「心配ない」とは何だったのか 福島県飯舘村の初期被ばくを追う
(東京新聞【こちら特報部】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014051202000155.html
東京電力福島第一原発事故直後の初期被ばくの実態はどうなのか。事故後三年二カ月経過した今も未解明な部分が多い。事故当初の政府の対応は混乱を極めたが、その中でも、避難指示が遅れに遅れたのが福島県飯舘村だ。行政側は村民の被ばく量の推計を試みるものの、一度失った信頼は戻らない。行政の被ばく隠しに怒る村民が頼るのは、かねて原子力に慎重な姿勢を取ってきた専門家だ。 (榊原崇仁)
国の避難判断 遅すぎた
「政府も県も村も全く信用していない」。飯舘村前田地区区長で酪農家の長谷川健一さん(60)は今も憤りが収まらない。
飯舘村は全村避難を強いられている。長谷川さんは現在、福島県伊達市の仮設住宅に妻花子さん(60)、両親と暮らす。事故をめぐる行政やメディアのあり方に不信感を抱き、講演活動などを通じて情報発信を続けている。長谷川さんの体験した初期被ばくの状況を検証してみたい。
2011年3月の事故当時、長谷川さん宅には4世帯8人が同居していた。12日に福島原発の最初の爆発があったことは知っていたが、「原発からうちまで45キロ。ここまで放射能は来ないと思っていたので普通に生活していた」。
2日後の14日、見込みの甘さを痛感した。村役場周辺の放射線量が「毎時40マイクロシーベルトを超えた」と職員から聞かされたのだ。除染の長期目標ともなっている一般人の年間許容線量限度1ミリシーベルトを毎時換算した値(0.23マイクロシーベルト)の170倍以上だ。
14日までの3日間、津波被害を受けた海岸沿いの浪江町や南相馬市の住民たちが村に続々と避難してきた。長谷川さんは搾りたての牛乳を温め、500人ほどに振る舞った。「大丈夫だったのか」。胸が締め付けられる思いがした。
長谷川さんは15日、前田地区の住民を集会所に呼び、「むやみに外に出るな」「家の外に出していた野菜は食べるな」と忠告した。16日には、長男夫婦や孫らを千葉県の親類宅に向かわせた。村内でも同じように自主避難する人が増えていた。ところが1週間もたつと村に戻るケースが目立ってきた。「親類に身を寄せていても心苦しくなり、住み慣れた村に帰ってきてしまったようだ」
募る危機感とは裏腹に、3月末からは、県放射線健康リスク管理アドバイザーの大学教授たちが村内で「心配することはない」と触れ回った。「本当にそうなのか簡単には信じられなかった」と長谷川さん。
ようやく政府は4月22日、飯舘村全域を計画的避難区域に指定するが、実際に全村的な避難が始まったのはさらに1カ月後だ。政府は、原発から半径20キロ圏内については、事故直後に避難指示を出していた。飯舘村は高い線量が確認されていたにもかかわらず、20キロ圏外であるがゆえに放置されたわけだ。
「国の判断は遅すぎた。県のアドバイザーの『心配ない』という言葉は何だったのか。村はそんな説法に『安心しました』と言うだけだった」
長谷川さんが村民らの避難を見届けた後、村を去ったのは8月2日だった。
平均7ミリシーベルト 県発表の倍
「影響を小さく見せたがる」
今月10日、飯舘村の原発災害を振り返るシンポジウムが東京都内で開かれ、京都大原子炉実験所助教の今中哲二さん(63)が、事故直後の村民の被ばく線量に関する調査結果を報告した。
今中さんらの調査チームは2011年3月28日の段階で飯舘村に入っていた。「村が深刻な状況にあると伝え聞いていたが、行政からまったくデータが出てこなかったため、私たちで調べようと考えた」。調査チームは放射性物質が付着した土壌を手がかりに、具体的な汚染状況の把握に努めた。
手間暇を考えると、村内全域の土壌を調べ尽くし、汚染状況や村民の被ばく線量を網羅的につかむのは難しかった。そこで目を付けたのが米国の持っていたデータだ。
米核安全保障局は3月半ばから航空機を使い、福島原発から大量放出されたセシウム137の拡散状況を細かく測定。インターネット上で公開していた。
調査チームはこのデータを活用し、飯舘村でのセシウム137の汚染地図を作った。そのうえで、村で採取した土壌のサンプルを分析し、セシウム137と、ヨウ素131など他の放射性物質がどんな割合で含まれているかを確認した。
加えて村民個々の行動パターンが分かれば、外部被ばく線量を算出することができる。調査チームは、村民が避難する仮設住宅などを訪ね、事故直前から飯舘村民がほぼ避難を終えた11年7月末までの行動について聞き取った。協力した村民は、村民全体の約3割に当たる1812人。地域的な偏りはなく、年齢分布も村全体の傾向とほぼ一致した。
この行動記録と汚染地図を組み合わせ、事故後4カ月間の外部被ばく線量を推計した結果、村民の平均値は7ミリシーベルトとなった。
福島県も、県民健康調査の中で、事故直後の外部被ばく線量を調べている。手法は今中さんらに近い。事故後4カ月間の行動記録と、国が測定した線量のデータから推計する。これまでに結果が出た飯舘村民は3000人あまり。外部被ばく線量の平均は3.6ミリシーベルトだった。
今中さんは「県の調査はかねて不透明さが指摘されてきた。使っているデータも私たちと県では違う。行政から独立した立場の専門家として推計を出したことに私たちの調査の意義がある」と強調する。
前出の長谷川さんが実感した初期被ばくの状況は、今中さんらの調査と重なる。自身の外部被ばく線量は、村の平均を大きく上回る13.4ミリシーベルトだった。
長谷川さんは県の調査には応じていない。理由は明快だ。
「行政側は自らの責任回避のために事故の影響を小さく見せたがる。県に行動記録を提供しても、まともに計算するとは思えない。原発の危険性を冷静に見つめてきた今中先生の方が信用できる。深刻な数値が出たとしても、事実としてそれを受け止めるしかない」
[デスクメモ]
東日本大震災から3カ月後、福島県相馬市で50代の男性酪農家が自ら命を絶った。「原発さえなければ」。借金で建てた堆肥舎の壁には、悲痛な叫びがチョークで書き付けられていた。仲間の長谷川健一さんは「自分の村のことで精いっぱいで、彼の相談に乗ってやれなかった。今も悔やんでいる」と語る。(圭)
3 月 28 日と 29 日にかけて飯舘村周辺において実施した放射線サーベイ活動の暫定報告(飯舘村周辺放射能汚染調査チーム)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No110/iitatereport11-4-4.pdf
飯舘村放射能汚染調査の報告 今中哲二 京都大学原子炉実験所
http://iitate-sora.net/wp-content/uploads/2013/01/imanaka_slides.pdf
https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu/imanaka/
ネットワ―クで作る放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~01
http://dai.ly/xrg43a
ネットワ―クで作る放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~02
http://dai.ly/xrg4h3
減らぬ湖沼セシウム 魚の基準値超え続く
(東京新聞【核心】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2014051202000144.html
東京電力福島第一原発事故で各地に広がった放射能汚染。海ではその影響が次第に薄まりつつあるのに、湖や沼では底土の放射性セシウムの濃度がなかなか下がらない。そうした湖沼(こしょう)の魚の汚染度も高止まりの状態が続いている。(山川剛史、清水祐樹)
■傾向
冬のワカサギ釣りで人気の赤城大沼(前橋市)や霞ヶ浦(茨城、千葉県)、手賀沼(千葉県)などでは、いまだに高い確率で食品基準(一キログラム当たり100ベクレル)を超える魚が見つかる。
赤城大沼では、今年三月にワカサギの持ち帰りが解禁されたものの、わずか一週間で政府の指導により再び禁止となった。
水産庁が二〇一一~一三年度に集めた計約四万九千件の魚類のセシウム濃度の検査データを分析すると、海と淡水域の差は歴然だ。
海(福島沖)の魚の濃度は急速に低下し、一キログラム当たり平均一一・五ベクレルにまで低下。セシウムがたまりやすい海底の岩場を好むメバルはまだ注意が必要だが、軟体動物のタコやイカはほぽ不検出。食物連鎖による濃縮が心配されたヒラメやマダラは餌の小魚の濃度が下がるに従って汚染度は下がり、カレイ類も深い水域のものなら大丈夫ということが分かってきた。
九日には福島県いわき市で水揚げされた魚が事故後、初めて東京・築地市場で取引された、これに対し赤城大沼は平均で約一〇三ベクレル、一番低い値でも八二ベクレル。手賀沼や霞ヶ浦も少しずつしかセシウム濃度は下がっていない。
■現場
湖沼で何が起きているのか。赤城大沼と霞ヶ浦、手賀沼の現場を歩いた。
岸で放射線量を測ると、局所的に高い場所はあるものの、毎時〇・一五μシーベルト(一マイクロシーベルトは一ミリシーベルトの千分の一)前後と、東京都内よりわずかに高い程度。しかし、水中は別だった。水そのものからセシウムは検出されなかったが、土は手賀沼で三一〇〇ベクレル、赤城大沼は二八〇~八〇〇ベクレル、霞ヶ浦では九〇~ニー○ベクレルと、かなりの汚染が確認された。
環境省は冲の底土も調べている。その放射線量は手賀沼が二五三〇~八二〇〇ベクレル、赤城大沼がI〇〇~一八六〇ベクレル、霞ヶ浦が二〇〇~一三〇〇ベクレルと、さらに高い。セシウム134は半減期が二年と比較的短く、事故から三年たっているから、セシウム全体の濃度はもっと下かっていてもおかしくないのに、とても低下傾向にあるとはいえない。
岸辺でヘラブナ釣りを楽しむ人たち。空間の放射線量は東京都内よりやや高い程度だったが、底土の汚染度は高い=千葉県の手賀沼で
■原因
湖沼の放射線量が海に比べ、なかなか下がらない原因は何なのか。海洋生物環境研究所(東京都)の研究者は、広大な海と閉鎖された湖沼では、水の入れ替わり速度がまるで違うと指摘する。また、海水魚は体内の塩類濃度を調節する機能が働くため不要なセシウムは徐々に排出されるのに対し、淡水魚は体内の塩類を保とうとする。このため、淡水魚は海水魚よりもセシウムを排出しにくいという。
群馬県水産試験場の担当者は、山頂付近にある赤城大沼では水の入れ替わりが非常に遅く、湖内に残るセシウムがプランクトンなど魚のエサに移行し、魚を汚染していると分析。今後、水が入れ替わっていけば、徐々に魚の濃度も下かっていくと期待する。
霞ヶ浦を調べる国立環境一研究所(茨城県)では魚の汚染は土が原因とみている。周辺の森林から汚染された土や落ち葉が流れ込んでいる可能性も調べている。
ネットワークでつくる放射能汚染地図 事故から3年(前)
http://dai.ly/x1h3piw
ネットワークでつくる放射能汚染地図 事故から3年(後)
http://dai.ly/x1h3s1g
NHK ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図 2014.3.15.
~福島原発事故から3年~
ETV特集は、2011年の東京電力福島第一原発事故の直後から科学者たちと共に被災地に入り独自に調査・取材を続け「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」を放送した。番組は、それまで伝えられていなかった放射性物質による汚染の深刻な実態と、事故に翻弄され苦しむ人々の姿を伝え、大きな反響を呼んだ。
あれから3年、放射能汚染はどう変化し、事故直後に出会った人々は、今どんな現実に直面しているのだろうかー。
放射線測定の第一人者・岡野眞治博士(86歳)は今回、福島県内のさまざまな地点であらためて放射線を計測、3年前のデータと比較した。その結果、全体的に放射線量は半分近くに減ってきたこと、しかし一部にはまだ高い線量の場所が残っていることなどが明らかになった。今後放射線量の減り方は緩やかになり、事故前のレベルに下がるのは300年後だという。
3年前、浪江町赤宇木(あこうぎ)の集会所には、高い線量を知らされずに避難を続ける人々がいた。さらに極寒の体育館に二人だけで身を潜めていた老夫婦。エサをやれず5万羽の鶏を餓死させた養鶏場の経営者・・・。今回彼らの居場所を探し訪ねてみると、出口の見えない避難生活に疲れ、心身共に追い詰められていた。故郷に帰るめどは立っていない。
飯館村では広大な農地が汚染された。農業の夢を奪われた農家の青年は、今、慣れない職場を転々とする。一方で科学者たちと協力し水田の除染を実施、農業再生に取り組む農家もいる。福島市で子どもたちを被ばくから守ろうとしていた親の中には、その後子どもを連れて移住した人がいる。一方、福島に残った人たちは、徹底した放射能対策を行いながら保育園の園児の被ばく量を低く抑えようとしていた。
科学者たちは放射能汚染の実態と放射線被ばくの影響を正確に知ろうと、いまも努力を続けている。岩手大の科学者は、汚染地帯の牧場で放し飼いにされている牛の血液をサンプリング、死んだ牛を解剖し臓器も調べ、哺乳動物への被ばくの影響を解明しようとしている。海の放射能を測定している科学者たちは、福島第一原発から今も汚染水が漏れ続けていることを明らかにした。
放射能汚染の実態を明らかにする「科学の地図」と「人間の地図」。3年の歳月を経て見えてきたものは、汚染による終わることのない苦悩と、もがき苦しみながらも未来を模索し懸命に生きる人々の姿だった。
関西・九州の経済団体
「再稼働早く」規制委に圧力
「値上げで負担増」「突然電気止まる」
(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-05-15/2014051515_01_1.html
関西経済連合会(関経連)と九州経済連合会(九経連)の代表は14日、東京都港区の原子力規制庁を訪れ、「一刻も早い再稼働を」と規制委による原発審査を迅速化するように求めました。両団体は先月、連名で原子力規制委員会、政府、衆院原子力問題調査特別委員会、自民党に対して、「原子力発電所の一刻も早い再稼働を求める」とする要望書を送付しています。
訪問したのは佐藤広士・関経連副会長(神戸製鋼所会長)、麻生泰・九経連会長(麻生セメント社長)ら6人。面会した池田克彦・規制庁長官は冒頭、「(規制委、規制庁は)エネルギー政策を所管するところではない」と話しました。
しかし、両団体は「電気料金の値上げによる負担増で、一刻も早く(再稼働)しないと、えらいことになる」(石原進・九州旅客鉄道会長)、「原発は安価で安定したエネルギー。再稼働しないと、ある日突然電気が止まるリスクがある」(佐藤関経連副会長)、「規制委の審査の終了時期のめどを示してほしい」(古川実・日立造船会長)などと、早く再稼働するよう、対応を迫りました。
また、両団体は松島みどり経産省副大臣と会談。佐藤関経連副会長は「なぜ原発が要るのか世論を喚起しようと合意した」と話しました。
連名で出された要望書は、政府が閣議決定したエネルギー基本計画で、原発を「重要なベースロード電源」としたことを受け、審査のあり方を見直し、「審査の効率化」などを求めています。
関西、九州の経済団体が規制委に圧力
「安全より利益」の露骨な態度
「ありていに申し上げますと原発再稼働を早急にお願いしたいということ」―。会談の冒頭、関経連の佐藤副会長が述べたように、関経連、九経連の規制委への要請は、再稼働に前のめりな政府に後押しされた露骨な圧力です。
両団体は、規制委による新基準の適合性審査が遅れていると強調しましたが、その要因は電力会社の姿勢にあります。
福島第1原発の事故では、6基のうち3基で、地震の揺れが想定を上回りました。電力会社は基準地震動(予想される最大の揺れ)を見直すことが求められていますが、それに伴う追加工事の負担を回避しようと、その引き上げに消極的です。基準地震動を引き上げて規制委も妥当と認めた九州電力川内原発(鹿児島県)では、それに基づき九電が提出した申請書に27項目42件の不備があるなど、電力会社の対応は問題だらけです。
規制委の田中俊一委員長が先月、「福島の事故で何を学んだのか」と、審査での電力会社の姿勢を批判しているほどです。
川内原発について地元の「南日本新聞」が4月に行った鹿児島県内の世論調査(5月5日付)では、「再稼働反対」が前年より2・8ポイント高い59%。その理由は「福島の事故の原因が究明されていない」が最多の44%、「できるだけ早く再生可能エネルギーに移行すべき」が40・8%、「安全性に疑問がある」が38%でした。
両団体の今回の動きは、安全より利益を最優先し、世論を踏みにじるものです。 (柴田善太)
↧
「心配ない」とは何だったのか 福島県飯舘村の初期被ばくを追う
↧