沖縄の民意、地元メディアはどう伝えてきたか
(ラジオフォーラム#108)
http://youtu.be/wHIBwE_0stg?t=15m50s
15分50秒~第108回小出裕章ジャーナル
放射能は消せないのか「放射能のことを口に出すことが段々難しくなってきているというそういう状況だと思います」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no108/
谷岡理香:
1月の小出裕章ジャーナルは、特集シリーズ「原発はなぜいけない?」でお送りしています。今日はシリーズ5回目で、最終回となりました。今日のテーマは「放射能は無くならない」。放射能の寿命は永遠ということなのでしょうか? 本当に放射能を消すことはできないのでしょうか? 小出さんにお尋ねしてまいります。小出さん、今日もよろしくお願いいたします。
小出さん:
こちらこそよろしくお願いします。
谷岡:
今年は、1月の初めからずっと核分裂エネルギーの物凄さとか、安全神話はもう通用しないっていうことも伺いました。決して長くエネルギーとして使えるものではない、それに反して毒物をどんだけ長いこと子孫に残すのかっていうお話も伺いました。でも、敢えて伺います。放射能は無くせないものですか?
小出さん:
はい。科学的に厳密な議論をするととても難しいのですが、今現在、現実的には無くすことができません。例えば今、福島第一原子力発電所の周辺で、除染という作業を皆さん苦労してやっているのです。その除染というのは汚れを除くと書くわけですが、残念ながら汚れの正体は放射能ですし、その放射能を消せているわけではないのです。必死に除染作業というのをやっていますが、それは単にある場所にある汚染を別の場所に移しているということであって、放射能自体を消しているわけではありません。
谷岡:
小出さん、移染というふうにね、よくそういう言葉を「移しているだけです」っていう話も、これまで何度も伺いました。
小出さん:
残念なのですが、それしかできないのです。
谷岡:
そうすると現在、私達はその臭いもないし目に見えないので、何となくもうそろそろ4年近く経ったら薄まっているんじゃないかっていうのは、幻想にすぎない?
小出さん:
残念ながら事故は起きてしまったわけで、核分裂生成物という放射性物質で東北地方と関東地方の広大な地域がすでに汚染されてしまいました。その汚染の面積を例えばひとつの比較で言いますと、約1万4千平方キロメートルという地域が日本の法令に従えば、放射線管理区域という区域に指定しなければいけません。
その区域では、普通の人は立ち入ることすら許されないという場所ですし、私のようなごく特殊な人間が仕事のために入ったとしても、水すら飲めない、食べ物も食べられない、排泄すらできないというそういう場所なのですが、それが1万4千平方キロメートルも広がっているのです。
特に重要な放射性物質はセシウム137という名前の放射能なのですが、では1万4千平方キロメートルもの広大な土地を汚したセシウム137は重さにすればどれだけかと言うと、わずか750グラムにしかならないのです。それが広大な所、もちろん人々の家も汚しているし、仕事場もスーパーマーケットも市役所もみんな汚してるわけですし、道路も田畑も林も山も全て汚しているわけです。
そんな中で、人々が今も生活しているわけで、人々の側からすれば、何とか少しでも被ばく減らしたいと思うのは当たり前なことであって、何とか自分の生活している家、家の周り、学校の校庭とかいう所はとにかく放射能を除きたいということで、いわゆる除染作業、私の言う移染というものが行われているのです。
でも、それはほんのわずかな場所でしかできないわけで、もちろん山の除染なんていうことは到底できませんし、田畑の除染もまずはできないのです。ほんのわずかな所の放射能の汚染だけを今、必死で移そうとしているわけですが、全部の量を合わせても750グラムしかないという、そういう目にも見えない、臭いも感じることができないというものを相手にして、私達は今、戦っているわけです。
大変苦しい戦いを今、戦っていますし、これからも長い間戦わなければいけません。そして、一番私としては問題だと思うことは、要するに目に見えない、感じることもできないということになると、人々がだんだんだんだんそれに慣れていってしまって、汚染があることを忘れてしまうということが一番怖いことだと思います。
谷岡:
特にお母様方は、「ずっと不安に思うことに疲れる」っていう声がやっぱり聞こえてきます。
小出さん:
そうなんです。福島を中心として、ほんとであれば放射線管理区域ですから、人々が住んではいけないわけですけれども、この日本という国では、もうそこに人々を住みなさいと言ってしまっているわけです。そうなると、人々が独力で逃げるということはもうできないわけですから、そこで住むしかない。そうなれば、復興ということをするしかないと、ほとんどの方は思っているわけです。
そうなってしまうと、「今、現在も放射能の汚染があるんだ」というような発言をすると、むしろ復興の邪魔だと周りの人から怒られてしまう。放射能のことを口に出すことがだんだんだんだん難しくなってきているという、そういう状況だと思います。
残念ながら、福島の方々はこの事故を引き起こした責任のある方々ではない。言ってみれば被害者なのですが、その被害者の間で苦しい状況の中で分断が生じてしまって、お互いを傷付け合うというようなことが起きてしまっているわけです。
谷岡:
はい。小出さん、今日は沖縄をテーマに番組を進めているのですが。
小出さん:
ありがとうございます。
谷岡:
沖縄の辺野古の、私も1日だけですが座り込みをして、皆さんの非暴力の平和運動を見た時にですね、大きな国家権力というものに対して、ものすごい少ない人数で民意を示しながら、非暴力で戦ってらっしゃる沖縄の姿と、小出さんがひとりではいらっしゃらないけれども、ものすごく大きな権力と戦ってらっしゃる。そして、その福島の方々、私の中ではすごく重なってきました。沖縄の方、それから京都にも新しく米軍基地が辺野古のように造られようとしています。そうした一生懸命戦ってらっしゃる方々へのメッセージと言いますか、頂けませんか?
小出さん:
はい。私自身は原子力の場で生きてきましたので、とにかく原子力を止めたいと思って、今日まで生きてきました。でも、原子力の問題と沖縄の問題、基地の問題、あるいはもっと広く言うと、差別の問題というのは全て同じ問題だと私は思います。これからも私は原子力を止めさせるために、自分の力を使おうと思いますが、沖縄の方達がずっと苦闘を続けてきて下さってるということが私を支えてくれているということになっています。
谷岡:
はい。小出さん、どうもありがとうございました。
小出さん:
いいえ、ありがとうございました。
解説 チェルノブイリの汚染と福島の現在の汚染
小出裕章(京都大学原子炉実験)
広河さんが視た
チェルノブイリの現在
DAΥSJAPAN編集長の広河さんは、2014年3月から4月初めにかけて、チェルノブイリに行った。その際、広河さんは、福島でも使用している放射線測定器(ホットスポットファインダー)を持参し、チェルノブイリ原発周辺や10キロ圏の廃墟になった町、30キロ圏の村々の空間線量を測定した。その結果が、本号で詳しく報告されている。
そこに広河さんが書いているように、福鳥県が、今、学校の施設利用の基準にしている空間カンマ線低率に比べ、チェルノブイリ原発の4号炉そばの線量はずっと低い。また、ウクライナで事故後人が避難し、廃墟となっている村々と同じぐらいの線量のところに、福島では人が住んでいる。
チェルノブイリ原子力発電所事故では、1平方キロメートル当たり15キュリー(55万ベクレル/m^2)以上のセシウム137で汚染された村々から約40万人の人々が強制避難させられた。そして約14万5000平方キロメートルが1平方キロメートル当たり1キュリー(3万7000ベクレルm^2)を超える汚染を受けた。そうした汚染地は、法令に従えば、放射線管理区域にしなければいけない。しかしそこに500万人を超える人々が棄てられた。
環境中での放射性物質の動き
物理的な減衰と環境中での移動
放射性物質を人間の手で消すことはできない。しかし、それぞれの放射性物質には寿命がある。たとえば、セシウム137は30年経てば、半分に減ってくれる。同じセシウムの同位体であるセシウム134の場合には2・06年経てば半分に減ってくれる。そしてまた環境中では物質は移動しており、基本的には濃密な汚染地から周辺へと汚染は拡散していく。1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故からすでに28年以上の歳月が流れた。そして当初の汚染は、その歳月の流れによってかなり減ってきてくれた。
セシウム134はセシウム137に比べて約3倍強い放射線を出すが、チェルノブイリ原子力発電所で放出されたセシウム134の量はセシウム137に比べて、約半分だった。それを考慮し、事故直後に1平方キロメートル当たり15キュリー(55万ベクレルm^2)のセシウム137汚染を受けた上地での空間ガンマ線値がどのように推移してきたかの計算値を図1に示す。この図にはセシウムの寿命による減衰のみを考慮した場合と、環境での移動(注1)を併せて考慮に入れた計算価を示した。
毎時O・6マイクロシーベルトを超える場所は放射線管理区域にしなければならないが、事故直後にはセシウムからだけで毎時3・Oマイクロシーベルトの空間カンマ線量があったはずだし、直後には、寿命が比較的短いその他の放射性核種もたくさんあったためずっと高い放射線量であったはずだ。しかし、10年もたてば、セシウム134も含め寿命の短い放射性核種は次々となくなってきたし、28年たった今では。環境での移動を考慮しなくても毎時0・66マイクロシーベルト、環境での移動を併せて考えれば、毎時O・20マイクロシーベルトまで減っている。
また、セシウム137について、ある塲所での空間ガンマ線最にどれだけの距離からの汚染が寄与しているかを表1に示す。この表によれば、全体の3分の1の被曝は、測定点から5メートル離れた場所までの汚染から与えられる。また、全体の3分の2の被曝は、30メートル離れた場所までの汚染から来る。逆に言うと半径5メートルまでの汚染をはぎ取って移動させれば、被曝の3分の1を減らすことができるし、30メートルまでの汚染を移動できれば、3分の2の被曝は避けることができる。チェルノブイリの周辺でも、人々が頻繁に立ち入る場所はそれなりに汚染対策が取られたであろうから、図1に示した計算値よりもさらに空間ガンマ線量は減っているはずである。広河さんがチェルノブイリ周辺で測ってきた測定値は、ほぼこうした計算と合致している。
被曝と成長盛りの子どもたち
ICRPによれば、1ミリシーベルトの被曝を1億人がすれば、5000人ががんで死ぬ。でも、その危険度の評価は、1977年のICRPの勧告では1250人ががんで死ぬというものだった。発がん死危険度の評価価は、歴史が進み、データが蓄積するにしたがって増加してきたし、私が信頼している米国の医学・物理学者、故ジョン・W・ゴフマンによれば4万人である(注2)。そして、図2に示すように、発育盛りの子どもたちは放射線に対する感受性が高い。30歳を過ぎれば、放射線感受性はどんどん低下していくが、そうした世代にこそ、原子力の暴走を許した責任がある。
放射線に被曝することは、微量であっても被害がある。だからこそ、日本というこの国も被曝について、法令で限度を定めている、一般の人々に対しては、1年間に1ミリシーベルト以上の被曝を加えてはならない。1ミリシーベルトなら安全だからではない。被曝は危険だが、その程度の被曝はその他の危険と比べて我慢できるだろうという社会的な基準である。私のような放射線業務従事者の場合は、1年間に20ミリシーベルト以上の被曝をしてはならないと法令が定めている。それは、他の仕事でも労働災害の危険があるから、放射線を収り扱う労働者もその程度の被曝の危険は我慢すべきだとして定められた。
ところが、福鳥第一原発事故後、日本政府は従来の法令を反故にした。今は、緊急時だから、法令を守る必要がなく、1年間に20ミリシーベルトを超えない場所には、人々に帰還せよと指示を出した。20ミリシーベルトというのは、先に記したように放射線業務従事者に対してのみ許された基準であるが、それを赤ん坊も含め、成長盛りの子どもたちに許容しろというのである。
福島原発事故による汚染
福鳥原発事故の場合、大気中に放出されたセシウム137とセシウム134はほぽ同量であった。そして、1年間に20ミリシーベルトの被曝をする地は、セシウム137とセシウム134がそれぞれ1平方メートル当たり30万ベクレル、合計で60万ベクレルの汚染地に相当する。そうした場所ではセシウムからだけで、事故直後は毎時2・6マイクロシーベルトの被曝をしていたはずだ。もちろん、他の短半減期の放射性核種の汚染もあったから、事故直後の空間ガンマ線量率ははるかに高かった。しかし、事故後3年以上たった今、すでに空間カンマ線量に問題となるのはセシウム137とセシウム134だけである。その地に棄てられた人々が30年後までにどのような被曝をするかを計算したものが図3である。
計算に当っては、セシウムの物理的な減衰とともに環境中での移動も併せて考慮している セシウム134からの被曝は、10年以降はほぽ問題にならない。一方セシウム137からの被曝は、環境中で移動する成分からの寄与が比較的早く減るが、その後は長期間にわたって被曝を増加させていく。仮に30年その地で生活すれば、合計の被曝量は70ミリシーベルトを超えるし、その後も被曝は続く。そして、30年間の合計被曝量の半分は事故後5年で受けてしまう。避難するのであれば、最初の5年問が大切なのである。すでに人々は3年を超えて、彼の地に棄てられ続け、一度避難した人たちも帰還せよと国から指示されている。これが法治国家というものか?
子どもたちには、原子力を暴走させた責任はない。福島原子力発電所の事故に対しても責任がない。そして彼らこそ被曝に敏感で危険を一手に負わされる。子どもたちの被曝を防ぐことは、原子力を暴走させた、あるいはそれを止められなかった大人たちの最低限の責任である。
ネットワークでつくる放射能汚染地図 2011年5月15日(日)
http://v.youku.com/v_show/id_XMjY5NTk3Njcy.html
福島原発事故は、周辺地域に未曾有(みぞう)の放射能災害を引き起こした。時間経過とともに拡大する避難エリア。住民たちが自分たちの村や町に、いつになったら帰れるのか、その展望は全く見えない。いま住民たちが求めているのは、被曝(ひばく)による人体影響と、今後の土壌汚染への対策を、客観的かつ冷静に考えてゆくための基礎となるデータ・放射能汚染地図である。
ETV特集では1954年のビキニ事件以来、放射線観測の第一線に立ち続けてきた元理化学研究所の岡野眞治博士の全面的な協力のもと、元放射線医学研究所の研究官・木村真三博士、京都大学、広島大学、長崎大学の放射線観測、放射線医学を専門とする科学者達のネットワークと連係し、震災の3日後から放射能の測定を始め汚染地図を作成してきた。観測チームは、周辺地域の土壌、植物、空気中の粒子を採取し放射線量を計測する一方、岡野博士が開発した計測機を自動車に搭載して、福島県内の道路2000キロを走破した。この計測器はビデオで撮った現場映像とともにGPS情報、放射線量、放射性核種のスペクトルを、同時記録してゆくことができる世界唯一の機器であり、チェルノブイリ事故での計測により国際的な評価を得ている。
一方、文部科学省や福島県、IAEA、アメリカエネルギー省も、独自に汚染の計測を進めており、その結果が公表され始めている。これらのデータと、独自収集データをつきあわせることで、原発周辺地域のきめ細かい土壌汚染のマッピングが可能になる。
番組は、放射能汚染地図を作成してゆくプロセスを追いながら、原発災害から避難する人々、故郷に残る人々、それぞれの混乱と苦悩をみつめた2か月の記録である。
続報 放射能汚染地図
http://dai.ly/xjl21p
ETV特集 2011年06月05日
ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から3年~
http://dai.ly/x1fmi87
http://dai.ly/x1fmkoc
ETV特集は原発事故直後から科学者とともに被災地に入り、「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~」を放送した。あれから3年、汚染はどう変化し、出会った人々はどんな現実に直面しているのか。放射線測定の第一人者・岡野眞治博士(86歳)ら科学者たちとともに再び現地を調査し、避難生活を送る人々を取材。そこから見えてきたものは何か? 3年間にわたる継続取材の成果を調査報道で再び伝える。
隠蔽か黙殺か ~封印された汚染マップ~
【テレメンタリー(2014年2月16日)】
http://dai.ly/x1co6h6
大熊町で帰還拠点構想 「形だけの復興」の象徴
(東京新聞【こちら特報部】)2015年1月26日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015012602000133.html
東京電力福島第一原発の立地町、福島県大熊町で、ある構想が進んでいる。住民帰還の受け皿になる「復興拠点」の設置だ。全町民が避難する同町は、事故現場や中間貯蔵施設建設問題を抱えるが、新年度に国が設ける交付金を使い、四年後に人が住める環境にするという。除染で、一見空間線量は下がったように思える。しかし、帰還を望む町民はごく一部。「形だけの復興」にならないのか。
(榊原崇仁)
39ヘクタール整地 東電給食センターから建設
福島県いわき市内から常磐自動車道を車で北上すること三十分。常磐富岡インターチェンジ(IC)で降りて五分ほどで、大熊町が復興拠点と位置付ける大川原地区に着く。第一原発から最短約七キロの距離。居住制限区域に指定されているが、通行は自由だ。
復興拠点の予定地は三十九ヘクタールで、大半が平らな農地。除染は二〇一三年度に終わった。雑草が刈り取られたほか、表土もはぎ取られており、きれいに整地された状態になっている。
手持ちの空間線量計を見ると、毎時〇・五マイクロシーベルト前後を推移していた。年間追加
被ぱく線量二ミリシーベルト強に相当する値。これだけ見ると、避難指示解除基準の二〇ミリシーベルトを下回ることになる。
「線量の低さ、アクセスの良さなどから、大川原地区を復興拠点の予定地に選定した」。町の担当者はそう教えてくれた。
大熊町は一二年九月の第一次復興計画で「五年は帰町しない」と決めていた。約一万人の町民の95%が暮らしていた地域が、後に帰還困難区域に指定されるほど、汚染が深刻だった。
しかし、昨年三月の復興まちづくりビジョンでは一転、帰還の受け皿として商業地や住宅地などを集約する復興拠点整備を決めた。町の担当者は「戻りたい住民かおり、戻れる環境も整いだした」と説明する。
中心部には役場や警察、消防の施設を置き、病院、スーパー、飲食店、金融機関、コンベンションホールなどが入る複合施設、シンボルタワーを建てる。周辺には、災害公営住宅や一戸建て住宅のエリアを設け、廃炉や除染、ロボット技術の研究施設も誘致する。
一四年度に地形調査を実施し、一五年度は用地交渉、一六年度は道路や電気、ガス、上下水道などのインフラの整備を始め、一七年度は複合施設や災害公営住宅の建設に着手する。。
一八年度にはインフラ整備が完了し、各種施設の稼働が始まるという。
大熊と同様、原発事故の被災自治体が復興拠点の整備を検討する中、政府は一五年度に「帰還環境整備交付金」を創設する方針を決めた。復興拠点の用地買収やインフラ整備などの費用を国が肩代わりし、帰還を強力に後押しする。
復興庁は「計画の具体性という点では、大熊町が一番」と太鼓判を押す。
復興拠点造りは東京電力も関与する。既に原発作業員向けの給食センターを建設しており、四月には稼働する。これが復興拠点の第一号施設になるという。
現場では、仕上げ作業が急ピッチで進んでいる。道路脇の車をながめると、青森や庄内、水戸、川崎、多摩など県外ナンバーの車が多い。現場の作業員は「全国から建設業者たちが集まっている」と語った。’
町は自治体残したい
町民は生活再建望む
「進む復興」国は印象づけたい
着々と進んでいる復興拠点建設だが、やはり消えないのが放射線の脅威だ。
予定地の空間線量は多くの場所で毎時0・五マイクロシーベルト前後だったものの、数百メートル先が線量の高い帰還困難区域という場所もある。境界のゲート前で線量計を見ると二マイクロシーベルトを示し、その脇の茂みで測ったところ、八マイクロシーベルト近くまで跳ね上がった。年間換算すると三〇ミリシーベルト超。避難解除基準の年間二〇マイクロシーベルトを大きく上回る。
政府は今後、除染の範囲を広げる方針だが、帰還を望む町民がわずかしかいない現実も横たわる。
町などが昨年十月に実施した町民アンケートでは、「大熊に戻りたい」は13・3%にとどまった一方。「戻らないと決めている」が57・9%、「判断がつかない」は25・9%だった。
中間貯蔵施設ができる…帰れぬ
復興拠点にも、辛辣(しんらつ)な声が上がる。
大川原地区から福島県会津若松市内に避難する七十代女性は「中間貯蔵施設ができるようなとこさ、帰れねえ」と話す。第一原発周辺の中間貯蔵施設予定地から復興拠点までは、最短で三・五キロという近さ。別の男性(八一)は「除染土が風で飛んで来(こ)ん、と言えるか」と安全性に懐疑的だ。
環境省がまとめた中間貯蔵施設への搬入基本計画では、高速道路の積極利用がうたわれる。復興拠点は常磐自動車道や常磐富岡ICが至近距離だ。中間貯蔵施設までの通り道になれば、飛散の恐れは一層増す。
大熊町内の帰還困難区域からいわきの仮設住宅に避難する吉田邦夫さん(六六)は「何より心配なのは原発自体。現場が見えないから」と言う。避難中の主婦(五七)も「事故が収束したとは思ってない。第一原発から復興拠点は近すぎる。廃炉作業はいつまで続くのか。何か動かしたはずみで、再び放射性物質が飛散してこないか」と懸念した。
町は三千人が復興拠点で暮らすことを想定しているが、会津若松に避難する長沼安さん(七〇)は「若い町民は住まない。放射能が嫌だから。年寄りも帰るのは一部だけだ。住民の大半は原発作業員になるだろう。でも、作業員は全国を転々とする人が多い。それでまちづくりを託せるのか。わずかな年寄りだけじゃ発展も何もない」と不安げだ。
帰還に力点が置かれる現状にも不満が募る。
母一人、子一人の生活を送る主婦(五四)は「帰町を望むごく一部の町民のため、数十億、数百億円をかけて『夢の町』をつくるなら、帰町しない人には何をしてくれるのか。私は行政の支援があって助かったと思ったことがない」と憤る。
いわきの仮設住宅で独り暮らしする庄子修さん(五○)は「現在の生活を何とかしてほしい。自分は中卒なので、原発関連の仕事ぐらいしか見つからない。だが、事故の被害者だから、そうした仕事はためらう。四畳半一間の生活にも疲れてしまった」とうなだれた。
大熊町民の聞き取り調査を続ける大妻女子大の吉原直樹教授(社会学)は「復興拠点の問題は町民と町、国が考える復興の姿が、それぞれ違う点を顕著に表している」と指摘する。
「町民が生活再建を望むのに対し、町は大熊町という自治体を残したい。目に見える形で町が存在する証しを作りたい。一方、国の考える復興は早期帰還だ。賠償額がふくらみ、東電の肩代わりをする事態を恐れている。国は『立地町でさえ、復興拠点ができる。他も当然、復興が進んでいる』と印象づけることで広く帰還を促進、早々に賠償を打ち切りたいはずだ」
どうすればよいのか。吉原氏は基本的な観点をこう語る。「帰還を望まない被災者がいるのは事実。同時に賠償を打ち切れば、路頭に迷う。あらためて復興のあり方を考えるべきだ」
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小出裕章先生:人々が、汚染があることを忘れてしまうということが一番怖いことだと思います
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