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庶民から搾り取るのはやめよ!消費税増税は撤回を!(;`O´)o

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【もう節約するしかない!?】消費税増税、値上げの嵐直撃 17年ぶり、税率8%(ぽぽんぷぐにゃん)
http://blog.goo.ne.jp/sithux7/e/f5052fba94664d1c2e28db904cba5b4f

増税・消費税8%について。- 2014.03.31

http://youtu.be/pKfGiE6xbMI

消費税増税、値上げの嵐直撃 17年ぶり、税率8% - 47NEWS(よんななニュース)

>消費税の税率が1日、5%から8%に上がり、幅広い商品・サービスが一斉に値上げされた。1997年4月以来、17年ぶりの増税に加え、公的年金の保険料や電気料金も上昇。賃上げを上回る値上げの嵐に直撃され、家計に春が訪れるのはまだ遠そうだ。

 安倍晋三首相は官邸で記者団に対し「国民生活や暮らしに目配りしながら、必要な対応を行っていきたい」と表明。1日の閣議では、低所得者向けの現金給付や公共事業を盛り込んだ経済対策の早期実施を閣僚に指示した。麻生太郎財務相は閣議後の記者会見で「この数カ月間が正念場だ」と指摘した。



しかし、痛いですね、消費税・・・。

できるだけ節約するしかないなと。

そんなわけで、買い物もこれまでより少し考えながらしましたね。

これで景気が良くなるとはとても思えませんねえ・・・。




消費税増税 貧困進め生活に激痛

http://youtu.be/XfiwlzlWkuM
貧困進め生活に激痛 消費税増税
田村議員告発 首相「打撃は事実」

(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-01/2014040101_04_1.html
 「消費税増税が国民のくらしにもたらす激痛は17年前の比ではない」。日本共産党の田村智子議員は31日の参院決算委員会で、安倍政権が強行する4月1日からの8%への消費税増税は前回の増税時(1997年、税率3%↓5%)よりはるかに大きな悪影響をもたらすと主張し、増税中止を求めました。

 田村氏は、97年当時に比べて平均賃金(年額)が446万円から376・8万円に減少、年収200万円以下の民間給与所得者は814万人から1090万人に増加(表)し、貯蓄なし世帯が10・2%から31%に増大するなど、貧困化が進んでいる実態を提示しました。

 安倍晋三首相は消費税増税が「景気、経済の成長に打撃を与えるのは事実。可処分所得も減っていく」と、影響の大きさは認めました。

 田村氏は、消費者物価が今年、最大値で3・6%上昇という日銀の見通しも示し、「物価上昇を上回る賃上げが本当にできるのか」と追及。安倍首相は「社会保障の給付を守るための消費税率引き上げ」「企業の収益改善を賃金と景気の好循環に結び付けていく」と従来の主張を繰り返しました。

 「社会保障のためというが、介護保険や医療も負担を増やす法案がだされている」と田村氏は批判。「可処分所得を減らす消費税増税を強行すれば、くらしも日本経済も取り返しのつかないことになる」と述べました。

貧困化が進んでいる実態


肥える経団連 細る庶民

消費税 資本を肥え太らすためにばらまく


消費税増税分は日本の富豪50人に50%課税するだけで確保できる-大企業の内部留保なら2%で可能
(国家公務員一般労働組合)
http://blogos.com/article/83617/
消費税は貧困や自殺を増大させる低所得者いじめの最悪の税金であり、消費税増税は被災地東北の復興に逆行し貧困増大と中小業者壊滅の巨大人災をもたらすことなどを指摘してきました。

 そして、「世界2位の日本の富裕層が3.5%税負担増やすだけで消費税増税は中止できる」ことを、過去エントリーの中で指摘しています。富裕層に対する3.5%の税負担増は別に不当なことでもなんでもないことは、下のグラフ「日本の年収100億円の富裕層は年収100万円の貧困層より税・社会保険料負担が低い」でもよく分かることも紹介しています。

富裕層は貧困層より税・社会保険料負担が低い

日本の富豪50人の資産に50%課税するだけで
 消費税増税分はまかなえる


 直近のデータ「日本の長者番付『日本の富豪50人』資産ランキング(2013年)」を見ると、富豪のトップ50人の合計資産は、10兆6.550億円にもなります。

日本の富豪50人資産ランキング

消費税増税による2014年度の税収増は約5兆円の見込みと言われていますので、富豪トップ50人の資産約10兆円に対して、50%の税負担をしてもらうだけで、今年度の消費税増税は必要なくなるわけです。



富裕層は豊かになり続け
 庶民・貧困層は貧しくなり続けている


 上のグラフは、所得トップ10%の富裕層の所得シェアを見たものです。さすがにリーマンショック後は少し下がったりしていますが、基本的に富裕層の所得シェアは右肩上がりです。なので、逆に庶民、貧困層の所得は減り続けているわけです。

所得階級別の所得税負担率

トヨタ社長は従業員より税負担率が軽い

 イギリスやアメリカ並みで1兆円超の税収を
 毎年確保できる


 上のグラフは、所得階級別の所得税負担率(2012年分)を見たものです。(※労働総研・労働者状態分析部会でいつも私がお世話になっている財政問題研究者の垣内亮さんが国税庁「2012年分申告所得税標本調査結果」から作成したものです) グラフを見て分かるように、所得が1億円を超えると所得税が下がっていきます。これも垣内さんが計算したものですが、個別ケース(2012年)を見たものが以下です。

トヨタ社長は従業員より税負担率が軽い

上のように、トヨタ自動車の豊田章男社長は、従業員より低負担率になっています。下表は、上のグラフの所得階級別の所得税負担率(2012年分)の元データです。1億円以上の高額所得者の所得税負担率が低くなるのは、どう考えてもおかしいので、ここは、イギリスの所得税率50%を適用すると(ちなみにアメリカは52.296%)1兆3,073万円の税収を毎年確保することができます。

所得階級別の所得税負担率

大企業の内部留保に2%課税するだけで
 消費税増税分は確保できる


大企業内部留保と民間平均賃金の推移

上のグラフにあるように、民間労働者の年間平均賃金は、1997年の467.3万円から2012年の408万円へ59.3万円も減少しているのに、大企業(資本金10億円以上)の内部留保は1997年度の142兆円から2012年度の272兆円へ130兆円も増加しています。

 前年度比を見ると、2011年度から直近の2012年度で大企業の内部留保は267兆円から272兆円へたった1年間で5兆円も増加し、逆に民間労働者の年間平均賃金は409万円から408万円へと減少しています。

 この大企業の内部留保5兆円で今年度の消費税増税分はまかなえますし、内部留保272兆円に2%課税するだけで、5.4兆円確保できるのです。

 「日本に財源がない」と言うなら
 世界のどこにもないことになる


 先日、唐鎌直義立命館大学教授にインタビューしました。最後に、そのインタビューの一部を紹介します。

GDPで見た世界

 上図は昨年11月の「週刊新潮」に掲載されたものです。一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さんが、「世界は数字でできている」という連載コラムをお持ちで、そこに掲載されていた「GDPで見た世界」というものです。
GDP規模比例の世界マップ
 これには、国土面積ではなくGDPの大きさで世界地図が描かれています。そうするとアメリカが圧倒的なんですが、日本は世界第2位を中国と競っているので、こういう世界地図になる。だから、世界の国々は日本をこう見ているのだろうなと思うのです。国土面積で見ると極東の小さな島国でしかありませんが、その小さな国が1年間でつくり出しているGDPはこんなに大きいのです。だから国連などが、もっと拠出金を増やせと日本政府に迫るのだと思いますね。

 つまり、516兆円も毎年GDPが生まれている国で、どうして財源がないと言えるのか。それを私は全く理解できません。国民が汗水流して働いて516兆円も毎年富を生んでいるのですから、そこからきちんと応能負担で税金を取るのが政府と財務省の仕事でしょう。それを財源がないということは、全く無能な人達がいるのかということになりますね。しかも所得税や法人税が30兆円くらいしか入らないというのはひどい話ですね。結局は、516兆円のGDPと、360兆円の国民所得からきちんと応能負担で税金を集めて再配分するという当たり前のことを政府・財務省に実行させられるかどうかということが大事です。それを消費税増税で、低所得者からも税金を巻き上げようなどというのは、一体どういう考え方なのかということで、それこそこれを世界に知らせたら笑われるようなことだと思いますね。


【大竹まこと】庶民いじめの消費税増税!

http://youtu.be/oYO2vp0dEPg



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袴田事件再審決定・捜査情報を垂れ流したメディアに警察・検察を批判する資格があるか

http://youtu.be/kQz7pc2IevY
ニュース・コメンタリー (2014年03月29日)
袴田事件再審決定
捜査情報を垂れ流したメディアに警察・検察を批判する資格があるか
 袴田事件のメディア報道について、どうしても拭えない違和感がある。
 静岡県で1966年に一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定していた元プロボクサー袴田巌氏の再審が決定し、48年間勾留されてきた袴田氏の釈放が認められた。
 メディアは再審の決定と釈放を喜ぶ袴田氏や姉の秀子さん、そして弁護団や支援者ら関係者の喜びの声を盛んに報じている。まだ、当時の警察による捜査がいかに杜撰だったかを指摘し、刑事捜査のあり方を改めて問い直す論説やコメントを掲載したり放送している新聞やテレビ番組も多く見られる。
 それらは何れも正しい指摘だと思う。しかし、一連のそうした報道から一つだけ大きく抜け落ちているものがある。今、袴田被告の喜ぶ姿や捜査の不当性をもっともらしく報道しているマスメディア自身は、当時この事件をどう報道していたのかという点だ。
 残念ながら当時のテレビ報道の内容は確認できないため、当時の新聞報道しか把握できていないが、当時の新聞各紙の縮刷版を見ると、ご多分に漏れず1966年の事件当時、新聞各社はまだ捜査段階から袴田氏を実名で報道し、「血染めのパジャマ」「ジキルとハイド」「異常性格」など、明らかに捜査官からのリークと思われる情報を垂れ流していた。特に毎日新聞の突出した暴走ぶりが目についた。
 こうした報道がどの程度捜査や裁判に影響したかを推し量ることは容易ではないが、少なくとも当時のメディア報道が、警察・検察側の捜査官と一体化して、事件を作っていく構図に加担していたことは、いかんとも否定のしようがない。
 結果的にその捜査がこのたび静岡地裁の村山浩昭裁判長によって、「捜査機関に捏造された疑いがある」とまで断罪されたことを、メディア各社は重く受け止め、その反省を今後の報道に反映させる義務を負っているのではないか。
 ジャーナリストの神保哲生が袴田事件の事件発生当時の報道を検証し、その問題点を考えた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



小保方晴子さんが単独で「STAP細胞論文を捏造・改ざん」理研が最終報告書
(ハフィントンポスト)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/31/haruko-obokata-stap-cells_n_5066691.html
「STAP細胞論文を捏造・改ざん」理研が最終報告書
小保方晴子さん、STAP細胞論文「ねつ造は単独行為」 理研・調査委員会が最終報告 | niconico

小保方晴子さんらが発表したSTAP細胞論文に多くの疑問が指摘されている問題で、理化学研究所(理研)は4月1日、記者会見を開き、調査委員会による最終報告書を公表した。

報告書によると、論文の捏造は小保方さんが単独で行ったものであり、同論文の共同執筆者については、不正行為への関与はなかったとの報告がなされた。小保方さんらへの処分については、午後に行われる記者会見で発表される。

■改ざん、捏造は小保方さん単独の行為

調査委員会の報告書によると、調査の対象となったのは、小保方さん及び、論文の共同執筆者である笹井芳樹さん、若山照彦さん、丹羽仁史さんの4名。

報告では小保方さんの以下の2つの行為が、「改ざん」「捏造」などの不正行為にあたるとされた。

(1)科学誌「Nature」に発表されたSTAP細胞論文の画像に切り貼りが行われていたこと=「改ざん」
(2)Natureに掲載されたSTAP細胞論文の画像に、小保方さんの学位論文に掲載された画像と酷似している画像が使われていたこと=「捏造」

STAP細胞の論文の一部が他の論文からコピーして記載されていると指摘された点については、「論文を適切に引用し、出典を正確に記載することは当然」とされ、「探して得た文章が特異なものではなく一般的に行われている実験手順に関するものであった」ことから、引用元を明記しなかったことや、記載内容が不正確であることは小保方さんの「過失」であるとされたものの、「研究不正とはいえない」とされた。

■共同執筆者についての見解は

笹井、若山、丹羽の三氏は、小保方さんによって改ざんされた画像を、事実を知らされないまま示されており、この改ざんは容易に見抜くことができるものではなかったと判断された。

しかし、笹井、若山両氏については、「シニアの研究者でありながら、データの正当性と正確性について自ら確認することなく論文投稿に至っており、過失とはいえその責任は重大である」とされた。

丹羽さんについては、「論文作成の遅い段階でこの研究に参加したものであり、研究不正行為は認められなかった」とされた。

なお、この調査委員会は論文作成に不正があったかどうかを調査するものであるため、STAP細胞が存在するかどうかという点については委員会の範疇を超えるとされ、回答がなされなかった。

理研は1日の午後1時~3時にも記者会見を行い、小保方さんらへの処分について発表を行うという。朝日新聞デジタルによると、小保方さんは「承服できない」として、近日中に理研に不服申し立てをするという。


「調査報告書に対するコメント」


【1213】 コピペは良いことか、悪いことか ? (1) 基礎知識 / 武田 邦彦
※ 小保方さん問題

http://youtu.be/nFAU_qUk2Dk
コピペは良いことか悪いことか?(1) 基礎知識
http://takedanet.com/2014/03/post_bb80.html
ネット社会になり、どこかにあるものをコピペ(コピーアンドペーストの略。あるページをコピーして、それをパソコンで貼り付けること)する文化が一般的になっている。これは良いことだろうか、悪いことだろうか?

今度の細胞論文や博士論文で、コピペがあったというのでマスコミは無条件に「悪いこと」という前提で報道し、理研や学者もそれに追従している。でも本当なのか? 単なる「空気」とか「村の掟」ではないだろうか? 日本は法治国家、近代国家なので、故なきバッシングは望ましくない。

原則: 学問で得られた結果は人類共通の財産だから、だれがどういう形で利用しても構わない。つまり「コピペは自由」で、良いことである。なぜ「良いか」というと、人類共通の財産を積極的に使うことを推奨しているからこそ、人類共通なのだから。

例外: 学問で得られた結果のうち人類共通の財産にしない場合として知的所有権が定められていて、1)著作権(創造物に適応)、2)特許権、3)意匠権、商標権など、がある。
もともと人間が生み出した知的なものは「人類共通の財産」として誰でも使えたのだが、18世紀になってイギリスで著作権が生まれ、続いて特許権も登場した。特許権は、「本来は発明はみんなで利用しても良いのだが、そうすると発明の意欲がなくなるので、「審査をして期限を区切って」権利を与える」という概念で、これは今でも変わっていない。

まずは、「知的財産」について法律(知的財産基本法、平成14年)を見てみよう。
「第2条 この法律で「知的財産」とは、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの(発見又は解明がされた自然の法則又は現象であって、産業上の利用可能性があるものを含む)、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報をいう。」(条文はネットからコピペした)

つまり、1)創造的活動、2)自然の法則又は現象であって、産業上の利用可能性があるもの、であることがわかる。自然科学(理学や工学)には創造的活動はない(注1)ので、2)だけになる。そしてそれは何かを書いてネットに出したり、学会の論文として提出しただけではダメだ。

なにしろ「権利」だから、1)権利を主張するのか、2)権利の範囲を示す、必要があり、特許庁に自分の権利を主張する。その時に「権利の範囲」と「産業上の利用可能性」をはっきり書かなければならない。

この問題はさらに議論するが、とりあえず、学会に提出した学術論文には著作権はなく(創造物ではないから(注1))、権利の範囲が明確ではないから特許権もないということだ。だから、コピペは自由と言うことになる。

自然現象の「発見」はもともと自然にあったものだから、もちろん創造性はない。自然現象を利用した「発明」も、現在は「発明は発見である」とされていて、もともと自然にあるものを組み合わせて人間に有用なものにしたのだから、創造性はないと解釈されている。
したがって、専門の書籍にも、裁判でも「理系の学術論文には著作権は及ばない」とされている。

(平成26年3月17日)

【1214】 コピペは良いことか悪いことか (2) 学術論文の内容は誰のものか ? / 武田 邦彦 ※ 小保方さん問題

http://youtu.be/k-lBu391Ojs
コピペは良いことか悪いことか(2) 学術論文の内容は誰のものか?
http://takedanet.com/2014/03/post_144a.html
先回、人間の知的財産は基本的には人類共通のものであって、特例として知的所有権(著作権、特許権など)が認められているという話をしました。しかし、「権利を主張する」という限りは他人が「何が権利か」が分からなければなりませんから、「創造物」と「権利として申請(出願)したもの」に限定されることも書きました。

ところが、今回の細胞論文でコピペが問題になったように、「知的財産であっても、コピペしてはいけない」というのが一般的です。また、どこかの大学の先生が「若い人にコピペはいけないこと、他人の論文を引用するときの「倫理」を教えなければならない」と言っておられました。

そうすると「法律」と「村の掟」がまったく違うことを意味しています。法律は勉強すればすぐわかりますが、村の掟は教授などから教えてもらわなければなりませんし、今回の件では早稲田大学では博士論文にコピペを認めています。つまり、「村の掟」ですから、場所や人によって違うということになります。

私も若いころに先生から「村の掟」を教えていただいたので、他人の文章を使うことは許されない、引用するときにはできれば本人の了解を得、できなくても引用元を示すということを徹底的にやってきました。

ところが、50歳ぐらいから少しずつ疑問を感じてきました。まず第一には「知的なもので創造性がなければ、人類共通の財産と言うことになっている」と言うことを知ったこと、第二に、「同じ内容の文章をわざわざ書き直すことは、本当に必要なことだろうか?」、「学問は真実を探求しているのか、それとも本人の名誉、お金、地位のためだろうか?」、「論文を実績として地位、名誉を決めること自体が、ヨーロッパ流の「力の学問」ではないか?」、「「引用する」というのは、論文を出した人への敬意か、それとも読者の参考になるためか?」という疑問が次々と生まれてきたからです。

たとえば、一つの研究で、論文を一つしか出ないということはほとんどなく、10ケぐらいは論文がでます。その時に今度の早稲田大学の博士論文のように、第一章(これまでの世界の研究のまとめ)に相当する「緒言」では、いつも同じことを書きます。だから「コピペ」しても「書き直し」をしても全く同じか、ちょっと変更するぐらいです。

同じ文章をコピペしてはいけないのでしょうか? 手で書くならともかく、パソコンを使えばまったく同じ電子処理です。

少し結論を急ぎますと、私は「コピペがいけない」というのは「教育でペナルティーを課さなければならない」というのと似ているような気がします。教育では、「文章を書く力」を養わなければなりませんから、先生はできるだけ書かせるようにし、生徒は労力を減らそうとします。だから先生が「コピペはダメだよ」と言います。

ところが社会人、例えば会社員だったら、会議に提出する資料をいちいち書き直していたら、上司が「そんなのコピペしろよ」と言うでしょう。

もう一つは「礼儀」を重んじる人がいます。「他人が書いたものを利用するのだから、ちゃんと断れ」というのです。でも、これは「利権のために学問をしている人」の感覚で、キャベンディッシュに代表されるように「自然がどうなっているのかが私の興味で、私が発見したものはもう興味がないので、どうでも良い」というのも学問です。

どちらが正しいか、それほどはっきりはしていないというのが私の見解です。私はこの際、コピペ自由と言うことにして、引用しても良いぐらいにすると、「いったい、科学的な発見は誰のものか」がはっきりしてくると思います。

学問は「コピペはいけないに決まっている!」と言ってよいほど、厳密でなくても良いのでしょうか?

(平成26年3月18日)

【1216】 コピペは良いことか悪いことか (3) ... 「村の掟」で罰する人たち / 武田 邦彦

http://youtu.be/8k9ZcTw4_wk
コピペは良いことか悪いことか(3)・・・「村の掟」で罰する人たち
http://takedanet.com/2014/03/post_2b03.html
大東亜戦争で日本は敗北し、指導者は白人の手によって罰せられた。でも、時間の経過は次の通り。

1)戦争が始まった日  1941年12月8日
2)国際軍事裁判憲章  1945年8月8日
3)戦争が終わった日  1945年8月15日
4)極東軍事裁判条例  1946年1月19日
5)判決        1948年11月4日

戦争が起こる前には「戦争犯罪」と言うはなかったが、戦争が終わる直前に「国際軍事裁判憲章」というのができ、戦争が終わってから裁判条例が発効し、判決が3年後に行われる。

これについてはさすがの白人側で戦勝国のイギリスの内閣官房長官だったハンキー卿が「世界人権宣言第十一条、行われた時には国際法でも国内法でも犯罪とされてなかった行為について有罪とされることはない」という世界人権宣言を引用した、「東京裁判は世界人権宣言の規定と相容れず、退歩させた」と述べた。

このように「法律で決まっていないことを事後に決めて罰する」というのは、絶対にやってはいけないことで、むしろ「罰したほうが重罪」です。日本人の中の多数の反日派の方が、このイギリス人より反日的であるのは明白です。

ところで、今回のSTAP細胞事件では、同じことが繰り返されている。

愛知大学の時実象一教授は著書「図書館情報学」(2009)の中で、「学術論文に掲載されている事実やデータには著作性が無いと考えてよい」と記載している。また、大阪高裁は2005年4月28日の判決で、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になると考えられる」として学術論文の創作性を否定した判例を出している。著作権に関する最高裁の判決も「創造性のあるものに限る」としている。

それなのにマスコミやネットでは「コピペするとはなんということか!」と怒りの声が満ち溢れている。おそらくは自分が学校にいる時に先生が「コピペするな」と言ったのに、隠れてコピペして心がやましいのだろう。コピペ自体は悪い行為ではなく、先生が禁止したことをやるのが悪いので、論理を取り違えている。

確かに、学問の世界(村)の指導(掟)では、他人の文章やデータを利用するのを潔しとしない風潮がある。それは、「学問の成果は人類共通の財産である」という意識が低く、自らが学問を地位、名誉、お金等のために実施しているから、他人も同じと思うからだ。学問の世界では「自分」というものはない。

今度の論文事件ではもう一つ、面白い現象があった。それは私のことだが、ある放送局で私が解説したことが話題になり、「武田教授、仰天発言」と書かれていた。その記事を見たら、コピペや写真の取り違いがどのような意味で悪いのかは示さずに、私が言ったことが自分の考えの中になかった!だから仰天した!!とある。

いったい、情報というのは「わかっていること」を知るためか、「今までわかっていないこと」を知るのかというと、後者、つまり「わかっていないことを知るために情報に接する」なのに自分の知らないこと、自分が間違っていると考えることを聴くと「仰天」する。

日本の報道は、正しいことを報道するのではなく、みんなが知っていて空気ができていること(空気)を報道する。それでは報道を聴いても意味がないし、自分の考えが間違っていてもそのまま「愚」で終わる。

特に学問と言うのはじっくりと「自分と考えの違う人のことを聴く」ことにある。学問の世界にいる人、日本のために、若い人のために、勇気をもって声を上げてください。

(平成26年3月21日)

小保方さんを、卑怯な人たちから守ろう ! ! ( 武田邦彦ブログ音声より )

http://youtu.be/aeWgUr8q_OI
学生の錯覚・・・普段の社会の仁義と科学の世界
http://takedanet.com/2014/04/post_8d73.html
ある読者の方から、「どうしてそんなに小保方さんを擁護するのか」、「武田の言い方が単なる擁護から共同研究者などへの批判へと変わっている」、さらに「武田は小保方さんのパトロンではないか」とのメールをいただきました。

ご返事は出しておきましたが、この読者の方が錯覚されるのは無理からぬことです。私が科学の教育をしてきて、矛盾を感じ、悩んできたことそのものだからです。

日本の大学の理科系の学部では、4年になると「卒業研究」で各研究室に配属になります。サボりの学生もいますが、結構、熱心に研究をする学生も多いのが事実です。

ところが、真面目な学生ほど、一つの特徴があります。それは「自分」と「他人」を区別することです。最初の症状は、レポートを書くときに「自分のデータ」だけを使って書こうとします。同じ研究室ですから、類似のデータを研究室の別の学生も測定していて、それを加えたほうがはるかに前に進むのに、どうしても「自分」にこだわるのです。

そんな学生は「自分」にこだわるがゆえに、実験も良くするのですが、自分にこだわるのです。

武田「なぜ、自分のデータでなければいけないのだ?」

学生「だって・・・・」

学生は、小さいころから、「自分のことは自分でやりなさい」、「人のものを盗んではいけません」、「他人のものは他人のもの」、「汚いことをしてはいけません」などと言われてきて、正直に自分の力で生きてきたのでしょう。だから「自分」にこだわっているのです。

現世の社会は、全てもものが「誰かの所有物」です。国土、自分が住む土地、家、家の中のもの、すべて「所有者」がいます。食べる時にもお金を払わなければなりませんし、電車も切符が必要です。すべてのものは「所有者」が決まっていて、もしそれをもらう場合はお金などが必要なのは当然の社会で生活をしています。

でも、学問は違います。もともと、人間の「知、情、体」から生まれる「知、芸、武」は人類共通の財産でした(武とはスポーツのこと)。学問、芸術、スポーツは誰に所属することもなく、所有者もいなかったのです。

それが、18世紀になって例外を設けることにしました。一つは「著作権」、もう一つが「工業所有権」です。これらは所有権ですが、厳重な制限があります。著作物というのは、「誰かが書いたもの」ではなく、著作権法で「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」とされていて、権利として認められるには次の事項をすべて満たしていることが必要です。

「思想又は感情」に基づいているもの(単なるデータは対象外)
②思想又は感情を「表現したもの」(アイデア等は対象外)
③思想又は感情を「創作的」に表現したもの(「事実」は対象外)
④「文芸、学術、美術又は音楽の範囲」に属するもの(工業製品等は対象外)

また「工業所有権」は自分が権利にしたい範囲を明確に示し、特許庁に申請して認められたものに限定されます。これも「書いたから」とか「出版したから」という理由では権利はありません。

つまり、現在でも「人間の知恵の産物」のうち、単なるデータや、アイディア、思想や感情を表現したもの以外、学術など以外は、「誰が実験しても、誰が書いたり、出版したりしても」なんの制約もなく共通に使用しても良いのです。

また、著作権法第32条には、「公表された著作物は、引用して利用することができる・・・」とあり、引用元を示さなければならないのは、「著作物」に限定されるので、思想や感情に基づかないものは引用も必要がありません。

私はこの制限をとても誇りに思ってきました。つまり、科学は人間にとってとても大切なものだから、その成果は「人類共通の財産」であり、所有権などの世俗の権利とは違う神聖なものだ・・・それが私が科学に人生をかけた大きな理由だったのです。

スポーツの感動が人類共通の財産であり、オリンピックは勝つためではないというクーベルタン男爵の思想と同じです。

だから私自身は、世の中にあるもので「思想や感情に基づかず、創作でもなく、特許も申請されていないもの」については「所属なし」で、自由に使い、引用もしないのを原則としてきました。自分の著作物も同じです。

でも、世の中には科学を「お金儲け、収入、名誉、地位、所有物」のためにやっている人がいて、その人たちからクレームが来るので、面倒だから引用したり、使用したりをしないようにしてきましたが、私には苦痛でした。

この世には、世俗的なことも必要だが、崇高なものが残されていても良いというのが私の考えです。そして現実に法令でも残っているのです。ただ、法令に違反して科学の利権を主張する不届きものが多い(圧倒的)というのが残念です。

でも、マックスウェルは20世紀初頭(100年ほど前)、「学問が世俗にまみれてしまった」と書いています(「職業としての学問」(岩波文庫))

これをストレートに学生に教えると、学生は戸惑います。その理由は、
1)あまりにも常識に反する(世俗社会と違いすぎる)、
2)これまで教えられた世俗社会の道徳と違う(潔くない)、
3)他人に罵倒されるのが嫌だ(学生にあるまじきと言われる)
ということで、学生はせっかく崇高な科学の道に進んだのに、世俗にまみれてしまうのです。

科学の成果は、お金でも名誉にも関係なく、発見発明した人の所有物でもなく、人類共通の財産だ。それをよく著作権法、知的財産という特殊な分野を作り、一般的な知の自由を守ってくれたというのが私の感者の気持ちで、それを支えに私は学問をやってきました。

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かくして、私が「科学の世界では「自分」はないよ。私たちは自然に対して小さな存在だ。だから、自分のデータと他人のデータを区別するような力はない。全力を尽くして人類がもっている知識をすべて使い、ベストな考察をしてくれ」と言うと、学生はあまりのカルチャーの差にキョトンとしています。

そしてもし学生が私の言葉を理解して、自分と他人の区別をしないようになると素晴らしい科学者になるのですが、同時に激しくバッシングされます。だから学生に間違ったことを少し教えます。

今回のSTAP論文の誤解のほとんどは、社会が科学を利権レベルに引き摺り下ろそうとしていることに原因があると感じられます。残念でたまりません。

(平成26年3月31日)

【必聴】 負けるな、小保方さん
( 武田邦彦ブログ音声より )

http://youtu.be/lj5BSNKPNFg
公道、公園、公海、公知・・・それこそ私の学問のプライド
http://takedanet.com/2014/04/post_71db.html
公道は誰かが土地を提供し、誰かが苦労して整地し、舗装しただろう。でもいったん「公道」として使われれば、誰がいつ、無断で使ってもとがめられない。それはその国の国民の共通の財産だからだ。

公園、公海・・・人類には「所有権」があり「制限」があるものと、「人類共通の財産」がある。かつての入会権も同じだ。

そして、人間の頭脳が生み出した知的なもの・・・学問、芸術、スポーツもまた人類共通の財産であり、だれでもが自由に使える(公知という用語が使用される)。まさに公の道、公の知である。
「シライ」という体操の飛び方がある。それは若き白井選手が編み出し、披露したものだ。でも翌日、他の人がシライを演じても良い。スポーツは人類に共通の財産だからである。

私はなぜ学問を職業として選んだかというと、この世は「所有」がすべてだが、その世で「所有の無い世界」で私は人生を送ろうとした。だから、私の成果は誰が使っていただいても良いので、著作権を主張していないし、大学で研究するようになってから、多くの特許を企業が出したが、私自身は出していない(私の発明を企業などが特許にしただけ)。

この世には、「人類共通の財産」がなければ成立しないし、それが多ければ多いほど平和に近づくと私は思ってきた。平和主義の人はぜひ、私の活動を支持して欲しい。

今、STAP論文のことで、学問は危機に瀕している。学問がお金、利権、名誉などにまみれたら人類は損失をする。2つの例外だけ(著作権と工業所有権)を認めて、あとはオープンなのだ。

著作権は「思想、感情に基づき」、「創造であり」、「表現されたもの」の3条件が必要だ。だから、文学作品などは感情に基づいているが、自然科学(物理や生物学など)以外でも、思想、感情ではないものは多いのではないかと思う。

学問が世の利権にまみれ、コピペしていけない、引用元を示さなければならない(道路を歩く時に誰かに断らなければいけない)というのは学問の冒とくでもあり、また法律違反ですらある。

(平成26年4月1日)


「小保方さんは悪くない!」武田邦彦がSTAP細胞論文問題を徹底解説!1/4

http://youtu.be/YNsNNatMn6U

「小保方さんは悪くない!」武田邦彦がSTAP細胞論文問題を徹底解説!2/4

http://youtu.be/WAWLSNBy2do

「小保方さんは悪くない!」武田邦彦がSTAP細胞論文問題を徹底解説!3/4

http://youtu.be/1JVOpkox7Ig

「小保方さんは悪くない!」武田邦彦がSTAP細胞論文問題を徹底解説!4/4

http://youtu.be/ynXSLUU5_yk


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