自由なラジオ Light Up! 010回2016年6月7日
「統一指揮権密約」の存在を知っていますか?
そして安保法制は筋書き通りに成立した……
パーソナリティ : 木内みどり
ゲスト : 矢部宏治さん(ジャーナリスト・作家)
http://jiyunaradio.jp/personality/archive/010/
今回のスタジオのお客様は、5月26日に「日本はなぜ『戦争ができる国』になったのか」(集英社インターナショナル)を出されたばかりの矢部宏治さんです。「日本の戦後史にこれ以上の謎も、闇も、もう存在しない!」、そんなキャッチコピーが添えられたこの本は、まさに衝撃的内容が盛りだくさんで、たいへん話題になっています。
リスナーの皆さんは、この国に暮らしていて、この国の政治や経済はどうして民意に反してあらぬ方向に進んでしまうのだろう、とか、民主国家というがどう考えてもその決定はおかしいだろうと感じたことはありませんか? この番組を聴いて、矢部さんのこの本を読んでみれば、そんな疑問が明確に解けてしまいます。そして善良な市民であるならば、驚きのあまり声を失うのではないでしょうか?
戦後の占領から解放され独立したはずの日本が、今もなおアメリカ軍に支配され続けていること、それは関東8県のど真ん中上空7,000メートルにわたってある米軍専用の空域「横田空域」の存在を知れば納得できることでしょう。東京を飛び立つ民間機がどうしてああも急旋回して各地に向かうのか疑問に思っていませんでしたか?
第二次世界大戦後の1950年、朝鮮戦争にアメリカ軍は日本を引き連れて参戦した事実、またその中で日本国内のアメリカ基地を守るため警察予備隊ができました。それが現在の自衛隊です。「密約」は、そこに端を発しているといいます。
戦後、アメリカ軍、アメリカ政府と日本政府がその密約に基づくいびつな相関関係の中でつながり続け、日本はアメリカに支配され続ける。辺野古も、米兵によるレイプ事件も、原発がなくならないのも、今回の放送を聞けば、すべてその構造が理解ができることでしょう。
https://youtu.be/Cs_WHLNFKt8?t=18m15s
18分15秒~Light Up!ジャーナル第010回
「小出裕章 私は立ち続ける」
http://jiyunaradio.jp/personality/journal/journal-010/
木内みどり:
一般のメディア、テレビ、ラジオ、週刊誌、新聞ではなかなか取り上げられないということをむしろ重点的に取り上げていこうというライトアップジャーナルです。
小出裕章さんや今中哲二さん、元京都大学原子炉実験所の小出さんと今中さんが時々お話をしてくださっているんですけれども、「市民のための自由なラジオ ライトアップ!」というのは、それをお披露目したのがちょうど今年の2016年3月11日でした。
というのは、2011年3月11日からちょうど5年経った日だったんですけれども、こういう番組ができますというお披露目をしたんですけど、その時に私たちパーソナリティと小出さんをお迎えして東京の新宿でイベントをやったんですが、その時の小出裕章さんの発言どうぞお聞き下さい。
いまにしのりゆき:
やっぱり原子力村っていうのは、普通の研究者の方であの状況の中で、誰が見ても炉心溶融している、メルトダウンしているのは当たり前だという話をされておられた。
けど、今以って5年経ってもまともに話する専門家は非常に少ないと言うか、ほぼいない。やっぱり原子力村っていうのはそれがもう美徳と言うのか、当たり前と言うのか。
小出さん:
いまにしさん、原子力村と……
いまにし:
すみません。原子村と言うと最近怒らるんで、厳しいチェックが入りますんで、『原子力マフィア』。はい。
小出さん:
私は、原子力村なんていう言葉をもはや使うべきではないと。
原子力村というのは、国、電力会社、原子力産業、土建屋、零細中小企業、労働組合、マスコミ、裁判所、全部が集まった巨大な権力機構だったわけですけれども、その巨大な権力機構が原子力を勧めてきて、福島第一原子力事故もついに引き起こしてしまいました。
ただそうなったところで、誰一人として自ら責任を取ろうとしないのです。自ら。結局、誰も責任を取っていないし、処罰もされていないという、そういう状況があるわけです。
私はそれを見て、彼らは本当の犯罪者集団だと思うようになりまして、原子力村ではなくて原子力マフィアと呼ぶようになりました。絶対に彼らを処罰したいと、今は思っています。
いまにし:
小出先生もやっぱりラジオフォーラムでずっとお話し頂いてる大半のタイミングは、京都大学の先生でいらっしゃった。
けれども今は立場替わられて「安部政治は許さない」という看板を持って、今立っておられるのは週に何回ですか?
木内:
月に3日、毎月3日。
小出さん:
毎月1回です。
もともと澤地久枝さんが昨年の7月18日の午後1時に自分の都合のいい場所で「安部政治を許さない」というポスターを持って立とうという呼びかけをしてくださって、私は普通、そういう呼びかけの賛同人にはならない。自分が主体的、具体的、積極的に担えないような行動の賛同人には自分の名前は決して恥ずかしいし、出さないということにしていたんですけれども、澤地さんの呼びかけは、「自分の好きな場所で立て」ということだったので、それなら自分はできるので「賛同になります」と言って引き受けて、7月18日に、今私が住んでいる松本駅前で立ちました。1回限りかと思ったら、澤地さんがその後、毎月3日、自分の好きな場所で立とうという行動を提起してくださいましたので、それならできるということで、私は毎月3日に松本駅前で「安部政治を許さない」というポスターを持って立っています。
一人でも立つつもりですけれども、毎回たくさんの方が松本駅前に集まってくださって、ずっと立ち続けています。
これからも毎月3日松本にいる限りは松本で立ちますし、そうじゃない場所に私が行ってることも多いのですけれども。
多いというか、これまでずっと3日に立っていました。
4月3日は実は京都に行っているのですけれども、京都のどっかで私は立とうと思っています。
20150919 小出裕章先生 ~松本駅前~
https://youtu.be/e0QXhlvZUq4
2015/11/03 全国一斉スタンディング@松本駅前-小出裕章先生スピーチ
https://youtu.be/hTiBVquRB8s
20160603 アベ政治を許さない~小出裕章先生
https://youtu.be/p7wIJDGLDe4
木内みどり:
この中で小出さんは原子力村じゃなくて、そんなんじゃもう甘いと、この人たちは犯罪者だから、「原子力マフィア」という言葉を使っていらっしゃいますが、このご本の中で矢部さんは安保村、同じ事をおっしゃってますもんねえ。
矢部:
そうですねえ。全くそうなんですね。
やっぱり原発事故が起きて、その原子力村という特に利益集団のメディアコントロールとか、その法の網の目を潜り抜けるとか、いろんな事が明らかになったんですけれども、それをもう無茶苦茶巨大にしたものが安保村。要するに、日米の軍事関係を中心とした今の国の形ということになります。
木内みどり:
ですよねえ。だから結局、小出さんが戦ってらっしゃるのも矢部さんが戦ってらっしゃる挑んでらっしゃることも、私たちが戦い方が間違ってたんだって、ちょっと気が付いたりしてるんですけど、結局、敵は同じ。
矢部:
そうです。でも、原発の方でみなさんが凄く突っ込んでいろいろやられて問題点をあぶり出されたことで、安保村の方の構造もはっきり見えてきたわけですよねえ。ですから、非常に補完関係にあるというか、お互い良い影響を及ぼしながら解明が進んできたという風に思ってる。
岩上安身による『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』著者・矢部宏治氏インタビュー
(IWJ)2016.5.20
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/302909
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
「3条1頂」さえわかれば、行政協定も地位協定もすべて理解できる
略
基地権密約文書が証明したもっとも重大な事実は、1960年の安保改定において、
「旧安保条約十行政協定」⇒「新安保条約十地位協定」
という変更がなされたことで改善されたのは、基地権については「実質ではなく、見かけだけだった」ということです。
マッカーサー駐日大使の報告書によれば、岸、藤山とマッカーサーのあいだで、そのことは完全に合意されていたというのです。
ではそれは具体的に、いったいどういうことだったのか。ひとつ条文を例にして説明することにいたします。
69ページの基地権密約(日本語訳)には、「日米地位協定の第3条1項」という条文の名が登場します。
これはもともと「日米行政協定の第3条1項」だったものが改定された条文なのですが、在日米軍の基地権については、このふたつの「3条―項」さえ理解すれば、ほとんどOKといってよいくらい、非常に重要な条文なのです。
ですから前半と後半にわけて、全文を解説することにします。条文というのはふつうの文章とちがって読みにくいので、最初は太字の部分だけをつなげて読んでみてください。
3条1項の前半は「米軍が基地のなかで、なんでもできる権利」
左の条文が、現在の基地問題のすべての基礎といってもいい、日米行政協定と日米地位協定の核心部分です。このふたつの「3条1項」さえきちんと理解できれば、みなさんはほとんどの外務省のエリート官僚よりも、日米安保の問題にくわしくなれます。
ほんとうですよ。これはまったく冗談ではありません。
ただし条文を読むのは、さすがにみなさん慣れてないと思いますので、まず条文はとばして説明のほうから読んでいただいてもけっこうです。
日米行政協定(1952年) 第3条1項(前半)
合衆国は、施設および区域〔=米軍基地〕内において、それらの設定、使用、運営、防衛または管理のため必要なまたは適当な権利、権力および権能を有する。
↓
日米地位協定(1960年)第3条1項(前半)
合衆国は、施設および区域〔=米軍基地〕内において、それらの設定、使用、運営、防衛または管理のため必要なすへての措置を執ることかできる。
まずひとめみて、行政協定と地位協定の同じ「3条1項」という条文(前半部分)が、ほとんどそっくりであることが、おわかりいただけると思います。行政協定の条文の上に、少し赤字を入れたものが地位協定だという本質が、ここによくあらわれています。
略
つまり、「アメリカは米軍基地のなかで、なんでもできる絶対的な権力をもっている」ということになります。それがこの行政協定3条―項・前半部の意味なのです。
しかし、それではいくらなんでもあんまりだというので、岸と藤山の要望により、安保改定後の地位協定では、条文の見かけが改善されることになりました。
いったいどう変わったのか、今度は地位協定(1960年)の条文をみてください。
アメリカは米軍基地の内側で、「○○のため必要な、権利、権力および権能〔=絶対的な権力〕を有する」という行政協定の表現が、地位協定では、
‥OOのため必要な、すべての措置を執ることができる」というマイルドな表現に変えられています。
けれどもそれは、あくまで「見かけ」だけの問題で、行政協定時代に米軍にあたえられていた、もっとも強い意味での「基地のなかでなんでもできる絶対的権力」は、さきほどの「基地権密約」によって、すべてこの新しい表現のなかに引きつがれたということなのです。
3条1項の後半は「米軍が基地の外で、自由に動ける権利」
さらにもうひとつ、ど説明します。
3条1項の後半部分にあたる左ページの条文は、かなり読みにくいものですが、そこには非常に重要なことが書かれています。というのは、すでにみたとおり3条1項の前半に書かれているのは、「基地のなか」における米軍の権利についてでした。ところがこの後半に書かれているのは、私たちにとってそれよりはるかに重要な「基地の外」における米軍の権利だからです。
基地のフェンスの外側で、つまり私たちふつうの市民が空間のなかで、米軍はどんな権利をもっているのか。実はこの条文こそか、序章でか話ししたあの巨大な横田空域の法的根拠になっているのです。
この条文はただ読んでも意味がわからないと思いますので、まず結論からど説明します。
実は現在、アメリカがもっている在日米軍基地の権利(基地権)には、「基地のなか」だけでなく、「基地の外でも自由に動ける権利」がふくまれているのです。
ちょっと信じられないかもしれませんが、事実です。
それは左に紹介する3条1項・後半部分によって、米軍は「基地にアクセス(出入り)するための絶対的な権利」を保障されているからなのです。
日米行政協定(1952年)第3条1項(後半)
合衆国は、また、前記の施設および区域〔=米軍基地〕に隣接する土地、領水および空間または前記の施設および区域の近傍において、それらの支持、防衛および管理のため前記の施設および区域への出入の便を図るのに必要な権利、権力および権能を有する。本条で許与される権利、権力および機能を施設および区域外で行使するに当っては、必要に応じ、合同委員会を通じて両政府間で協議しなければならない。
↓
日米地位協定(1960年)第3条1項(後半)
日本国政府は、施設および区域(=米軍基地)の支持、警護および竹理のための合衆国軍隊の施設および区域への出入の便を図るため、合衆国軍隊の要請があったときは、合同委員会を通ずる両政府問の協議の上で、それらの施設および区域に隣接し、またはそれらの近傍の土地、領水および空間において、関係法令の範囲内で必要な措置を執るものとする。合衆国も、また、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で前記の目的のため必要な措置を執ることができる。
まず行政協定のほうの太字部分を翻訳してみましょう。
それぞれの言葉の意味を説明すると、
O「施設および区域」→「米軍基地」
O「隣接する土地、領水および空間」→「米軍基地に接するすべての空間」
O「支持」→「軍事支援」の意味。「支持」は意図的な誤訳。
O「防衛」→「国境外もふくむ軍事行動」
O「必要な6利、権力および権能を有する」→「絶対的な権力をもっている」
となります。つまりここには、「アメリカは、軍事行動をおこなううえで必要な、在日米軍基地ヘアクセス(出入り)するための絶対的な権利をもっている」ということが書かれているのです。
72~78頁
━─━─━
おどろきの「米軍版・旧安保条約原案」
「戦争が必要とアメリカ政府が判断したら、日本軍は米軍の指揮下に入る」と書かれていた1951年2月2日のアメリカ側・旧安保条約原案の前に、もっと現状にぴったりの条文がないかどうか。すると、やはりありました。
それはその3カ月前、1950年10月27日に米軍(国防省)がつくった旧安保条約の原案です。
その第14条「日本軍」には、なんとつぎのように書かれていたのです(左は同14条の第3節から5節までを矢部が訳し、独自の番号をふったものです)。
①「この協定」〔=旧安保条約〕が有効なあいだは、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない。ただし、それらの軍隊の兵力、形態、構成、軍備、その他組織的な特質に関して、アメリカ政府の助言と同意がともなった場合、さらには日本政府との協議にもとづくアメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする」
②「戦争または戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊をふくめて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる」
③「日本軍が創設された場合、沿岸警備隊をふくむすべての組織は、日本国外で戦闘行為をおこなうことはできない。ただし、前記の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする」
いやー、これはおどろきです……。
ほんとうに、腰がぬけるほどおどろいてしまいました。
「アメリカ政府の決定に完全に従属する軍隊」という表現もおどろきですが、「国外では戦争できないが、米軍司令官の指揮による場合はその例外とする」という条文もおどろきです。
そしてなによりのおどろきは、いままさに日本の自衛隊は、66年前にアメリカの軍部が書いた、この旧安保条約の原文のとおりになりつつあるということなのです!
126~127頁
つまり、自衛隊は米軍の補完部隊としての役割を米国の世界戦略に従い、戦争法の成立施行によって海外でもその役割を担おうとしているということ!∑( ̄□ ̄;)
外務省機密文書「地位協定の考え方」
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/kimitsubunsho-l01.html
本紙(琉球新報)が入手した外務省機密文書「地位協定の考え方」を特集で全文公開する。
長く県民を苦しめる政府の基地行政の実態と地位協定の本質を知る資料として広く活用され、改定に向けた論議の一助となることを期待したい。
同文書は表紙に「秘 無期限」の指定印がある。沖縄が本土復帰した翌年の一九七三年四月に作成され、以後、基地行政に携わる外務官僚らの「虎の巻」「バイブル」として、策定後三十年を経てなお活用されている。
外務省が存在すら否定する資料の中に、基地を抱える沖縄住民の苦悩の源流を随所に読み込むことができる。
政府や外務官僚らの苦悩ぶり、地位協定の条文規定を超える米国優位の基地運用、そのための条文の拡大解釈運用の“妙技”も読める。
「沖縄」もふんだんに登場し、在沖米軍基地の運用実態も垣間見ることもできる。
残念ながら一部ページの欠落、判読不明個所もあり、完全な形ではない。また機密文書の存在も同文書は示しているが、本紙もすべては入手できていない。
だが、沖縄県も外務省に開示を要請しており、基地問題の抜本解決に向け、いっそうの情報開示が進むことを期待したい。
(地位協定取材班)
より
第十六条
第十六条は、米軍人等の日本の法令の尊重義務につき定めるが、本項においては、まず米軍に対する我が国の法令の適用問題等につき一般論を述べ、その後第十六条の意味について触れることとする。
一 米軍に対する日本法令の適用
1 一般国際法上、外国軍隊には接受国の法令の適用がない。これは、軍隊が国家機関であり、接受国の主権の下に服さないことの当然の帰結である。従って、我が国に駐留する米軍(集合体としての軍隊及び公務遂行中の軍隊の個々の軍人等)に対しては、施設・区域の内外を問わず、原則としてわが国の法令の適用はない。右で原則としてというのは、地位協定上、特定の事項に関する法令の適用が日米間で合意されている場合があることを指している。例えば米軍車両側がわが国内を移動する際には我が国の法令―主として交通法令―が適用されることが協定第五条(合意議事録)で定められている。
検証・法治国家崩壊
http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=30053
はじめに 吉田敏浩
本書には、驚くべき事実が書かれています。
一九五九年一二月一六日に、日本の最高裁が出したひとつの判決。それによって、日本国憲法が事実上、その機能を停止してしまったこと。米軍の事実上の治外法権を認め、さまざまな人権侵害をもたらす法的根拠をつくりだしてしまったこと。そしてその裁判は、実は最初から最後まで、アメリカ政府の意を受けた駐日アメリカ大使のシナリオどおりに進行していたこと。
この日本の戦後史のなかでも最大といえるような「事件」が、アメリカ政府の解禁秘密文書によって歴史の闇のなかから浮かびあがりました。困難な調査の末にそれらの文書を発見し、事件の全貌を確実な証拠によって立証したのが本書の共著者である新原昭治と末浪靖司です。
最初の重要文書を新原が発見したのが二〇〇八年、わずか六年前のことです。ですからほとんどの日本人はまだこの大事件の全貌を知りません。こうした入門書のかたちで読者の眼にふれるのも、これが初めてのことなのです。
略
より
歴史の闇に浮かびあがってきたもの
いまこの国では、「法治国家崩壊」がとめどなく進もうとしているように見えます。安倍政権による集団的自衛権の行使に向けた、強引な解釈改憲の動きです。憲法上、集団的自衛権の行使は認められないと国会答弁を積み重ねて定着した従来の政府見解を、一挙にくつがえそうとしているのです。地位協定の解釈を操作して政府見解を一八〇度転換させた、あの大河原答弁の構図と似たものを感じさせます。
「憲法解釈の最高責任者は私だ」と大見得をきって、解釈改憲の閣議決定に走る安倍晋三首相の背後には、憲法により国家権力にしばりをかける立憲主義の枠組みを、行政の自由裁量権の拡大解釈によって取り払おうとする意図が見えます。憲法第九九条による「憲法尊重擁護義務」を負っている首相自身が、それにそむいて憲法をないがしろにしているのです。
そこには、安保条約が高度の政治性を有していることを理由に、司法の違憲審査権の範囲外だとして、安保条約に関することは「統治行為」として、もっぱら政府の行政権の自由裁量的判断にゆだねた砂川裁判最高裁判決の影も重なって見えます。
集団的自衛権の行使を認めることは、憲法九条を実質的に廃棄することにほかなりません。一種の「解釈改憲クーデター」であり、立憲主義・法治主義を侵し、さらなる「法治国家崩壊」へとみちびくものです。憲法改定の手続きも経ずに、「憲法体系」にとどめをさすことになります。
その安倍政権のもとで、憲法が保障する言論の自由・「知る権利」を侵す特定秘密保護法も強行制定され、国家の秘密主義と情報隠蔽体制は強まっています。それでなくても、日米密約や日米合同委員会の秘密合意事項、「日米地位協定の考え方」などの秘密文書の存在が隠されてきました。それら日米安保・地位協定に関する情報が、特定秘密に指定され、ますます秘密の闇に閉ざされてしまう懸念が高まっています。
国民には、法律は守らねばならないという側面を強調する法治を押しつけ、自分たち権力層は立憲主義にもとづく法治の枠組みにとらわれない自由裁量権を拡大しようとする思惑が透けて見えます。
法治の反対は人治です。ひとにぎりの権力者とその側近政治家、官僚機構が法令の解釈を独占し、都合のいいように運用する。特定秘密保護法がまさにその一例ではないでしょうか。集団的自衛権の行使に向けた解釈改憲のどり押しもまさにそうです。こうした前例はすでに安保条約‐地位協定をめぐる官僚機構の解釈権の独占、恣意的運用という実態に見られます。
憲法九条のもと「必要最小限度の自衛力、個別的自衛権は合憲。しかし集団的自衛権の行使は憲法上認められない」という幾たびもの国会答弁、内閣法制局の解釈を通じて、歴代の政権が積み上げてきたのが、従来の政府見解です。それをくつがえして、集団的自衛権の行使を強引に「合憲化」しようとする解釈改憲。いま安倍政権がやろうとしていることは、実はアメリカ政府が求めつづけてきたものです。
しかも、安倍首相や高村正彦自民党副総裁らは集団的自衛権の行使容認を正当化する根拠に、よりによって砂川裁判最高裁判決を持ち出しています。かれらの主張は、同判決は個別的、集団的を区別しないで、日本国に固有の自衛権があることを認めているというものです。
しかし、同判決の主旨は「駐留米軍は日本の戦力ではない」という点にあり、固有の自衛権の内容を定義したり、集団的自衛権を認めたりしているわけではありません。
何よりも、本書で検証したように、同判決の背後にはアメリカ政府の秘密工作・内政干渉があり、田中最高裁長官の「評議の秘密」漏洩など、司法の独立性が侵害されたあけくのはての判決でした。そんな黒い霧におおわれた判決には、なんら正当性はありません。
アメリカ政府が求める集団的自衛権の行使容認の根拠に、アメリカ政府の干渉の産物である砂川裁判最高裁判決を持ち出すのは、対米従属もここにきわまれりとしか言いようがない状態です。
安倍首相は集団的自衛権行使によって、日米安保の双務性が高まる、日米対等になるかのように主張しています。しかし、実態は対米従属のレールからはのがれられず、アメリカの要求に応じて、イラク戦争やアフガン戦争のようなケースで、米軍主導の多国籍軍に加わるかたちで参戦することになるのは目に見えています。
それはつまり、日本がふたたび海外派兵をし、戦争をする国になることを意味します。在日米軍基地、自衛隊基地がその出撃拠点・訓練拠点となるでしょう。
これまでアメリカ政府解禁秘密文書などをもとにした検証の結果、「憲法体系」が「安保法体系」と「密約体系」と「地位協定の拡大解釈・解釈操作」などによって侵食されてきた、「法治国家崩壊」という日本の戦後史の「転落」の軌跡が歴史の闇のなかに浮かびあがってきました。
憲法九条を守る「平和国家」から憲法九条を捨て去る「戦争国家」への転落のはてに、日本の戦後史はいつのまにか新たな戦前史へと変質しながら時を刻みはじめてはいないでしょうか。
それを押しとどめるためにも、「憲法体系」を「安保法体系」よりも優先させた、あの五五年前の「伊達判決」の意味を、いまあらためてかえりみる時が来ているように思えます。
319~322頁
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小出裕章先生:私は立ち続ける
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