国民主権がなくなる日~本当に怖い法律のお話
(ラジオフォーラム#164)
https://youtu.be/INXrNaGxlJA?t=15m13s
15分13秒~第164回小出裕章ジャーナル
原発訴訟の希望と絶望「国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているという、ただそれだけの判決だったのです」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no164/
景山佳代子:
ここからは、実は今回のゲストの海渡雄一弁護士にも参加していただきます。よろしくお願いします。
小出さん:
はい、ありがとうございます。
海渡雄一さん:
よろしくお願いします。
小出さん:
はい。海渡さん、こんにちは。よろしくお願いします。
景山:
おふたりはもう長い…ずっと前から?
海渡さん:
ぼくはもんじゅ訴訟というのを中心にやってたんですよね。小出先生は伊方訴訟をやられていて、熊取なんかにもだから何度も行っておりました。
景山:
はい。このおふたりの因縁と言ってもいいのかどうかわからないですけど、おふたりの長い付き合いから、今の原発の状況についてお話を伺っていこうと思うんですけれど。小出さんはもう現在、裁判には関わりませんと、明言されるぐらい訴訟というか司法の限界を感じていらっしゃるんですが、この辺、海渡さんは逆にずっと司法の場で原発と戦ってこられたという、このおふたりなんですけれども、ちょっと小出さんが感じた司法の限界とか問題点というのをちょっと伺ってもよろしいでしょうか?
小出さん:
はい。私は、今海渡さんもおっしゃってくださいましたけれども、伊方原子力発電所の設置許可取消処分裁判というのにずっと関わっていました。そして自分で言うのもおかしいのですけれども、国の科学者との間で非常に詳細な論争を繰り広げたのです。
http://www.rafjp.org/koidejournal/no120/
そして私たち、いわゆる原子力発電所が危ないと言って証言した学者の方が、国から出てきた学者に対して圧勝したと私は思っているのです。判決はとにかく国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているという、ただそれだけの判決だったのです。
それを受けて私は、ああやはりこういうことだったんだ。日本の司法は行政から独立していない。三権分立なんて言っているけれども、そんなものはやはりないのだと、原子力というような国の政策の根幹に関わるものに関しては、司法は無力だと私は痛感しまして、それ以降は原子力に関する限りは司法には関わらないという態度を貫いてきてしまいました。
景山:
そうですね。逆に海渡さんは、司法の場でずっとこの原発の問題に関わっていらっしゃったので、海渡さんから。
海渡さん:
ひとつ質問なんですけども、伊方の時期以降にふたつ、3.11の前にもんじゅの控訴審の時と、志賀原発の地裁判決という勝訴判決があったんですが、それも上訴審では取消されてしまったんですけれども、3.11の後に大飯と高浜で、樋口さんの判決と決定という、僕から見ても本当にこういう素晴らしい裁判官がいたのかなと思うような裁判官が現れて判決を変えてくれた。これをこれからどうやって守っていくか、覆されてしまった高浜をどう覆すかというのが僕らの任務なんですけども、その点小出さんどういうふうに思っていらっしゃいますか?
小出さん:
大飯原発の判決で、樋口さんが大変素晴らしい文章を書いてくださったんですね。何か関西電力などによると、原子力から抜けたら火力発電をやるために原油を買わなければいけない。国富がそのために流出してしまうというような主張をしていたわけですけれども、それに対して樋口さんがコストの問題なんか大したことではないと、豊かな国土とそこに国民が根を降ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると、当裁判所は考えているという判決文で結んでくれているわけで、本当にこんなまっとうな裁判官がいてくれたのだと私は感激しました。
なんとか樋口さんのこの判決を持って行かなければいけないと私も思いました。ただ残念ながら高浜3・4号機の仮処分も結局は、新たに最高裁から送られてきた裁判官に取り消されてしまうということになったわけで、私は樋口さんという裁判官がいてくださったことを本当にありがたく思うけれども、でもまだまだ日本の司法というのはだめなんだなぁと。海渡さんには申し訳ないですけど、私は思いました。
海渡さん:
今、最高裁は確かに裁判所の中でアベレージで取れば保守的な裁判官が多いと思います。原発推進というふうに考えている人もいるんでしょう。だけども、日本国民全体が原発からもうやめた方がいいという人が多くなっているんだとすれば、裁判所の中もそういうふうになってるはずで。そして自由に判決が書ける環境さえできれば、僕は次の樋口判決に匹敵するような判決というのは近い将来出せるんじゃないか。今はいい裁判官がいたら、その裁判官を人事異動させてしまうというほどひどいことは、僕は最高裁はしなくなってるんじゃないかなあと。だからこそ樋口さんが決定かけたんだと思うんですよね。
小出さん:
ともすれば、私は絶望しそうになってしまうこともよくあるのですけれども、でも絶望したらその時が最後の負けなんだと、やっぱりできることを探すことしかないと、自分に言い聞かせるようにして毎日を生きています。
海渡さん:
いや、僕も絶望してますよ。一番ひどかったのは、ぼく浜岡原発訴訟の一審の判決をもらった時はしばらくうつ状態みたいになってた時があったんですけどね。でもやっぱりこうやって続けられているのは、もんじゅで川崎さんという裁判長に勝たせてもらったとか、樋口さんのふたつの判決や決定をもらえたとか、日本で原発訴訟で勝った例っていうのはそんなに4つしかないんですけど、そのうち3つはぼくが関わっている事件なんでですね。そういう自負もあるし、やっぱり裁判官の顔を見ながらやっていると、真剣に考えてくれている人もいなくはないんですよね。
そして今まで負け続けた判決だと言っても、3.11前の負け続けた判決の中にも裁判官の悩んだ形跡というのはいっぱいあるんですよ。それが実を結んで僕は樋口決定になったんじゃないかなあと思っていて。当面はあきらめないで、原発訴訟を一生懸命やってみようと思っています。どうか、よろしくお願い致します。
小出さん:
こちらこそ、よろしくお願いします。
景山:
なんか、おふたりのあきらめない感じっていうのがちゃんと次の世代に次の世代につながっていると私も思います。はい、ありがとうございました。
小出さん:
ありがとうございました。
http://www.hangenpatsu.net/files/SaimaIkataBook.pdf
まえがき
一九七八年四月二五日、松山地方裁判所の玄関から「辛酸亦入佳境」の垂れ幕を持った住民が飛び出してきた。七三年から始まった四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)二号炉の設置許可取消しを求める裁判で住民が敗訴した瞬間であった。この垂れ幕の言葉は一九〇七年六月、谷中村の強制破壊を前に田中正造が書いたものであった。
一九世紀から二〇世紀に移る頃、日本は日清・日露の戦争を勝ち抜き、列強諸国の仲間に入ろうとしていた。そのためには鉱工業を中心に国内産業を飛躍的に増大させることが必要とされた。栃木県足尾の銅山はその中心を担ったが、 鉱山の鉱毒は渡良瀬川下流一帯の田畑を汚染し、 多数の農漁民の命を奪った。田中正造は帝国議会の議員として一〇年にわたって、国と企業が一体となった自然破壊と人民殺戮を告発し続けた。
しかし富国強兵の名分の前に議会は無力であり、人民の被害はますます拡大した。一九〇〇年二月一七日、正造は「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」を提出して議会を捨てる。その中で彼は「民を殺すは国家を殺す也。法を蔑ろにするは国家を蔑ろにする也。皆自ら国を毀つ也。財用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、之を奈何」と書いた。
東京を流れる江戸川に鉱毒が拡大するのを嫌った政府は、利根川・江戸川の分流点であった関宿で河川改修工事をして渡良瀬川を現在の利根川に流すとともに、谷中村を水没させて鉱毒溜にしようとした。正造は「谷中問題は日露問題より大問題なり」として谷中村に入村、弾圧される村民に全身全霊をかけて寄り添った。しかし、国・企業・官憲一体となった攻撃で村民の住居は強制破壊され、村は水底に沈められた。以降、正造は利根・渡良水系の河川調査を進め、自然を守ることの大切さを説き続けた。一九一三年九月四日の昼下がり、彼は生涯を捧げた河川調査の途上、倒れた知人宅で亡くなった。その少し前の日記にはこう書かれている。
「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。 その戦うに道あり。 腕力殺戮をもってせると、 天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり。 」
伊方原発を含め日本の原子力発電はエネルギー需要を満たすために必要だといわれる。その大義を振りかざす国の周りには、利権を求める集団や個人が集まり、権力・金力をふんだんに使って住民から土地と海を奪った。 伊方原発は動きはじめ、 そして今も動き続け、 裁判も敗訴した。 斉間さんが本書で詳細に、ある時は淡々と、ある時は怒りを込めて事実を書き留めているように、行政・議会・司法、そして警察・さらに学者までが一体となった原子力の推進は苛烈であり、住民の力はあまりにも弱い。刀折れ矢尽きるように、いや住民ははじめから刀も矢も持たず、ある時は警察に弾圧され、ある時はだまされ、ある時は私財を抛ったあげくに倒れていった。残った者も自分の命を削るように抵抗を続けてきたが、闘いの当初若者であった人々もいまや老年にさしかかってきた。
斉間さんは一九六九年伊方原発の誘致話が表面化して以降、ほとんど自らの一生をかけてこの問題に取り組んできた。新聞記者として、一人の住民として、裁判の原告として長い長い闘いであった。その彼も二号炉訴訟の判決を前に病に倒れ、本書は闘病中の力を振り絞っての刊行である。正造さんが最後まで闘いをあきらめなかったように、斉間さんの闘いも彼の生命のあるかぎりこれからも続くであろう。詳細な事実を記録し広く知らせるという本書のような闘いは、余人をもって為しがたいものであり、斉間さんがこの時、この場所に生きていてくれたことをありがたく思う。
ただの庶民たちにとって、苦難の歴史は今後も繰り返し、長く続くであろう。しかし、斉間さんが担ってきた闘いこそ「天理によって広く教え」るものであり、 「斃れてもやまざる」闘いである。斉間さんに幸あれ。伊方の住民たちに幸あれ。
二〇〇二年二月二五日 記
京都大学原子炉実験所 小出裕章
震災5年目の釜石を訪ねて~被災者支援と「場づくり」
(ラジオフォーラム#165)
http://www.rafjp.org/program-archive/166-3/
原発事故とジャーナリズム
今回は、「小さな声」を伝え続けている市民メディアの取り組みをご紹介しながら、震災から5年を迎えた被災地が未だ抱えている問題について考えます。
ゲストは、NPO法人OurPlanetTV(アワープラネット・ティービー)代表理事の白石草(しらいし・はじめ)さんです。
OurPlanetTVは、2001年に設立した非営利のインターネット放送局。環境問題や人権問題など、メディアではなかなか伝えきれていないテーマを扱ったドキュメンタリー番組やインタビュー番組を、独自で制作しています。特に震災後は、福島第一原発事故による、子どもと被ばくの問題を取材し積極的に配信されています。
福島の子どもたちの被ばく調査を継続的に取材、報道し続けている中で、白石さんが感じていることとは何か。また、OurPlanetTVが2013年に制作した報道ドキュメント「東電テレビ会議 49時間の記録」についてのお話も伺います。
また「みんなジャーナル」では白石さんとともに、「市民メディア」に今、求められることとは何かを考えます。
https://youtu.be/lE2TTX9IWe8?t=17m39s
17分39秒~第166回小出裕章ジャーナル
どうすれば原発を止められるか「再稼働しないほうがいいという意見の方が未だに多いわけですが、それでも国がやるならしょうがないかなぐらいに、たぶん思ってる方も多いのではないかと思います」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no166/
石井彰:
実は、今日は小出さんに「どうすれば原発をやめることができるのか?」というですね、一番難しいテーマでお話をして頂きたいと思ってるんですが、現実に、原子力発電をやめるにはどうしたらいいんでしょうか?
小出さん:
教えて下さい(笑)
石井:
すいません、難しい質問で申し訳ないんですが、もちろん今までは、私達はある部分だまされていた、例えば原発がなくても電気は十分足りていたり、電気代を押し上げているのはとんでもない原発のコストだったり、あるいは、原発は特にクリーンはエネルギーでは全然ない。
小出さん:
そうですね。
石井:
それから、原発の小出さん流に言わせると「廃物」、廃棄物ではなく「廃物」はどこに保管するのか未だに決まってないにも関わらず、つまり私達は原子力発電が本当に大変困ったものだ、とんでもないものだってわかっていながら、これをやめられないのはなぜなんでしょう?
小出さん:
石井さんは今、原子力発電の持っている問題をきちっと整理して発言して下さったわけですけれども、たぶん多くの日本人は未だにそのことに気づいていないということだと思います。
福島第一原子力発電所の事故が起きて、今まで思っていたのと少しどうも違うようだというようには、たぶん皆さん感じていると思いますし、例えば世論調査などをすれば、原子力発電所再稼働しないほうがいいという意見の方が未だに多いわけですが、それでも国がやるならしょうがないかなぐらいに、たぶん思ってる方も多いのではないかと思います。
私自身は、原子力などはもうもってのほかで、一刻も早くやめるべきだと思いますし、原子力をやろうとするような政権は、やはり退陣してもらわなければいけないと思うのですけれども、残念ながら選挙をすると自民党が勝ってしまうというような状況がずっと続いてきているわけで、やはり日本の多くの人が原子力の持っている問題に、もっとはっきりと気がつかなければ、この状況を乗り越えることはできないと思います。
石井:
はるほど。まず私一人一人がもっとはっきり気がつくこと。それを的確にそれこそ家族で話せるように、あるいは職場で話せるようになっていかない限りなかなか難しいでしょうねえ。
小出さん:
と思います。そのために本当だったらば、マスコミも含めてメディアがきちっとした情報を流すべきだと私は思うのですけれども、残念ながら、今のマスコミはなかなかそうは動いてくれない。だからこそ石井さん達がこのラジオフォーラムを始めて下さったわけで、本当にありがたいと私は思ってきました。
石井:
ありがとうございます。それでね、小出さんもう一つ最後に、実はね、最も危険な原発が立地されている自治体からですね、あるいは自治体に住んでらっしゃる方から「再稼働してくれ」というような動きが出てきてしまう。
小出さん:
そうです。
石井:
もちろん現実に、作業員が泊まってる宿舎で働いている人だとか、あるいは作業員たちがその飲みに行く飲食店の皆さんとか、生活がかかってることは本当によく分かるんですよ。一概に「原発ダメ」って言うと「じゃあ、俺達に死ねって言うのか」っていう議論になってしまう。だけど原発っていうのは一度受け入れると、その原発交付金に人間は慣れてしまって、次から次へと新しい原発を造らざるを得ない構造になっちゃってるじゃないですか?
小出さん:
そうです。
石井:
目の前のお金なのか、未来永劫にわたっての安全なのかという二者択一の厳しい議論に入らざるを得ないんじゃないかって思ってるんですけど。
小出さん:
おっしゃる通りだと思います。私は原子力など本当に一刻も早く全部をやめるべきだと思っていますけれども、でも例えば、自民党の安倍さんなどは経済最優先だと。だから再稼働もするし、原発を輸出もするようなことを言ってるわけですね。
本質的な命の問題よりも、むしろ目先のお金の方が大切という人達が今、この日本の国を動かしているわけですし、そういう国である限り、地域という所で原子力発電所を押しつけられてしまった人達も、またやはり金にすがるしかないという、そんなことになってしまっているのだと思います。
ただし、原子力発電というのは、どっちにしても機械ですから発電所も止まってしまうわけですし、原子力の燃料であるウラン資源も多くありませんので、どっちにしてもいつまでもすがりつくことはできないものなのです。
ですからいつかの時点で、やはり自分達が自立して立てるような村・町・社会をつくっていかなければいけないわけで、早くやはりそのことに気がついて、きちっと生きる道をつくり出すということをやらなければいけないし、もちろんそのためには国そのものが方針を転換して、地域の人たちの生きられるような政策というものを作らなければいけないと思いますし、地域の人たち自身もやはり自分で立つということを覚悟するというか、そういうふうな考えに行ってほしいと私は願います。
石井:
そうですね。もちろん原発が立地されている自治体のみんなが賛成しているわけではなくて、いろいろ難しい中でも声をあげている少数の人達に何人も出会ってきて、彼らの声にぜひ地域の皆さん耳を傾けてほしいなあと切実に願うんですよねえ。
小出さん:
はい、そう思います。
石井:
小出さん、どうもありがとうございました。
小出さん:
はい、ありがとうございました。
震災から5年、陸前高田リポート~震災で失ったもの、得たもの
(ラジオフォーラム#167)
https://youtu.be/lT80eaqNEhY?t=15m
15分~第167回小出裕章ジャーナル
田中正造から何を学ぶか「今日も福島の事故が起こしても誰ひとりとして加害者が責任を取らないということが、今目の前で進行しているわけです」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no167/
矢野宏:
今日は、小出さんが尊敬されている足尾鉱毒事件の主導者でもある田中正造さんについてお伺いしたいと思ってます。伊方原発裁判に長年関わってきた小出さんですが、1978年の松山地裁での判決の時に、原告側の垂幕に「辛酸亦入佳境(しんさんまたかきょうにいる)」という田中正造さんの言葉が掲げられました。
小出さん:
そうです。
矢野宏:
これは、どういう意味合いで掲げられたんですか?
小出さん:
伊方という愛媛県の小ちゃな町に、原子力発電所が建てられようとしたわけです。住民の方は様々なかたちで抵抗をしました。抵抗の過程で、命を自ら断っていくというような方もいらっしゃったわけですけれども、その他にも全財産を投げ打って抵抗して、家全体が没落していくというそんな方もいらっしゃったし、もうとにかく住民の方々は死力を尽くして抵抗をしました。
そして裁判というかたちでも、私もまあ原告団の一員として活動したわけです。そして世界でもまれに見るほどに、詳細な科学論争というものを国側と戦いました。そして自分で言うのもおかしいのですけれども、私達が圧勝しました。
国側から出てくる科学者、いわゆる専門家と呼ばれる人達が、法廷でもう何も答えられなくなって立ち往生する、あるいは証言台に突っ伏してしまうというような状況がよくありましたし、裁判の過程でいろいろと調べていってみると、厳重な安全審査と呼ばれていたものも、たったひとりだけしか参加しないというそんな会議が厳重な安全審査だったというようなこともわかってきました。
次々と安全審査のデタラメぶりというのが明らかになってきて、こういう状態で一体どうやって国を勝たせることができるのか、もうこれはもう原告の勝利以外にないと、私は経過を見る限りは思いました。
しかし私自身は、この日本という国が民主的な国というふうには思っていませんでしたし、裁判というものが行政と独立して存在しているとも、当時から思っていませんでした。ですからもし国に勝たせるとすれば、一体どんな論理を使えば国が、国勝訴の判決を書けるのかと思って、その判決の日を迎えました。そしたら、ものの見事にやはり国に勝訴の判決がその日に出たわけです。
原告側の主張など一切汲み取らないで、国側の主張をただただ判決文で羅列をすると。そして、これが認めるに相当であるという、ただただそれだけ裁判官が書き加えたというような判決だったのです。住民の人達が本当に落胆したと思います。
その裁判の原告団の住民の代表は、川口寛之さんという元の伊方町の町長でもあった方なのですけれども、その方はその判決を見て、「こうなれば、もう住民は実力で戦うしかなくなってしまった」と、「裁判所がそれを私達に強制したんだ」というような言葉を残しました。長い間、戦って戦って戦っても、それでもまだ勝てないという状況の下で、「辛酸亦入佳境」というそういう垂幕が出てきたわけです。
矢野宏:
なるほど。あの意味というのは、「何事も全てを打ち込んで事に当たれば、苦労もかえって喜びとなる」という意味だそうですねえ。
小出さん:
はい。まあ田中正造さんが、その言葉を足尾鉱毒事件の戦いの中で書き残したのです。正造さんも全身全霊をかけて足尾鉱毒事件で国と戦ったわけですけれども、当時日清日露の戦争というものが行われていて、国はもう住民のことなど全く考えない、何をやっても勝てないという中で、正造さんはずっと戦い続けたわけです。
列強による中国分割を風刺した漫画
最後には、もう野垂れ死ぬようにして死んでいくわけですけれども、それでも彼はあきらめることなく戦い続けました。どんなに辛いことであっても戦い続けることで喜びがあるという、たぶんそういう意味だろうと私も思います。
矢野宏:
なるほど。小出さんがその田中正造さんを意識したきっかけというのは何だったんですか?
小出さん:
私が大学生の頃には、いわゆる公害というものが日本中で起きていた頃だったのです。特に水俣病というものが大きく取り上げられていた時代でした。
水俣・トモコとお母さん
当時は四大公害とか言われていたわけですけれども、私もそういう公害というものを勉強していく中で、「いや、もっとずっと昔に、実は日本で公害というものがあったんだ」と、それが足尾鉱毒事件だったということに気が付いたのです。
当時の足尾銅山製錬所
そしてその足尾鉱毒事件を調べていくうちに、田中正造さんという方がいてくれたということを知りまして、以降正造さんの活動というものに私が目を奪われて、正造さんに少しでも近づきたいと思って今日まで生きてきました。
田中正造
矢野宏:
なるほど。この田中正造さんというのは、衆議院議員を6回されてますよねえ。
小出さん:
はい。その中でも、足尾鉱毒事件を取り上げて国と戦うのですけれども、先程もちょっと聞いて頂きましたように、日清日露の戦争であったわけで、とにかく日本は富国だと、軍隊を増強しなければいけないということで、そのお金を捻出するために足尾鉱山を銅を海外に売るということでお金を稼いでいたのです。
ですから、住民なんかもうどんなんなろうと構わないというような国は態度を示しまして、正造さんは議会の中で散々抵抗するのですけれども、それでも何も良くならないで、結局正造さんは「亡国を知らざる者は、これ即ち亡国」という有名な演説を議会でして、議会を捨てて住民のもとに駆け付けるということをやりました。
矢野宏:
その質問をされた時の当時の総理大臣というのは山県有朋で、「その時の質問の意味が分からない」と答弁を拒否したというふうに伝わっていますよねえ。それが本当に当時の国の態度だったわけですねえ。
小出さん:
今でも安倍さんなんか、どんな質問もちゃんと聞こうとしないわけですから、よく似てると思います。
矢野宏:
そうですよねえ。
小出さん:
はい。
矢野宏:
足尾銅山では、今もまだ完全に自然が回復したという状況ではないというふうに聞いてます。
小出さん:
もちろん、全く違います。亜硫酸ガスが大量に噴き出してきて、周辺の山々はもうはげ山になってしまいました。もう何十年も経ってるわけですけれども、まだまだそのはげ山が回復できないまま今でも残っていますし、銅山から出てきた鉱さいという鉱毒を含んだ毒物がまだ野ざらしになっていまして、ちょうど2011年3月11日の大地震の時に、その鉱さい置き場が崩れ落ちて、渡良瀬川という川にまた流れ込んでしまうというようなことも起こりました。まだまだこれから何十年もそういう状態が続かざるを得ないと思います。
矢野宏:
なるほど。しかし考えてみればこの銅による鉱毒よりも、もっと猛毒な放射性物質を広範囲に撒き散らしたこの福島第一原発の被害というのははっきり言ってそれよりも拡大、大きい被害で人災ですよねえ。
小出さん:
はい。残念ながら多分そうだと思いますし、足尾鉱毒事件の時もそうですけれども、国を支配していた人達は、住民にどんな危害を加えても、誰ひとりとして責任を取りませんでしたし、今日も福島の事故が起こしても、誰ひとりとして加害者が責任を取らないということが、今目の前で進行しているわけです。
矢野宏:
そうですねえ。2年前になりますが、小出さんが雑誌の『世界』の中で論文を書かれました。この田中正造さんの没後100年ということでしたねえ。
小出さん:
そうでした。
矢野宏:
その最後に、「私もまた、私だけの命を何者にも屈せずに、私らしく使いたい」という言葉で結ばれていますが、この最後の一節に込めた小出さんの思いを最後、聞かせて頂けませんか?
小出さん:
はい。正造さんという言ってみれば名家の生まれの方で、単にそのまま生きているならば、きっと大きな財産を築いて、大きな名誉を持ったまま亡くなるということになったのだと思いますが、正造さんは決してそんなことはしませんでした。
とにかく人々に寄り添うという一生を貫いて、野垂れ死ぬように亡くなったわけです。でも私から見ると、本当に輝いて正造さんは生きたと思いますし、私が正造さんに近づけるなんてこともほとんどないわけですけれども。でも私も私にできることを何者も恐れずにやりとげることができればなとそんなふうに思って、少し面はゆいですけれども、あんな文章を書きました。
矢野宏:
そうですか。弱い民衆の側に立って、強大な国家権力と真っ向から戦い続けた田中正造さんの姿が、私は小出さんとダブって見えます。
小出さん:
とんでもありません。足元にも及ばない素敵な方です、彼は。
矢野宏:
どうもありがとうございました。
小出さん:
はい、ありがとうございました。
足尾銅山鉱毒悲歌 詞:大出喜平他/ 土取利行(唄・演奏)
https://youtu.be/dY1WTSjrJJQ
足尾銅山、伝説の赤い池「簀子橋(すのこばし)堆積場」
https://youtu.be/xaCb9fLJseU
小出裕章氏講演 田中正造アースデイ
https://www.youtube.com/playlist?list=PL2hEjnCla-LOM09Jw02_eouIU3XYBr8Sp
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第165~167回 小出裕章ジャーナル
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