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パパ、パパ… (´Д⊂  愛が消えつつある社会で・・

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パパ、パパ…衰弱死 児童虐待を防ぐ手だては
(東京新聞【こちら特報部】)2014年7月19日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014071902000158.html
 「パパ、パパ」の訴えもむなしく、真っ暗なアパートの一室で衰弱死-。神奈川県厚木市で斎藤理玖(りく)ちゃん=当時(5つ)=の白骨遺体が見つかった事件に胸がつぶれる思いだ。全国で悲惨な児童虐待が後を絶たない。過去には、段ボールを食べながら餓死した男児や、小さな木箱の中で窒息死した女児もいた。防ぐ手だてはないのか。
(白名正和、荒井六貴、山田祐一郎)

パパ、パパ…衰弱死 児童虐待を防ぐ手だては

厚木の理玖ちゃん 2年間アパート「監禁」

 「こちら特報部」は、厚木の虐待事件の現場を訪ねた。小田急本厚木駅から北へ約五キロ、理玖ちゃんの白骨遺体が見つかったアパートは、田畑が入り交じる住宅街の一角にあった。
 「姿を見かけないと思っていたが、どこかに引っ越して元気に暮らしているものとばかり…。悲しくてやりきれない」。アパートの隣に住む女性(八〇)は沈痛な表情を浮かべた。
 事件が発覚した五月三十日は皮肉にも、理玖ちゃんが生きていれば十三歳の誕生日だった。アパートの前を通りかかった中学一年の男子生徒(一二)がつぶやいた。「本当なら理玖ちゃんは今ごろ、僕と同じ学校に通っているはずだった。友達になれたかもしれない。ずっと閉じ込められていたなんて残酷すぎる」
 なるほど残酷な事件である。
 横浜地検は八日、父親で元トラック運転手の斎藤幸裕被告(三六)=詐欺罪で起訴=を殺人罪で追起訴した。幸裕被告は、理玖ちゃんを部屋に閉じ込めて食事や水分を十分に与えず、二〇〇七年一月中旬に栄養失調で死亡させたとされる。遺体は七年以上も放置された。
 「監禁」が始まったのは、母親がDV(家庭内暴力)を理由に家を出て、理玖ちゃんと幸裕被告が二人暮らしになった○四年十月以降。アパートの部屋の窓には粘着テープが張られ、幸裕被告の留守中は玄関の鍵がかけられる。理玖ちゃんは寂しさからか、出勤前の幸裕被告に「パパ、パパ」としがみついた。電気もガスも水道も止められた真つ暗な部屋で、幸裕被告の帰りを待ち続けた。
 「母親がいる間は、理玖ちゃんの家の窓から、台所で料理をする音などが聞こえていた。でもいつからか聞こえなくなった。明かりもっかず、雨戸も閉め切ったまま。物音も、家の中からはほとんど聞こえてこなかった」(前出の女性)
 幸裕被告は少しずつ家に帰らなくなる。交際相手ができたためらしい。帰宅は一日おき、二日おきになった。理玖ちゃんが最後に父親の姿を見たのは、○七年一月。がりがりにやせ細り、自力で立つことも、パンの袋を開けることもできないほど弱っていた。「パパ、パパ…」。家に戻った幸裕被告にか細い声で呼び掛けたものの、幸裕被告は「怖くなって一時間もいられず、外に出た」という。
 理玖ちゃんはその後すぐ栄養失調で亡くなった。父子二人の生活は二年ちょっと。この間、外の空気を吸うことも光を浴びることもほとんどなく、幸裕被告以外の誰かと顔を合わせることもなかった。遺体発見後、幸裕被告は「いつも理玖の姿が脳裏にあり、『ごめんなさい』と思っていた」と涙した。

児相の役割地域でカバーを 児童虐待を防ぐ手だて

福祉司1人200事案■強制措置機能せず

児相の役割地域でカバーを

 残念ながら児童虐待は珍しくない。
 千葉県柏市で二〇一一年五月、部屋に閉じ込められた男児(二つ)が餓死した。腸には段ボールや紙おむつの成分が詰まっていた。空腹のあまり、手の届くところにあったものを手当たり次第に食べていた。体重は約六キロで、六ヵ月児の平均体重にも満たなかった。
 大阪市では一〇年七月、ワンルームマンションで女児(三つ)と男児(一つ)が餓死しているのが発見された。母親は衰弱している二人の姿を横目に、約五十日間も家に戻らなかった。室内はごみやふん尿が散乱。食べ物を探したのか、冷蔵庫の扉は開いたままだった。
 横浜市では○九年十二月、母親と内縁の夫から夜泣きを疎まれた女児(一つ)が、高さ約六十センチの木箱に十二時間監禁、窒息死した。同市では、一二年七月に女児(六つ)が母親の交際相手から暴行を受けて死亡し、遺体が雑木林に埋められる事件も起きている。
 児童虐待件数は増え続けている。厚生労働省によると、一二年度は約六万六千七百件で○二年度の二・八倍。その一方で、東京都の調査では、居住実態がつかめず所在が分からない十八歳未満の子どもが今月八日時点で都内に三百七十八人もいた。表面化しない被害の多さをうかがわせる。
 虐待事件は、どうすればなくなるのか。
 事件のたびに問題視されるのが、虐待対応の専門機関である児童相談所(児相)だ。厚木市や柏市の事件では、子どもが小学校に通っていないなどの情報が寄せられたが、児相は対応しなかった。批判は免れないが、人員不足で手が回りきらないという事情がある。
 国も全く手をこまねいていたわけではない。児童虐待防止法を○七年に改正し、裁判所の許可があれば家庭に強制立ち入り調査する権限を児相に持たせた。ただし、一二年度の実例は一件だけ。現場は、家庭への強制的措置に二の足を踏んでいるようだ。
 元大阪市甲央児童相談所長の津崎哲郎・花園大教授(児童福祉論)は「児相に虐待への対応をすべて任せても、人員不足などで全案件には対応できない」と強調する。
 児童相談所の数は全国で約二百。県内に二~三ヵ所しかない地域もある。二十四時間寄せられる通報は、とてもさぱけない。津畸教授は「学校や自治体、警察など社会ぐるみで予防する仕組みをつくらないといけない」と説く。
 松原康雄・明治学院大教授(児童福祉論)も「今ある権限を駆使できるよう、虐待に対応する児童福祉司の人数を増やすべき」と主張する。厚労省によると、児童福祉司は、一人あたり二百件以上の事案を抱える。「小学校の教員が、三十人のクラスを指導するのも難しいことを考えれば、児童福祉司が少ないのは明らかだ」
 東京都世田谷区の子育てサロン「アガーポーリ」の中西貴子代表は「子どもに手を出してしまった親が自責の念を抱え込み、子どもをかわいがらなけれぱと不安にかられ、でも、思い通りにいかず再び子どもにあたる悪循環がある」と指摘した上で、地域社会に期待する。
 「親が何でも相談できる居場所があれば、最初の段階で不安が解消され、虐待の芽を小さいうちに摘むことができる。地元の社会で顔の見える関係を築くことが大事

児童虐待を防ぐ手だては デスクメモ


マレーシア機 子ども80人犠牲



子ども虐待対応の手引き
(厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課)
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/dl/130823-01c.pdf

出頭要求から臨検・捜索までのフローチャート

児童虐待 - Wikipedia

ネグレクト - Wikipedia

児童虐待の現状
(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/dl/about-01.pdf
より

児童虐待相談の対応件数及び虐待死亡事例件数推移

日本法医学会課題調査報告
被虐待児の法医解剖剖検例に関する調査
平成12年(2000)~平成18年(2006)
http://www.jslm.jp/problem/childabuse.pdf
より

被虐待児の法医解剖剖検例に関する調査


児童虐待 ~母が語る虐待の現実~

http://youtu.be/DxpwthUkysI


広島の児童虐待死 母親に宛てた手紙に「…お母さん ありがとう …お母さん大好(き)です」
(ガジェット通信)
http://getnews.jp/archives/266956
母子愛

感情的になって記事を書くのは、よくないと分かっている。だが、この事件の顛末を知ると、感情を押し殺すのが難しくなる。あまりに、切なすぎるからだ。新聞記事を読んで、久しぶりに泣いた。

広島県府中町の自宅で、小学5年の長女・唯真(ゆま)さんに暴行し、死亡させたとして、母親の堀内亜里被告(28)が逮捕されたのは、10月1日のことだった。この日、母親は「娘の様子がおかしい」と交番の警官に告げた。すでに唯真さんは車の助手席でぐったりしていた。病院に搬送されたものの、唯真さんは間もなく死亡した。

母親の容疑は傷害致死。2012年10月8日付の中国新聞によると、「(娘が)うそをつくので、しつけのために殴った。30分くらい暴行した」「やり過ぎた」などと、母親は捜査関係者に供述している。唯真さんの頭を殴るのに使ったのは「練習用ゴルフクラブ」。死因は、殴打が原因の後頭部くも膜下出血と脳挫傷による出血性ショックだと言う。

母親は、「東広島市の高校を中退後、17歳で唯真さんを出産。3カ月後に離婚した」、いわゆるヤンママである。母親は自分では育てられないので、「唯真さんは生後5カ月で乳児院に入った」。母親のみならず祖母からも虐待を受け、2009年には児童養護施設へ。2011年に帰宅してからも、母親から日常的な虐待を受けていたようだ。

子育ての力がない母親。子どものことなど関係なく、簡単に離婚してしまう父親。暴力としつけを同じものだと勘違いする祖母。親元にとどまることのできない唯真さんは、「人生のほぼ半分の期間を、乳児院と児童養護施設で過ごした」。今となっては、施設で暮らし続けていた方がよかったのではないかと思ってしまう。しかし、自身が暮らす場所を、子どもが自分で決めることはできない。

10月23日付の同紙に、10歳の唯真さんが母親に宛てた手紙の一部が公開されている。そこには「…お母さん ありがとう …お母さん大好(き)です」と大きな字で書かれている。その「大好(き)」な母親に殴り殺された唯真さんは、何を思いながら殴られ、死んでいったのだろう。

ときどき、したり顔で「生んでくれた親には、無条件で感謝せよ」と述べる年配者がいる。とはいえ、生んでから育て上げたのならまだしも、まともに育てようともせず、挙げ句の果てに子どもを殴り殺すような親に対し、どうやったら「無条件で感謝」などできるのだろう。偉そうにそう言われる度、年の割には「親と子の関係にはいろいろなパターンがある、ということすら知らない無知な人だ」と思ったりする。

繰り返すが、子どもは自分の暮らす場所を自分では決められない。そして、自宅で暮らしているからといって、安心してはいられない。まわりの大人がしっかりと見守り、他人の子どもであろうと、SOSのサインを見逃さないことが重要であろう。ひとりでも多くの、いま虐待を受けている子どもに、生き残ってほしいと筆者は切に思う。

(谷川 茂)

「…お母さん ありがとう …お母さん大好です」


家族の中の孤独
岩月謙司著

親の七掛け幸福論
より

親の幸福度を仮に一〇〇とする。親は、子供の幸福度が五〇~七〇程度におさまっていると安心するのである。上がりすぎたらさりげなく足を引っ張るし、下がり過ぎたらここぞとばかりにハッスルして支援する。これが親の七掛け幸福論である。



 一方、子供は子供で、親から幸せを願われたいと強く思っているので、自分に都合のいい事実だけを集めて、自分は親から無限の幸せを願われた、という理論を作って反論する。その根拠として、親と同じく、徹夜で看病してくれたことをあげる。だが、実は、親が熱心に支援してくれるのは、子供の幸福度がうんと下がった時に限られているのである。
 


憎んでいる親を好きと思う子供-新たな悲劇の始まり
 子供が親に対して行う自己防衛機制のひとつに反動形成がある。親から幸福を願われなかったために自分の心に発生した怒りと悲しみを認めたくなくて、逆に、親に対して好きというアピールをするのである。これが世の中には実に多い。



 なぜ、そんな理不尽なことをするのだろうか。
 子供は、親から養われているので逃げ場がないからである。子供は親の下でしか生きられない哀しい存在なのである。だから、その親をおのれの怒りでもって攻撃することは、みずからの死を意味する。親の死は、おのれの死なのである。
 また、子供は親から愛され足りないと、必死で親から愛情をもらおうとする。親しか自分を愛してくれないと思っているからである。愛してくれない憎しみで親を攻撃したら、親に嫌われてますます愛情不足になってしまう、と考えるからである。



・・・立場の弱い子供は親の横暴を受け入れざるを得ないし、子供が「元来親とはそういうものだ」と思ってしまうと、親の横暴に適応してしまう。こうして、悲劇が人知れず行われ、子供がこの狂気に適応してしまうために親の横暴が継続され、そして次世代にも悲劇が伝わる。だからこそ十数年後に子供が不登校、拒食・過食、テレクラ、そして様々な嗜癖行動となるのである。



・・・若い時というのは、さまざまな心の葛藤があって純粋な愛が出せない人が多い。純粋な愛というのは、子供がかわいいからかわいい、という愛である。あるいは、子供が生きているだけでうれしい、という愛である。・・・
 子供に必要なのは、葛藤のない純粋な愛情である。桃太郎に登場するおじいさんとおばあさんが桃太郎をかわいがるような愛情である。かわいいからかわいい、という愛情である。だから、桃太郎の物語には、若夫婦よりは老夫婦のほうが自然に映るのである。その方が私達も安心して読める。もし、夫は二十歳、妻は十八歳です、なんて言われると、ちょっと不安に感じる。やはり、桃を拾うのは、葛藤がなくなった老夫婦がいい。そんなおじいさんとおばあさんなら孫をかわいがるように桃太郎を育てるだろうと、誰でも安心する。その安心感の源こそ、葛藤のない純粋な愛なのである。そういう愛情を幼児期に受けたかどうかがその人の人生を大きく左右することになる




誕生日を知らない女の子
虐待――その後の子どもたち
黒川祥子 著
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-781541-2&mode=1
誕生日を知らない女の子【梗概】
はじまりは、小児の閉鎖病棟だった。虐待を受けた子どもを専門に治療する場所になぜ、閉鎖ユニットが必要なのか。虐待は子どもにどんなダメージをもたらすのか。この驚きから、取材はスタートした。
 私たちはこれまで悲惨な虐待死事件を取り上げては、親や関係機関を叩き、残酷さを訴えてきた。では「死なずにすんだ」子どもたちは保護されれば、それで一件落着なのか。決してそうではないことを、病棟の構造が物語る。
 虐待された子どもへの影響は、心だけでなく脳の発達にも及び、子どもたちは発達障害のような症状を呈したり、暴力の衝動性や性行為の連鎖など、問題行動に苦しんでいた。その事実を知って、被虐待児が暮らす場所を訪ねよう、と思いつく。
 乳児院や児童養護施設、情緒障害児短期治療施設など施設も訪ねたが、主な取材先となったのは、「ファミリーホーム」という、二〇〇九年に新設された多人数(五人~六人)養育を行う家々だった。「ママやパパ」がいる家庭という環境で、虐待からのサバイバーたちは育ち直しの時を生きていた。
 子どもたち一人一人の物語を通し、虐待が子どもに与えるダメージや、その回復につきまとう困難を見つめ、考える機会を得た。
 美由ちゃんは母親から身を守るため、「壁になって」生きてきた。ファミリーホームという「お家」に来ても、母親が恫喝する幻聴に悩まされ、幻聴が命じるまま無意識に行動する「解離」という問題を起こしていた。
 雅人くんは母親によって、目に割り箸を突き刺されたこともある。夜になれば奇声を発して一睡もせず、日中はカーテンの襞に隠れた。
 母親に遺棄され、二歳から児童養護施設で暮らした拓海くんは、施設内虐待の犠牲者でもあった。小学四年で里親宅に来た時、「オレはもう死んだ方がいい」と泣きじゃくった。
 明日香ちゃんは実母の無責任な言動に振り回され、実母の愛にすがり戻った結果、二重に傷ついた。
 虐待により激しく傷ついた子どもたちが、安心できる環境と信頼できる大人を得て、いかに変わって行ったのか。寄り添う大人たちの思いや苦悩とともに、その成長物語は貴重な希望の光でもある。
 一方、癒しの機会を得ないまま大人になった被虐待児は、今も後遺症に苦しんでいた。沙織さんはネグレクト環境で育ったうえ、実父から性的虐待を受けた。別人格の存在、うつ、自殺念慮などの苦しみに加え、娘への虐待が止まらない「連鎖」を抱えながら日々、生きている。
 虐待の後遺症、そのすさまじさこそ、これまで虐待問題に欠けていた視点である。虐待からの生還者である子どもたちの「その後」に、正しい光を当てたい、と強く思った。





考える広場
「子どもの貧困」をなくすために
(東京新聞)2014年7月19日付

一億総中流”は、はるか昔。子どもの六人に一人が貧しいままに置かれているのが今の日本だ。この数値は先進国でも下から数えた方が早いほど。状況を打開しようと、国として初めて本格的に取り組む「子どもの貧困対策」大綱=メモ参照=がまもなく決まる。あらためて子どもの貧困を考えた。

実態「見える化」して

実態「見える化」して

あしなが育英会奨学生
高橋遼平さん


 会社経営をしていた父は、負債を生命保険で返済しようとして自殺しました。僕が中一のときです。しかし、保険金はおりず、自己破産した母は、私と妹のために飲食店の事務職に就き、毎夜遅くまで働きました。僕が上京して進学できたのは、奨学金を借りることができ、あしなが育英会の学生寮で月一万円の寮費で生活できたからです。
 一般的な所得水準の半分以下で暮らす十八歳未満の子の割合が「子どもの貧困率」です。四人世帯なら年間可処分所得がおよそ二百五十万円以下の家庭。厚生労働省が二〇〇九年に初めて発表した数字は15・7%もの高率でした。驚きと危機感を持った育英会の先輩たちが「子どもの貧困対策法」制定を求めて活動を始めました。それまで、僕も貧困は自分で我慢することだと思っていた。でもそんな我慢の積み重ねが高い貧困率になっていると気付きました。
 活動が実り、対策法が成立したのが昨年六月。先輩たちは涙を流して喜び合いました。法の大綱のため、この四月からは内閣府に「子どもの貧困対策に閧する検討会」が置かれ、僕も一員として参加してきました。僕が当事者として発言するのはおこがましい。ですが、もっと厳しい環境にいる子が声を上げるのには負荷がかかるのです。

 遺児、障害者家庭、離別家庭、児童養護施設で暮らす子どもたちなど、あらゆる当事者の思いを大綱案に反映させてほしくて、五月には十二団体が集まり、思いを政府に伝えました。
 対策には実態の「見える化」が必要です。今、三百万人以上の子が貧困で、ひとり親世帯の貧困率は54・6%にも。実態を多面的に調査七明らかにし、進学率だけでなく、中退率も把握して公表してください。
 さらに、削減数値目標を明記し、就職までの切れ目ない支援のため、子どもの貧困対策基金や審議会、対策室を設けてください。授業料の減免制度を拡充し、小中高にも就学援助の情報を届けて。定時制や通信制高校への予算増のほか、児童扶養手当や遺族年金の子への支給を二十歳までに延長してほしい。
 対策が充実すればするほど、子どもたちの生き抜く希望につながります。保護者も「しんどいけど、育てていこう」と思える。子どもが誰ひとり見捨てられず、ひとりぽっちにならない社会の実現を望みます。
(聞き手・稲葉千寿)

共通のスタートを

共通のスタートを

前茨城県高萩市長
草間吉夫さん


 私は婚外子で、生後三日目で乳児院に預けられました。二歳からは児童養護施設「臨海学園」(茨城県高萩市)に移り、高校卒業まで過ごしました。
 親が育てられなかったり、虐待があったりなどの理由で、児童養護施設で暮らしている子どもたちは三万人近く。「育てられない」という家庭が増える流れは、これからも簡単には変わらないでしょう。
 私は周りに支えられ、大学に進めました。児童養護施設に勤務したものの「子どもたちの環境をよくするには政治を変えなければ」との思いで松下政経塾に入塾。卒塾後は、母校の大学で職員となりましたが、周囲の勧めで高萩市長選に立候補。多くの方のご支援で当選できました。二〇〇六年のことです。

 施設出身と知られると、特別な目で見られたり、必要以上に同情を寄せられたりで、傷付けられることが多いんです。だから皆、囗をつぐんでしまう。でも、選挙では私は生い立ちを公にしました。自らの呪縛と施設への一般からの偏見を解くことになると考えたからです。
 小中学生時代は、私だけ自転車がなく、遠出する友達に駆け足でついていくなどつらい思い出があります。予算が決まっており、靴も安い物。今でも施設出身者は高校・大学進学率で、一般と大きな差があります。
 高齢者福祉はかなり手厚くなったのに比べ、貧困状況にある子どもたちへの施策は貧弱なままです。当事者の子どもには選挙権がなく、その親は投票に行く余裕さえない。子どもたちの声は政治に反映されません。
 今の時代、高等教育を受けられないと、家族を養えるだけの職業に就けないかもしれない。そうなれば、将来的に生活保護など新たな社会的費用が発生する可能性が高い。貧困状況にある子どもたちをほうっておくと、新たな貧困層の拡大再生産につながりかねません。日本全体にとっても大きな損失です。
 子どもたちには共通のスタトトラインを用意すべきです。次世代を引っ張っていく才能あふれた子が恵まれない家庭にいるかもしれない。その才能を経済的理由でつぶしてはいけない。
 施設で働いていた時「児童手当をよこせ」と立ち寄る親、中学を卒業した途端に引き取って働かせ、収入をあてにする親もいました。守るべきは子どもの幸せ。そのための施策が必要です。
(聞き手・都築修)

学習が連鎖を断つ

学習が連鎖を断つ

「ちゃれん寺」共同代表
広中大雄さん


 幼稚園で先生をしていた時、卒園した子が家庭の事情から道を外れ、不幸な目に遭遇したことがあります。人生最初の師匠として、卒園後も子どもたちに手を差し伸べたいと思い立ちました。
 考え付いたのが、生活に困って学習塾に行けない子どもたちへの学習支援でした。なぜ彼らは道をそれるのか? 一つには、勉強に付いていけず、学校が嫌いになることがあります。
 個別指導塾「名学館」代表の佐藤剛司さん、弁護士の原武之さんら仲問たちの協力で二〇〇七年、実家の寺(名古屋市の性高院)で寺子屋を始めました。指導は平日夜と日曜の午後。今は児童養護施設の子どもなど十人ほどが通っています。
 重視しているのが高校受験対策。高校に入るかどうかが、就職はもちろんその後の人生に大きな影響を与えるからです。児童養護施設の子の場合、高校に行かない時点で自立したとして退所を求められることもある。これまでに二十人ぐらいが高校に進学できました。
 保護者の考え方も、時に問題になります。自分は高校に行かなくても何とかなったからと、子どもに「高校へ行かなくていい」「勉強なんかしなくていい」と言う親がいます。そう言われた子どもが勉強をするでしょうか? 貧困の連鎖はそういうところから生まれるのです。

 日本の社会自体、再チャレンジできる仕組みになっていないことが問題です。留学したオーストラリアの大学には、昇格に必要だからと、働きながら勉強に来ていた中高年の人が数多くいました。大学はその人の今までの経験を評価して入学を認めていましたし、企業も大学での勉強を許していました。
 貧困を生み出している社会の構造にも目を向けるべきです。ひとり親世帯は貧困率が高いのですが、中でも母子家庭は平均年収が父子家庭よりも百五十万円以上も低い。男女差別の改善を考えてほしいです。
 ある教育者の方がよく「千の倉より子は宝」とおっしゃっていたそうです。社会全体が、宝物である子どもと、それを生んでくれたお母さんに対して感謝の気持ちを抱き、寛容になればいいですね。僕たちは今後も、子どもたちが家庭環境に関係なくチャレンジできる場所を提供し、応援していきたいと思っています。
(聞き手・大森雅弥)

メモ:「子どもの貧困対策」大綱親から子への貧困の連鎖を阻止するため施行された「子どもの貧困対策法」に基づく施策まとめ。基本方針のほか、子どもの貧困率や進学率、就職率など貧困の指標を公表し、改善に向け、教育・生活・保護者への就労支援などの施策を定める。原案が今月下旬にも大綱として閣議決定される。
 案には、生活が苦しい子ども向けに返済義務のない給付型奨学金の創設を目指すほか、学校を対策の拠点に位置付けて放課後子ども教室などでの学習支援、低所得世帯からの段階的な幼児教育無償化などが盛り込まれている。





「生きているのに『存在しない』」 無国籍者の苦悩
(東京新聞【こちら特報部】)2014年6月23日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014062302000116.html
 生まれたときに出生届が出されず、戸籍を持たないまま三十代、四十代になった人たちが声を上げている。背景には、実父が違っていても、母親が婚姻中なら法律上のその夫、離婚後三百日以内の場合は前夫の戸籍に入れられてしまうという民法の規定がある。DVから逃れた母親が、暴力を振るう男性との接触を絶つために、出生届を出せないというケースも多い。時代遅れの法律が、罪もない人々を「抹殺」している。
(出田阿生)

「生きているのに『存在しない』」 無国籍者の苦悩

出生届が出されず・・・成人した30、40代の苦悩

人として認められたい

 「結婚したくても、婚姻届が出せない。銀行口座もつくれず、携帯電話も自分では契約できない」「常に犯罪者のような気持ちで生きている」
 東京・永田町の衆院第一議員会館で十九日、戸籍が作られないまま、成人した三十~四十代の男女三人が記者会見を開き、その苦悩を口々に訴えた。
 子どもは出生届が受理されていないと、無戸籍となる。住民票は戸籍が不詳でも自治体の裁量で作れるが、それも親が相談して初めてできることだ。こうした結果、「生きているのに公的には存在しない」人びとが生み出されている。
 会見に出席した埼玉県の建築業男性(三四)は十六歳でバイクの免許を取ろうとして、住民票も戸籍もないことに気付いた。国民健康保険にも加入できず、けがをしても熱を出しても、我慢するか全額自費治療だ。
 結婚を考えている女性がいるが、女性の両親に無戸籍だからと猛反対されている。席上、男性は「普通に、人として国から認められたい。ほんとに、ぜいたくは何もないんで…」と言葉を詰まらせた。
 問題の根幹にあるのが、婚姻中や離婚後三百日以内の出生だと、別の男性との子でも、自動的に夫や前夫の子とされてしまう民法七七二条の規定だ。
 埼玉県に住む広海さん(三二)=仮名=はDVに悩んだ母親が出生届を出せず、無戸籍になった。母親は広海さんが生まれる前に家を出た。その後、別の男性と出会い、前夫との離婚成立前に広海さんが生まれた。
 母親が飛び出した家で、前夫は妻(母親)だけではなく、子どもまで虐待した。包丁を突きつけられた母親は「このままでは殺される」と四人の子を連れ、裸足のまま逃げたという。
 前夫の戸籍に別の男性との子が記されれば、怒った前夫に何をされるか分からない。母親は広海さんの出生届を出せなかった。
 広海さんが中学の修学旅行で保険証が必要になり、母親に話すと「無戸籍で住民票もないから、保険証はない」と告げられた。十九歳から居酒屋で働き、腕を見込まれて調理師資格を取るように勧められたが、受験には本籍記載の住民票が必要だった。和食の料理人になる夢が消えた。
 その後、ホテルのアルバイトを始めた。親戚の名を借り、給与も親戚の口座に振り込む形にした。勤勉さがかわれ正社員にと誘われたが、やむなく断った。
 戸籍を作るには裁判手続きが必要だ。母親の前夫に「親子関係がない」と訴えを起こすか、実父に認知を求める訴えを起こすことになる。前者は前夫が当事者で、後者でも前夫の証言が求められることがある。
 実父が消息不明の広海さんにとって、前夫とは親子ではないことを証明することが唯一の道だった。

子どもの側に立ち親子の法改正を 無国籍者の苦悩

免許取れず■健康保険加入できず■国家資格取れず

子どもの側に立ち親子の法改正を

 広海さんは昨秋、「民法七七二条による無戸籍児家族の会」にわらにもすがる思いで相談。弁護士が調べると、母親の前夫は二年前に死亡していた。解決に向けた大きな障害が取り除かれ、広海さんは今月、家裁で戸籍取得のための手続きを始めた。
 戸籍取得はまだだが、それに先立ち、先月、住民票が取れた。住民基本台帳カードが交付され、人生初の身分証明書を得た。自分名義の銀行口座を開き、国民健康保険に入った。初めて歯科に行って、長年の悩みだった虫歯を治療した。どれもごく当たり前のこと。それが「うれしくて、涙が止まらなかった」
 こうした無戸籍の人たちは、どのくらいいるのか。法務省は「そもそも出生届を出していない人を把握するのは難しい」として、人数を調べていない。
 無戸籍のまま、住民票を取得した人は年間七百二十六件(二〇一三年度)。無戸籍者を支援する「無戸籍児家族の会」の井戸正枝代表は「こうした人が年間五百人として、二十年で一万人。住民票を取得していない人を合わせれば、それ以上いるはず。だが国は救済に動いていない」と話す。
 0七年の法務省推計では、離婚後三百日以内に生まれた子は年間三千人に上る。この中には、無戸籍になっている子どもが含まれているとみられる。
 大阪府の剛さん(四一)=仮名=も、母親の前夫が離婚届を出し遅れたことが原因で、離婚後三百日以内に生まれ、無戸籍になった。母親が窓口に掛け合い、住民票こそ作られた。だが、免
許証は「本籍不詳」。何度も警察官に怪しまれて、警察署に連行された。
 「犯罪者でもないのに、ピクピクして生きてきた。いまは戸籍を示さなくても就職できた職場にいるが、もし職場で無戸籍がぱれたら辞める。僕は生きているのに、書類上は存在していない。死んでも、死亡届だって受理されない」
 三年間、同居する女性との婚姻届が出せない。必死に家裁や法務局、弁護士に相談したが、専門家側の知識不足で「前夫の協力が必須」と言われた。「前夫は遠くに住む見知らぬ他人。協力を求めるのは無理」とあきらめていた時、無戸籍問題の報道番組を見た。支援団体にたどりつき、実父に認知を求める調停でも、戸籍が取れると知った。
 剛さんは「これまで無戸籍のままで、亡くなった人もいると思う。これ以上、他の人たちに苦しみを味わわせたくない」と語る。
 前出の井戸正枝さんは「自治体や司法関係者もまだまだ理解が薄い。まずは生まれた子どもの利益を考えて、戸籍を作れるようにしなければ。母親が『父未定』で出生届を出せるように制度を変えることが解決策のひとつ」と指摘する。
 早稲田大法科大学院の棚村政行教授(家族法)は「婚姻中や離婚後三百日以内に生まれると、父親ではなくても、自動的に夫や前夫が父とされるのはあまりに硬直化したルール。明治期の家父長制で作られた規定なので、母や子の側から父子関係を決められない。いまはDNA鑑定もある。法が時代に追いつかなくなっている」と分析する。海外では子どもを中心に親子関係を決めるのが主流で、母親の現在のパートナーや再婚相手も幅広く「父」と認められている。
 「DV支援策の充実などとともに、民法の親子関係を決めるルールを子どもの側に立って根本的に見直す時機が来ている。親の事情にかかわらず、子ども自身が戸籍を作れる道を開かなければならない」

 無戸籍についての相談は、「無戸籍児家族の会」の二十四時間無料ホットライン=03(5981)8205=へ。

「生きているのに『存在しない』」デスクメモ


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