子どもの貧困をなくすために
~「あすのば」から発信できること
(ラジオフォーラム#161)
http://www.rafjp.org/program-archive/161-3/
子どもの貧困をなくすために
6人に1人の子どもが貧困状態にあると言われている日本。国際機関の経済協力開発機構(OECD)が去年10月に公表した調査によれば、加盟国36ヶ国の中で、子どもの貧困率は15.7%と11番目に高く、平均(13.7%)を上回っています。
厚生労働省の調査でも、増加傾向にある「子どもの貧困」。去年6月に設立された、一般財団法人子どもの貧困対策センター「あすのば」の代表理事、小河光治さんをゲストに迎え、なぜ子どもたちは貧困に陥ってしまうのか、貧困の連鎖を断ち切るために、今後どんな政策が必要なのか、考えます。
また後半では、「あすのば子ども委員会」のメンバーである、高校3年生の花澤昴乃(たかの)さんにもご登場いただき、具体的な活動について伺います。
https://youtu.be/Yj8e26fBSEo?t=17m7s
17分7秒~第161回小出裕章ジャーナル
チェルノブイリ30年「閉じ込めたところでその放射性物質がなくなってくれるわけではないので、いつの時点かでそれを何とかして始末を付けなければいけないのですが、その方策は未だにわかりません」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no161/
湯浅:
今日はですね、「チェルノブイリから30年、そこから何を学ぶか?」ということなんですけれども、旧ソ連邦で起きたチェルノブイリ原発事故、あれ1986年4月でしたから、今年が30年目ということで、そのチェルノブイリの今と、そこから見えてくることについて小出さんに伺いたいと思います。私、高校2年生でして、当時。
小出さん:
そうでしたか。
湯浅:
はい。ぼーっとしていたもんですから、ほとんど覚えてないんですけれども、チェルノブイリ原発事故は原子炉の欠陥や運転員の熟練不足等が絡み合って発生し、格納容器がなかったために、炉内の放射性物質が飛散して、日本の本州に匹敵する20万平方キロメートルを汚染した。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで移住をせまられた人は40万人。がん等の犠牲者は、集計期間により数千人~数10万人まで諸説あるということなんですが、まず30年目を迎えるチェルノブイリ原発事故の現場ですが、今どうなっているんでしょうか?
小出さん:
まずいくつかの今、湯浅さんがお話下さったことに関してコメントをしたいのですが、チェルノブイリ原子力発電所に格納容器がなかったということを、日本の原子力を推進してる人達がよく言ってですね、「その原子力発電所が欠陥なんだ」「日本の原子力発電所は格納容器があるから安全なんだ」というように主張しているのですけれども、実はそれが誤りです。
チェルノブイリ原子力発電所の方も、いろいろな事故を想定しまして、日本の原子力発電所で生じるような事故、冷却材が噴き出してくるような事故を考えて、そういう場所については、いわゆる格納容器がちゃんとあったのです。
湯浅:
そうなんですか?
小出さん:
はい。ただし全く予想もしなったような経過で事故が起こってしまったがために、いわゆる格納容器というような物がない所から放射性物質が噴き出してきてしまったということなのです。ただ原子炉自身に欠陥があったということは本当でして、運転員が間違えたというよりは、むしろその原子炉の欠陥ということに重要な要素があったということです。
それから、放射性物質が飛散してきまして広大な地域が汚れたのですけれども、いわゆる日本でもそうですが、ロシアでも放射線の管理区域にしなければいけないほどの汚染を受けたのは、今湯浅さん、20万平方キロメートルとおっしゃいましたが、たぶん14万5000平方キロメートルです。
いずれにしてもあまり変わらないで、日本の本州の何割というような広大な所が汚染されてしまいました。そして、じゃあ現在どうなっているかということなんですけれども、事故が起きた直後に約半年かけて壊れた原子炉建屋の全体を鋼鉄とコンクリートで覆うような、私達が石棺と呼ぶ構造物を造り上げました。
石棺建設作業(1986年8月)
ようやく放射性物質が中から出てこないような一応の対策をとったのですが、既に30年経ってしまいまして、その石棺があちこちでボロボロに壊れてきてしまっています。「何とかしなければいけない。どうしようか?」とずっと悩んできたわけですが、石棺に近づくとまた労働者が被ばくをしてしまいますので、石棺から300メートルぐらい離れた所に石棺全体を覆えるような、さらに巨大な構造物を今造っています。
私達、第二石棺と呼んでいますが、まだできていません。たぶんまだこれから1年、2年かかるだろうと思います。そして、それがようやくできた段階で、その巨大な構造物をレール上を走らせて、現在ある石棺の所まで移動させて、放射性物質が出ないようにすると。そういう計画の工事を現在やっているという所です。
湯浅:
30年経つわけですが、廃炉への取り組みっていうのは、そうするともうほとんどできていない?
小出さん:
はい。一番問題なのは溶け落ちてしまった炉心、放射性物質の本体なわけですけれども、その本体はもともとあった炉心の真下の所に地下に流れ落ちていきまして、その地下で私達、「象の足」と呼んでいるのですが、いわゆる火山の溶岩が固まるような形で地下で固まっているのです。
https://youtu.be/jKnFurg5-Ag
ただそれに近づけば人間、即死してしまうというような危険物ですので、近づくことができないままで、今、石棺という物でこれまでも封じてきたし、これからも何とか閉じ込めようとしているわけです。でも閉じ込めたところで、その放射性物質がなくなってくれるわけではないので、いつの時点かでそれを何とかして始末を付けなければいけないのですが、その方策は未だにわかりません。
湯浅:
それが30年経ったチェルノブイリ原発の現状だとすると、福島まだ5年ということで、福島をチェルノブイリと比べて、小出さんがお感じになることというのはどんなことですか?
小出さん:
チェルノブイリの場合でも、先ほど湯浅さんがおしゃって下さったように、40万人を超えるような人達が、いわゆる自分達の故郷を追われて、あちこちに流浪化してしまったわけです。その悲劇の重さというのは、ちょっと考えて想像つかないほどのものだと私は思いますし、福島でも未だに10万人を超える人達が流浪化してしまって、どうにもならない状態が続いているわけです。
たぶん福島でも、これから何10年もそういう状態が続いていくということでしょうし、本当にその苦しさと言うんでしょうか、一人ひとりだって家を奪われ、生活を奪われたら大変だと思うのですが、何10万人もがそういう状態になってしまった。チェルノブイリでもなってしまって、30年経っても解決できないし、福島でも5年経っても全く解決できない。他の施設の事故では、こんなことは決して起こらないというようなことが、原子力発電所の事故の場合には起きてしまうわけです。
「帰還困難区域」とされた飯舘村長泥地区
湯浅:
今日もありがとうございました。
小出さん:
こちらこそ、ありがとうございました。
チェルノブイリは今 事故から来年30年
(東京新聞)2015年12月29日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015122902000127.html
一九八六年四月に起きた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故から、来年で三十年になるのを前に、本紙は十一月下旬から今月にかけ、原発と周辺地域の現状を取材した。現場では爆発した4号機を覆う巨大なカバーができつつあるが、溶けた核燃料など抜本的な対策は未定。廃炉はまだ遠い。
事故は原子炉の欠陥や運転員の熟練不足などが絡み合って発生。4号機を停止させようとして出力が急上昇し、爆発炎上した。同原発は格納容器がなく、炉内の放射性物質が飛散して本州に匹敵する二十万平方キロメートルを汚染。汚染地域に当たるウクライナ、ベラルーシ、ロシアで移住を迫られた人は四十万人に上り、がんなどの犠牲者は集計機関により数千人から数十万人まで諸説ある。 (大野孝志)
老朽化、さらに石棺 チェルノブイリ廃炉まだ先
事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機では、吹き飛んだ原子炉建屋上部や側面を大量のコンクリートや鋼材で覆う「石棺(せきかん)」にして核燃料を封じ込めた。しかし、半年で急造した石棺は三十年の間に傷み、さらなる風化を防ぐため建屋をカバーで覆う必要に迫られている。
現場に近づくと、遠目からも石棺の外壁にはさびが目立ち、雨水が流れた跡で茶色く汚れ、老朽化は明らかだった。現地の広報施設で、詳細な石棺の構造模型を見せてもらったが、鋼材は溶接やボルト固定されておらず、大破した建屋で支えているという。
突貫工事で造り上げた石棺は風雪でもろくなり、隙間が広がって雨水が入り、放射性物質が漏出している。鉄骨で補強をしたが、一昨年冬には雪の重みで屋根の一部が崩れた。
現在、4号機の西三百メートルの地点で、石棺や周辺の建屋をすっぽり覆う間口二百六十メートルのステンレスなどでできた巨大カバーの建設が進む。「新石棺」や「第二石棺」と呼ばれるが、石棺を風雨から守り、放射性物質の漏出を防ぐためだ。
作業員の無用の被ばくを避けるため、離れた場所で造り、完成後にレール上をスライドさせて建屋にかぶせる。費用は十五億ユーロ(約二千億円)。完成予定は当初の計画より五年遅れの二〇一七年で、遅れの原因を広報担当者は「想定外の積雪と強風。設計になかった工事も必要だったから」と話した。国の資金繰りの悪化も一因とされる。
4号機に近づくと線量計の値が跳ね上がり、建屋内は毎時二〇マイクロシーベルトの地点もあった。ここに二日ほどいれば一般人の年間被ばく限度(一ミリシーベルト)に達する。
事故時に溶岩状になって原子炉から建屋内に流れ出た「ゾウの足」と呼ばれる核燃料には、人が近づけない状態が続く。カバーが完成しても、外側を覆うだけで、本格的な廃炉作業はその後となる。広報担当者は「核燃料をどう処理するか決まっていない。これから検討する」と説明した。
チェルノブイリは今-来年、事故から30年
~本紙記者が見たチェルノブイリ~
(東京新聞)2015年12月29日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/photo-square/201512/CK2015122902100009.html
住民が強制移住させられたプリピャチから望むチェルノブイリ原発と建築中の新石棺 =ウクライナ・キエフ州で(いずれも梅津忠之撮影)
未だに立ち入り禁止の都市プリピャチに残る、事故当時開業直前だった観覧車。サビ付き、草木に埋もれていた=ウクライナ・キエフ州
3号機タービン建屋にある慰霊碑。壁の向こうは事故が起きた4号機で、作業員1人が行方不明のまま。石棺を造るため壁で廊下がふさがれた場所に設けられている=ウクライナ・キエフ州
建設が進む新しい石棺。マイナス3度の寒さの中、ロープを便りに断熱材を貼り付ける作業員=ウクライナ・キエフ州
プリピャチの街はずれに放置された、クレーンの爪部分。事故当時4号機直上にあり、今も激しく汚染されている=ウクライナ・キエフ州
放射能汚染の現実を超えて
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309245522/
人間は放射能を創ることはできても、それをなくすことはできない。本書は、この厳然たる事実をふまえ、「クリーンな原子力」という論理の矛盾、差別の上にしか成り立たない原発、大気圏内核実験と原発事故が有機農業に与えた影響などに触れながら、エネルギー浪費の社会構造から脱却しないかぎり、問題は何も解決しないことを説く。第3世界を踏台にして贅をつくす原発社会を問い直す力作。
放射能汚染の現実を超えて
1987年10月 小出裕章
より
本当に必要なこと
現在日本の国が輸入食品の境制という手段を借りて行なっていることは、原子力開発がもたらした汚染の其実を隠すという作業である。それに対して、これまで立派な活動を続けてきた反原発諸団体は、現在その多くが、より隊しい規制値をとるよう国に求めている。しかし、私にはそうした反原発諸団体の運動が理解できない。私は、もちろん放射能で汚れた食ぺ物を食ぺたくない。また、日本の子供たちにも食ぺさせたくない。日本が輸入食品の規制強化を行なえば、それに応じて私たち日本人の被曝量を下げられるごとも、また聞違いない。しかし、日本が輸入拒否して、汚染食糧が日本国内に入ってこないということと、汚染食糧がこの世から無くなるということは、当然のことながら等し<ない。日本が拒否した食糧は、他の誰かが食べさせられるだけである。それが誰になるかは正常な常識をもうている人には理解してもらえると思う。即ち、これまで原子力を利用してこなかった国々、それ故に汚染を検査することすらできない国々、貧しく食糧に事欠いている国々が汚染食糧を負わされるのである。私は、日本以外の国の子供たちにも放射能で汚れた食糧を食べさせたくない。ましてや、原子力の恩恵に全く預かりてこなかった子供たちには食べさせたくない。
一度許してしまった環境の放射能汚染は消えない。その環境から生育する食糧の汚染も避けられない。私たちに選択し得る問題は、汚染した食糧を誰が食べるべきかという一点である。力のいものが弱いものに儀牲を強いてきたのは、歴史の常である。しかし、反原発運動の原則とは一体何であったのか。カの弱いものを踏台にしてはなちないという点こそが、もっとも大切な原則であろうと思うし、自分だけは汚染を拒否するが、あとはそれぞれの国で運動をすればよいなど
というのでは、今後の反原発運動の展望は決して切り開けない。
略
日本は現在、世界第四位の原子力発電保有国である。そして、チェルノブイリ原発事故以降、フランスと並んで、なおかつ原発建設を強行しようとしている国でもある。チェルノブイリ原子力発電所事故は、大きた教訓を二つ与えてくれた。一つは、原子力発電という巨大技術が事故と無縁でないというごく当然の事実であり、もう一つは、先にも述ぺたように、事故によって放出された放射能にとって国境が何の障害にもならなかったことである。そうであるならば、原子力
開発によるデメリットは、誰を置いても原子力を推進している国々こそが連帯して負うぺきであって、間違っても原子力を選択していない国々に負わせるべきではない。そして、そうであるならば、チェルノブイリ原子力発電所事故による汚染は、少なくともその汚染が選択可能なものである限り、当のソ連は当然にしてもフランス、日本のような原子力開発に積極的た国々こそが引き受けるべきである。
飢餓で苦しむ入々に、自分では決して食べない食糧を与えるという考え方に、私は組しない。しかし、日本が放射能で汚染した食糧を拒否するということは、実質的にそれと同じ
ことを行なうことになる。繰り返しになるが、放射能で汚れた食べ物を私は食ぺたくない。日本の子供達にも食べさせたくない。しかし、日本という国が少なくとも現在原子力を選択している限り、日本人は白らの目の前に汚染Lた食糧を上らせて、原子力を選択することの意味を十分に考えてみるべきだと思う。誤解を恐れずに敢えて言うたらば、日本の子供であるか否かにかかわらず、子供たちに真実を知らせないまま放射能汚染食糧を与えるよりは、私は真実を噛みしめながらそれを食ぺたいと思う。
反原発運動は、今や非常に大切な試練に立たされている。これまで、その運動を担ってきた住民運動や消費者運動の本質は、端的に言ってしまえぱ、 「云われない被害を拒否する」ということであり、被害者としての運動でありた。しかし、そうすることが、他の人々に「云われない被害」を強制する、つまり、加害者として存在してしまうことになるとき、真に原発を廃絶させる道がどのようたものなのか、もう一度立ち止まって考えてみるべきだと、私は思う。その道は、少たくとも日本という国として汚染食糧の輸入を拒否するということにはならないと思う。私が国に対して求めることは、規制値を高くすることでも低くすることでもない。そのような規制値にはかかわりなく、正しく汚染の状況を測定し、それを正しく人々に伝えることである。
宮沢賢治は、書いている。
世界ぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない
(中略)
個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ
現在、ソ連、ヨーロッパの汚染のただなかで、真実を知らされずに子供たちが生きている.また、それらの国々から真実を知らされずに汚染食糧を押しつけられている子供たちもいる。そのことを思うとき、私たちは一人ひとり、何を為すべきで、また何を為してはならないのか。
放射能汚染の中での反原発
1988年3月 小出裕章
より
この現実を差別と呼ばずに何と呼ぶのか
私が「放射能汚染した食糧は、原子力で恩恵を受けてきた国々の人が食ぺよ」と主張したのに対して、「汚染したものをだれが食ぺるべきか? ということについて、誰も食ぺるべきではない。非汚染物が少なくなってくれば皆で少しずつ分けて食べよう、とりあえず」と書いてきてくれた人がいた。その意見に私は賛成である。そうなって欲しいと心から願わずにはいられない。また、「毒物はできうる限り避けなけれぱならないといえなければ、原発をとめようと人々に呼びかけることなどできない」という批判もいただいた。しかし、現在日本のような飽食の国がある一方、アフリカ諸国のように深刻な飢餓で苦しんでいる国々がある。私達あるいは私達の子供達が、たまたま日本に生まれたことで私達の大多数は食ぺ物に困るほどの生活を強いられていない。しかし、アフリカ諸国に生まれた人々、子供達は、ただそれだけの理由で日常的な飢餓に直面したければならないのがいま現在の現実である。図2に世界の穀物消費実績を示す。この図から、一人当たりの穀物消費量(帯の高さ)で比ぺた場合、西側工業文明国の人々は、世界全体の半分を占める第三世界の人々に比べて、なんと約三倍もの穀物を消費していることがわかるし、消費量(帯の面積)で比ぺても、西側工業文明国ではたった五分の一にも満たない人口(帯の横幅)で世界の穀物の約三分の一蔭消費していることが分かる。この図のデータは一九七三年から一九七五年にかけてのものであり、この格差は現在ではもっと著しくなっているはずである。日本が拒否した汚染食糧が飢餓で苦しむ国の子供達の口にも入らないのだとすれば、勿諭私は汚染食料を食べたくない。
こうした比較をネルギー消費について行なうと、もっと著しい格差が浮かび上がる。図2を作成したのと同じようにして世界のエネルギー消費実績を図示すると図3となる。一人当たりの消費量でいえば、最もエネルギーを消費している国と、最もエネルギーを利用できない国とでは、なんと一〇〇〇倍もの格差があるのである。私達日本人も世界平均の二倍以上のエネルギーを消費しているし、東南アジア諸国の人々に比ぺれぱ一〇人から一〇〇人分ものエネルギーを使っているのである。世界全体では、わずか四分の一の人口がエネルギーの八〇%をも使っている。この格差を差別といわずに何と呼べばよいのか私には分からない。四人の人間がいるとすれば、その内の一人が80%ものエネルギーを使ってしまい、あとの三入で残りの二〇%を使っているのであるが、一番少ない一人はわずか一%以下のエネルギー消費しか許されていないのである。
私達はまさに無茶苦茶な差別社会に生きているのであり、日本あるいは日本人は差別する側にいるのである。それにもかかわらず、生活を向上させるためにはもっとネルギーが要るから、原発は必要だというのが大多数の日本入の意識である。その上、原発がダメだというなら別のエネルギー源を示すべきだなどという論理が、良識として通用しているような国がこの日本という国である。
一言いっておくならば、平和な日本で法に触れることなく生きているからといって、ただそのことで一人ひとりの日本人が『無罪』であるとはいえないし、日本国内で反原発を闘っているとしても、私自身を含めて、それで『無罪』であるとは、私には思えない。
小出裕章 - 放射能を噛みしめながら (1988)
http://www.youtube.com/playlist?list=PL792DD38D516D4779
小出裕章が語る 原発のない世界へ 講演『放射能汚染の現実を超えて』
http://youtu.be/me_eD7gphok
"原発の再稼働を止めましょう。私たちは、原発の電気はいりません。
今だって、電気は足りています"
「原発のない世界へ」小出裕章さんが訴えます。
講演後の小出裕章氏による若者へ向けたスペシャルメッセージも収録。
「昨年3月11日に発生した東日本大震災は、私達の生活を変えてしまいました。そして私たちは、そこで生きていくしかありません」(小出裕章)
2012年8月12日
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消せない放射能 ~65年後の警鐘~
http://dai.ly/x16r9fh
消せない放射能 ~65年後の警鐘~/NNNドキュメント
福島第一原発事故の原因究明が一向に進まない中、早くも再稼働の動きが加速しようとしている。
放射能による被害は、実態が明らかになるまでに長い時間を必要とするが、その一例が北の大地にある。ロシアでは、半世紀以上前に放射能災害が起きていた。
高レベル放射性廃棄物を投棄した川の周辺では、手足の無い子供、膨れ上がった頭部、巨大なコブ…悪夢が世代を超えて猛威を振るっている。
政府は汚染された川沿いの村を閉鎖、古い建物を取り壊して地中に埋め、放射能を封じ込めようとした。しかし、その努力を嘲笑うかのように、今もあちらこちらで強い放射線が測定される。
収束への道程は、見えていない。
原発回帰の状況下、放射能災害の現実を見つめる。
福島原発事故・自主避難した母子の五年間
(東京新聞【こちら特報部】)2016年2月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016020902000126.html
福島原発事故から間もなく5年。子どもの被ばくを心配し、避難を決断した自主避難者たちにとり、事故の被害は現在進行形だ。とりわけ、事故を過去形に押し込めるような帰還圧力や行政支援の先細りで、生活不安は増している。「子どもへの放射線影響を案じて避難した」住民らが追いやられ、事故を起こした電力会社の刑事責任が問われないという不条理。都内で暮らす自主避難者に聞いた。
(榊原崇仁、中山洋子)
避難者名乗れず
「心も家計もギリギリ」
「自主避難した母子避難者たちはいま、どんどん追い詰められている。心も家計もギリギリなんです」
都内の都営住宅で、福島県中通り地域から自主避難している女性(四二)がそう切り出した。
福島への帰還を促す風当たりも強まっていると感じる。「心配することが多すぎて、母親たちは疲れ切っている。どうか路頭に迷わせないでほしい」
原発事故が起きたとき、妊娠ニカ月だった。事故の翌月の二〇一一年四月に福島に夫を残して神奈川県の友人宅に自主避難し、首都圈を転々と避難しながら同年十一月に長男を出産。翌一二年二月になり、ようやく「みなし仮設住宅」として無償提供されている都営住宅に落ち着いた。
この女性は「自主避難する以前に住んでいた福島県内の実家は、木造家屋だった。妊娠中にどれだけ初期被ぱくをしたかと思うと、避難してからもずっと不安だった」と振り返る。
長引く避難で離れて暮らす夫との関係もこじれ、一四年夏に離婚した。「離婚をしないと、子どもを守れない。悩み苦しんだ末の決断でした」
彼女に限らず、夫や子どもの祖父母たちと放射線の健康被害について、意見が対立して苦しむ母親は少なくなく、「原発離婚」にいたるケースも絶えない。
「その場合、子育てしながら働きたくとも、子どもを預ける場所がない。もうどうしていいか、分からない気分に陥ります」
母子避難者らの場合、夫が福島で定職を持ち、住宅ローンを抱えているケースが多いという。「原発事故で資産価値は暴落。それでもローンは払い続けなければならない。そのために仕事を辞められない。家族で移住したくても、大量に残っているローンのために夫が福島に縛られている」
母子避難者の困窮を知ってほしいと、女性はペンネームで、集会やシンポジウムで母子避難者の現状を伝えている。特に深刻なのが「保育所問題」だ。
「都内に避難して、区役所に行くと『東京では私立の幼稚園に通わせるのが一般的』と言われて驚いた。区立の保育園はわずかしかない。三年間行政に通い続けて、ようやく息子を入れることができた」
母子家庭は優先されやすいが、夫が福島にいる母子避難者にはほぽ私立幼稚園しか残されていない。預かる時間が短く、働きに出るには不十分だが、その私立すら入園待ちが五十人というケースはざらという。
避難中は保育費の補助も受けられるが「高い私立幼稚園の費用を払っているママ友には『無料で通わせているなんて、絶対に言えない』とこぽすお母さんもいる。子どもがいじめられることの怖さと併せ、だんだん自分たちのことを事故の避難者だと名乗れなくなっている」と話す。
帰還圧力・高まる一方
とりわけ、母子避難者たちを苦しめているのは「みなし仮設住宅」の無償提供を来年三月で打ち切る福島県の方針だ。打ち切り後の家賃補助も二年ほどで終了する見通しだ。
「多くの場合、福島と首都圏を往復する二重生活でお金がかさむ。貯金を切り崩しながら耐えている人がほとんど。住宅補助がなくなったら、とても東京の家賃は払えない。『もう死ぬしかない』と悲観するお母さんすらいる」
住み続けることが困難な場合、母子は再び転居を迫られる。「ようやく地域に定着したのに、またゼロからやり直しになる。なにより、子どもが転園や転校しなけれぱならなくなる。これ以上、子どもたちを振り回さないでほしい」
国や県は「除染が進み、生活環境が整ってきた」として帰還を促すが、真に受ける被災者は少ない。
「誰の責任か」
「そもそも自宅の除染はずっと後回し。何年もかかって順番が回ってきても業者がずさんで『意味がない』と怒っている人もいる。山間部の人は『除染は無理』と諦めている」
二〇二〇年の東京五輪は基本方針に「復興五輪」を掲げる。対外アピールの陰で、避難者への支援を縮小している状況に、女性は「五輪のために首都圏から避難者はいなくなってほしいということか」と憤る。
「福島に残っている母親たちも、子どもが囗にするものに気を配りながら、涙ぐましい努力をしている。被ぱくを前提に子育てをしたり、家族がバラバラにならなくてはいけないのはいったい誰のせいなのか」(`Д´)
なお7000世帯 1万8000人
県の住宅無償提供
来春で打ち切りへ
福島県の推計では、避難指示区域以外からの自主的な避難住民は約七千世帯、約一万八千人に上る。避難指示区域からの避難者と違い、東京電力からの月額十万円の精神的損害賠償(慰料)は支払われない。
多くの自主避難者が生活する新潟市の中山均市議は「新潟県内の自治体などを調べると、震災で避難している子育て世帯は、低所得世帯向けの就学援助を受ける割合が通常よりも多いことが分かった。とりわけ、支援が乏しいのが、原発事故の自主避難者たちだ」と話す。
こうした状況があ迴ながら福島県は昨年六月、避難者に対して行ってきた住宅の無償提供のうち、自主避難者分は二〇一七年三月末で打ち切る方針を決めた。避難指示区域以外は、インフラ整備や除染が進んだということが理由となっている。
県は自主避難の継続を希望する大たちに対し、一九年三月末まで低所得者向けに家賃補助をする予定だが、補助額は最大で月三万円にとどまる見込みだ。
自主避難者を含む原発被災者の支援の充実を求める法律もあるにはある。民主党政権時代の一二年六月に議員立法で成立した「子ども・被災者支援法」だ。
第一条で「放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていない」という前提を記した上で、原発被災者の避難の権利を認め、「適切に支援するものでなければならない」としている。
だが、具体的な支援策を示す基本方針が閣議決定されたのは自民党が政権復帰した後
の一三年十月。さらに昨年八月、基本方針は改定され、当初の目的は失われたに等しい。
ここでは避難指示区域以外の空間線量は事故発生時と比べて大幅に低減したとして。
「新たに避難する状況にはない」と記述。住宅無償提供の打ち切りも、状況と整合していると指摘している。
空白の初期被ばく ~消えたヨウ素131を追う~
http://dai.ly/xwpjzj
福島第一原発事故の後、政府や東京電力は各種調査に基づき、一般住民に対する放射能の健康影響はほとんど無いと説明してきた。しかし見過ごされている被ばくがある。事故直後に大量放出された放射性物質・ヨウ素131の影響だ。この放射性物質はチェルノブイリ事故後に急増した子どもの甲状腺ガンとの因果関係が科学的に立証されている。ただし半減期8日と短時間で消滅するため、放出直後の被ばく回避措置、そしてヨウ素が消える前の正確な被ばく調査が重要となる。ところが今回はいずれも行われなかった。その結果として、被災地では事故から1年半を過ぎて乳幼児を抱えた親たちの間で不安が膨らみ続けている。
被災者にとってヨウ素被ばくの目安を知っておくことは、今後のガン検診や予防対策に決定的な意味を持つ。住民の切実な要望にこたえようと、研究者がヨウ素被ばく量の実態に迫ろうとしている。また一方では、放射能測定や気象の専門家チームがセシウムではなくヨウ素の放射能汚染地図を作成に挑んでいる。様々なアプローチによってヨウ素被ばくの空白が明らかになる中、汚染にさらされた福島県の自治体は独自の健康対策に乗り出し始めた。番組では最新の科学技術によって失われた時をさかのぼる研究者たちの実証的な知見を総合し、初期被ばくの実態を解き明かす。
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小出裕章先生:他の施設では決して起こらないことが原子力発電所の事故の場合には起きてしまうのです
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