる一方、原発政策は争点として浮かんできていない。九日に告示され、投開票は二十六日。知事選への県民の思いは-。
(三沢典丈、白名正和、小林由比)

原発事故後初の福島知事選原発政策最優先のはず_1

避難者なお12万人 「忘れないで」

 東京都江東区の36階建ての国家公務員宿舎・東雲(しののめ)住宅で、福島県から避難した約九百七十人が生活を続けている。その一人、浪江町の豊島力さん(七八)は「望むのは、俺たちを早く浪江町に帰してくれ、ということだ」と力を込めた。
 3LDKに妻と二人で住む。家賃は全額補助。草履編みを教えたり、保育園児と芋掘りをしたり。「ここの生活も慣れてきた」。恵まれた暮らしのようだが、古里の現状を尋ねると笑顔はうせ、涙がこぼれた。
 先月の一時帰宅で見た光景を思い出したという。「田んぼに雑草や木が生えて背の高さぐらいになってた」。「収穫が多くて、集落の皆にたまげられた」という自慢の田んぼを、いつになれば再び耕せるのか。
 原発事故から約3年半たっても、約十二万五千人の県民が避難を続ける。そのうち県外では四万六千人余が暮らす。県避難者支援課は「復興公営住宅の建設や除染が進めば、徐々に避難者は減ると思う」と話したが、用地確保や資材費高騰など課題は少なくない。
 豊島さんは佐藤雄平知事に続けてほしかったと言う。「震災でどんな被害が発生し、国と何を話し合うべきか分かっている。出馬しないなんてがっかり」。その佐藤知事は九月四日、「復興の取り組みは新たなリーダーの下で実施するべきだ」「私の意思をしっかり継いで復興を着実に進める人」に託すと語った。
 副知事だった内堀雅雄氏(五○)を念頭に置いた発言だった。佐藤知事は民主党の元参議院議員で、民主党県連は内堀氏を推すことで一致した。
 一方の自民党県連は、元日銀福島支店長の鉢村健氏の擁立を決めていたが、内堀氏の出馬が本決まりになり、党本部から横やりが入った。七月の滋賀県知事選で、「卒原発」を掲げた民主党の推す候補に、自民党の推す候補が敗れた。十一月の沖縄県知事選では、自民推薦の現職仲井真弘多氏が苦戦と予想され、自民党本部内では「福島では負けられない」という意識が強まっている。
 自民党選対委員長の茂木敏充氏は「幅広く県民の広い支援が得られる枠組みを」と求め、九月二十七日に県連は鉢村氏擁立を断念し内堀氏支援を決めた。そこに、「福島のため」という思いはあったのか。
 東雲住宅で暮らす富岡町の菅野洋子さん(七三)は「政党の思惑は分からないが、原発事故の一番の被害者である私たちに目を向けてくれる人に知事になってほしい」と願う。東京暮らしが長くなるにつれ、福島との距離が遠くなるように感じる。「私も福島県人。候補者は忘れないでほしい」
 知事選には内堀氏のほか牧師の五十嵐義隆氏(三六)、コンビニ店長の伊関明子氏(五九)、元双葉町長の井戸川克隆氏(六八)、建設会社社長の金子芳尚氏(五八)、元岩手県宮古市長の熊坂義裕氏(六二)の計6人が立候補の予定だ。

原発事故後初の福島知事選原発政策最優先のはず_2

相乗り…論戦消えた

 東雲住宅で暮らす南相馬市の広田一枝さん(四七)は「あれだけの事故があったのに、原発政策があまり争点になっていないのはどうして。福島の人たちが、原発について意思を示すのが今回の知事選のはず」と疑問を投げかけた。
 福島市内で2日にあった立候補予定者討論会で、「県内の原発は即、廃炉」という質問に立候補予定の六人は一斉に「○」の札を上げたが、原発政策は議論にならなかった。
 原発から約二十二キロの自宅に夫は戻ったが、広田さんは小学生の子ども3三人と自主避難を続ける。生活は苦しいが、子どもの健康を考えると戻る決心がつかない。「帰還だけでなく生活保障も考えてほしい。復興も大事だが、県民一人一人の心や健康を考える人に知事になってほしい
 九月十五日に原発近くでも国道6号を車で通行できるようになった。居住禁止の指定は徐々にだが解除されている。
 1日、避難指示の指定が外れた川内村東部で、自宅の片付けをしていた飯田一郎さん(六七)は「自民と民主の相乗りで、原発の是非とか、大事な争点が隠れてしまっている。国政と同じように論戦してほしいんだけどね」と話した。七人家族。家屋は傷み、新築するまで村内の仮設住宅で暮らすつもりだ。
 「選挙に出る人は『復興』と言うけど、事故前と同じに戻れるか分からない。若い人はいなくなった。除染も自宅の周辺はされたけど、この辺の山全部は無理じゃないか」。若いころは福島第一原発でも機器の手入れをして働いたが、「事故が起きた以上、全ての原発をなくさないと。そういう話が、知事選で出そうにないのが残念だ」。

「まず収束、国に強く言えるのか」

 「事故が収束したとは思えない。再び爆発があれば、二十キロ圏内のここは大きな影響を受ける。復興の前提として事故の完全な収束が必要。その点を候補には言ってほしい」と要望するのは、一日に自宅に戻った草野勝利さん(六九)。ただ、居住禁止の解除から約一週間で、村復興対策課によると、対象百三十九世帯のうち推計で十世帯程度しか戻れていない。多くは仮設住宅の暮らしが続いている。
 その仮設住宅に、候補者の一人が告示日の九日に訪れる予定だという。だが、一人暮らしの女性(八七)は「名前を聞いてもピンとこない」と笑った。「復興は村長の仕事。原発事故の対応は国の仕事。知事は生活にどう関わるのかピンとこない。選挙には行くつもりだけど…」
 川内村の田んぼは黄金色に輝いていたが、農家の顔色はさえない。福島県産は以前のように売れないのに、今年はコメの価格も下がっている。村役場近くで稲刈りをしていた秋元勝治さん(五六)は「まず原発事故を収束させないと何も始まらないと、国に強く言える人はいない。誰が知事になっても選挙の時にいい顔するだけ。ちゃんとやってくれるとは思わない」と思う。
 昨年は県庁所在地の福島市、郡山市、いわき市と県内の主要市長選で現職の候補が次々と敗れるドミノ現象が生じた。既存の政治への不満はたまっている
 農家の男性(七八)は腰を悪くしてつえを手放せないが、車で三十分かけて自宅に戻り、田んぼの世話を続ける。今年は、刈り取り直前の田んぼがイノシシに荒らされた。「震災前はなかった。人がいないので頻繁に荒らしに来る」。知事選では自民党が推す候補に投票すると決めている。「原発を進めてきた政党の候補に、後の処理もやってもらわないといけないからね

原発事故後初の福島知事選きょう告示 デスクメモ


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