朝日バッシング 飛び交う「売国」「反日」
(東京新聞【こちら特報部】)2014年10月3日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014100302000145.html
朝日新聞バッシングに血道を上げる雑誌には「売国」「国賊」「反日」の大見出しが躍る。敵を排撃するためには、あらん限りの罵詈(ばり)雑言を浴びせる。まるで戦前・戦中の言論統制だ。ネットではおなじみの風景だが、活字メディアでも「市民権」を得つつある。「嫌韓本」で一線を越えた出版界には、もはや矜恃(きょうじ)もタブーもないのかもしれない。安倍政権が「戦争できる国」へ突き進む中、「売国奴」呼ばわりの横行は、あらたな「戦前」の序章ではないのか。
(林啓太、沢田千秋)
新たな「戦前」の序章」?
「売国」「反日」見出しは売れる
朝日新聞に批判的な向きも、『週刊文舂』九月四日号には驚いたに違いない。メーン見出しは「朝日新聞『売国のDNA』」。朝日新聞が取り消し・訂正した「吉田調書」や慰安婦報道にとどまらず、「サンゴ事件」など朝日の過去の誤報を持ち出しながら「売国のDNAは脈々と受け継がれている」と指弾した。『週刊アサヒ芸能』八月二十八日号は「『国賊メディア』朝日新聞への弔辞」とちゃかした。
右派月刊誌は、「反日」のレッテルを好む。『正論』十一月号は「堕してなお反日、朝日新聞」。寄稿者らは、朝日の一連の対応を「偽りの謝罪」「傲慢無恥」「国辱責任」と異囗同音にこき下ろす。
もともと「売国」「国賊」は、戦前・戦中の軍国主義に反対する者に投げ付けられた言葉である。
例えば、立憲政友会の宮城県支部青年部が一九三三年に出版した書籍は、三〇年のロンドン海軍軍縮会議に首席全権として出席した若槻礼次郎元首相を「屈辱軍縮の売国の徒」と批判している。同じ三三年には、「国粋神風隊出版部」が「軍部を罵倒する国賊大阪朝日新聞ヲ葬レ」と主張す
る書籍を出している。
佐々木啓・茨城大准教授(日本近現代史)は「『非国民』という表現も、特に一九三〇年代からしきりに出てくる」と説く。「『売国』『国賊』『非国民』は、天皇を中心とした国の在り方に反する存在だと見なされた。言われた側は、萎縮せざるを得なかった」
「反日」はどうか。佐々木氏は「米国や中国での排日運動を表現する言葉だった。国内の反抗者を指す言葉になったのは、おそらく戦後からではないかJとみる。八七年五月三日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入して散弾銃を発砲、小尻知博記者=当時(二九)=が殺害された。「赤報隊」を名乗る犯行声明には「反日朝日は五十年前にかえれ」とあった。
ネット過激表現 メディア後押し
週刊誌などの朝日バッシングの中で「売国」「反日」が平然と使われている背景には、表現の過激さでは数段上を行くネット上の言説がある。匿名掲示板「2ちゃんねる」や、ツイッターの匿名アカウントが「売国奴」「反日」などと誹謗中傷するのは日常茶飯事だ。
右派系の有名人は、ツイッターでも物おじせず実名で「売国奴」批判を展開する。NHK経営委員で作家の百田尚樹氏は、九月二十日に死去した土井たか子・元社民党党首を「拉致被害者の家族の情報を北朝鮮に流した疑惑もある。まさしく売国奴だった」と攻撃した。そうした発言も、主流メディアの「右旋回」を後押ししている。
国動く時、排除の論理
「売国」「反日」などの悪罵が看過できないのは、物理的な暴力につながっていくからだ。まさに戦前・戦中は、「売国奴」「非国民」のレッテルを貼られた活動家や文化人が、官憲の拷問によって虐殺された。今回の朝日バッシングのさなか、慰安婦報道に関わった朝日新聞元記者が勤務する大学に「辞めさせろ」などの脅迫文やくぎなどが送り付けられた。
右派系機関紙の「非国民リスト」に載せられたこともある在日コリアン三世の人材コンサルタント辛淑玉(シンスゴ)氏は「私の場合は、小さい時から周りは敵ばかりだったが、普通の日本人が『非国民』『売国奴』と非難されるのは相当きついはずだ」と懸念する。
脱原発や沖縄・辺野古新基地反対運動に目を転じれば、「売国」「反日」呼ばわりは当たり前だ。「『お国のために我慢しろ、反対したら非国民だぞ』という風潮が広がりつつある。国家権力に対峙する人たちは『売国奴』のレッテルを貼られ、日本人というアイデンティティーでつながった大衆を敵に回して戦わなければならない。並大抵なことではない」(辛氏)
「非国民」「売国奴」と叫ぶ人間はもちろん、国の行く末を憂う「真の愛国者」ではないだろう。新右翼「一水会」最高顧問の鈴木邦男氏は「愛国という言葉は素晴らしいが、先に国家ありきでなく、家族や周囲の人々を愛する流れの中で培うもの。愛国者気取りで『売国』『国辱』などと口汚く他者をののしるのは『エセ愛国者』」と断じる。
ではどうするか。少なくとも、老舗の言論機関には節度を求めたいところだが、現実には難しいようだ。在日コリアンらを排斥するヘイトスピーチ(差別扇動表現)におもねるように「嫌韓本」を売りまくる最近の出版界である。
「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」事務局の岩下結氏は「記事の中身はたいしたことがなくても、見出しに『反日』『売国』と打つと、やはり一定数売れるから、朝日批判などの特集は鉄板。どこの出版社もやりたがる」と実情を明かす。
ジャーナリストの青木理氏は「メディアが自己の利益のために排外主義をあおるなどもっての外。蔓延(まんえん)する前に芽を摘み取るのが、メディアの責務だ」と訴えるものの、岩下氏は悲観的だ。「ネットの台頭に伴う業界の衰退とあいまって、たとえ節操がなくても売れるためなら何でも手を出すという雰囲気がまかり通っている。どこの会社も苦しい中、踏みとどまって『これでいいのか』と考える余裕はない」
「戦争受け入れる下地づくり」
最後に触れなければならないのが、安倍晋三首相である。「売国」「反日」の歴史的経緯は既に見たとおりだが、「いまなぜ」と問われれぱい首相の存在を抜きには語れない。朝日バッシングの先頭に立っている右派勢力と首相は、思想信条の多くを共有する。
前田朗・東京造形大教授(戦争犯罪論)は「国家が『売国奴』などのレッテルで、内なる敵を排除しようとするのは、価値観が揺れ動くときだ。安倍政権は、集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法などで国の形を大きく変えようとしている」と分析する。
前出の辛氏は重ねて警告する。
「日本は集団的自衛権の行使容認によって近いうちに戦争当事国になる。『売国』など愛国心をあおるような表現の蔓延は、そんな状況を国民がすんなり受け入れる下地づくり。こんな言葉に慣れて鈍感になっていくことが一番恐ろしい」
慰安所規定
一、本慰安所には、陸軍々人軍属(軍夫を除く)の外、入場を許さず
入場者は慰安所外出証を所持すること
一、入場者は必ず受付において料金を支払い、之(これ)と引替に入場券及「サック」一個を受け取ること
一、入場券の料金、左の如し
下士官・兵・軍属 金二円
一、入場券の効力は当日限りとし、若(も)し入室せざる時は現金と引替をなすものとす 但し、一旦、酌婦に渡したるものは返戻せず
一、入場券を買い求めたる者は、指定せられたる番号の室に入ること 但し時間は三十分とす
一、入室と同時に入場券を酌婦に渡すこと
一、室内に於ては、飲酒を禁ず
一、用済みの上は、直に退室すること
一、規定を守らざる者、及、軍旗風紀を紊(みだ)す者は退場せしむ
一、「サック」を使用せざる者は接婦を禁ず
海軍航空基地第2設営班資料
主計長 海軍主計中尉 中曾根康弘
主計長(海軍第二設営班主計長の中曽根康弘・海軍主計中尉)の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり
中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)
http://youtu.be/hHxr47Wv7hY
中曽根元首相と海軍慰安所(2/2)
http://youtu.be/PI2k6d9s-vM
「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り
2014.09.07. LITERA エンジョウトオル
http://lite-ra.com/2014/09/post-440.html
朝日新聞の慰安婦報道の失態で勢いづいている右派・保守陣営だが、中でも、一番大はしゃぎしているのが産経新聞だろう。産経は慰安婦が政治問題化した1990年初頭から、慰安婦の強制連行はなかったと否定し、河野談話や村山談話を批判、慰安婦を記述した教科書を糾弾するキャンペーンを展開してきた。
さらに同紙の社説にあたる「主張」や月刊オピニオン誌「正論」では、強制連行の否定だけでなく、慰安婦は「民間業者が行っていた商行為」で、「自ら志願した娼婦」。日本軍は従軍慰安婦に「性病予防対策などで関与していた」だけ、「公衆衛生面で関与していた」にすぎないという主張を繰り広げてきた。
そして今回、朝日が「吉田証言」の間違いを認めた事で、こうした自分たちの主張がすべて正しかったと勝ちどきをあげているのだ。
97年に結論が出ていた「吉田証言」の虚偽を朝日が今になって認めたというだけで、どうしてそういう結論になるのかさっぱりわからないが、とにかく産経は自信満々で、日本軍に慰安婦の責任はまったくないかのような論調を繰り広げている。
だが、彼らは自分たちの会社で中興の祖とあおがれている人物が、その「軍は公衆衛生面で関与していただけ」という主張をくつがえすような衝撃的発言をしていたことを知っているのだろうか。
その人物とは元産経新聞社長で、フジサンケイグループ会議議長だった故・鹿内信隆。鹿内は日経連専務理事からニッポン放送、フジテレビを開局して社長を歴任した後、産経新聞の経営権を握り社長に就任。現在、フジサンケイグループの原形を築き上げた人物だ。その権力と政治力は絶大なものがあり、1990年になくなるまで、事実上のオーナーとして同グループを独裁支配。経営方針だけでなく、現在の同グループのタカ派的な姿勢もすべて鹿内がつくりあげたものだ。
「鹿内さんは産経新聞社長に就任時するや同紙を反共タカ派の拠点にする方針を掲げ、自分にさからうリベラルなスタンスの社員のクビを片っ端から切っていった。800人に及ぶそのリストラの凄まじさは当時、マスコミ界でも“産経残酷物語”といわれたほどです。こういうことがあって、産経は今のゴリゴリの右派一色に染まった訳です。この鹿内さんのDNAはもちろん、現在の経営陣、編集幹部にも引き継がれています」(産経新聞OB)
その鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。
「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
桜田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」
※以下、本ページをご覧下さい。
慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
歴史を偽造するものは誰か
――「河野談話」否定論と日本軍「慰安婦」問題の核心
(しんぶん赤旗)2014年9月27日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-27/2014092704_01_0.html
「吉田証言」が虚偽だったことを利用した「河野談話」攻撃の大キャンペーン
朝日新聞は8月5、6日付で掲載した「慰安婦問題を考える」と題した報道検証特集で「吉田(清治)氏が(韓国)済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」と訂正しました。これをきっかけに、一部右派メディアと過去の侵略戦争を肯定・美化する「靖国」派の政治勢力が一体となって、異常な「朝日」バッシングが続けられています。見過ごせないのは、その攻撃の矛先が、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、謝罪を表明した河野洋平官房長官談話(1993年8月4日――以下「河野談話」)に向けられていることです。
それは、「吉田証言」が虚偽であった以上、「河野洋平官房長官談話などにおける、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹は、もはや崩れた」(「産経」8月6日付主張)というものです。「靖国」派議員の集団である自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は8月15日に緊急総会を開き、「河野談話の根拠が揺らいだ」などとして、萩生田光一・同会幹事長代行(自民党総裁特別補佐)が「(河野談話を否定する)新しい談話が出てきてもいい」などと発言しています。8月26日には、自民党の高市早苗政調会長(当時)が「河野談話」に代わる「新たな内閣官房長官談話」を出すよう菅義偉官房長官に申し入れています。「河野談話」否定派からは、「河野談話の取り消しなくしてぬれぎぬは晴らせない。潰すべき本丸は河野談話なのである」(ジャーナリストの桜井よしこ氏、「産経」9月1日付)と、本音があからさまに語られています。
「河野談話」を攻撃するキャンペーンは、これまでも繰り返し行われてきました。それがどのような特徴をもっているのか、歴史の真実と国際的道理に照らしていかに成り立たない議論であるかについては、すでに日本共産党の志位和夫委員長が今年3月14日に発表した見解「歴史の偽造は許されない―『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」(以下、「志位見解」)で全面的に明らかにされています。「志位見解」は、「河野談話」の作成過程と、日本の司法による事実認定の両面から、「談話」の真実性を明らかにしつつ、「河野談話」否定論について、「歴史を偽造し、日本軍『慰安婦』問題という重大な戦争犯罪をおかした勢力を免罪しようというものにほかなりません」と批判しました。
ここでは、「志位見解」を踏まえて、「吉田証言」取り消しに乗じた「河野談話」攻撃に反論するとともに、それを通じて日本軍「慰安婦」問題の核心がどこにあるのかを、改めて明らかにするものです。
「河野談話」は「吉田証言」を根拠にせず――作成当事者が証言
第一に、「河野談話」否定派は、「吉田証言が崩れたので河野談話の根拠は崩れた」などといっていますが、「河野談話」は、「吉田証言」なるものをまったく根拠にしていないということです。
「吉田証言」とは、1942年から3年間、「山口県労務報国会」の動員部長を務めたとする吉田氏が、1943年5月に西部軍の命令書を受けて、韓国・済州島で暴力的に若い女性を強制連行し、「慰安婦」とした(いわゆる「慰安婦狩り」)とする「証言」です。この「証言」は、1982年に「朝日」が初めて報じて以来、同紙が16回にわたって取り上げ、「慰安婦」問題が政治問題に浮上した90年代前半には他の全国紙も連載企画や一般の報道記事のなかで伝えました。「しんぶん赤旗」は92年から93年にかけて、吉田氏の「証言」や著書を3回とりあげました。
この「吉田証言」については、秦郁彦氏(歴史研究家)が92年に現地を調査し、これを否定する証言しかでてこなかったことを明らかにしました(「産経」92年4月30日付)。また、「慰安婦」問題に取り組んできた吉見義明中央大教授は、93年5月に吉田氏と面談し、反論や資料の公開を求めましたが、吉田氏が応じず、「回想には日時や場所を変えた場合もある」とのべたことなどから、「吉田さんのこの回想は証言としては使えないと確認する」(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』97年6月出版)としました。
「吉田証言」の信ぴょう性に疑義があるとの見方が専門家の間で強まり、一方で元「慰安婦」の実名での告発や政府関係資料の公開などによって、「慰安婦」問題の実態が次々に明らかになるなかで、日本軍「慰安婦」問題の真相究明のうえで、「吉田証言」自身が問題にされない状況がうまれていたのです。
そうした状況のなかで、93年8月に発表された「河野談話」は、その作成の過程で、「吉田証言」をどのように扱ったのでしょうか。問題の核心はここにあります。この点で、9月11日に放映されたテレビ朝日系「報道ステーション」の「慰安婦」問題検証特集は、当時、官房副長官として「河野談話」作成に直接かかわった石原信雄氏の注目すべき証言を紹介しました。
そこで石原氏は、「吉田証言」について「あれはこう、なんていうか、眉唾(まゆつば)もんだというふうな議論はしていましたね、当時から」とのべ、日本政府として「吉田証言」をはなから問題にしていなかったことを明らかにしました。
そのうえで石原氏は、「吉田証言をベースにして韓国側と議論したということは、私はありません」「繰り返し申しますが、河野談話の作成の過程で吉田証言を直接根拠にして強制性を認定したものではない」と明言しました。
実際、当時、日本政府は吉田氏をヒアリングの対象にしましたが、証言は採用しませんでした。番組では、当時調査にあたった担当者に取材し、「私たちは吉田さんに実際会いました。しかし、信ぴょう性がなく、とても話にならないと。まったく相手にしませんでした」という証言も紹介しています。
石原氏が断言するように、「河野談話」はもともと「吉田証言」を根拠にしていないのですから、「吉田証言が崩れたから河野談話の根拠もなくなった」などという議論は成り立つ余地などないのです。
元「慰安婦」の証言から強制性を認定――「河野談話」の正当性は揺るがない
それでは、「河野談話」は、何をもって、「慰安婦」とされた過程に強制性があったと認定したのでしょうか。その点で、前出の石原元官房副長官が、同じテレビ番組で、元「慰安婦」の証言によって、「慰安婦」とされた過程での強制性を認定したとあらためて証言したことは重要です。
石原氏は、強制的に「慰安婦」とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったもとで、韓国の16人の元「慰安婦」からの聞き取り調査をした経過を次のように説明しました。
「政府としては、その(女性の)意に反する形で慰安婦を募集したということがあったのかないのか、これは非常に重大な問題ですから、再度全省庁を督励して当時の戦中の資料の発掘調査を行った」
「慰安所の運営につきまして深く政府が関わっておった」「輸送について安全を図ってほしいとか、あるいは慰安所の運営について衛生管理あるいは治安の維持をしっかり頼むという趣旨の文書は出てきた」
「(募集にあたっての強制性を裏付ける資料は出てこなかったため)当事者(元『慰安婦』)の話を聞いて、その話の心証から、強制性の有無を判定することが必要だと決断した」
そして、石原氏は、元「慰安婦」からの聞き取りを行った結果、「募集の過程で、かなり強引な募集が行われたことがあったようです。結果的に脅かされたとか、だまされたとか、あるいは当時の官憲ですね、まあ巡査なんかが関わってかなり強制的に慰安婦に応募させられたという人がいることが証言から否定できないということになりました」と明らかにしています。
今年3月の「志位見解」は、「河野談話」作成にいたる経過を検証し、強制的に「慰安婦」にされたことを立証する日本側の公文書がみつからないもとで、強制性を検証するために元「慰安婦」の聞き取り調査を行い、他の証言記録や資料も参照したうえで、日本政府が「慰安所」における強制使役とともに、「慰安婦」とされた過程にも強制性があったことは間違いないという判断をするに至ったことを、当時の河野官房長官らの証言によって明らかにしました。そのことが、当時、官房副長官だった石原氏の証言によってあらためて裏付けられたのです。
「志位見解」が明らかにしているように、そもそも強制的に「慰安婦」とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったことは、不思議でもなんでもありません。当時から、拉致や誘拐などの行為は、国内法でも国際法でも明々白々な犯罪行為でしたから、それを命令する公文書などを作成するはずがないからです。また、日本政府と軍は敗戦を迎える中で、みずからの戦争責任を回避するため重要文書を焼却し証拠隠滅をはかったとされています。
被害者の証言は「被害者でなければ語りえない経験」(河野氏)であり、もっとも重要な証拠です。それに基づいて「河野談話」が、「慰安婦」とされる過程で強制性が存在したと認定したことは公正で正当なものでした。
「河野談話」の正当性は、いささかも揺るがないものであることは、これらの経過に照らしても明らかです。
日本軍「慰安婦」問題の本質を覆い隠す、問題の二重の矮小化は通用しない
「河野談話」否定派による、「吉田証言が虚偽だったので河野談話は崩れた」とする議論の根本には、「『強制連行の有無』が慰安婦問題の本質である」(「読売」8月6日付社説)と、「慰安婦」問題を「強制連行」の有無に矮小(わいしょう)化することで、その全体像と本質を覆い隠そうという立場があります。
「河野談話」が認定した事実は、
(1)日本軍「慰安所」と「慰安婦」の存在、
(2)「慰安所」の設置、管理等への軍の関与、
(3)「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反して」いた=強制性があったこと、
(4)「慰安所」における強制性=強制使役の下におかれたこと、
(5)日本を別にすれば、多数が日本の植民地の朝鮮半島出身者だった。募集、移送、管理等は「本人たちの意思に反して行われた」=強制性があったこと
―の5点です。
このうち「談話」否定派が否定しようとしているのは、「もっぱら第3の事実――『慰安婦』とされる過程が『本人たちの意思に反していた』=強制性があったという一点にしぼられています」(「志位見解」)。
ここには、日本軍「慰安婦」問題の二重の矮小化があります。
第一に、「河野談話」否定派は、「慰安所」における強制使役=性奴隷状態とされたという事実を無視して、「慰安婦」とされた過程で「強制連行」があったかなかったかだけに、問題を矮小化しています。こうした攻撃の手口そのものが、日本軍「慰安婦」問題の本質をとらえない、一面的なものであることは、すでに「志位見解」が次のようにきびしく批判しています。
「女性たちがどんな形で来たにせよ、それがかりに本人の意思で来たにせよ、強制で連れて来られたにせよ、一たび日本軍『慰安所』に入れば監禁拘束され強制使役の下におかれた――自由のない生活を強いられ、強制的に兵士の性の相手をさせられた――性奴隷状態とされたという事実は、多数の被害者の証言とともに、旧日本軍の公文書などに照らしても動かすことができない事実です。それは、『河野談話』が、『慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった』と認めている通りのものでした。この事実に対しては、『河野談話』見直し派は、口を閉ざし、語ろうとしません。しかし、この事実こそ、『軍性奴隷制』として世界からきびしく批判されている、日本軍『慰安婦』制度の最大の問題であることを、まず強調しなくてはなりません」
第二は、そのうえで、「河野談話」否定派は、「慰安婦」とされた過程における強制性についても、「官憲による人さらいのような強制連行」があったか否かに問題を矮小化しています。
安倍首相は「家に乗り込んでいって強引に連れて行ったのか」(衆議院予算委員会、2006年10月6日)どうかを問題にして、そんな事例はないと繰り返してきました。首相は、「人さらい」のような「強制連行」だけをことさらに問題にしますが、甘言やだまし、脅迫や人身売買などによって「慰安婦」とされた場合は、問題がないとでもいうつもりでしょうか。「人さらい」のようなものでなくても、「慰安婦」とされた過程に「本人たちの意思に反した」強制があったかどうかが問題なのです。この点で強制性が働いていたという事実は、「河野談話」が明瞭に認定している通りです。
くわえて、「人さらい」のような「強制連行」もあったことは、インドネシア(当時オランダ領東インド)のスマランや中国南部の桂林での事件などでも明確であること、「軍や官憲による強制連行を直接示す記述はなかった」とする第1次安倍政権時代の政府答弁書は事実と違うことは、すでに「志位見解」で詳しくのべている通りです。
日本軍「慰安婦」問題の本質を覆い隠す、「河野談話」否定派による問題の二重の矮小化は、到底通用するものではありません。
「河野談話」否定派の議論は、国際社会では到底通用しない
国際社会が問題にしているのは、すでにのべた日本軍「慰安婦」問題の最大の問題――女性の人権を無視し、じゅうりんした、「慰安所」における強制使役=性奴隷制度にほかなりません。これまでに、米国下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会、韓国国会、台湾立法院、フィリピン下院外交委員会と、七つの国・地域の議会から日本政府に対する抗議や勧告の決議があげられていますが、そのいずれもが問題にしているのは、「強制連行」の有無ではありません。軍(政府)による「慰安所」における強制使役=性奴隷制度こそが、国際社会からきびしく批判されている問題の核心なのです。
たとえば、2007年7月に米下院で採択された対日謝罪要求決議は、「河野談話」を弱めたり、撤回させようとする動きを非難し、「(日本政府は)世界に『慰安婦』として知られる若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである」と求めています。
「朝日」が「吉田証言」を取り消したからといって、この国際的立場はまったく変わるものではありません。英誌『エコノミスト』8月30日号は「『朝日』は済州島の件で間違ったのだろうが、戦時中、女性たちに売春を強制した日本の責任は疑いない」と指摘。同じく英紙のフィナンシャル・タイムズ(8月15日付)も、「日本の保守派の一部は、兵士や当局者が直接女性たちを力で狩り集めたかどうかの問題に焦点をあて、そうでなかったなら日本には責任がないと主張している。しかし、これは醜い言い訳だ」とする慶応大の小熊英二氏のコメントを紹介しています。
日本軍「慰安婦」問題の核心である軍「慰安所」における強制使役=性奴隷状態とされたことを無視し、「慰安婦」とされた過程における強制性も「強制連行」だけに矮小化する「河野談話」否定派の議論は、国際的にも到底通用するものではありません。
それは、「慰安婦」問題の本質と実態を隠し、重大な戦争犯罪を行った勢力を免罪するものにほかなりません。
「河野談話」攻撃の「論拠」が覆るもとでの悪あがき
「吉田証言」取り消しに乗じた「河野談話」攻撃は、みてきたように、実体的な根拠がないばかりか、国際的な道理ももたないものです。
経過を振り返ると、「河野談話」否定派は、「談話」が出た直後から、歴史的事実や被害者の証言も無視して、「河野談話」を“日本の名誉をおとしめるもの”などと攻撃してきました。2012年に第2次安倍政権が誕生すると「河野談話」否定派は勢いづき、今年2月20日には衆議院予算委員会で日本維新の会(当時)議員が「河野談話」見直しを求める質問を行い、同月28日には政府として「河野談話検証チーム」を発足させて作成過程を検討する事態にまでなりました。
こうしたなか、3月14日には、「河野談話」見直し論への徹底反論を通じて、「慰安婦」問題の真実を明らかにした「志位見解」が発表されます。その後にこの「見解」に対して「談話」否定派からの反論はいっさいありませんでした。
さらに、6月20日には政府による「河野談話検証チーム」が、検証結果を報告しますが、これを受け政府は「河野談話の継承」を表明せざるをえませんでした。政府自身が「河野談話の継承」を表明したことで、「談話」否定派は、その足場を失うことになりました。そこに飛び出したのが「朝日」の「吉田証言」取り消しです。「談話」否定派は、これに飛びついて、起死回生の大キャンペーンを開始しました。しかし、「河野談話」を否定する大キャンペーンは、国内外で矛盾をいっそう深めることにしかなりません。
すでに、「志位見解」は、元「慰安婦」らが日本政府に謝罪と賠償を求めた裁判では、
(1)八つの判決での被害者35人全員について、強制的に「慰安婦」にされたとの事実認定がなされていること、
(2)「慰安所」での生活は文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まるものだったことを、35人の一人ひとりについて、具体的に事実認定されていることを、明らかにしています。そして、こうした強制が国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為であることを「極めて反人道的かつ醜悪な行為」「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」などの峻烈(しゅんれつ)な言葉で告発していることを示しています。
「河野談話」否定派がどんなに事実をねじ曲げようとしても、加害国日本の司法によって認定された事実の重みを否定することは決してできません。
「河野談話」否定派がいま行っているキャンペーンは、自らの攻撃の「論拠」が根底から覆されるもとでの、悪あがきにすぎません。歴史を偽造するものは誰か。すでに答えはあまりにも明らかです。
安倍政権、一部メディアの姿勢が厳しく問われている
最後に指摘しておきたいのは、安倍政権が、「河野談話」攻撃に一切反論しないどころか、同調さえするという態度をとっていることです。
安倍政権は「河野談話」を継承するとの態度を繰り返し表明し、検証チームの結論も受けて、「河野談話の継承」を明確にしたはずです。ところが、「朝日」報道をきっかけに「河野談話」攻撃が強められているのに、それにいっさい反論していません。これは、政府としての重大な責任放棄といわなければなりません。
安倍首相は9月14日のNHK番組で朝日新聞に対し「世界に向かって取り消していくことが求められている」としたうえで、「事実ではないと国際的に明らかにすることを、われわれも考えなければならない」などとのべています。首相は、一体何を「取り消せ」というのでしょうか。「吉田証言」が虚偽であったことにかこつけて、日本軍「慰安婦」制度が「性奴隷制」であったこと、「慰安婦」とされた過程に強制性があったことを、「取り消せ」というのでしょうか。そうであるとするならば、「河野談話の継承」といいながら、「河野談話」否定の立場に自らの身を置く、不誠実な二枚舌といわねばなりません。
安倍政権が、「河野談話」否定論に毅然(きぜん)とした態度をとらず、同調する態度をとるならば、国際的信頼をさらに大きく損なうことは避けられないことを、私たちは強く警告しなければなりません。
「河野談話」攻撃に象徴される歴史偽造のキャンペーンに、日本の言論機関、大手メディアの一部がかかわっていることも重大です。戦前の侵略戦争に対して、現在の全国紙の前身である新聞各社は、その片棒をかつぎ、「満蒙は日本の生命線」とする議論をあおり、はては「大本営発表」を垂れ流すことで国民を侵略戦争に駆り立てました。今日のメディア状況をこの時代と重ねあわせ、深い憂慮を抱く人は少なくありません。
歴史偽造の逆流を決して許さない
「しんぶん赤旗」は、日本の良心を代表する新聞の一つとして、そうした心ある人々とともに歴史偽造の逆流を決して許さないたたかいに全力をあげるものです。そして、日本社会の一部に生まれている排外主義の風潮を許さず、女性の尊厳、人間の尊厳が守られる日本社会をつくるうえでも、歴史の真実を広く国民の共通認識にしていくために努力を続けるものです。
釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟- Wikipedia
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女性は怒るべし!不誠実な二枚舌(;`O´)o…慰安所規定…歴史を偽造するものは誰!(`・ω・´)
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