みなさまごきげんよう(^ω^)
お正月をいかがおすごしでしょうか?
2014年11月13日~15日にかけて千葉県を中心とした関東旅行に行ってまいりました~(^-^)/
帰宅直後に風邪をひいてしまいまして、この紀行ブログを手をつけることができなかったのですよ~( *´艸`)体力の衰えを実感したしだいであります・・(笑)
一年以上も前の記録なので記憶が薄れていまして文章少なめ写真の羅列になります。それに、カメラを新調したばかりなので画角が16:9だったり1:1になったりで見にくいです(;^ω^)
旅先でハプニングはつきものですけれど、この旅はわりと順調となりましたよ~おほほっ!(^0_0^)
では、報告するだぜぇ~(∩´∀`@)⊃
お付き合いくださいませ・・( ^ω^)_凵 どうぞ
眠たい…( ´O)η ファ~
高速道路深夜割引を利用するために真夜中に起きないといけないんでしたね。深夜割引を受けるには0~4時の間に高速道路に乗らないといけないのですね~(´ヘ`;)
自宅を出発してから新潟中央インターを通過して磐越自動車道に入ります。
出発してから約90分(たぶん)トンネル内で福島県に入ります。
ここは福島県耶麻郡西会津町です。その昔、ここの近くに日本で珍しいオパール鉱山(宝坂屋敷鉱山)があったのですね(」’ω’)
少年時代に父に連れて行ってもらったことを思い出しますな~(*´ω`*)
そこより、約30分で会津若松インターチェンジで磐越自動車道に別れを告げて国道121号線に入って南下します。
会津若松といえば若松城(鶴ヶ城)ですかね~(^0^)
若松城 wikimediaより
さらに飯盛山にある「会津さざえ堂」を見てもらいたいですね~(^0_0^)
会津さざえ堂 wikimediaより
会津若松から会津田島へ向かう途中で夜が明けましたよ(・∀・)
会津田島を過ぎてしばらく国道121号線を進むと、ここは国道三重複区間なんですね~おお!国道標識(俗にいう”おにぎり”)がだんご三兄弟のように立っていますよ~(^-^)/
あちゃーブレちゃった(;^ω^)
オニギリ三兄弟ズームアップ
あちゃーこれもブレちゃった(;^ω^)
さて、龍王峡も鬼怒川温泉にも立ち寄らず、一路、日光東照宮へ向かいます。
龍王峡 wikimediaより
鬼怒川温泉 wikimediaより
日光東照宮
日光に着きました~♪東照宮前は何度か通過したしたことがありますけれど、東照宮を見学するのはと~っても久しぶりですヽ(*´∀`)ノ
さっそく、東照宮駐車場に車を入れて拝観します(^^♪
日光東照宮参道の紅葉
日光東照宮参道のどこか(;^ω^)
日光東照宮参道の石鳥居
鳥居に「東照大権現」と書いてあります。権現とは日本の神の神号の一つですから徳川幕府の祖「徳川家康」は神様に祭り上げられたということなんですね。
五重塔
なにげなく五重塔を見ていてふと?気づきました…五重塔って仏塔の一種ですよね?徳川家康の廟である東照宮になんで五重塔があるんですかね~(?ε?)謎(笑)
中神庫
上神庫の妻にある「想像の象」
狩野探幽がこの下絵を書いたそうです。本物の像を知らずに描いたので尻尾が3本になっちゃってます…なんか変だゾウ⊂^j^⊃
日光東照宮三猿
(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-これが世界的に有名な三猿ですな!左甚五郎作だそうです!
マハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたのだそうです。現代日本での使用例とはずいぶん違うかな(・・;)
ガンディーの三猿 wikimediaより
日光東照宮輪蔵
輪蔵とは経典を収めた回転式の書架が設けられていて、これを回転させると、それだけで経典を読誦したのと同等の御利益が得られるとされているのだそう。私のようなものぐさ者のためにあるような施設ですなぁ…(^0_0^)
補修工事中の陽明門
補修工事中の陽明門の説明版
あちゃー!お目当ての陽明門は補修工事中でした…(T▽T)
陽明門 wikimediaより
↑これが見たかった~~~(・ω・`)
唐門
これより東西廻廊を経て本殿に至るのですがここからは拝観料を払って進みます。
東西廻廊には、これまた有名な左甚五郎作の「眠り猫」がありますよ~(^-^)/
眠り猫
雀(眠り猫の裏側)
伝承:
昔、左甚五郎という人がいました。この旅人、夜、山に迷ってしまいました。心寂しい山奥で人家は見受けられませんでしたが、歩いているうちに、向こうに薄明かりのついた一軒の家を見つけました。「なんとかお願いして軒先でもお借りしよう」そう思い甚五郎はその家を訪ねました。家の中からおばあさんが出てきて「いいですよ、おはいりなさい」と家に入れてくれました。でも、なにか陰気なおばあさんです。それでも甚五郎は大喜びでその日は泊まらせてもらうことにしました。道に迷った疲れからかぐっすりと寝込んでいた甚五郎ですが、深夜、「トン、トン」という音に目を覚ましました。ぼんやりとした薄暗いなかで、なにか大きな物体がトン、トンと飛び跳ねているようです。… 甚五郎はその眠っている猫を彫刻しました。これが日光に残る左甚五郎の猫なのです。
いよいよ本殿です。本殿にはかの有名な「鳴き龍」があるのですが…撮影禁止だって(;゚ロ゚)
https://youtu.be/v68B7XaL0kQ
説明を受けたあと自由に鳴らしても良いというので、8回ほど連打しちゃいました~(;^ω^)
ここから東西廻廊を経て奥社に向かいます。結構階段を登るのですよね~( ゚ ρ ゚ )
鋳抜門(奥社唐門)
宝塔前の鶴と唐獅子
ありゃΣ(゚Д゚ υ)宝塔を撮っていないですね…(´ε`;)
奥社宝塔 wikimediaより
宝塔といってもようするに徳川家康の墓なんですよね~三 (lll´ⅴ`)
降りてきました。
逆紋の回転灯篭
よく見ると三つ葉の葵の御紋が逆さまになっていますなんで?(・ω・ )
「かごめかごめ」と日光東照宮の謎について下の動画を見ると面白い推論がされています。児玉清さんが興奮ぎみで出演しています。ぜひじっくりご覧くださいませ。(^0^)
TVムック・謎学の旅
埋蔵金の目印か? 冠石と俵石の謎
https://www.youtube.com/playlist?list=PL2hEjnCla-LPqbY36bNVYxn5CeuJ838NF
それでは日光東照宮に別れを告げて、次の目的地に向かいます。
ここより国道120号線南西方向に進みます。しばらく進むと国道122号線と分岐する地点に出ます。直進すれば中禅寺湖・金精峠を経て沼田に至るのですね。私は左折して国道122号線を進みます。
そういえば、遥か昔に日光からここを通過して馬返まで路面電車が、馬返から明智平までケーブルカーが通じていたのですよね~。そのケーブルカーは最急勾配が500/1000(45度)もあるのでした~!━ヽ(゚Д゚)ノ━!乗ってみたかったですね~(o^^o)♪
さて、話を戻しまして、国道122号線を進み、長~い日足トンネルをくぐると、ここは旧足尾町です。
足尾銅山
日光市足尾町作成「足尾ガイド」より
「約400年間にわたり堀開いた坑道の総延長は1,234km(およそ東京から博多間)、その深さは東京湾の深さに近いまでに達します。足尾銅山観光はその“日本一の鉱都”とよばれた日本最大の足尾銅山の再現をはかって始められた坑内観光です。」
だそうです。
今の足尾町は観光に生きる道を託しているのですね。
これは「光」の部分。
私は「影」を求めてそこに向かうとします。
旧足尾銅山への道
変電所?
精錬所跡?
足尾製錬所跡に立つ煙突
鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)やそれによる酸性雨により近辺の山は禿山となったのですね(。-_-。)
足尾銅山操業時の煤煙
足尾製錬所跡遠望
1895年の足尾銅山 wikimediaより
足尾銅山は1550年(天文19年)に発見と伝えられているが、1610年(慶長15年)百姓二人が鉱床を発見し、幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されることになった。
1877年(明治10年)に古河市兵衛は足尾銅山の経営に着手、数年間は全く成果が出なかったが、1881年(明治14年)に待望の有望鉱脈を発見。その後探鉱技術の進歩によって次々と有望鉱脈が発見された。古河市兵衛の死後、明治38年3月に会社としての古河鉱業の経営となった。当時の明治政府の富国強兵政策を背景に、銅山経営は久原財閥の日立鉱山、住友家の別子銅山とともに急速な発展を遂げた。20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長した。しかしこの鉱山開発と製錬事業の発展の裏では、足尾山地の樹木が坑木・燃料のために伐採され、掘り出した鉱石を製錬工場から排出される大気汚染による環境汚染を引き起こしていた。荒廃した山地を水源とする渡良瀬川は洪水を頻発し、製錬による廃棄物を流し、足尾山地を流れくだった流域の平地に流れ込み、水質・土壌汚染をもたらし、広範囲な環境汚染を引き起こした。いわゆる、足尾鉱毒事件である。wikipediaより
足尾銅山鉱毒悲歌
https://youtu.be/dY1WTSjrJJQ
Σ(゚Д゚ υ) アリャ~これ以上進入禁止ですか…監視カメラもついて頑なに拒んでいます…判りましたこれにて退散します~三 (lll´ⅴ`)
ああ、朝から何も食べてないので腹ペコです(* ̄~ ̄)oO○ギュルルルル(笑)こより、国道122号線に戻りまして一路、佐野ラーメンを食べに行きます(。-`ω´-)キッパリ
国道122号線をほぼ南下して桐生市まで出ます。国道50号線に乗り、太田桐生インターチェンジから北関東自動車道に乗ります。
途中で足利市を通過します。足利市といえば、相田みつをさんの生誕地ですね。さらに、映画「男はつらいよ」に準レギュラーで出演していた関敬六さんの生誕地でもあります(^-^)/
知ってるつもり 相田みつを
https://www.youtube.com/playlist?list=PL2hEjnCla-LMj19Cf8yPoG2mkjb1lL6FJ
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 予告編
https://youtu.be/ZxVNmVgm8lg
関敬六さんは寅の相方「ポンシュウ」役で出演しています(^ω^)
さて、話を戻しまして、北関東自動車道を佐野田沼インターチェンジで降りて佐野市に突入です~(^ω^)
佐野市内だけでもラーメン店が140店もあるそうで、あちらこちらにラーメン店があるようですね~(^q^)私は佐野ラーメンマップに載ってない地元で評判がいい老舗ということで、森田屋総本店に決めていたのでした~(^-^)/
しかし、そこは午前の部が午後2時で閉店ということで急がないといけないのでした… ε=ε=ε=ε=┌(;;`o´ )┘
午後1時半!なんとか間に合いました~O(≧▽≦)O
森田屋総本店外観
森田屋総本店・店内の様子
おお!混み合っています。
ほう~メニューが四種類しかないのですね~私は「大盛りチャーシューメン」に決めた~(^p^)
大盛りチャーシューメン
平打ち麺でスープが透き通って美味しそう~( ゚v^ )
さっそくいただきま~す(⌒P⌒)じゅるじゅる(笑)
あっという間に完食!ごちそうさまでした(^人^)
森田屋総本店(食べログ)
http://tabelog.com/tochigi/A0902/A090202/9000936/
さあ、お腹を満たしたところでさっそく次の目的地に行きましょう~♪
次は佐野市の南に位置している館林市にある田中正造記念館です。
田中正造記念館の指定駐車場に車を駐車して歩いて向かいます。途中に鷹匠町武家屋敷「武鷹館」なるものがありましたよ~(´∀`*)
向こうに青旗が立っているところが田中正造記念館です。
田中正造記念館
おおっと!(`∞´)ここでハプニング!デジカメのバッテリーが切れちゃいました…(´ω`)
入場無料で、親切な学芸員の方が貴重な足尾鉱毒事件に関する資料を丁寧に解説してくれた上に、資料の撮影もOKということで、なんともったいないことか…(*´;ェ;`*)
これは再度来訪するしかないですな~(`・∀・´)
足尾鉱毒事件田中正造記念館
http://www.cnet-ga.ne.jp/syozou/
急遽、デジカメのバッテリー充電を行いつつ、次の目的地に向かいます。
渡良瀬遊水地
現在、「D」の谷中村史跡保全ゾーン駐車場にいます。
谷中村跡 wikimediaより
足尾鉱毒事件による被害が大きくなり、農民の鉱毒反対運動が盛り上がると、1905年、政府は栃木県下都賀郡谷中村全域を買収してこの地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てた。ただし、これは、鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を廃村にすることにより、運動の弱体化を狙ったものであるという指摘が当時谷中村に住んでいた田中正造によって既になされている。
谷中村は全域が強制買収され、1906年、強制廃村となった。1907年までに立ち退かなかった村民宅は強制破壊された。ただし、一部の村民はその後も遊水池内に住み続けた。最後の村民は1917年2月25日ごろこの地を離れた。 wikipediaより
廃村から100年
https://youtu.be/B-AyrfKtack
足尾銅山の鉱毒により、栃木県下都賀郡の旧谷中村が廃村になり、渡良瀬遊水池になった経緯と、現在の様子を叙情的に表し、文明のあり方を考えてもらう。
田中正造翁生誕百二十年記念の碑
ここでまたバッテリーが切れてしまいました…(´ε`;)
その時歴史が動いた
「田中正造 足尾鉱毒事件に挑む ~環境保護運動 ここに始まる~」
http://dai.ly/x2ik0fc
明治34年、1901年12月10日、この日、東京帝国議会 議事堂の近くで、明治天皇を待ち受ける、ひとりの人物がいました。明治天皇は、議会の開院式に臨んだ後、馬車で皇居に帰ることになっていました。そして、午前11時20分ごろ…。
明治天皇に直訴したのは、田中正造。正造は、足尾銅山の鉱毒被害で苦しむ人々を救い、腐敗した政治を正すよう、明治天皇に訴えようとしたのです。
西洋の国々に追いつくため、富国強兵を推し進めた明治の日本。その一翼を担ったのが、栃木県の足尾銅山でした。足尾の銅は、日本の近代化に欠かせない重要な資源でした。しかし、銅山から出た有毒成分、いわゆる鉱毒が渡良瀬川に流されたため、流域では大きな被害を受けました。
衆議院議員だった田中正造は、被害民とともに立ち上がり、大規模な鉱毒反対闘争を繰り広げていきました。しかし、やがて、それは政府により厳しく弾圧され、流血の惨事にまで発展します。
行き詰る鉱毒事件。その最中、正造はひとりの人物との話し合いにより、直訴へ向けて動き始めます。
明治天皇への直訴から一世紀。その時歴史が動いた、今回は、人々と環境を守るため、命を懸けて戦った、田中正造の生涯を描きます。
さて今日の宿泊地・銚子を目指して国道354号線を東に進みます。坂東市の辺りで夕方になり、はるか遠く西に夕方の富士山を見ることができました。ちょうど下の写真のような感じでした。なにか、とっても感動しましたよ~( ;∀;)車を停めて写真を取れば良ったなぁ…悔いがにこります。
さて、つくば中央インターチェンジから首都圏中央連絡自動車道に入りしばらく行くと牛久大仏の脇を通過します。大きな牛久大仏のシルエットが見えて、思わず「おお!」と言ってしまいました(;^ω^)
牛久大仏 花火 万燈会 お盆追悼法要
https://youtu.be/d4Upm6KpDkc
さて、首都圏中央連絡自動車道を神崎インターチェンジで降りて国道356号線を利根川沿いに東に向けて走ります。
ひたすら走って走ってようやく銚子駅に到着しました(^-^)/
Σ(゚Д゚ υ) アリャブレれちゃいましたね…
銚子といえば「澪つくし」
沢口靖子さん綺麗でしたね~ლ(╹◡╹ლ)
さて、駅近くのホテルにチェックインをして、徒歩で飲食店を探すことにしました(^0^)
おー!ステーキけんを発見!そこに決め~た(笑)
入店してみると地元の女子高生が大挙して食べていらっしゃる(´▽`)
肩身を狭くして食べてすごすごとホテルまで帰ってきました(笑)
かくして、銚子の夜は更けるのであった。
2014年秋・関東旅行 その2 に続く