日本国憲法第66条
第六十六条
内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
自民・高村氏 武器使用緩和、新基準を
(東京新聞)2015年2月22日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015022202000133.html
安全保障法制整備に関する与党協議の座長を務める自民党の高村正彦副総裁は二十一日、北九州市で講演し、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法の制定をめぐり、自衛隊員の武器使用権限を拡大するため、新たな基準を設ける考えを明らかにした。
「文官統制」廃止へ法案 制服組、立場対等に
(東京新聞)2015年2月22日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015022202000139.html
防衛省が、内部部局(内局)の背広組(文官)が制服組自衛官より優位を保つと解釈される同省設置法一二条を改正する方針を固めたことが分かった。自衛隊の部隊運用(作戦)を制服組主体に改める「運用一体化」も改正法案に盛り込む。背広組優位からの転換となり、背広組が制服組をコントロールする「文官統制」の規定が全廃される。制服組や制服OBの国会議員からの強い要求を受け入れた形。
三月に設置法改正案を通常国会に提出するが、万が一、制服組が暴走しようとした際に、阻止する機能が低下するとの懸念もある。
設置法一二条は、大臣が制服組トップの統合幕僚長や陸海空の幕僚長に指示を出したり、幕僚長の方針を承認したり、一般的な監督をする際に、背広組の官房長や局長が「大臣を補佐する」と規定。これにより「文官統制」ができる仕組みになっていた。改正案では、官房長、局長らは各幕僚長と対等な立場で大臣を補佐すると改める。
一九五四年の防衛庁、自衛隊発足時、旧軍が暴走した反省から設けられたのが文官統制だ。制服組の政治への介入を阻むため、文民統制(シビリアンコントロール)が日常的に行われるよう文官が関わる制度で、その要は、内局の局長らが所掌を超えて大臣を直接補佐する参事官を兼ねる「参事官制度」だった。
しかし、自衛隊の地位向上や国民からの支持増大などを背景に制服組が反発を強め、二〇〇四年に参事官制度撤廃を要求し、〇九年に廃止。制服組は、設置法一二条を「背広組が制服組より上位と解釈される」として強く削除を求めていた。
改正後は、運用面でも「自衛隊の行動の基本」を所掌してきた内局の運用企画局を廃止し、統合幕僚監部(統幕)に一元化。内局が持っていた運用計画を作成して大臣決裁を求める権限が統幕に移行する。作戦計画を文官がチェックする機能が弱体化することに、背広組幹部は反発を強めている。
防衛省設置法関連条文
12条 官房長および局長は、その所掌事務に関し、次の事項について防衛大臣を補佐するものとする。
1 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊または統合幕僚監部に関する各般の方針および基本的な実施計画の作成について防衛大臣の行う統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長または航空幕僚長に対する指示
2 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊または統合幕僚監部に関する事項に関して幕僚長の作成した方針および基本的な実施計画について防衛大臣の行う承認
3 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊または統合幕僚監部に関し防衛大臣の行う一般的監督
歴史の教訓全否定
纐纈(こうけつ)厚・山口大教授(政治学)の話
政府の十分な説明もなく、国民的議論もないままに文官統制を実質無にする案にぼうぜんとする。大胆な恐るべき改悪だ。このまま法律が変われば、文官は軍事的分野に立ち入れなくなり、制服組優位が実質化してしまう。防衛強化の流れの中で非常に不安が大きい。戦前、軍事専門家である軍人に全てを委ね、国民が知らないうちに決定がなされ、戦争に突入してしまった。その反省からつくられた文官統制をほごにするのは、歴史の教訓の全否定につながると考える。
暴走を止める手立てはあるのか
それみろ、ついに文民統制もなし崩し
(日刊ゲンダイ)2015年2月24日
あらゆる条件、制限を取っ払い、とにかく、自衛隊を世界のどこにでも派遣したい安倍政権の本性がいよいよ剥き出しだが、これはとっくの昔から見えていた
ネトウヨ同レベル首相の狂乱政治を許した大メディアの大罪は戦前と同じじゃないか
安倍政権の暴走はついに行き着くところまで行ってしまった。日本を世界中で戦争できる国に作り替えていく中で、「文民統制(シビリアンコントロール)」まで反故にしようというのである。
防衛省は3月に国会へ提出する「防衛省設置法改正案」で、「文官統制」。を規定した12条を改正する方針を固めたという。設置法12条は、大臣が制服組トップの統合幕僚長や陸海空の幕僚長に指示する際、背広組である内局の官房長や局長が大臣を補佐するとした規定。背広組の文官が制服組の自衛隊をコントロールすることで「文官統制」する仕組みなのだが、この規定を撤廃し、背広組と制服組を対等な立場にするのだという。
だが、おかしな話だ。だいたい、なぜ「文官統制」の規定が設けられているかというと、旧軍が暴走した結果、太平洋戦争の惨事を招いたという反省からだ。それで1954年の防衛庁と自衛隊の発足時に新たに規定されたのに、規定を撤廃すれば制服組の万が一の暴走を制御できなくなってしまう恐れが出てくる。戦後70年の節目に、この国は、またあの軍事国家に逆戻りするのか。ありえない話である。
軍事ジャーナリストの神浦元彰氏はこう言う。「自衛隊の1佐以上の人事や陸海空の予算権は背広組の内局が握っています。しかし内局による自衛隊のコントロールを弱めるということは、そうした権限も弱まるわけで、制服組による『クーデター』ですよ。
ただし、今回は制服組が勝手に暴走しているのではなく、内局を抑え込んで、自衛隊の力を強めたい安倍政権の意向。クーデターというより『宮廷革命』です。世界中にいつでも自衛隊を派遣できるよう、自衛隊の指揮権を官邸の下のNSC(国家安全保障局)が奪おうということでしょう」
軍事国家に向けイケイケドンドン
具体的な職務でも、内局にある、「運用企画局」を廃止し一統合幕僚監部に一元化する。運用とは「作戦」のことで、これまでは自衛隊の作戦計画を文官がチェックしてきたが、その権限が統幕に移される。さらに、今回の法改正では「防衛施設庁」も新設される。陸海空でバラバラに開発・購入してきた装備品を一括で管理するのだという。昨年4月に「武器輸出三原則」を見直したことで、今後、外国への武器輸出をしやすくする狙いだ。いやはや、もう、何でもアリではないか。
今やっている安保法制の与党協議でも、あれよあれよで、政府がこれまで積み上げてきた憲法との整合性や平和国家としての理念を一気に吹っ飛ばそうとしている。
自衛隊の海外活動については、「周辺事態法」「特別措置法」「国連平和維持活動(PKO)協力法」でやってきたが、政府案ではこれらを根本から改正する。周辺事態の概念をなくし、地理的制限を破棄。対象や期限を設けない「恒久法」にして、国連安保理の決議も必要とせず、さらに米軍以外への協力を可能にするという。PKO協力法は、武器使用基準を緩
和し、活動自体も拡大させようとしている。
そうなれば、国連決議がないイスラム国への空爆にも後方支援できるようになるし、朝鮮半島有事などの具体的な危機じゃなくても、世界のどこにでも自衛隊を出動させられる。要するに歯止めがなくなるのである。
「ひと昔前なら大騒ぎになるような法改正を、政府で決めて、次々に進める。とんでもない話ですよ。特措法という形で、その都度、特別立法を制定してきたのは、国会の承認を必要とすることで厳しく制約を設けるためでした。そうやって憲法9条違反ギリギリのところでやってきたのです。文民統制をなくそうというのもそうですが、安倍政権は軍事国家に向けイケイケドンドン。恐ろしいことです」(政治評論家・森田実氏)
かつて特揩法1本通すのだって、国会で大論争になったものだ。1強多弱のいま、安倍官邸は国会なんてないも同然でやりたい放題である。
翼賛体制で倒閣のチャンスを潰したメディア
こうした安倍政権のムチャクチヤには、さすかに与党協議の公明党もあっけにとられ、「日米同盟とは関係ない他国軍を支援対象にするのはおかしい」などと反発している。大マスコミも〈閣議決定逸脱の恐れ〉〈根底覆す乱暴な提案〉などと、今になっていろいろ書き立てている。
だが、こうなることはとっくの昔から分かっていた。安倍首相は、06年の第1次政権はおろか、国会議員になった頃から「戦後レジームからの脱却」を叫び、「軍事同盟は血の同盟だ」と言い放ち、「普通の国=戦争のできる国」という思考の持ち主だ。その本性が、ついに剥き出しになったのである。
だからこそ、昨年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定で強行した時に、安倍政権をブッ潰さなければならなかった。それなのに公明党は、「明白な危険がある場合」など表面上の文言調整で協力し、閣議決定直前こそ危機感を露わにしたメディアも、決定後は批判を封印、安倍政権に取り込まれた。
唐突な昨年来の総選挙も、安倍首相は本来争点にするべき”軍事国家化”の野望を「アベノミクスの是非」で隠し、勝利した。メディアはその策略に乗っかり、安倍を引きずり降ろす格好のチャンスを潰したのである。
何のことはない、満州事変を機に翼賛体制化し、軍部の暴走を許した戦前と同じ展開ではないか。メディアの罪は極めて重い。
「安倍首相の驕り高ぶりは目に余りますが、昨年末の総選挙で3分の2の勢力を取らせてしまっだのですから、どうしようもありません。そのうえ、主要メディアを懐柔しているのですから、もう怖いものなしの気分でしょう」(元法大教授・五十嵐仁氏=政治学)
来年中の国民投票が視野に入った
かくなるうえはどうするのか、なにか暴走を止める手立てはあるのか。
最近の安倍は以前にも増して、国会軽視が甚だしい。野党の質問にマトモに答えず、持論を主張してはぐらかす。それどころかネトウヨまがいのヤジまで飛ばす。19日の衆院予算委。西川公也農相が黒い献金を巡って追及されると、安倍は「日教組はどうするんだよ」とまったく脈絡のないヤジを飛ばし、身内の大島理森委員長から注意を受ける始末だった。
何かあれば「日教組」「左翼」などとレッテルを貼るのは、ネトウヨの常套(じょうとう)手段。この国のトップはネトウヨと同レベルということだ。
要するに正面から議論してもどうにもならない。憲法も歯止めにならない。マトモな国民は見
ちゃいられないのである。こうなったら、閣僚のスキャンダルでも何でもいいから、えぐり出し
て安倍政権を止めるしかない。
狂乱首相の悪乗りはとどまるところを知らない。21日、磯崎陽輔首相補佐官が講演で改憲のス
ケジュールに言及。「できれば来年中に、改憲の賛否を問う国民投票を実施したい」とまで言い切った。来夏の参院選勝利を見越したような傲慢な発言である。そのために全都道府県で世論誘導の隻覃開催するプランも進行中だ。
こんな政権を放置したら、あっという間に、国がガラリと変わってしまう。法治国家ではなくなってしまう。いよいよ、後戻りができなくなる。何か何でも潰すしかない。
大政翼賛会 - Wikipedia
2月27日(金)
相次ぐ自民党元重鎮の安倍首相に対する懸念と批判 [自民党]
(五十嵐仁の転成仁語)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2015-02-27-1
毎日新聞2月24日付夕刊に、福田康夫元首相のインタビュー記事が大きく出ていました。2月23日に豊島区民センターで行われた9条の会東京連絡会での講演で、自民党幹事長のOBなどによる安倍首相に対する批判について紹介し、「次に登場する可能性があるのは福田元首相でしょう。どこかで突撃取材でもしたらどうでしょうか」と発言しました。
実際にはこのころ、すでに毎日新聞の記者によって福田元首相に対する取材がなされていたということになります。「過去の反省なければ、未来展望も重み失う」と題されたこの記事で、福田さんは次のように述べています。
--しかし最近の日本、その「和の心」を忘れているように見える。ずばりうかがいますが、集団的自衛権行使容認などの安保政策の変更は、アジアの安定に影響を与えませんか。
福田氏 和を乱すようなことをすれば当然、問題視されるでしょうが、今まで議論してきたような内容の安保政策なら問題ないでしょう。ただ、今年から法制を含めて具体的議論をするようですから、あまりにも変わったことをやり始めたら、周辺国は疑念を抱きます。ここはよく考えて、70年かけて積み上げてきたアジア諸国との信頼関係を壊さないようにしないと。
--その戦後70年の節目にあたり、安倍首相は新たな談話を出します。過去の「村山談話」「小泉談話」で述べられた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」といった文言を生かすべきかどうかが焦点になっています。
福田氏 今の段階でとやかく言う必要はないと思いますが、「3点セット」は欠かすことができない。すなわち「過去の反省」「戦後70年の評価」「未来への展望」です。過去の反省なくして戦後の歩みの評価もできないし、未来への展望も、重みを失う。この三つがなければ談話の意味がありません。だからこれまでの談話と、そうそう変わったものにはならないでしょう。過去の談話は「閣議決定したものではない」という指摘もあるが、その時々の首相が言ったということは、国家としての意思、見解の表明です。それをころころ変えるようでは信頼されません。繰り返しになりますが、日本は70年も努力を重ね、アジア諸国の信頼を取り戻してきた。それを一気に失うかもしれない。国内だけでなく、国際社会をも納得させるものでないといけないんです。ならば、これも答えはおのずから出てくるでしょう。
--同感です。安倍談話とともに靖国神社参拝問題も焦点になりそうです。
福田氏 靖国の存在自体を否定することはない。ただ先ほど言った過去の反省とアジアとの信頼関係で考えなければ。靖国神社は追悼が中心の施設です。安倍首相は「追悼と平和祈念」と言って参拝されたが、平和を祈るのは、別の場所のほうがいいのではないか。小泉内閣で僕が官房長官だった2002年、有識者懇談会から「別の追悼祈念施設をつくるべきだ」との答申を頂いたが、この考えは、今も生きていると思います。
--アジアの多様性に触れられましたが、今の自民党内、安倍さんとその周辺に物を申しにくい、党内から多様性が失われた、と言われています。
福田氏 いや、いざという時が来れば、議員の皆さんはきちんと言いますよ。それに決して安倍さんは力任せに突っ走ろうなんて思っていない。ただメディアが黙っていれば、国民も皆「これでいいんだ」と思う。最近そういうの多いよね。
また、河野洋平元自民党総裁も、2月24日に名古屋市で講演し、自民党は右翼政治だと強い懸念を示しました。これについて、東京新聞2月25日付は次のように報じています。
河野洋平元衆院議長は24日、名古屋市で開かれた共同通信きさらぎ会で講演し、安倍晋三首相が今夏発表する戦後70年談話に関し、過去の「植民地支配と侵略」への反省を明記した戦後50年の村山富市首相談話の表現を踏襲するよう求めた。安倍首相の政権運営をめぐっては「自民党がこれ以上『右』に行かないようにしてほしい。今は保守政治と言うより右翼政治のような気がする」と強い懸念を表明した。
河野氏は、戦後60年の小泉純一郎首相談話も「植民地支配と侵略」に言及していることを踏まえ「日本の歴史認識が十年刻みで変わることはありえない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」と述べた。旧日本軍による従軍慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話について「はっきりとした裏付けのないものは書かなかった」と述べ、「強制性」を認める文言は盛り込まなかったと強調。「強制性についての(当時の)文書は見つからなかった。しかし、強制性が全くなかったかと言えば、いくつか具体的なものはある」とした。
日米関係に関しては「(オバマ政権に対し)歴史修正主義者ではないと明確に伝え、懸念を払拭(ふっしょく)するのは非常に重要だ」とした。靖国神社参拝問題に関し、国立の戦没者追悼施設の新設を検討すべきだとの考えも示した。
さらに、山崎拓元自民党副総裁も、集団的自衛権行使容認の法制化を目指す与党協議など、一連の動きに対して、次のように警鐘を鳴らしています。ウェッブに公開されている『週刊朝日』2015年3月6日号からの抜粋を紹介しておきましょう。
――安倍首相は国会で、集団的自衛権行使の具体例として、ホルムズ海峡の機雷除去を挙げ、「わが国が武力攻撃を受けた場合と同様に深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況にあたりうる」と語った。
集団的自衛権行使の要件には、日本と「密接な関係にある他国」が武力攻撃され、国の存立が脅かされることが挙げられています。
石油の輸送ルートであるホルムズ海峡に機雷がまかれれば、日本の存立が脅かされる「存立事態」だといいますが、その場合、どこが「密接な関係にある他国」に当たるのか。ホルムズ海峡を通る国は全部になってしまう。これまでの政権の常識からしたら、「密接な関係にある他国」とは安保条約を結んでいるアメリカのことを指していたのに、それが安倍政権では世界中どこでもということになってきている。「グレーゾーン事態」の議論では、政府はオーストラリアも防護対象と言いだしています。その理屈だと、今ならヨルダンも入ってしまうかもしれない。際限がなくなってしまう。
そもそも9条のある今の憲法では集団的自衛権の行使はできません。やりたいなら、憲法改正するしかない。民主主義の国なのだから是非を国民投票で問えばいい。戦後70年の外交安保政策の大転換を、閣議決定でなし崩しにやるべきではない。去年の閣議決定は間違いでした。
安倍首相は今、戦闘地域へも自衛隊を派遣しようとしている。つまり武力行使をするということ。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という9条1項の内容に踏み込んできている。
安倍首相は、自分がしていることの恐ろしさをわかっていない。「戦後以来の大改革」などと言って、タブーを破った快感に酔いしれて、個人の名誉心でやっているのです。
山崎さんは、昨年1月6日付のインタビューでも、集団的自衛権について、次のように語っていました。
―― 安倍首相は、集団的自衛権の行使容認に向け前のめりになっています。どう見ていますか?
まったく説明不足。私は「解釈改憲」については反対です。日本は世界に冠たる法治国家。その法治の根幹は、最高法規たる憲法にこそある。憲法の地位が揺らぐということは、法治ということを考えた場合、大問題だと考えています。
もうひとつ。この解釈改憲というものは、とりわけ集団的自衛権についての解釈というものは、国際法上認められている権利ではあるものの、日本の場合は憲法9条に照らして、その行使ができないということになっている。これは歴代政権において解釈が確立されているんです。
誤解のないように言っておくと、内閣法制局が確立したのではなく、その都度、内閣が閣議決定しているのです。つまり、従来の解釈に基く法律を出す場合は、内閣法制局が審査し、それを閣議にかけて国会に提出する。歴代内閣はこれを繰り返してきた。
なおかつ、この解釈に関する国会質疑が、政権が替わる度ごとに行われており、時の内閣総理大臣が答えています。内閣法制局長官が答えることがしばしばあったのは事実だが、しかし、その時には『ただ今、内閣法制局長官が答弁したとおり、我が内閣におきましては、集団的自衛権の行使はいたしません』として、歴代総理が明言している。つまり、総理が決めること。法制局長官が決めることではない。
歴代政権の中で、もっとも理念右翼と目されている安倍政権がこの解釈を変える。するとその次にはもっとも左翼と目される総理が誕生するかもしれない。そうなると、また変える。つまり、憲法が、時の政権の解釈によって、その都度変わってくる。もちろん、その部分だけではないでしょう。例えば、基本的人権の一部に関しても、あるいは認めないという解釈をする政権ができるかもしれない。≪そんなバカな解釈改憲はできない≫とその時の法制局長官が抵抗すると、安倍総理がやったのと同じように更迭して、『俺の言った通りに見解を出す奴を起用する』ということになりかねない。“悪しき前例”を作ろうとしているんです。これを認めるべきではない。
これまでも、古賀誠、野中広務、加藤紘一などの自民党元幹事長が安倍首相に対して批判を繰り返してきました。これに、福田康夫元首相、河野洋平元自民党総裁、山崎拓元自民党副総裁が加わったということになります。
自民党の現役議員たちは、これら先輩の懸念や批判をどう受け止めているのでしょうか。「いざという時が来れば、議員の皆さんはきちんと言いますよ。それに決して安倍さんは力任せに突っ走ろうなんて思っていない」という福田さんの発言が、単なる希望的観測にすぎないということでなければ良いのですが……。
拙著『対決 安倍政権―暴走阻止のために』(学習の友社、定価1300円+税)、3月1日刊行。
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首相はネトウヨと同じ?
予算委で「日教組」やじ
(東京新聞【こちら特報部】ニュースの追跡)2015年2月21日
「日教組、日教組」―。安倍晋三首相が十九日の衆院予算委員会で、民主党議員に「労働組合とカネ」の問題が存在するかのようなやじを飛ばした。西川公也農相の「環太平洋連携協定(TPP)とカネ」を追及されたことへの意趣返しだが、何かと言えば「日教組」「左翼」などと誹謗(ひぼう)中傷するのはネット右翼(ネトウヨ)の常套(じょうとう)手段。一国の首相たる者の振る舞いか。
(林啓太)
「ヘイト浸透 民主主義の危機」
首相のやじは、民主党の玉木雄一郎衆院議員の質問中に飛び出した。西川農相が代表を務める自民党栃木県第二選挙区支部がTPPの交渉前に、精糖団体の関連会社から百万円の献金を受けた問題が取り上げられていた。玉木氏が、政治資金規正法改正の必要性を説くと、首相席か「日教組はやっているよ」と食ってかかった。
教職員でつくる日教組は民主党の強力な支持母体ではあるが、西川農相の問題とは関係ない。玉木氏は「政治に対する信頼をどう確保するかの話をしている。やじを飛ばさないでください」と懇願したが、首相は薄ら笑いを浮かべながら「日教組はどうするんだよ」と畳み掛けた。一時紛糾したものの、大島理森委員長が「総理もちょっと静かに」とその場を収めた。
しかし、首相は悪びれない。民主党の前原誠司元外相が二十日の衆院予算委で「(玉木氏へのやじは)極めて品位に欠ける」と迫ったが、答弁で「日教組は補助金をもらっている。教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいる。それをどう考えるかの指摘をした」と開き直った。
首相は、なぜ日教組を持ち出したのか。その言い分に根拠はあるのか。
日教組の担当者は「東京都千代田区に日教組が入居する日本教育会館がある。民主党と日教組、会館を運営する一般財団法人の関係にも、西川農相の問題と似た政治とカネの問題があると言いたいのだろう」と推測する。
西川農相の問題では、精糖工業会への国の補助金の一部が、同会運営の精糖工業会館の管理会社を媒介に、第二選挙区支部へと流れていたかに見える構図が問題視されている。首相は、日教組を精糖工業会、日本教育会館を精糖工業会館になぞらえているようだ。
日教組の担当者は「日教組は国から補助金をもらっていない。日本教育会館は日教組とは人的な交流はあるが、国会議員に献金はしていない。首相の発言は全くの事実無根だ」と憤る。
もし首相の言い分が正しかったとしても、まずは西川農相の問題に正面から向き合うのが本来である。ましてや、日教組側の説明に従えば、誹謗中傷以外の何物でもない。
政治アナリストの伊藤惇夫氏は「内閣支持率が高ければ、軽率な言動も許容してしまうマスコミの甘さが、今回のやじにつなかっているのではないか。一国の首相が安易にケンカ腰になってはいけない。首相の態度は軽い」と指弾する。
『ネットと愛国』などの著書があるジャーナリストの安田浩一氏は「議論の文脈を無視して『日教組』『左翼』『売国奴』となじって反論を封殺するのは、ネトウヨの常套手段。首相のやじは、ネトウヨにこびているのではなく、本人がネトウヨ的な感性の持ち主であることを示している」とみる。
首相とネトウヨと言えば、昨年の衆院選の最中、ヘイトスピーチ(差別扇動表現)を集めたネット掲示板の記事が、首相のフェイスブックにシェア(共有)され、ネット上で「(首相は)正真正銘のネトウヨだった」などと物議を醸した。ヘイト団体と一部政党との親密な関係もたびたび取り沙汰されている。
安田氏は「ネトウヨのような罵詈雑言が、ネット上や一部の右翼の街頭行動にとどまらず、国会の議論にも浸透してきている。首相までネトウヨ化する状況は民主主義の危機だ」と警鐘を鳴らした。
「修身」の愛国心教育
反省なき復活?
道徳教科化へのぱぶこめ 識者が参考資料
(東京新聞【こちら特報部】ニュースの追跡)2015年2月22日
文部科学省は、教科に格上げする小中学校の道徳の学習指導要領改定案を公表し、パブリックコメント(意見公募)を実施中だ。教科化で、子どもたちが本音を語れなくならないか。戦前と似てくるのでは。そう危機感を持った研究者が「意見を寄せる際の参考に」と、日本の道徳教
育の流れを解説する資料を作成した。
(篠ケ瀬祐司)
歴史振り返り危機感/推進派「押し付けでない」
資料は「道徳の内容の歴史」。教育学専門の大森直樹・東京学芸大准教授と池田賢市・中央大教授が、戦前の教科「修身」から今回の改定案までの流れを解説している。昨年十月、中央教育審議会が道徳教科化を答申した際に作った資料の続
編で、近く大森氏の研究室ホームページで公開する。
資料作りのきっかけとなったのは、大森氏と家族との最近の会話だった。「小学五年の息子が『道徳は心を育てるものでしよ。それを評価されるのは絶対嫌だ』と話していた。子どもが感じていることを、文科省や大人が分かっていない」
道徳は、小学校で二〇一八年度、中学校で一九年度に教科になる見通しだ。大森氏は教科化の弊害を指摘する。「道徳を養うことは必要だが、生活の中で反復しながら身に付けるものだ。意図的、計画的にすれば建前になる。建前が大きくなれば、子どもたちが教師の望むものは何かと考え、本当の表現をできなくなる恐れがある」
点数ではなく、文章で評価する「特別の教科」という位置づけだが、授業ではもちろん検定教科書が使われる。「民間会社が教科書を作るとはいえ、根本は国が決める。国が決めた方法に沿って教育が行われる。子どもにとって何が必要かを、先生と子どもたちが考える仕組みは圧迫されるだろう」(大森氏)
歴史を振り返ったのは「戦前と戦後の道徳教育の共通性を明らかにしたかったからだ」という。戦前は一八九〇年の「教育に関する勅語」に基づき、「修身」で行われた。徳目の中心は愛国心で「徴兵の発令を受けたときは喜んで応じるべきだ」と解釈されていた。
戦後、「修身」は姿を消したものの、一九五八年の学校教育法施行規則改正で「道徳の時間」が特設された。第一次安倍政権の二〇〇六年の教育基本法改正で、教育目標に「国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が盛り込まれ、愛国心教育の根拠が積み上がった。
危機感を覚えるのは研究者だけではない。教育現場で道徳復活に反対してきた元教員の北村小夜氏(八九)も「戦前教育の反省がなされないまま、子どもに教える徳目を引き継ごうとしている。教科化後は子どもを厳しく評価するだろうし、評価する先生の負担も重くなる」と警鐘を鳴らす。
パブコメ期間は三月五日まで。大森氏は「保護者や市民が意見表明できる限られた機会だ。意見を寄せる際、資料を参考にしていただければ」と語る。
一方、道徳教育を進めようとする側にも、パプコメに向けた動きがある。
財団法人「日本教育再生機構」はホームページで、「価値観の押し付けだという根拠のない批判に屈しないようにしてください」などの、意見の「参考例」を示している。日本最大の右派組織といわれる「日本会議」の会員向け「メール情報」も、道徳の教科化を後押しする意見を寄せるよう呼び掛けている。
道徳の評価の歴史(第2版)
http://www.u-gakugei.ac.jp/~omori/dotoku_hyouka_rekishi_02.pdf
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それみろ!大胆な恐るべき復活!(`・ω・´)
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