変質する「平和」は、大手マスコミがほとんど報道しない、平和がじわじわと戦争にと侵食されている実態を暴いています。
実態はここまで進んでいるのか!と、私は驚きと憤りをもって読ませていただきました。
読んでいない方はぜひとも、お読みください、そして、考えてくださいませ。m(_ _)m
変質する「平和」 第3部 膨らむ「自衛」(上)
自衛隊と教育 接近 「防災」の先に ちらつく安保
2013年7月28日午前5時すぎ。陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京都練馬区など)は、早朝から蒸し暑かった。「右向け右」。迷彩服姿の自衛官の号令に、田無工業高校(西東京市)の生徒34人がぎこちなく従っていた。
都立高校初の、自衛隊での「宿泊防災訓練」。都と防衛省が情報公開請求で開示した2泊3日の日程をみると、「止血法」「包帯法」といった救命方法の指導の間に「躾(しつけ)」「基本教練」「着隊指導」といった言葉が並ぶ。
自衛隊としては、いわゆる「体験入隊」の扱い。企業から依頼された新入社員研修と大筋で変わらない。
自衛隊東京地方協力本部渉外広報室三佐の滝沢健二は「躾は手洗いの励行や入浴の要領。基本教練は行進や方向転換の仕方。着隊指導はベッドメーキングの指導など」と説明。いずれも防災と関係ないが「体験入隊する人にはすべてやってもらっている」と話す。
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訓練の背景には「若者に規律を学ばせる」という行政の意図もにじむ。
11年11月の「教育再生・東京円卓会議」。都知事だった石原慎太郎は「(徴兵制のある)韓国のまねではないが、兵役か警察か消防に2年間ぐらい強制的に行かせてはどうだ」と発言。副知事だった猪瀬直樹は「モデル校が全国にいくつかできるといいかもしれませんね」と応じた。
田無工校長の池上信幸は当時、会議の意見を学校現場で実現させる立場の東京都教育委員会で、統括指導主事を務めていた。
この発言後、東京消防庁だけだった訓練先に、自衛隊と日本赤十字が追加された。都教委の防災教育ガイドラインでは「上級救命講習の受講」を訓練の目的の一つに掲げているが、自衛隊では受けられない。
13年度に都の防災教育推進校15校のうち、自衛隊を選んだのは田無工だけだった。「12年度と違う機関で訓練をしたいと考えていた」と池上は説明。上級救命講習は別途、実施した。
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東日本大震災後、「防災」を理由に、学校現場と自衛隊の距離は縮まっている。自衛官の講習会を開いた愛知県豊川市の西部中学教頭の藤城雅典は「自衛隊の広報担当者から、東日本大震災での体験を話すことができると持ち掛けられた」と説明する。
しかし、その結びつきが防災を超えた糸をはらめば、あやうさもつきまとう。自民党が野党時代の12年7月に公表した国家安全保障基本法案では国の責務として、教育についても「安全保障上必要な配慮を払う」ことを掲げる。東海大法科大学院教授(憲法)の永山茂樹は「子どもたちが成績評価を通じて政府の考える安全保障教育を強制されるのでは。平和主義を掲げ、思想信条の自由を保障した憲法の下での教育にそぐわない」と話す。
自衛隊東京地方協力本部には4月「本年度も実施する。防衛省にも支援を依頼する」と都教育庁から、電話があった。(敬称略、加藤裕治)
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政府の目指す解釈改憲で、転機を迎えようとしている自衛隊。第3部では、私たちの足元でも進む、自衛隊の意味づけの変質を追う。
「2020年の東京」へのアクションプログラム2013 より
http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/tokyo_of_2020/action_program/booklet_of_ap2013/index.html
国家安全保障基本法案 (概要)自由民主党 より
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/117613.html
変質する「平和」 第3部 膨らむ「自衛」(中)
「加害」消された年表 国際貢献 新たに強調
武蔵野の面影を残す丘に立つ埼玉県平和資料館(東松山市)の展示は、軍国主義が強まった昭和初期に始まり、最後に「平和の創造」と名付けられた一角がある。そこに並ぶのは、国際協力機構(JICA)や、国連平和維持活動(PKO)に参加中の自衛隊の写真パネルだ。
自衛隊が「平和」の名のもと展示に加わったのは2013年10月。ほかの展示内容も一新され、年表から「慰安婦」「南京」の文字が消えた。
その7年前、県知事上田清司は県議会で「軍の強制徴用や軍と一緒に移動するイメージがある。英霊に失礼な言葉だ」と、年表中の従軍慰安婦という言葉を批判していた。
知事の意向が色濃く感じられる展示替え。しかし、書面で応じた取材で上田は「資料館の判断」と否定する。そのうえで「加害の側面を掘り起こすより、国際平和に向けた貢献をどうしていくか考えてもらうことも重要」とも答えている。
展示に批判的な市民団体「埼玉県平和資料館を考える会」代表の石垣敏夫(72)は言う。「知事が持ち出す国際貢献のその先が、集団的自衛権なのだろう」
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戦時中の加害の歴史が消えた新しい年表で、自衛隊関連の項目は一つ増え、4項目になった。
担当した資料館主事の石坂俊郎は、中学校の歴史教科書7社のうち4社以上に載っている項目を新年表で拾った。「公平公正な基準」と考えたからだ。
教科書づくりの指針となる国の学習指導要領には08年の改定で、中学公民で自衛隊の役割として「我が国の(中略)国際貢献について考えさせる」との文言が入った。中央教育審議会(中教審)の有識者が約3年かけて練った答申にはなく、文部科学省の手に移った段階で盛り込まれた。自民党の部会などで上がっていた声が反映された。
中教審で答申づくりの中心にいた奈良学園大学長の梶田叡一は「国際貢献はアジア諸国への償いの側面がある。戦争責任と一緒に教えるべきで、指導要領のバランスはとれている」と話す。一方で、そのバランスを崩しかねない動きは気がかりだ。「なぜ日本の(加害の)問題ばかり取り上げるのか、と一部の政治家が扇動している。(検定に携わる)教科書調査官には政権の意向に敏感な人もいる」
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「若い人たちは戦争をよく知らず、ネットなどの話をうのみにしている」。沖縄大学客員教授の新城(あらしろ)俊昭(63)は危機感を抱く。
12年、現沖縄県那覇市の首里城地下にあった「第32軍司令壕(ごう)」の説明板で、有識者がつくった文案のうち、日本兵の住民虐殺の記述が県の判断で削られた。1999年、新城が監修委員としてかかわった県平和祈念資料館で同様の改変が計画されたときは反対運動で撤回された。戦争体験者が亡くなり、あらがう声が以前より小さくなったと感じる。
新城が5歳のときに父は米兵の車にひかれ亡くなった。米国占領下の沖縄で、米兵が罪に問われることはなかった。戦争の影を背負い、新城は沖縄の歴史を教える道を選んだ。「歴史の事実を守ることはとても難しくなった。それでも私たちは平和教育を続け、地道に積み上げていくしかない」
(敬称略、加藤裕治)
埼玉県平和資料館
http://www.saitama-peacemuseum.jp/
埼玉県平和資料館 平和の創造
東京新聞2006年7月26日付
埼玉県平和資料館の充実・発展を求める県民アピール
平和を拓(ひら)く埼玉県平和資料館に今こそ県民・市民の眼を
http://www.kikanshi-nw.or.jp/cms/cms_pdf/108.pdf
閲覧注意
削除された、南京占領から10日ほどの揚子江川岸写真
中学教科書7社の比較調査(自由民主党)
https://www.yoshiie-hiroyuki.com/pdf/textbook.pdf
なんじゃこれは!( ゚Д゚)
沖縄県平和祈念資料館
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/
旧日本軍第32軍司令部壕調査
http://youtu.be/RVb6LYueS28
Okinawa war 1945 4 沖縄戦カラー映像(英語)
http://youtu.be/lwWsnyO0sGQ
変質する「平和」 第3部 膨らむ「自衛」(下)
危うい「国民の支持」自衛隊 憲法9条あってこそ
4月下旬、幕張メッセ(千葉市美浜区)は若者で埋め尽くされた。動画サイト運営会社ドワンゴが開く人気イベント「ニコニコ超会議」。アニメソングのライブなどでにぎわう会場に、攻撃用ヘリコプターが持ち込まれ、タレントと自衛隊員のトークショーが開かれた。「テーマは平和への架け橋、07式機動支援橋です!」。制服でのコスプレ撮影会には列ができた。
「われわれの時代も『愛される自衛隊』というキャッチフレーズはあったが…」。防衛大1期生で海上自衛隊OBの平間洋一(81)は、隔世の感を覚える。
防衛大卒業を間近に控えていた1957年2月、首相吉田茂の自宅を訪問した際、別れ際に言われた。「自衛隊在職中、国民から感謝されたり、歓迎されることはないかもしれない。歓迎されるのは国家が混乱しているとき。君たちが日陰者のほうが国民は幸せ」。自衛隊は憲法9条が禁じた「戦力」という見方が根強い時代だった。
平間が退職した3年後の91年、自衛隊は転機を迎える。湾岸戦争を機に始まった海外派遣。2004年にイラク先遣隊長を務めた自衛隊OBで、参院議員の佐藤正久(53)は「派遣先での活動が報道され、国民の目に触れるようになり、理解が進んだ」と考える。
阪神大震災、新潟県中越地震…。災害派遣もこの20年の間に相次いだ。東日本大震災後の12年の内閣府世論調査で、自衛隊に好印象をもっている人は初めて9割を超えた。
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表舞台での活動の陰で、国民の目から覆い隠される部分も広がっていた。
昨年、世論の反対を押し切って成立した特定秘密保護法の問題点を追及する情報公開クリアリングハウスの三木由希子(41)は、01年の改正自衛隊法の立法過程を今、国に情報公開請求している。秘密保護法の「ひな型」が、米中枢同時テロがあったこの年、埋め込まれたからだ。
改正法では防衛秘密を漏らした人だけでなく、受け取る側も共謀や扇動も含めて処罰される。秘密保護法でのテロリズムの定義と同じ文言も記された。「主義主張に基づき、国家もしくは他人に強要し」。市民運動にも拡大解釈されるのではないかとの懸念が根強い部分だ。
11年までの5年間に防衛秘密の指定期間を終えた34300件は、すべて破棄された。秘密を囲い込む組織への大きな岐路だったにもかかわらず、防衛秘密制度の審議時間はわずか2時間。「国は大事なことを決めるとき、見えにくくやる」と三木は話す。
30回に及ぶ自衛隊法の改正や国連平和維持活動(PKO)協力法、テロ特措法。米国が戦争やテロと対峙(たいじ)するたび、自衛隊は変質してきた。
今政府はさらに解釈改憲で自衛隊の海外活動の範囲を広げようとする。元防衛相の北沢俊美(76)は「『PKOだって厳しい反対があったのに、今では国民は理解しているじゃないか』って言う人がいるが、間違っている」と言い切る。
「憲法9条の歯止めがあったから、自衛隊は誰も殺さず、一人の死者もださなかった。解釈改憲で歯止めがなくなれば、とたんに自衛隊は国民の支持を失うことになるだろう」
(敬称略、飯田孝幸)
ニコニコ超会議 攻撃用ヘリコプター
ニコニコ超会議 自民党
自衛隊員「戦争で死ぬのは任務」「殺さない軍隊でいい」
(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASG5H3SJNG5HUTIL01C.html
憲法の政府解釈を変え、集団的自衛権の行使を認める。安倍晋三首相が示した方針が現実になれば――。
自衛隊が他国の戦争に加わり、相手を殺すこともある。
反撃のミサイルが飛んでくるかもしれない。隊員は、基地のある街は、どう受け止めたのか。
「死ぬ可能性は、いまより高くなる。でも、戦争で死ぬのは我々の任務。
賛成か反対かと聞かれれば、賛成です」。20代、関東地区の陸上自衛隊員は言い切った。
武器にあこがれて10代で入隊したが、国を守る意味を考えるようになったという。
「自衛官でも、集団的自衛権をよくわかってない人は多い。訓練で忙しく、勉強する暇もないから」
陸自北部方面隊(札幌市)に所属する30代の2曹は「実感がない。実際に現場に行くのは、 階級的にも僕らが一番多いが、(集団的自衛権は)現場が必要としているものというより、 安倍総理がやりたいことをやり、政治の道具になっている気がしてしまう」と言った。
前線に立つ一般隊員を不安が覆う。自衛隊は発足以来、戦闘で人を殺したことも殺されたこともない。
信太山(しのだやま)駐屯地(大阪府和泉市)の30代の陸自隊員は東日本大震災でヘドロをかきわけ、 行方不明者の捜索や被災者の支援にあたった。
一方、小銃の射撃訓練で近距離で人形(ひとがた)の的を撃つのは後味が悪いという。
「他国の戦争に加勢するのが自衛隊の任務とは思えない。人を殺さず、助けるだけの軍隊でいいじゃないか」
2014/05/29
集団的自衛権「グレーゾーン」
尖閣で開いた戦端が最悪の事態を招く
~岩上安身による梓澤和幸弁護士(NPJ代表)インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/143598
「集団的自衛権とは、『自分の国が攻撃されていないのに、同盟関係にある他国が攻撃された時は、自分の国への攻撃とみなす』ということ」――。
5月29日、岩上安身のインタビューに応えた梓澤和幸弁護士(NPJ代表)は、集団的自衛権の定義を簡潔に表現し、「つまり米国がやられたら日本がやってやろうじゃないか、日本が戦争を買って出ようじゃないか、ということ」と付け加えた。
そして、「歴戦の戦争国家である米国の戦争を肩代わりする。イラク、シリア、ロシアに行き、ナイジェリアでは『ボコ・ハラム』を探す。こんな事を日本がやる事じゃないし、それをやってはいけないと定めたのが憲法9条」と述べ、平和憲法の重要性を強調した。
記事目次
グレーゾーンにおける自衛隊出動は「深刻な誤ち」
安倍総理は「戦争を回避する」という利益衡量能力が欠如している
尖閣で戦端が開いた時、米国は「助けてはくれない」
政府は、中国との軍事衝突の「先」を想定しているのか?
「集団的自衛権」米国の思惑と圧力を利用し、米国に警戒される安倍政権
次々と浮かび上がる「15事例」の問題点 ~安倍政権の真の狙いとは何か
【イントロ動画】
http://youtu.be/6iALBK0pbd0