戦場近づく自衛隊 いま、隊員の胸中は?
(東京新聞【こちら特報部】)2015年4月8日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015040802000167.html
政府は連休明けにも、他国軍を後方支援する「恒久法」法案や「国連平和維持活動(PKO)協力法」など安保関連法の改正案を閣議決定する。各法案が成立すれば、治安維持や駆け付け警護といった危険な任務に道が開かれ、他国の戦争を担う態勢も整う。政府与党での立法作業が進む中、その主人公たる自衛官らの声を聞くことはまれだ。一部の隊員たちが匿名で、胸中を語ってくれた。
(沢田千秋、田原牧、林啓太)
戦争想像してません
専守防衛考えたことない
下士官である海上自衛隊の二十代の海曹は高校卒業後、十八歳で入隊した。
入隊の動機は「スーツ着たくなかったし、資格とれるって聞いたから」。その後、「身をなげうってでも任務に専念できるか、みたいな誓約書に署名させられた」と振り返る。
「でも、十八歳で戦争なんて想像してない。学校・部活、バイト、恋愛とかで忙しいし。(無料通信アプリの)ライン返すのも大変で。新聞なんか見ないし、専守防衛とか安保とか考えたこともなかった」
周囲も同様だった。頭髪が長く、金髪のホスト風の合格者二人は「筆記試験は名前書いただけで入ってやったわ」と豪語。ただ、このうち一人は丸刈りがイヤで入隊を辞退した。
入隊から数年間は「死ぬほどつらかった」と話す。四六時中、揺れる船の中でしごかれ、上官に「ゴミ」とののしられ、何度も失神した。「これ以上つらいことはないと思えた」
だが、次第に責任のある仕事を任されるようになった。「最初は体つくって金ためて資格とったら、辞めようと思ってたけど、いまは重宝されているから、当分は辞めないかな」
隊内では「国の動きに興味がない人が多い。警察官や消防士は普段から市民と触れ合う機会が多いから自覚のある人も多いだろうけど、自衛隊は外の世界を知らないから、戦争するなんて意識も希薄」と語る。
安保法制の整備については「賛成」と言う。「アフガニスタンやイラクに行った隊員はホネがある。一緒にがんぱりたいと思える人たち。自衛隊はもっと緊張感と責任感を持って仕事を
するべきでしよ」
戦死なら集団除隊
3分の1も残らないよ
ただ、「『戦争になったら辞める』つて言う人はけっこういる」と明かす。
「海外出た自衛官が死んだりしたら、三分の一も残らないんじゃない? 楽だから自衛官やってる人はみんな辞めちゃうと思う」
隊員の意識の低さについては「まったく思想教育してないから。余計なことを考えないよう教えないのかなって思うぐらい」。
自衛隊を「わが軍」と表した安倍首相については「民主党の時よりも、自衛隊が大事にされてるって思える」と評価する。その首相が改正を目指す憲法九条をどう考えているのか。
「九条はすばらしいと言う隊外の友だちはいる。でも、僕の意見が隊の意見になるから、そういう話を外部にするのは禁じられている」と前置きしつつ、「専
守防衛でも、たくさん武器を持つ自衛隊は既に九条に反している。九条はすでに現実に則していない。僕らの仕事の否定になりかねない」と改憲に前向きだ。
海外派遣の指令があったらどうするか。「危険でも行かなきゃいけない。仕事に対する誇りを持ちたい」
危険増すのに自覚ない
防弾チョッキ着て射撃訓練
三十代の陸自一尉(旧軍では大尉)は「戦争に行くなんて正直、考えていなかった」と打ち明ける。
大学卒業後、三尉以上の幹部自衛官を養成する「一般幹部候補生」の試験に合格、入隊した。「自衛隊でしか知り得ない国際情勢について見聞を広められる、厳しい環境で心身を鍛えられると漠然と考えた」
安保法制をめぐる動きについては「あれこれ変われば、組織体制や装備品の変更業務で忙しくなるんだろうな、と感じるくらい。海外の戦闘で自分や同僚が命を落とすかもしれないというところまでは、想像力が至らない」と語る。
ただ、漠然とした不安を感じなくはない。「時の政権の解釈次第で恣意(しい)的に運用されてしまう可能性はあるだろう。後方支援が前線と一体化しているというのは常識。安全な場所はない」と危ぶむ。
訓練内容も実戦を意識したものに変わりつつあるという。「射撃訓練はここ一ー二年、防弾チョッキを着てやるという決まりになった。戦場と同じ条件に慣れさせる狙いがある」
隊内の秘密保全が強まって、息苦しさを感じることもある。「最近になって、携帯電話の通話記録や海外の渡航記録を詳しく調べられるようになった。アジアの国に無断で渡航して処分を受けた人もいる。おそらく、個人的な旅行だったとは思うのだけど」
特に「フェイスブックやツイッターなどは、やらないように、という強い指導がある」と明かす。「これらによる秘密漏えいで処分される隊員は結構いる。情報保全隊などがネットを監視しているのだろう」
総じて安保法制をめぐる情勢について、曹長以下の下工官や一兵卒の隊員は関心が薄いという。
一尉は「安保関連の新書などを読んで勉強するのは百人のうち数人。酒やギャンブルとかの方が関心が強い。難しいことは考えていない」と苦笑する。
ただ、安倍首相の「わが軍」発言には上級幹部は敏感に反応していたという。「首相の発言があった直後の朝礼で、幹部の上司が『自衛隊を評価していただいている』といった趣旨の話をしていた」と漏らす。
いま首相に直接、もの言えるとしたら何を訴えたいのか。「首相の判断で隊員の血が流れる。安全保障のリアルなところを、しっかり考えていただきたい」
戦地拒む隊員想定軍法会議も復活?
ベテランの空自幹部は「自衛隊が自ら戦場に就くことはないと勧誘され、自衛隊に入った。専守防衛の志はあったが、こんな時代が訪れるとは思いもしなかつた」とため息をついた。
「客観的に見れば、自衛官の危険は格段に増す。ただ、問題は一般の隊員にその自覚がないことだ。政治の話は口にしないし、そうした教育もしていない」
この幹部は「個人的な感想」と断った上で「意図的にそうした教育を避けているのでは」といぶかる。
「だから、若い隊員にはこのまま、自衛隊にいてよいのかという迷いもない。ただ、いざ危険な任務を命じられれば、絶対行かないだろう。誰かが死傷するような前例ができた後は、集団で辞めるような事態も生まれるのではないか」
だが、この幹部は政府や自衛隊の最高幹部はそうした事態を想定しているとみる。自民党の石破茂幹事長(当時)が一昨年四月に発言した「軍事法廷(軍法会議)」による規律維持の想定も、その一環とみる。
「やがて、軍法会議や憲兵隊の復活という話も出てくるだろう。ただ、約七年で合格しないと除隊させられる三曹への昇任試験の倍率が最近は増している。不景気で、大卒や大学院卒の人たちも入隊するためだ。政府には辞める人間がいても補充できる、という算段があるのかもしれない」
2015/04/23
そもそも新・安保法制は 自衛隊員の “戦死” を想定しているのだろうか?
https://youtu.be/BeNyf-iPOhA
安倍壊憲政権に立ち向かう
”戦争はごめん”心の底からの決意
いまこそ憲法の初心に立って
憲法学者 森英樹さん
(しんぶん赤旗)焦点・論点 2015年5月3日
68回目の憲法記念日にあたり、憲法をめぐる状況について、憲法学者の森英樹さんに聞きました。
(佐藤高志、中祖寅一)
4月27日に日米新ガイドライン(軍事協力指針)を政府間合意し、日米が世界中で切れ目のない軍事協力を進めることが確認され、これと並行して与党幹部内では大筋合意された「戦争立法」の法案化作業に日本政府は正式に突入しました。
この容易ならざる事態の中で迎える今年の憲法記念日は、例年と質的レベルを異にするといわざるを得ません。「戦争立法」=壊憲の先に、文字通りの改憲を公言する安倍政権のもと、それこそ「壊憲から改憲へ」という「切れ目のない」憲法敵視策のただなかで迎えることになるからです。
戦争への道が焦点に
深刻なめぐり合わせ
しかも、戦争への道が、あろうことか「戦後70年」の今年の政治的焦点になる深刻なめぐり合わせです。
安倍首相は今でも自身のホームページで、「憲法を頂点とした行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組み」を「戦後レジーム」と呼び、そこからの「脱却」を叫び、「脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠」とほえ続けています。憲法が命じた尊重擁護義務違反にほかなりません。
政府は昨年7月の「閣議決定」で、長年、「憲法上許されない」としてきた集団的自衛権の行使について、その限定を破り容認に転じました。
とんでもないのは、それだけではありません。これまで武力行使になるとしてきた「戦闘地域」での「後方支援」に、自衛隊が踏み込みます。さらに「戦闘現場ではやらない」という新
しい地域制限にも「例外」を設け、ここで「捜索・救助」活動も行うと言い出しています。これは昨年の「閣議決定」を早くも「乗り越え」るものです。
明文改憲がなかなかできない中で、憲法9条と国民の運動が、自衛隊のあり方や、活動にさまざまな限定を押し付けてきました。
いま安倍首相が明文改憲を迂回しつつ、そうした「限定」を次々と壊す勳きの中で、私たちの「批判・対抗の基軸」をどこに置くかが重要です。
ここで私たちは憲法の初心に立ち、戦争と武力行使、武力による威嚇と軍事力の保持を根底から否定する構えに立つことが必要だと思うのです。その初心こそが政府の動きに「限定」をもたらしてきた根源だからです。
正しいことぐらい
強いものはない
憲法9条の根底にあるのは、戦争に明け暮れた国民の被害体験と、アジア諸国民への深刻な加害への反省から、もう戦争はごめんだという心の底からの決意にほかなりません。憲法の制定過程には紆余曲折がありますが、この9条を受け取った国民は「これでもう殺し合うことはない」と心底から安堵したのです。9条はすべての「戦争、武力行使、武力による威嚇」を「永久に放棄」し、そのためにすべての「戦力」の不保持と交戦権の否認を決めています。
どう読んでも「丸腰でいこう」という高貴な決意です。9条制定当時から「丸腰ではどうも」という懸念の声はありました。
しかし当時の、自民党の先輩たちによる政府は「みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と説いていました(文部省『あたらしい憲法のはなし』1947年)。
これがぐらつくのは50年の警察予備隊設置からです。この再軍備が54年の自衛隊設置に及ぶや、政府は、わずか7年前に「正しいこと」と断言した見地を捨てて、憲法を変えようとしました。しかし国民の反撃にあって55年総選挙でも56年参院選でも、護憲の声が両院ともに3分の1を超える議席として結実し、改憲は失敗します。すると今度は解釈を変えて「必要最小限の個別的自衛権」保持・行使なら憲法に違反しない、と言い始めました。
いま、憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を合憲にしようとする「解釈改憲」が問題になっていますが、実はもう前科があるのです。ただ、9条があり、「正しいこと」と言い切った最初の解釈があるので、これを気にして、せめて海外に出て戦争することはしない、という「専守防衛」の「歯止め」を維持してきました。
ここを崩そうとするのが今の解釈改憲です。その意味では、1月末に急逝された「九条の会」呼びかけ人で憲法研究者の奥平康弘さんが、生前最後の対談で指摘したように「九条は自衛隊設置を許した『個別的自衛権』で歪められ、『集団的自衛権』で無くされようとしている」(『季論21』26号での堀尾輝久氏との対談)のです。
安倍首相は、9条を壊すのに「積極的平和主義」なるものを持ち出しています。平和学では、戦争のないことを消極的平和と呼び、戦争の原因になる貧困や差別や搾取などの構造的暴力をなくした状態を「積極的平和(positive peace)」と呼んできました。ところが、言葉は同じでも安倍さんの「積極的平和主義」はまるで違います。安倍流[積極的平和主義]は、対外的には首相の米議会演説でもそうだったように「Proactive Contribution to Peace」と発信しています
ので、訳せば「平和のために先手を打って貢献すること」と言ったほどの意味合いですが、これは、湾岸戦争(91年)あたりから盛んに言われた「一国平和主義」批判のなかから登場した軍事的「国際貢献」の発想です。
ここには構造的平和という発想がありません。国際紛争は何らかの構造的理由で起こるのですから、それをひたすら軍事力で「解決」しようとしても真の解決にはなりません。憲法前文の言うように、「全世界の国民が恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」という構造的平和をつくりだすことこそが「積極的」な紛争解決の道なのです。
外交をはじめ努力を
9条が要求している
こうした姿勢に対しては、最近の北朝鮮の核開発の動きや中国の軍備拡大など東アジアの情勢の展開の中で、再び「理想に過ぎる」という批判が絶えないのも事実です。
これに対しては、昨年の本紙(9月18日付)で、憲法学界のオピニオンリーダーである樋口陽一さんが語っていた、「攻められることはない、絶対に安全だという論証はできません。絶対安全という論証ができないことを国是とし、それほどの決心を求めたのが9条」であり、「他国から攻められることのない、外交をはじめその前提をみたす努力を要求しているのが9条」という視点が、いま、とりわけて必要でしょう。9条が選び取った、重いけれども高貴な、大いなる努力を求める道です。
アフガン、イラク戦争に見られた、米国による単独行動主義は大破綻を遂げました。「武力で平和はつくれない」ことに、現実の共感が広がっていることも事実です。IS問題はじめ、困難もありますが、その中で、9条が選び取った大いなる努力の道を進むことに大きな確信を持つことが大事なのです。
国民より米国大事の政府はダメだ
(日刊ゲンダイ)2015年5月13日
首相や大臣が会談をするごとに沖縄知事の言い分の正義正統がますます明確になり、日本政府の権柄尽く、理不尽が国民の目に赤裸々になる皮肉、天網恢々疎にして漏らさずということか
マトモな国民はまさか信じはしないだろうが、在日に対するヘイトスピーチさながら、翁長知事に対する誹謗中傷悪口雑言があふれ出したイヤな国情もある
沖縄知事への支持支援が急速に広がっている
安倍政権がゴリ押しする米軍普天間基地の辺野古移設は、新展開を迎えるのか。沖縄県の翁長知事が、米政府に計画断念を直接求めるため、今月27日から訪米すると発表。知事はきのう(11日)、沖縄県庁で会見し、「これまでも安倍総理らに沖縄側の気持ちを伝えてきた。アメリカでも、辺野古に基地は造らせない、できないということを前提に物事を考えてもらいたいと、生の声でしっかり伝えたい」と話した。ワシントンでは、国務・国防両省の次官補との会談を求めているほか、アメリカ議会の議員やシンクタンク研究者との会談も調整中だという。
沖縄の基地移設問題を取材し続けているジャーナリストの横田一氏が言う。「米国の世論に直接訴えかければ、風向きが変わるかもしれません。米国内でも基地問題が正確に報道されてきたとは言い難く、辺野古移設に地元が反対しているとは思っていない米国民は少なくない。安倍政権が米国に隷従し、基地運用について何も言えないのなら、辺野古移設は米国政府と沖縄県民の閧の問題ともいえる。日本政府が民主主義を踏みにじって移設を強行しようとしていることを訴えれば、国際的な批判が殺到し、安倍政権は身動きが取れなくなる可能性もあります」
安倍首相が沖縄の民意を無視し、4月の訪米で辺野古移設を勝手にオバマ大統領に確約してきたことで、政府と沖縄の溝はますます深まっている。9日には、中谷防衛相が就任後初めて沖縄を訪問し、翁長知事と会談したが、双方の主張は平行線のままだ。
翁長知事は、中谷が3月の記者会見で、知事との会談について「対立が深くなるとしたら会っても意味がない」「もう少し日本の安全保障などの点を踏まえて考えてほしい」などと言っていたことを「高飛車な発言に聞こえる」と批判。
「会えなかったことが、さらに政府と沖縄の溝を深くした」と指摘した。正論である。
さらに翁長知事は、「2年前に来県した自民党議員か『本土が嫌だと言っているのだから沖縄か受けるのは当たり前だ』と発言したことに絶望感を覚えた」と話し、政府・自民党の居丈高を嘆いていた。
「県民に寄り添って」は口先だけ 《゚Д゚》
安倍政権の閣僚は囗では「県民に寄り添ってご理解いただけるよう努力したい」と言うのだが、実際にやっていることは正反対で、県民の声に耳を傾けようともしない。常に上から目線で、政府が決めたことには黙って従えという態度で知事との会談は「努力」のアリバイづくりでしかない。実際、中谷の沖縄訪問について、政府高官はオフレコで「あれは儀式だから」などとフザけたことを言っ。ていた。
そういう傲慢な態度が透けて見えるから、首相や大臣と会談を重ねるごとに、翁長知事サイドの正義が明確になる。聞く耳を持だない政府の権柄尽く、沖縄に負担を押し付ける理不尽が赤裸々になってくる。だから、どの世論調査でも、辺野古への新基地建設については「反対」が「賛成」を上回っている。基地問題について、これだけ国民の関心が高まっているのは、県外移設が取り沙汰された鳩山政権以来だろう。
「翁長知事か政府の圧力にもブレない姿勢を貫いていることで、全国からの支援が拡大しています。移設計画に反対する県議会の与党会派が中心となって設けた『辺野古基金』には、先月の設立から約1ヵ月で1億4000万円余りの寄付が集まった。銀行振り込みの約7割が本土からの入金だそうです。これは、国民の声を無視して米国に隷属し、基地移設をゴリ押しする安倍政権の横暴を食い止めたいと願う民意が集結した結果です」
(横田一氏=前出)
辺野古基金の共同代表には、映画監督の宮崎駿氏やジャーナリストの鳥越俊太郎氏らか就任する。宮崎氏は「沖縄がそういう覚悟をするなら、支援するしかないと思いました」とコメントを出した。集まった寄付金は、米国メディアに意見広告を出す費用などに充てるという。世界的にも著名な宮崎氏の共同代表就任飃辺野古問題への国際的な関心を高めそうだ。
いざとなれば「わが軍」の砲口を自国民に向ける倒錯政権
急速に広がる沖縄知事への支持に焦った政府は、ロコツな利益誘導策を進めている。普天間基
地の跡地へのユニバーサルースタジオ・ジャパン誘致を「政府として支援」と菅官房長官が明言。沖縄を訪れた中谷防衛相は、名護市の辺野古と、隣接する豊原、久志の3地区
の区長と面会して、地元振興策を協議する懇談会を設置すると表明した。今月末に初会合を開くという。懇談会を通じて、移殷容認の地元住民と協議を進め、懐柔の足掛かりにする算段である。
同時に、翁長知事に対するネガティブキャンペーンもあふれ出した。菅との会談について、読売新聞は「疑問なのは、翁長知事が激しい政府批判に終始したことだ」と翁長知事の態度を批判した。産経新聞は「敵意むき出し」と書いていた。さらには、「翁長知事は娘が中国人と結婚していて、中国寄りで反日思想を持った危険人物だ」という噂が、自民党議員や政治記者の間で一気に広まった。それを報じた週刊誌もある。「官邸筋からのリーク」(大手紙記者)とされるが、これに反応したネトウヨによる翁長知事への誹謗中傷はすさまじいものがある。マトモな国民はまさかうのみにはしないだろうが、「在日」だの「売国」だの、ヘイトスピーチさながらだ。
「本人に確認しましたが、娘さんが中国人と結婚しているというのは、まったくのデマでした。知事の主張は理路整然としていて、沖縄の民意を背負って体を張っている。それに対し、政府は『なぜ辺野古か』という理由も合理性も明確に説明できない。ただひたすら『辺野古が唯一の解決策』と言うだけで、代替案を提示することもできない。翁長知事は保守本流の政治家として、格の違いを見せつけています。議論では歯が立だないので、官邸はメディアを使って情報工作を仕掛けているのでしょうが、それに協力するメディアも情けない。民主主義はメディアから腐るといいますが、まさに今の日本はそういう危機的状況にあります」(沖縄国際大教授の前泊博盛氏)
「第2の安保闘争」の絶望シナリオ
クリントン政権で普天聞飛行場返還の日米合意を主導したジョセフ・ナイ元国防次官補も「辺野古移設は長期的には解決策にならない」と言つているし、アーミテージ元国務副長官も「日本政府が別の案を持ってくれば米国は耳を傾ける」と言っている。長年、基地問題を見てきた米国の当事者は、辺野古移設は無理だと分かっているのだ。しかし、安倍はお構いなしで移設を強行する。それがオバマ大統領との約束だからだ。米国への忠誠心が自分の政治生命なのである。
これは第2の安保闘争と言うべきものだ。民意を無視して強行すれば、沖縄に血の雨が降るのは必至だが、それでも大マスコミは安倍政権を擁護し、沖縄は捨て石にされてしまうのだろう。「強固な日米同盟」〔中国の脅威に対する抑止力〕といった言葉が(バを利かせ、「強い日本」を夢見て軍事強化に走り、国民の右傾化はますます進む。そんな絶望のシナリオか見えてくる。
「安倍首相は第1次政権の時に辺野古の環境現況調査に住民か反対した際、海上自衛隊の掃海母艦を出そうとして物議をかもしました。今回も、いざとなれば自衛隊を使うことに決めている。市民の反対を弾圧するために自衛隊を使うなんて、安保闘争の時に祖父の岸信介でさえできなかったことです。それを安倍首相は平気でやる。他国の軍隊の基地をつくるために、自国民に砲口を向けようというのです」( ̄^ ̄)凸
(前泊博盛氏=前出)
この倒錯ぶりには眩暈(めまい)がしてくる。国民より米国が大事という政府で本当にいいのか。沖縄の基地問題は、この国の民主主義の根幹をわれわれに問いかけている。
<不屈の詩 沖縄編> 辺野古の抗議船「不屈」船長
(東京新聞【こちら特報部】)2015年5月3日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015050302000132.html
圧倒的な目力(めぢから)を備えた男が出迎える。那覇市の「不屈館」。沖縄の米軍基地反対闘争や本土復帰運動に尽力した瀬長亀次郎の遺影だ。瀬長が好んだ言葉が館名の「不屈」である。
その不屈を名乗る船が、沖縄県名護市辺野古の新基地反対闘争の列に加わっている。船長は、牧師の金井創(はじめ)(60)だ。
皆が立ち上がるきっかけに
昨年八月、沖縄キリスト教学院大の平和研究所が抗議船購入の募金を呼び掛けた。小型船舶の免許を持つ金井が船長を務める予定だった。約一ヵ月で五百万円ほどが寄せられた。
「フェイスブックに募金のことを書くと、五分後に『振り込んだ』と連絡がきた。『募金を始めてくれてありがとう』とも言われた。それほど反対の意思を示したい人が多かった」
船名を考えていた昨年九月上旬、新基地に反対する稲嶺進名護市長と翁長雄志那覇市長(当時)の街頭演説を聞いた。
「革新と保守の政治家が並んで演説をしている。こんなことがあるのか」。感動に包まれた金井の心に「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」との瀬長の言葉が浮かんだ。瀬長と言えぱ「不屈」だ。「『不屈』。これこそ新しい船の名前にふさわしい」
瀬長の次女で不屈館館長の内村千尋(七〇)は、「不屈」の使用を快諾した。
「沖縄が永久に基地の街になるとの危機感が広がっている。瀬長なら『立ち上がろう』と訴えただろう」。内村は瀬長の時代と今を重ね合わせる。
進水式は昨年十一月。名前に「号」も「丸」も付けなかった。「海上保安庁がこちらを呼ぶ時『不屈の皆さん』と言わせたかった」
金井は最近、危機一髪の事故に見舞われた。四月六日午後二時四十分ごろ。
「不屈」が海保の船に追突されたのだ。
新基地建設工事のために設けられた「臨時制限区域」に入った市民の抗議カヌーが海保に拘束された。
「不屈」は現場に急行したが、途中で海保が停船を要求。減速したところ、海保の船が左舷後方に乗り上げるようにぶつかった。
第十一管区海上保安本部は「ボートを横付けしようとした。動揺(揺れ)の中で接触した」(広報担当)と説明する。
「接触」にしては損傷は激しい。操舵(操舵)室の鉄枠扉はひしゃげ、乗組員は砕けた
ガラスを浴びた。金井は「激しい衝撃だった。当たりどころがずれていたら、操舵室ごと海に持って行かれたかも」と振り返る。
「不屈」は修理中だ。それでも金井は別の船で海に出続けている。
「日々目立った成果が上がるわけでもないが、私たちは現場に居続ける。新基地に反対する人たちの象徴として皆が立ち上がるきっかけになるために」
黙っているのは無言の賛同
金井は、沖縄とは真逆の北海道出身だ。牧師として長く東京都内で活動してきた。辺野古との縁は一九九七年にさかのぽる。日米特別行動委員会(SACO)は九六年に米軍普天間飛行場の返還で合意。翌九七年、代替施設の建設候補地と目された辺野古沖合で調査が本格化した。
「反対する地元住民の話を聞いて、何か関わりを持ちたいと思った」。金井は、時間を見つけては辺野古を訪れ、抗議の座り込みに参加した。
二〇〇六年に沖縄県南城市の教会に赴任すると、「県民、当事者として」運動に関わった。しかも最前線の海上で体を張る、最初はカヌー、やがて抗議船で乗り出していった。
「宗教者は課題のあるところに行き、課題に取り組んでいる人とともにあるべきだと考えている。遠くで『ありがたい話』をしているのではなく、現場に身を置きたい」
そして「新基地に反対するのは命の問題だからだ」と力説するのだ。
「沖縄の米軍基地は住民にとって事故や騒音をもたらすだけではない。出撃した米軍がベトナムや中東で罪のない住民の命を奪った。中東での戦闘後、帰還した米兵の自殺も多い。新基地ができたら、さらに命が失われる。これ以上だれも殺してはならないし、死んではならない。黙っているのは無言の賛同だ」
時には自らも、臨時制限区域に入る。日米地位協定の実施に伴う刑事特別法(刑特法)で処罰される可能性もある。
「米軍の活動を妨害する目的での立ち入りを禁じるのが刑特法の趣旨だ。今回の臨時制限区域は工事のために広く設けられた。ここでの抗議行動に刑特法を適用するのは無理がある。私たちは、新基地を造らせないという正義のために制限区域にも入る」
とはいえ、海上保安官へのまなざしはやわらかい。
「中には荒っぽい人もいる。でも相手も人間だ。毎日顔を合わせているうちに、言葉を交わせるようになる。屈することができないのは、民意を無視して新基地建設を進める政府の大きな力だ」
船長仲間からの信頼は絶大だ。相馬由里(三七)は「頼もしい兄貴」と呼ぶ。「普段は穏やか。事があれば前面に立ってくれる」
名護市でエコツアーガイドの経験もある仲宗根和成(三六)も尊敬と感謝の言葉を贈る。「これまでの運動があったからこそ、自然が残された。その種をわれわれ地元の若手が引き継ぎ、花を咲かせたい」
安倍政権は、夏にも辺野古埋め立て工事に着手する構えだ。金井は、瀬長の不屈の精神にあらためて思いをいたす。
「瀬長は『一人が叫べば五十メートル先まで届く。沖縄の人民が声をそろえて叫べばワシントン政府を動かすことができる』と言った。昨年の知事選や衆院選で、保革の壁を乗り越えて辺野古に反対する『オール沖縄』が実現し、勝利した。この動きを『オール日本』に広げたい。そのためにも、圧力には屈しない」
(篠ケ瀬祐司、文中敬称略)
瀬長亀次郎(せなが・かめじろう)1907~2001年。沖縄県豊見城(とみぐすく)村(現・市)生まれ。54年に沖縄人民党弾圧事件で懲役2年。出獄後の56年那覇市長選で当選するが、翌年に米軍布令により失職した。70年に戦後初の国政参加の衆院選で初当選し、7期連続当選。沖縄人民党委員長、共産党副委員長を歴任した。2013年に瀬長と民衆の戦いを伝える「不屈館」が那覇市内に開館した。
1954年9月、アメリカ軍の沖縄人民党弾圧で逮捕された瀬長亀次郎は、1年8ヶ月の獄中闘争のすえ出獄を勝ち取った。
↧
不埒(ふらち)な悪に「不屈」で応える!( *`ω´)
↧