1945年4月ブーヘンヴァルト強制収容所を開放した連合軍は、※(閲覧注意) この惨状を見せるためにワイマール市民をここに連れてきた。その時の様子を撮影していた女性カメラマンが、後に、このように記しています。
「女性は気を失った。男たちは顔を背けた。あちこちから、知らなかったんだ、という声が上がった」そうです。しかし、収容者たちは、怒りをあらわに叫んだ。
いいや、あなたたちは知っていた。
「憲法」「保育・待機児童」問題
知ろう 話そう 行動しよう!
もしもあなたが投票に行かなかったら…
(LEE)2016年7月号
参院選はもうすぐ! 国の行く末を決める「憲法」。 LEE世代にとってはすぐにでもなんとかしてほしい「保育・待機児童」。今回は選挙の争点になりそうな2つの問題をピックアップ。知って話して、そして必ず投票に行って、意思を示さないと!
PART1
政治学者岡田憲治さんがLEE100人隊にスペシャル講義
「政治って、こんなに暮らしと近いんです
政治にもやもや。でも何をすればいいの?そんな読者代表が専門家にヒントをもらいました。
地に足着けて生きているLEE世代の声が必要です
-政治に関して「最近、なんだかおかしいな」と思っても、どう行動すればいいかがわからない。身近な人とそうした話もしづらい。でも、このままではいけないと思っている。そんな人が多いLEE世代。そこで、自分らしく、無理をせず、政治とかかわる方法を、政治学者の岡田憲治先生とLEE100人隊が探ります。
岡田 僕も妻と小さな二人の子供と一緒に暮らす一人の父。毎日バタバタ忙しいと「政治とは」なんて考える心の余裕はなかなかないですよね。でも、地に足を着けて生きているLEE読者のような女性たちの声こそ、よりよい暮らしができる社会のために必要です。
自分に合った方法で、気軽に政治にかかわってほしい。そうした声をしっかり届ければ、社会を変えるパワーに必ずなります。
一人はなんだか心細い。それなら仲間をつくろう
岡田 だから、生活の中で少しでも気になるテーマがあったら関心を持っていただきたい。政治について考える、話す、行動することへの心のハードルを下げてほしい。まずは「これって問題じゃないの?」と考えて、参院選で自分の意思を示すことから始めませんか。
みみ でも私たちに社会を変えるほどの力ってあるのでしょうか。
岡田 一人で声を上げるのは心細いし、「私一人では意味がない」と無力感も覚えますよね。でも、同じく何かがおかしいと思いつつ、無力感を持っている人はほかにもいる。だから、仲間をつくることが大切なんです。仲間をつくれば、声は大きくなる。皆さんはそんな
に無力じゃありませんよ。
PTAでも子供のサッカーチームでもいいけれど、私たちはいつだって、意見を持ち寄って調整して協力できることを探って仲間づくりをしている。これこそが「政治」で、つまり普段から無意識に行っていることなんですね。そして意見を言うときには、相手によって「言い方」を工夫しています。
例えば、ぐうの音も出ない正論を言い続けたら、説得したい相手の心が閉じてしまう可能性がある。だから、こわばっている相手の心を溶かすような提案や物言いが必要です。「なんかあれ、変だと思わない?」と軽く話したら「わかる!」「私もそう思ってた!」つて反応があるかもしれない。逆に意見が対立しそうなら、「あなたの言うこともわかるよ」と理解の気持ちを示してから、「私はこう考えているんだけど、どう思う?」と自分の意見を伝える。
ね、普段から私たちはやっているでしょ。いったん人の意見に同調するなんて迎合と思うかもしれませんが、仲間と考えを共有していくための過程と考えましょう。
ゆりこ 正論ばかりでもダメ。確かにそうですね。
岡田 僕もどうすれば伝わるか、いつも考えてますよ。普段のコミュニティの中には、政治的なことに全然関心がない大もいるでしょう。でも自分の中のハードルを下げて気軽に話してみれば、きっと関心や疑問を共有している人がいることに気づくはずです。
無投票は「嫌いな候補者」を応援する場合があるんです
halna 私もこのままではいけないのでは、と感じていて、今度の選挙は必ず行こうと思っています。でも、私が一票入れても何も変わらないに決まっている、なんて思いもあって……。
岡田 その気持ち、わかりますよ。だけど、投票しないということは「現状に不満はない」という「黙認」を意味します。仮に現在の与党に対して不満があったとしましょう。もし投票しなかったら、今の制度では「現状のままでよい」とみなされます。つまり、その場合は、選挙をガン無視すると(笑)、不満を持っている党や嫌いな候補者を応援することになっちゃうわけです。
みみ それは困ります!
岡田 若い世代が投票に行かないとよく言われますが、実際20代から40代が投票に行っていない。それって仕方ない部分もあるとは思う。だって、仕事に家事に子育てに忙しいもの。だけど、無投票は「ただ投票しなかった」ではなく、まして「抗議」の効果なんてなく、「投票に行った人への賛成」を意味する。この点は知っておいてほしいです。前回の衆院選で与党第一党に投票した人は、比例で全有権者の約17%、小選挙区で約25%です。もし今の政治に不満があるならば、投票に行かないことは、この人たちに、いろんなことを丸投げするということなんです。
ゆりこ 誰かに投票しなきゃとは思うのですが、この人なら!と思える候補者がいないんです。
岡田 うんうん、それもよくわかります。政策は悪くないけれど、どうもクリーンな感じがしなくてなんとなく好きになれない、なんてこと、ありますよね(笑)。
ゆりこ そうなんです!
岡田 こんなふうに考えてはどうでしょうか。「人として正しいか」といった基準をいったん外してみましょう。政治や政治家に過度に「立派」であることを求めすぎないようにする。私たちだって、そんなに立派な人間じゃない。政治家はそんな私たちの代表です。一方
で、いつも汚いことばかりするわけでもない。いろいろな面を持っているのが人間です。
ベストな候補者なんて、なかなかいません。だから候補者の中で「ひどさ加減」がよりマシな人を選ぶ。自分の選挙区で支持したい政党の候補者がいるけれど、人としてはどうも、といった場合は「鼻をつまんで」入れるしかない。(^ゑ^)
halna 絶対当選してほしくない候補者がいる場合は?
岡田 それなら、積極的に支持する気持ちがなくても、そのライバル候補者に「鼻をつまんで」入れる。「落とす」ことに一票を使うという考え方ですね。
現在の選挙のルールの特徴を知ると……
岡田 ところで皆さんは、自分の一票の価値を小さく見積もりすぎています。というのも、現在の小選挙区制度では、一票の価値って、とても大きいんです。
例えば09年の衆院選。その前の選挙で圧倒的人気を誇った小泉内閣が獲得した多数の議席を民主党が奪い、政権交代が実現した。これって実は、いつも自民党に投票していた人たちのわずか10%前後の人が民主党に入れたから、政権がひっくり返ったと言われているんです。「最近の自民党は感心しないから、お灸を据えよう」と思ったのか、それくらいの人の支持が変わっただけです。その結果、現在の選挙制度という「ゲームのルール」のもとだと、政権交代という大きなことが起こりうるんです。
みみ たった一票でも軽くない気がしてきました!
岡田 あと単純なことですが、支持は選挙ごとに変えていいんです。一つの政党に一生添い遂げなくていいし、Oか100かで考えなくていい。そう考えると投票へのハードルも下がるのでは。そのときの評価を一票に託せばいいのです。
ゆりこ 「このままでいいの?」と思うなら、自分から少しでも動かないとダメですね。
halna まずは今度の参院選、必ず投票に行きます!
PART2
゛今一番知るべきこと″をちゃんと知って、そして投票に!
今どうなってる?これからどうなる?
「憲法」「保育・待機児童」問題
戦後一度も改正されなかった憲法が改定される可能性が大きくなり、保育園に入れない子供もたくさん!政治の行方が心配です。
教えてくれたのは
憲法学者 木村草太さん
本当に必要なの?「改憲」
国家のあり方を内外に宣言し、権力の腐敗や膨張に歯止めをかけるために存在する「憲法」。改正案では自衛隊の活用範囲が拡大し、武力行使が可能に。急いで改憲する必要が、本当にあるの!?
日本人がなんとなく持つ後ろめたさが無関心を呼ぶ
一昨年、賛否両論が吹き荒れる中、平和安全法制関連2法(安保法制)が成立、交付されました。安倍政権は、憲法解釈を変更し、自衛隊が武力行使できる条件をゆるめたと言われていますが、具体的にどう変わったのでしょうか。
「安保法制というより、自衛隊海外活動拡大法々と呼ぶべきでしょう。自衛隊は、日本が他国から攻撃を受けて初めて武力を行使し、自衛するための組織です。PKOなどで他国へ派遣される場合は、インフラ整備など戦闘的でない業務に従事してきました。しかし今後は存立危機事態だと認定されれば、日本への武力攻撃がない段階でも、自衛隊は武力を行使できます。PKOでも、現地住民や他国部隊を警護するために武器を使用できるようになりました。
これは何を意味するか。自衛隊がこれまで以上に危険な状況に陥り、戦闘で死者が出る可能性が高くなるということです。この法制が通ってしまった背景には、日本人が外国の紛争解決に″貢献”しない点に対する後ろめたい気持ちがあると思います。その後ろめたさが安保法制について真正面から考えさせないでいる。それは自衛隊の活動を拡大したい政府にとっては”都合のいい無関心”になります。しかし、単に反対するだけでは、この後ろめたさは解消されない。何をすれば解消されるのか、私たちは今こそ真剣に考える必要があります」
存立危機事態条項は法律として意味不明だから違憲と考えます
-戦闘に協力するだけが国際貢献ではないと思うのですが……。
「安保法制には二つの文脈があり、一つは日本が海外で実力行使での貢献があまりにも少ないから、公共的な貢献をもっと果たそうという価値観。これには、経済的貢献や技術提供など、ほかの貢献の仕方がある、という議論ができます。もう一つは、米軍の軍事活動をお手伝いすれば、日本を守るときにアメリカが頑張ってくれると期待する”アメリカへのプレゼント”。見方によっては自衛隊の命でアメリカに恩を売ろうという話にも見えるでしょう。
でもこれは、アメリカの要請が実際にあったのか私たちには不明なまま、勝手に先手を打って過剰なプレゼントをするようなものです。それで議論が抽象的になるのです」
-新たに自衛隊が出動することになった、「存立危機事態」の定義もよくわかりません。
「私もよくわからないんですよ(笑)。なぜなら、政府内ですら定義が一致していないため、どういう状況なら自衛隊が出動するのか、誰もわからない。与党が一致団結して武力行使を解禁する、というなら、よしあしは別として、わかりやすかったでしょう。しかし、与党には武力行使に慎重な公明党がいて、存立危機事態の文言は、ものすごく厳しいものになりました。ところが、安倍首相たちは、あまり歯止めをかけたくない。だから、この文言でも幅広く武力行使ができるんです、と説明している。たとえると”禁煙と書いた張り紙をしながら、これはタバコ吸っていいという意味ですと言っている”みたいな話。
私は、存立危機事態条項は、憲法9条違反である以前に法律の内容が意味不明だから違憲と考えます。それに存立危機事態の文言どおりの事態に陥ったなら、個別的自衛権で対応できるでしょう」
-安保法制の成立は立憲主義を壊したのでしょうか。
「集団的自衛権の行使は違憲であり、それを解禁したのですから、立憲主義に反すると評価されてもしょうがないでしょう」
自衛隊出動の歯止めになる附帯決議に注目を
-木村先生は、あまり耳なじみのない安保法制の「附帯決議」にも着目されていますね。
「附帯決議は、ミニ政党3党(※)が安保法制に賛成票を投じるのと引き換えに勝ち取った”自衛隊を派遣する際は国会の関与を強める”条件です。これによると、集団的自衛権を行使する場合には、必ず国会での事前承認が必要です。また、自衛隊の海外活動は2年おきの報告義務でしたが、6ヵ月ごとに変更され、より厳しくなったという面があります。常時、自衛隊の動きを監視でき、国会が決議したら即時帰国しなければならない、という内容も盛り込まれています。そして、これらの条項を尊重しなければならない、という閣議決定もなされました。
こうした条件づけは、安保法制の重要な歯止めになり得ます。政府与党がこの歯止めを受け入れたのは、連日の大規模デモで何らかの譲歩をしなくてはと考えたからでしょう。附帯決議は、全国のデモ隊とミニ政党3党のチームワークで勝ち取った条件と言えます。それが有名無実化しないよう、注目してほしいです」
-もう一つ自民党の憲法改正草案にある「緊急事態条項」についても教えてください。
「戦争や災害時に緊急事態を宣言して政府が一時”独裁”するとの条項です。しかし、武力攻撃事態についても、大災害についても、現在の法律で不十分なら、法律を改正して対応すればよいでしょう。また、大災害のときに必要なのは、中央政府の命令権ではなくて、地方自治体へ主導権を与えることではないかと指摘されています。それに、自民党草案の緊急事態条項は、三権分立や基本的人権を停止する効果まで定められています。とても危険な内容で、とうてい許容することはできません。
集団的自衛権が行使できるようになっても、徴兵制が導入されなければ、自衛隊に入らない限り戦地に行くことはありません。しかし、自衛隊に危険な任務を命じるのは私たち国民です。そうした当事者意識を持ち、この問題に関心を持っています、というシグナルを出すために、情報に触れ、参院選で政権に対する意思をはっきり示すべきでしょう」
※日本を元気にする会、次世代の党、新党改革の3党
10.選挙が終わってから思い知らされる安倍暴政の正体と庶民イジメの恐怖メニュー
「いくら盛り上がりに欠ける選挙でも、諦めは禁物です。参院はあくまで『熟議の府』。有権者の多くが安倍政権の危うさに感づいているなら、票を投じて暴政にお灸を据えた方がいい。そして熟議を深める参院をつくれば、政治は必ず変わる。何度選挙をやっても結果は同じと、絶対に傍観してはいけません」
「今度の選挙で改憲勢力に3分の2の議席を与えるのは、国民が暴政に『待った』をかける抵抗のツールを完全に失うことを意味します。改憲発議は『国民投票』というワンクッションがあるだけ、まだマシで、安倍政権が憲法破壊の暴政をエスカレートさせ、国民にキバをむいても、反対勢力はあらがう手段を奪われ、手も足も出ない。事実上の独裁を許すようなもので、後世の人々に“なぜ、あんな無謀な選択をしたのか”と歴史的責任を問われることになります」
(五十嵐仁氏:政治学者)
「緊急事態条項」
とワイマール憲法が生んだ独裁の教訓
http://dai.ly/x414gqb
「緊急事態条項」とワイマール憲法が生んだ独裁の教訓
http://www.asahi-net.or.jp/~ar5t-kym/20160318tvasahins2.pdf
第2次世界大戦前、最も民主的と言われていたドイツのワイマール憲法の元で、20世紀最悪の独裁者ナチスのヒトラーが生まれた。しかしその教訓は他人事ではない。麻生副総理が「ナチスに学んだらどうかね」と言っていた。
冗談じゃなく、ナチスが独裁を確立していった歴史を連想させる事態が、今日本でおきている。ヒトラーは国家緊急権で自由を廃止し野党の息の根を止めた。この当時最も民主的な憲法でまさか独裁者が誕生するなど思いもしなかった。
「自民党憲法改正草案の緊急事態条項」は、ワイマール憲法48条「国家緊急権」を思い起こさせる。内閣の1人の人間に利用される危険性があり、とても問題だ。
①国家が緊急事態に陥った場合に、大統領が、公共の安全と秩序、これを回復するために、必要な措置を取ることができる。大統領が、なんと、一時的には何でもできちゃう、という条文だったわけです。
この条文が、実は、ヒトラーに独裁の道を、ついに開かせてしまった。 じゃあなんで、そもそも、この条文が入っていたのかといいますと、憲法を当時作った人たちが、国民の普通選挙による議会制民主主義というものを、実はまだ、完全には信用していなかったんです。 国民の男女平等選挙による議会というのは、初めてのことですから、言ってみれば、憲法を作ろうとしていた人たちが、まさにこのぎっしり詰まったソーセージのように、疑いをぎっしり詰め込んでいた、ということなんです。 庶民は全く信用されていなかった、ということなんです。 でも、ヒトラー以前には、この条文は、実は何回も使われていたんです。 議会が紛糾して、全く動かなくなる。さぁどうしよう、法律を通さなきゃいけないという時には、何回もこれは使われていた。 しかしヒトラーは、完全にこれを悪用した、ということなんです。
②演説が得意だったヒトラーというのは、反感を買う言葉を、人受けする言葉に換えるのがうまかった。 例えば、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」といった具合だ。 平和を愛するとともに、勇敢な国民になってほしい。この国を、軟弱ではなく、強靭な国にしたいのだ。この道以外にない。
1933年、念願の首相に任命されたヒトラーは、議会で多数を取るために、すぐに議会を解散しました。 そして、選挙に向けて、互いに利用し合う関係にあった、当時のヒンデンブルク大統領を動かした。 共産党が、全国ストを呼びかけていた。それを見るや、国家緊急権を発動させたんです。集会と、言論の自由を制限。 政府批判を行う政党の集会やデモ、出版を、ことごとく禁止した。そして、それからおよそ3週間経って、また立て続けに、国家緊急権を発動します。 有名な、ベルリンの国会議事堂が放火される、という事件が起こった。
一説では、ナチの自作自演だという話もありますが、ヒトラーは、この放火事件を、共産党の国家転覆の陰謀として、またも国家緊急権を使ったわけです。 今度は、あらゆる基本的人権を停止した。司法手続き無しで、逮捕もできるようにしてしまった。野党はもはや、自由な活動はできなくなりました。
③ヒトラーの腹心、ヘルマン・ゲーリングも、その手法を語っている。
国民は、指導者たちの意のままになる。 それは簡単なことで、自分たちが外国から攻撃されている、と説明するだけでいい。
平和主義者に対しては、愛国心がなく、国家を危険にさらす人々だと、批判すればいいだけのことだ。この方法は、どこの国でも、同じように通用する。
当時のドイツの政情は、左翼勢力右翼勢力の対立が激しくなって、各地で暴動や反乱が繰り返されていた。非常に不安定だった。そんな中で、ヒトラーの国家緊急権行使を後押しをしたのは、〝保守陣営と、そして財界〟でした。
財界も、何もナチのことは好きじゃあなかったけれども、何よりも、共産勢力の盛り上がりを怖がっていた。
最後に、ワイマール憲法研究の権威であるドライアー教授に、日本の緊急事態条項について、それを見ていただきました。
ワイマール憲法に詳しいイエナ大学・ミハエル・ドライアー教授:この内容は、ワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。
民主主義の基本は『法の支配』で、『人の支配』ではありません。人の支配は、性善説が前提となっているが、良い人ばかりでは無い。民主主義の創設者たちは、人に懐疑的です。常に、権力の悪用に、不安を抱いているのです。権力者は、いつの時代でも、常にさらなる権力を求めるものです。
日本は、あのような災害(東日本大震災)にも対処しており、なぜ今、この緊急事態条項を入れる必要が、あるのでしょうか。
あたらしい憲法草案のはなし
http://www.tarojiro.co.jp/constitution_draft/
より
五 強く美しい国へ
◆危機にそなえた「緊急事態条項」をもうけます
ここまで、憲法草案のあたらしい三原則(国民主権の縮小・戦争放棄の放棄・基本的人権の制限)についておはなししてきました。日本がいつ他の国からせめられてもいいよう、国防軍がどんな戦争にでも参加できるよう、そして国民がよがらぬ考えをもたぬよう、憲法草案がさまざまな工夫をこらしていることがおわかりになったでしょう。
しかし、みなさん、これだけで国の安全がまもれると思ったら大まちがいです。国家存亡の危機は、いつなんどき、どんなかたちで訪れぬともかぎらないのです。
そんな日がいつきてもいいように、憲法草案は最強の条項をもうけました。「緊急事態条項」とよばれる九十八条と九十九条です。
九十八条「緊急事態の宣言」はこんな条文です。〈内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる〉
緊急事態というのは、国が重大な危機に直面したときのことです。
いまの憲法に、このような規定はありません。緊急事態条項というのは、たいそう強い内容ですので、戦前の反省もふまえ、いまの憲法をつくった人びとは「それだけはやめておこう」と考えたのです。憲法草案の九十八条は戦争、内乱、災害の三つの例をあげていますが、いまの日本では、国外からのこうげきには武力攻撃事態法、内乱には警察法や自衛隊法、自然災害には災害対策基本法などで対処することになっています。
それなのに、あえてあたらしい条項をもうけたのはなぜでしょうか。
それは、このさき、日本がいままで以上に重大な危機に直面するかもしれないからです。国防軍が世界じゅうに行けるようになると、敵がふえますので、日本国内でもテロの危険性が上がります。政府に不信をもつ国民がさわぎをおこすことも考えられます。こんなときには、強い力で国民を圧したほうがよいのです。また、大地震などの自然災害のときは、国民がパニックになりやすいので、強い力を使って、国民をおとなしくさせたほうがよいのです。
◆緊急事態には、内閣がリーダーシップをはっきします
では、緊急事態のとき、政府はどんな強い力を使えるのでしょうか。それについては、つぎの九十九条「緊急事態の宣言の効果」に書かれています。
〈緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる〉
内閣は国会を無視して、自由に法律(とおなじ効力をもっ政令)がつくれます。予算も自由に使うことができますし、知事や市区町村長に指示(命令)も出せます。
つまり、緊急事態だとさえいえば、憲法できまっていることも、内閣がかるがるとふみこえることができるのです。緊急事態を憲法のなかで予定するのですから、こうしておけば、内閣がなにをやっても、憲法違反だといわれなくてすむのです。
◆国民も、国と一体になって事態に立ち向かいます
緊急事態のときは、国民の生活も大きく制限されます。
〈緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない〉(九十九条)
これまでの法律は、緊急事態のときでも強制力がないため、国民に協力を「お願い」することしかできませんでした。それでは困るので、緊急事態条項がもうけられたのです。
緊急事態宣言が出たら、みなさんは政府の指示(命令)にしたがわなければなりません。人権は制限されるか、停止されるでしょう。九十九条には〈基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない〉とも書かれていますが、これは基本的人権をいったん「なし」にして、でも、尊重できるときはしますが、という意味です。
法のもとの平等(十四条)、奴隷的拘束の禁止(十八条)、思想良心の自由(十九条)、信教の自由(二十条)、居住・移転の自由(二十二条)、学問の自由(二十三条)、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(二十五条)、教育を受ける権利(二十六条)、その他もろもろの自由や権利は、すべて制限されるかくごが必要です。
表現の自由(二十一条)はまっさきに規制されるでしょう。まえにも申しましたように、表現活動は、もともと国の安定をそこねる元凶なのです。政府が「緊急時の活動をさまたげる報道やインターネットの情報は規制する」という政令を出せば、情報はすぐ遮断され、国民は情報にアクセスできなくなります。ですが、それがなんだというのでしょう。非常時には、そのくらいの不自由はがまんして、国の命令にしたがうのが国民の責務ではありませんか。
NHKスペシャル 2015年12月20日
新・映像の世紀「第3集 時代は独裁者を求めた」
http://dai.ly/x3j114s
http://dai.ly/x3j11b4
5000万を越える人々が犠牲となった第二次世界大戦。しかし、あの惨劇は一人の独裁者の狂気だけが生み出したものではない。
世界恐慌で資本主義に幻滅した人々はファシズムを支持し、世界中の企業がナチスへの支援を行った。
自動車王ヘンリー・フォードはナチスに資金援助したと言われ、空の英雄リンドバーグは、ヒトラーと手を組むことが世界を平和に導くと信じた。
アウシュビッツ収容所の大量の囚人管理を可能にしたのは、アメリカ企業(IBM)の開発したパンチカードシステムだった。
なぜ世界は独裁者を迎え入れたのか、なぜ止められなかったのか。
未公開映像から浮かび上がる、独裁者に未来を託し、世界を地獄に追い込んでしまった人々の物語である。
※視聴注意
WW2(第二次世界大戦):
Liberation of Buchenwald & Dachau
(ブーヘンヴァルトとダッハウの解放):
"Lest We Forget" (忘れてはいけない)
(April 15-16, 1945)
https://youtu.be/mfNplQu72og
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき
「その建物(死体焼却炉)の前に1本の木が立っていて、そこに白く塗った板がかけてあり、黒い字で何やら書いてありました。
Baracke X
この板は、ダッハウで生き残り、最後にアメリカ兵によって発見・救出された囚人たちの、いわば最後の挨拶のようなものだったのです。つまり、彼らが、先に死んでいった仲間のために書いた挨拶です。こう読めました。
『1933年から 1945年までの間に、23万8765名の人々がここで焼かれた』。それを読んだとき、妻が失神しそうになってわたしの腕に中に沈み、ガタガタ震えているのにわたしは気がつきました。わたしは彼女を支えてやらなければなりませんでしたが、同時に冷雨のようなものがわたしの背すじを走るのを覚えました。妻が気分が悪くなったのは、25万人近くという数字を読んだためだと思います。この数字は、わたしにはどうということはなかった。
わたしはもう知っていましたから。その時わたしを冷たく戦慄させたものはいくらか別のこと、つまり『1933年から 1945年まで』という2つの数字だったのです。・・・1937 年の7月1日から 1945年の半ばまでは、わたしにはアリバイがあります(注・その間彼は捕えられていた)。しかし、そこには『1933年から』と書いてある。・・・1937年の半ばから、戦争の終わりまでは、お前にはなるほどアリバイがある。だが、お前は問われているのだ。『1933年から 37年の7 月まで、お前はどこにいたのか?』と。そしてわたしは、この問からもう逃れることはできませんでした。1933年には、わたしは自由な人間だったのです・・・」
アメリカ軍に歓声を上げる解放されたダッハウ強制収容所の囚人
「ナチスがコミュニストを弾圧したとき、私はとても不安だった。が、コミュニストではなかったから、何の行動も私は行わなかった。その次、ナチスはソシアリストを弾圧した。私はソシアリストではないので、何の抗議もしなかった。それから、ナチスは学生・新聞・ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げて行き、その度に私の不安は増大した。が、それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧して来た。そして私は牧師だった。が、もうその時はすべてがあまりにも遅すぎた。」
「ナチスに責任を押しつけるだけでは十分ではない。教会も自らの罪を告白しなければなりません。もし教会が、本当に信仰に生きるキリスト者から成り立っていたならば、ナチスはあれほどの不正を行うことができたでしょうか・・」
マルティン・ニーメラー