3月1日はビキニデーです。
原水爆の被害者は私を最後にしてほしい
久保山愛吉
1954年3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験
ブラボー実験のキノコ雲
キャッスル作戦 - Wikipedia
The Deadly Miscalculation at Castle Bravo
https://youtu.be/b5tmkna-k-U
により日本漁船第五福竜丸が被災しました。
広島・長崎への原爆投下への憤りとかさなって、原水爆を禁止する要求が全国民的な署名運動が開始されるきっかけとなったものです。
通信士の久保山愛吉氏(当時40歳)が9月23日に亡くなり、日本人初の水爆による犠牲者となった事件です。
第五福竜丸
http://youtu.be/__vm9JrEWaE
1954年第五福竜丸 3.1ビキニ環礁でアメリカの水爆実験にまきこまれた。
第五福竜丸展示館
http://d5f.org/
詳しい経緯は
「今日(3月1日)はビキニデー「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」久保山愛吉」
http://ameblo.jp/m08068469/entry-11179508688.html
を参照してください。
この水爆実験による大気放射能汚染は地球規模に拡大し、海水、漁獲物(マグロ)の放射能汚染は北太平洋全域に及びました。焼津港に荷揚げされたマグロやサメは、第五福竜丸帰港の翌日、3月15日に東京、大阪等の市場に既に出荷されていたそうです。3月16日の朝これが放射能で汚染したマグロやサメであることがわかり、マグロを食した人の不安が広まり「原爆マグロ」騒動が始まました。汚染したマグロは地中深くに埋めたり、或いは沖合に投棄されたのです。全国の家庭で魚は敬遠され市場が一時閉鎖されるところもでたそうです。
米国の一連の水爆実験が続き、この年の12月末までの集計によると、放射能で汚染した日本の漁船は856そう、廃棄されたマグロは456トンであったのです!
5月になると強い放射能を含む雨が日本各地に降り、不安は日本全体に広がり、1954年3月から12月の期間、太平洋の各所で放射能により汚染した魚が漁獲されたのです。
太平洋における米国の水爆実験は、この後も続き、1956年4月には、ビキニ・エニウェトク環礁で13回原水爆実験が行われた。
グリーンハウス作戦ジョージ実験の爆発20ミリ秒後の火球
A Time-Lapse Map of Every Nuclear Explosion Since 1945
http://youtu.be/LLCF7vPanrY
母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす
http://dai.ly/xp4jye
「3000万の署名、大国を揺るがす
~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~
【そのとき歴史が動いた】
昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに日本の女性たち、母親たちが立ち上がり、世界に広がった反核運動の軌跡。なぜ広島と長崎に原爆を投下された直後ではなく、それから9年もかかったのか、それはどういう動きだったのか、そしてこの動きは1955年(昭和30年)8月6日に第一回原水爆禁止世界大会につながっていった ‥」
原爆マグロという言葉が広がり他の魚までもが売れなくなった当時の状況は、野菜や魚の汚染が始まり売れなくなっている現在と似ています。また高い放射能を含んだ雨が観測されたそうです。ところが‥
「原爆の灰がいつ何時降ってくるかわからない世の中だもの。なにが起きたって仕方ないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」わたしがそう言うと、夫はあきれかえったようにわたしをながめていた。‥そんな新聞への投書がきっかけで女性たちの思いがつながりはじめたのは、3000万もの署名が集まる1年4ヶ月前のことでした。
‥ということで、今こそこの時のことを思いだして学び、再現しなくてはと思ってアップします。
終わりの始まり
森友学園と国の闇
とくほう・特報(しんぶん赤旗)2017年2月27日
安倍晋三首相夫人の昭恵氏が名誉校長を務めていた私立小学校用地として、豊中市内の国有地が格安で売却された問題が国会を揺るがしています。同小学校は、幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させるなど、特異な教育で知られる大阪市内の学校法人「森友学園」(籠池泰典理事長)が新設するもの。「政治家の関与なしには、こういうことは起こりえない」(日本共産党の志位和夫委員長、23日)、異常で奇怪な取引の全容解明が強く求められています。
(竹腰将弘、三浦誠)
国有地タダ同然で売り渡し
手続きも異例すくめ
国民の共有財産である国有地が、なぜ一学校法人に、夕ダ同然で売り渡されるのか―。国民の多くが納得できないと考えている疑惑の核心です。
なかでも問題視されているのは土地の売却価格です。
2016年6月の土地売却時点で不動産鑑定士が鑑定した土地の時価は9億5600万円。ところが土地に埋設されたゴミの撤去費用として8億1900万円などが値引きされ、売却価格は1億3400万円とされました。
通例、埋設物がある土地の売買では、複数の専門業者に見積もりを出させ、客観的に撤去費用を算出します。今回のケースでは、もともと土地を所有していた国土交通省大阪航空局が費用を算出しました。売り主である国側か自分で見積もりを出した事例など全国的にみても過去1例もありません。
現地調査(15日)を行った自由法曹団大阪支部・本部事務局次長の岩佐賢次弁護士は「社会通念上からもあまりにも過大な算定です。実際にゴミ撤去を行ったかも含めて、国民にたいする説明責任を果たす必要がある」といいます。
そもそも森友学園は、私立学校の会計基準で将来の設備投資に充てる「第2号基本金」がゼロ(2013年度)という法人でした。新たな小学校設立に乗り出し、用地を入手することは、きわめて困難だったはずです。
土地売却の窓口となったのは財務省の出先機関である近畿財務局。森友学園への国有地売却の枠組みは、売却価格だけでなく多くの点で異例ずくめです。役所が知恵を絞り、話をまとめた痕跡が随所にあります。
①国有地は売り払いが原則なのに「買い受け特約付きの定期借地契約」
②貸付期間中に森友学園が行ったゴミと土壌汚染除去工事費用1億3200万円を支払った「有益費返還」
③埋設ゴミ撤去費用8億1900万円を値引きしての「売買契約」
④本来一括払いの土地代金を10年間に分割
⑤原則公開の販売価格を「非公表」-などなど。
地方公共団体以外の学校法人などが「定期借地」契約を結んだのは全国で過去3例しかなく、同じ期間に近畿財務局が売却した国有地36件のうち価格が非公表になったのは森友学園の1件だけ。ほとんどありえないようなことが、この取引で重なって起きているのです。
森友学園が13年9月にこの土地の購入に手を挙げて以来、学園側と近畿財務局の間で、綿密な交渉が重ねられていた節があります。
日本共産党の宮本岳志議員は24日の衆院予算委員会で、15年9月4日午前に近畿財務局9階会議室で、学園側の建設業者と同財務局、大阪航空局の担当者が土壌改良費用をめぐって突っ込んだ交渉をしていた事実を独自の調査でつきつけ、森友学園側との交渉の一切の記録を開示するよう要求しました。
ところが財務省の佐川宣寿理財局長は「記録は廃棄した」と答えました。
岩佐弁護士は「廃棄したといった防衛省の資料が後に出てきたこともある。徹底した解明が必要です」と話しています。
政治家とさまざまな関係
安倍首相夫妻で好感
森友学園は与党の政治家などと、さまざまな関係があります。なかでも関係が注目されているのは、安倍晉三首相夫妻です。夫人の昭恵氏は15年の9月ごろに、同学園が4月開校を目指す「瑞穂の國記念小学院」の名誉校長に就任していました(現在は辞任)。
同校は当初、「安倍晉三記念小学院」と命名し、寄付集めをしていました。森友学園の龍池泰典理事長は「昭惠氏を通じて安倍氏に内諾を得た」と本紙に語っていました。
籠池氏によると、昭恵氏は、同学園が運営する塚本幼稚園をこれまで4回程度訪問。「ファーストレディ(首相夫人)として」という題で講演もしています。
昭恵氏は学校案内でこんなあいさつを書いています。
「籠池先生の教育に対する熱き想(おも)いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させてい
ただきました」
安倍首相も「私の考え方に非常に共鳴している方だ」「妻から(龍池)先生の教育に対する熱意はすばらしいと聞いている」と国会で答弁。夫妻そろって当初は好感を口にしていました。ところが、問題がメディアで報じられ始めると「教育者の姿勢としていかがなものか」と一転して突き放しました。
共鳴するところは政治思想にも―。
觴池氏は、大阪府で改憲右翼団体「日本会議」の代表委員をしています。日本会議は日本の侵略戦争を正当化する団体です。籠池氏は改憲をめざす安倍政権を「歴史のキーポイントを握っている重要な政権」などと期待を寄せています。
「日本会議」を支援するためにつくられた「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)には、安倍首相や麻生太郎財務相が特別顧問に就任(16年9月現在)していました。
タカ派でならす自民党の稲田朋美防衛相や平沼赳夫元経産相とも面識があります。
籠池氏によると稲田氏とは靖国神社が関係する訴訟で知り合ったとしています。昨年10月には稲田氏から「防衛大臣感謝状」をもらっています。
平沼氏も学校案内に登場し「簡池先生、頑張れ」と声援をおくっています。
「政治の力」なしにできない
元経済産業省官僚
古賀茂明さん
森友学園の私立小学校認可と国有地売却は、「認可ありき」で大阪府と近畿財務局が懸命にすすめています。普通、官僚はもっと冷たいのです。土地も所有せず、財産も乏しいとなれば、「帰れ」となる。今回の売却手続きは、官僚ならだれでも「むちゃくちゃだ」とわかります。「政治の力」なしに、官僚たちがこんなに必死になって動くわけがありません。
名誉校長だった安倍首相の夫人はこの学園の教育を「すばらしい」とほめました。ここは教育勅語を暗唱させるなど安倍政権の政治思想に共鳴する人たちがつくる学校です。優遇された背後になにがあるのか。国会で徹底して追及すべきです。
”教育勅語暗唱小学校でも″
教育の要と籠池理事長
森友学園が運営する塚本幼稚園(大阪市)は、園児に教育勅語を暗唱させる特異な教育をしています。
記者は園内で籠池泰典理事長に取材しました。玄関に入ると、「教育勅語」を彫り込んだ飾りが目に飛び込んできました。壁の随所に天皇、皇族の写真があります。案内の職員が2階の廊下で突然立ち止まり深々と一礼。その先には昭和天皇夫妻の写真がありました。
通された畳の部屋には、「玉座の間」という名称がついています。籠池氏は金屏風を背に座り、上座には日の丸が。飾りの日本刀も置いてありました。
-新設する「瑞穂の國記念小学院」でも、子どもたちに教育勅語を暗唱させるのでしょうか。
記者の質問に、籠池氏は迷わずこう応じました
「うん。小学校でも朗誦(ろうしょう)させてもらいますよ。教育勅語を嫌がる方はあまりに
も心が狹い。教育勅語的精神は(日本人の)ずっと昔の祖先からの考え方だ」
教育勅語は戦前の教育の基本原理。「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」と子どもたちに徹底して教え込むものでした。1948年に衆院本会議で教育勅語を排除する決議が全会一致で可決されました。
同小学校の17年度学校案内にも特異な教育内容が並びます。「教育の要」として「教育勅語の素読」とあります。素読とは、内容の理解を抜きにして、まず文字だけを音読することです。
教科の特別活動には。「皇室学」や「論語」をはじめ自衛隊見学があります。国語では、「記紀(古事記・神話)を学びます」と神話の学習を掲げています。
同校の新設認可申請を議論した大阪私立学校審議会(15年12月18日)では、「教育内容、教育理念について世の中的な理解が得られるのか」などの厳しい意見が出ました。ある委員はこんな疑問を投げかけました。
「どちらかというと思想教育的な部分がある。教育と政治と思想というところが、普通の高校教育をやっているものから見ると少し違和感を覚える」
森友学園 総理夫人が名誉校長になるまで
https://youtu.be/OFnSMdkc-TY
【森友学園】安倍昭恵氏が学園から報酬か - 首相虚偽答弁も
https://youtu.be/BQWVdBbxT90
安倍晋三 森友学園2/24宮本岳志(共産)の質疑【全】衆院・予算委員会
https://youtu.be/on_3VGPTQR0
ビキニ解禁文書に見る
米日の大罪
日本平和学会理事・明治学院大学国際平和研究所研究員
高橋博子さん
(しんぶん赤旗)2017年2月28日
3月末からニューヨークの国連本部で始まる、歴史的な核兵器禁止条約の交渉会議をボイコットするアメリカに、道理があるのか。そう疑義を唱えるのは、日本平和学会理事で、明治学院大学国際平和研究所の研究員・高橋博子さんです。アメリカの解禁公文書類を分析、研究してきた高橋さんは、戦後の核実験被害など米国の大罪を語りました。(阿部活士)
禁止条約交渉会議ボイコヅトでなく
核実験の影響明かせ
ブラシで
甲板をブラシで笑いながら洗う兵士…。高橋さんが見つけた、米国立公文書館所蔵の写真です。アメリカが1946年7月、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなった「クロスローズ作戦」、第2次世界大戦後初の原爆実験の写真です。
45年8月の広島、長崎への原爆投下が陸上でした。この作戦は海域でのデータ収集が目的でした。ソ連にたいする核軍事力を誇示する面もありました。実験には、第2次世界大戦で使われた艦船を動員し、生きものの被ばく影響を調べるためにヤギやヒツジも乗せました。放射能に汚染された艦の甲板を防護服なども着けずに洗浄させた証拠写真でもあると高橋さん。
核実験に参加し、被ぱくした兵士やその妻、マーシャル諸島住民で核実験の犠牲になった人ら被ぱく者に関する情報の公開は途上にあるといいます。
高橋さんは、「クロスローズ作戦」に参加した海軍兵チャールズ・マッケイ氏にインタビューしています。
-マッケイ氏は、沈没した標的艦から実験器具を回収し放射線を測定するため、爆心地近くの海にもぐった。1970年代におこなった身体検査で大腸がんになっていると知った。作戦に参加した多くの元兵士はがんを早期発見できずに亡くなったと。
「米国政府(米疾病対策センターと国立がん研究所)の未公開資料によると、冷戦期に地球の全地域で行われた核実験による放射性降下物で、米国で51年以降に生まれた居住者の少なくとも1万5000人がおそらくがんで死亡した」との米紙「USAトゥデイ(2002年2月28日付)の記事を紹介しなから高橋さんは、話します。
「残留放射線放射性降下物(死の灰)の影響に国境はないのですから、全世界的には甚大な被害だと思います。『国家安全保障』の名のもとで、人体への放射線の影響など国家にとって都合の悪い事実を機密扱いにしています。アメリカがやるべきことは、禁止条約の交渉会議をボイコットするのではなく、幾度となく行った核実験・残留放射線の地球環境と人類に与えた影響を明らかにすることです」
幕引きし戦犯解放 政治取引した日本
被害者の告発ともに
国賠訴訟
アメリカが1954年3月1日に「キャッスル作戦」第1弾として、ビキニ環礁で行った水爆実験。ビキニ環礁から約160㌔㍍も離れた公海で、日本のマクロ漁船・第五福竜丸が被ばくしたニュース(3月16日)は、実は米国政府を揺るが
したと高橋さんは力説します。広島、長崎への原爆投下以来、米国の公式発表で否定してきた、残留放射線による被害が広範囲に及ぶことが世界中にわかってしまったからです。
「調査がすすめばすすむほど米国が軍事機密にしてきた核実験による実質的な被害が、明らかになる可能性がありました」
米上下両院合同原子力委員会の秘密会(6月)でのアリソン駐日大使の提言を紹介します。日本政府が太平洋海域での放射能汚染状況を調べに派遣した調査船「俊鶻丸」が戻ってくる前に、日本政府にお金を渡して解決したほうがいいと。
9月23日に、第五福竜丸の無線長・久保山愛吉さんがなくなり、日本国民の反核感情がさらに高まりました。アメリカ政府でもそれにかなり危惧して、心理作戦を担う機関、工作調整委員会が乗り出してきたと分析します。
当時、各地の漁港には、放射能で汚染されたマクロが水揚げされました。
「アメリカは、多くの日本のマクロ船乗組員の被ぱく状況、爆心から180㌔のロングラップ環礁で被ばくした住民の状況を初めから切り捨てていたと断言できます。報道されたので、無視できなくなってやむなく第五福竜丸の乗組員だけに見舞金を出したのです」
しかも、その方法も、議会の承認を受けて補償金をだすという形をとりませんでした。「工作調整委員会の資金、議会からも追及をうけない秘密の対外活動資金です。日本の”官邸機密費”みたいなもの。ビキニ被災事件は、アメリカ社会でも表面化されることもありませんでした」
日本政府の対応にも大きな闇があるといいます。
高橋さんは、日本政府が政治的な思惑でビキニ事件を取引材料にして、さっさと幕引きしたことを示す米側公文書を見つけました。
12月27日に重光外務大臣と会談したアリソン大使の記録です。
「外務大臣は、彼曰く、非公式の資料として判断されるべきとするタイプされたメモを手渡した」
メモは6項目。①「ビキニ補償問題の解決」⑥「大規模な戦犯の解放と仮出所」とあります。高橋さんは、日本政府にとってビキニ補償にむけた動きは、アメリカ側の戦犯追及姿勢をさらに解除させるために有効だと考えていた」と見ます。
現在、ビキニで被はくした元マクロ船乗組員らが、国家賠償訴訟を高知地裁に起こしています。原告らは、「ビキニ核被災事件をめぐる一連の経過の真実は、米ソ核開発競争の中で米国が優位に立つために不可欠な核実験の継続を最優先させるため、日米両政府が一体となって、核被ばくの事実を徹底して隠ぺいする行為を続けてきたこと」だとしています。
高橋さんは、原告らにエールを送ります。
「アメリカと、その『核の傘』を擁護する日本政府が数十年間隠し続けた核実験被害者からの告発です。アレキサンダーが剣を振りかざしたように、核兵器を振りかぎして『核抑止』だとの脅しに屈しない人間のだたかいです。一緒にたたかいたい」
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
http://dai.ly/xki6uk
米ソで水爆開発が進む中、アイゼンハワー政権は、原子力平和利用を促進することで軍縮が実現できるとして、同盟諸国に原子力情報の公開と濃縮ウランの供給を提案した。その裏には、ソ連に対抗して西側の結束を図ろうとする意図があった。
番組では、日米原子力協定の締結に至る過程に焦点をあて、原子力導入の舞台裏における米ソの主導権争いと、民間から進められた原子力受け入れの世論作りの全ぼうを明らかにする。
「原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略」/
(NHK 現代史スクープドキュメント 1994年放送)
http://d.hatena.ne.jp/kobayaciy/files/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%AA.pdf
NHK・ETV特集 2013年9月28日
「海の放射能に立ち向かった日本人
~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~」
http://dai.ly/x15bioi
1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸が被ばくしました。被害は水産物にも及び、日本各地の港では放射性物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされます。しかし、核実験を行ったアメリカは、放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる、と主張しました。
このとき、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動します。水産庁が呼びかけて、海洋や大気、放射線の分野で活躍する第一線の専門家が結集、「顧問団」と呼ばれる科学者たちのチームが作られました。
そして水爆実験から2か月後、顧問団が選んだ若き科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に向けて出発します。2か月に渡る調査の結果、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。
俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所の三宅泰雄さんは、その後も大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を続けます。原子力発電所が次々と作られていく中で、三宅さんをはじめとする科学者たちは、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作るべきだと声を上げます。
しかし、それは実現しないまま、2011年3月11日、福島第一原発の事故により、再び放射性物質で海が汚染されました。