お知らせ
ご機嫌いかがでしょうか?(^ω^)
とても、寒くなってきましたね?(-Д-)サムイネェ
恒例ならば10月中頃に旅行に行くのですが、いつも紅葉には早く、今回は紅葉を狙って旅行したいと思ったのですが・・ちょっと遅いようですね・・(;^ω^)
明日(11月13日)からしばらく、田中正造のゆかりの地や千葉・神奈川などを旅行してきます。
よって、しばらく、ブログをお休みします。
帰ってきましたら、旅行の様子を当ブログで報告したいと思います(^^♪
ちなみに、「音楽ブログ」もお休みいたします。
よろしくお願いしますm(._.)m
北海道の少女の涙の訴え
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三〇〇人くらいの人が来ていました。そのなかには中学生や高校生もいました。原発はいまの大人の問題ではない、私たち子どもの世代の問題だと言って聞きに来ていたのです。
話がひととおり終わったので、私がなにか質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手をあげて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。いまの大人たち、とくにここにいる大人たちは、農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、なにかと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝しつづけている。原子力発電所のあるイギリスのセラフィールドでは、白血病の子どもが生まれる確率が高いということは、本を読んで知っている。私も女の子です。年ごろになったら結婚もするでしょう
。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら三〇〇人の大人たちに聞いているのです。でも、だれも答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、いまごろでなくて、なぜ最初につくるときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機もつくらせたじゃないか。だから私はいままでの倍、放射能を浴びている」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入ったときだったのです。
「なんで、いまになってこういう集会をしているのか、〔意味が〕わからない。もし私が大人で自分の子どもがいたら、命がけで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている。でも、話したことはない」と言います。「女の子どうしではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
(略)
、これは決して、原発から八キロとか一〇キロの場所の話ではない、五〇キロ圏、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです
「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」より
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
矢部宏治・著
http://www.shueisha-int.co.jp/archives/3236
概要
日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは何か?その謎を解き、進むべき未来を提示する。
●なぜ、日本の首相は絶対に公約を守れないのか?
●なぜ、人類史上最悪の原発事故を起こした日本が、いままた再稼働に踏みきろうとしているのか?
●なぜイラクから戦後8年で撤退した米軍が、2014年の今、沖縄で新たな基地を建設し始めているのか?
不思議なことばかり起こる現在の日本。しかし、あきらめてはいけません。
過去の歴史、なかでも敗戦から独立までの6年半の占領期を見直せば、そうした矛盾を生みだす原因が、あっけないほど簡単に理解できるのです。
秘密を解くカギは、「昭和天皇」「日本国憲法」「国連憲章」の3つ。
さあ、あなたもこの本と一緒に「戦後70年の謎」を解くための旅に出て、日本人の手に輝ける未来をとりもどしましょう。
大ヒットシリーズ「〈戦後再発見〉双書」の企画&編集総責任者が放つ、「戦後日本」の真実の歴史。公文書によって次々と明らかになる、驚くべき日本の歪んだ現状。精緻な構造分析によって、その原因を探り、解決策を明らかにする!
目次
PART1 沖縄の謎――基地と憲法
PART2 福島の謎――日本はなぜ、原発を止められないのか
PART3 安保村の謎①――昭和天皇と日本国憲法
PART4 安保村の謎②――国連憲章と第2次大戦後の世界
PART5 最後の謎――自発的隷従とその歴史的起源
著者プロフィール
矢部宏治(やべ・こうじ)
1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)。共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。企画編集シリーズに「〈知の再発見〉双書(既刊165冊)」「J.M.ロバーツ 世界の歴史(全10巻)」「〈戦後再発見〉双書(既刊3冊)」(いずれも創元社刊)。
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
矢部宏治・孫崎享 対談
http://youtu.be/cBFE2dWTVQg
横田空域
2014/10/13
「戦後再発見双書」プロデューサーが語る、日米関係に隠された「闇の奥」~岩上安身による『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』著者・矢部宏治氏インタビュー
(IWJ)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/181723
基地問題と原発問題には共通した構造が存在する――。
ベストセラーとなった孫崎享氏の『戦後史の正体』をはじめ、「戦後再発見双書」シリーズをプロデュースした編集者の矢部宏治氏が新刊を刊行する。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』と題された本書では、タイトルの通り、日本が在日米軍基地と原発を「止められない」理由が考察されている。その際のキーワードとなるのが、日米関係だ。
辺野古での新基地建設問題、砂川事件をめぐる最高裁判決、日米合同委員会、日米原子力協定など、日米関係をめぐる「ハート・オブ・ダークネス」(『闇の奥』、ジョゼフ・コンラッド)について、岩上安身が話を聞いた。
記事目次
●「ノーガードで、全部書いた」~「戦後再発見双書」のエッセンスを注入
●「3.11以降、日本人は大きな謎を解くための旅をしている」
●日本の「ハート・オブ・ダークネス」、日米合同委員会
●「砂川裁判」に対して米国から下された指令
●米軍基地問題と原発をつなぐ線~日米安保と日米原子力協定
動画・インタビューは本編で( ^ω^)_凵 どうぞ
2014/11/02
国際社会の「敵国」であることを自ら望む日本の病~岩上安身による『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』著者・矢部宏治氏インタビュー第2弾
(IWJ)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/201949
孫崎享著『戦後史の正体』など「戦後再発見双書」を手がけた編集者の矢部宏治氏の新著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』。本書で重要視されているのが、国連の「敵国条項」の存在である。
国連憲章第53条と第107条では、第2次世界大戦で枢軸国側に立って戦った7カ国(日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド)が、「敵国条項」の対象国であるとされている。しかし、日本以外の国は、政変や善隣外交(旧西ドイツによる東方外交など)によって、事実上、「敵国条項」対象国の地位を脱していった。あらゆる国際協定の上位に位置する国連憲章において、日本はいまだ、国際社会の「敵国」であるとされているのである。
その「敵国」・日本で、隣国を口汚く罵るヘイトスピーチが横行し、河野談話の見直しなど歴史修正主義の勢いが強まり、さらには「核武装論」などが公然と唱えられると、米国をはじめとする国際社会は、日本の軍国主義化と再軍備を警戒するのではないか。そして、日本に在日米軍が存在するのは、そうした潜在的「敵国」である日本を、内側から封じ込めるためではないのか――。そう、矢部氏は指摘する。
第1弾に続き、日米同盟の深奥をめぐって、岩上安身が矢部氏に話を聞いた。
記事目次
●日米安保条約第1条”in and about”が持つ意味
●日本国憲法の草案は日本人が書いたのか、それともGHQが書いたのか
●日本国憲法と大西洋憲章の関係
●沖縄県知事選をどう見るか
●国連憲章に記された「敵国条項」が持つ意味とは
動画・インタビューは本編で( ^ω^)_凵 どうぞ
原発日誌(293)日本はなぜ基地と原発を止められないのか(1)
(疲労困憊したおじさんのブログ)
http://ameblo.jp/masaya1015/entry-11938885324.html
悪の凡庸さについて
いまこの文章を書いている二〇一四年の東京では、『ハンナ・アーレント』(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/二〇一二年)というドイツ映画が予想外のヒットをつづけています。この映画の主人公は、エルサレムで一九六一年に始まったナチスの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、 問題作「エルサレムのアイヒマン - 悪の凡庸さについての報告」(雑誌「ニューヨーカー」連載)にまとめた有名な女性哲学者です。
大きな議論を呼んだそのレポートの結論、つまりナチスによるユダヤ人大量虐殺を指揮したアイヒマンとは、「平凡で小心な、ごく普通の小役人」にすぎなかった、しかしそのアイヒマンの「完全な無思想性」と、ナチス体制に存在した「民衆を屈服させるメカニズム」が、この空前の犯罪を生んでしまったのだ、という告発に、多くの日本人は、現在の自分たちの状況に通じる気味の悪さを感じているのだと思います。
アーレントが問いかけたきわめて素朴で本質的な疑問、つまり大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人たちは、「なぜ時間どおりに指示された場所に集まり、おとなしく収容所へ向かう汽車にのったのか」
「なぜ抗議の声をあげず、処刑の場所へ行って自分の墓穴を掘り、裸になって服をきれいにたたんで積み上げ、射殺されるために整然と並んで横たわったのか」
それらはいずれも、まさに現在の日本人自身が問われている問題だといえます。
「なぜ自分たちは、人類史上最悪の原発事故を起こした政党(自民党)の責任を問わず、翌年(二〇一二年)の選挙で大勝させてしまったのか」
「なぜ自分たちは、子どもたちの健康被害に眼をつぶり、被曝した土地に被害者を帰還させ、いままた原発の再稼働を容認しようとしているのか」
「なぜ自分たちは、そのような『民衆を屈服させるメカニズム』について真正面から議論せず、韓国や中国といった近隣諸国ばかりをヒステリックに攻撃しているのか」
そのことについて、歴史をさかのぼり本質的な議論をしなければならない時期にきているのです。
「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」より
ヒトラーと6人の側近たちⅡ 第1回 「アドルフ・アイヒマン」
http://www.youtube.com/playlist?list=PLCB3C2509C04C5D6A
ミルグラム実験 - Wikipedia
ミルグラムのアイヒマン実験
http://youtu.be/EkOEiWxNmNs
ハンナ・アーレント 予告編
http://youtu.be/WOZ1JglJL78
経済にモラルは不要か 内橋克人さんに聞く
(東京新聞【こちら特報部】)2014年11月8日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014110802000136.html
安倍政権の成長戦略の一環として今春、武器輸出が解禁された。福島原発事故の収束がほど遠い中、原発輸出も進められている。今国会での成立こそ断念されたが、カジノ法案が提出された。カネに色はないとはいうものの、経済モラルのなし崩し的な崩壊ともいうべき一連の政策は、社会にどんな影響をもたらすのか。日本の経済政策について、批判的な提言を続けてきた経済評論家の内橋克人さんに聞いた。
(榊原崇仁)
政財界の節度 溶融
「日本は政府も企業も節度を失ってしまった」
内橋さんはそう切り出した。安倍政権は武器輸出や原発輸出に踏み切った。現在は、戦後の労働法制の大転換ともいえる労働者派遣法の改正を狙う。内橋さんは、いずれも大企業の意をくんだ動きとみる。
「長期政権をもくろむ安倍首相は大企業とともに、互いの力を増進させたいと考えているはず。政財界の双方で『一強多弱』の状況を固定化させれば、対抗勢力が囗を出せなくなる」
原発や武器の輸出には、数百億~数千億円単位のカネが動く。ただ、商売の相手はあくまで国。消費者の需要とは結びつかない。
「(こうした輸出は)企業の利益や国内総生産(GDP)を押し上げるかもしれないが、国内市場を活性化させることにはつながらない。その意味では『虚の経済』にすぎない」
安倍政権が繰り返しているのは、大企業が利益を得られれば、その上流での潤いが、次第に下流の国民にも及ぶというモデルだ。
しかし、内橋さんはそのモデルは機能しないと考える。なぜなら、政権の政策には富を再分配する仕組みが欠けているからだ。同様のモデルを掲げてきた米国では「結局、大企業が利益を独占しただけ」という批判が絶えない。
むしろ、政権の本音は貧困層を広げる点にあるのではないか。内橋さんはそう疑う。というのも、国民が日々の生活に困窮すればするほど、深く政治や経済政策について考える余裕がなくなり、政府にとってくみしやすくなるからだ。
実際に、格差や貧困を助長すらしている現政権の支持率は、依然として高い水準を保っている。
「長きにわたる経済の停滞により、ただでさえ貧困層は増えている。そうした中で、株価などうわべの数字を信じ込む人たちが多くなっているのではないか。また『不安を持つとお上を頼る』という日本人の国民性も影響している」
安倍政権同様、軍需産業に絡めた景気浮揚策は、戦前の日本にもあった。
「高橋是清蔵相(当時)は昭和初期の世界恐慌後、市甲に出回る通貨を増やす
『リフレーション』を実施し、そのカネが軍需産業に回るようにした。第二次世界大戦後の復興も、朝鮮戦争関連の特需が背景にあった。そうした経験が首相サイドの頭にあるはずだ」
その一方で「節度ある経済」もあったという。
「定年退職まで働ける場を提供し、健康保険も面倒を見てきたのが日本の会社だった。経営者たちは程度の差こそあれ、『社会的公器』という役目を自覚していたのだろう。どんな小さな企業でもそうだった」
ただ一九八〇年代以降、新自由主義が幅を利かせるようになるにつれ、そのような節度は失われていったと、内橋さんはみる。
ものづくり空洞化
拝金主義的な経済政策の継続は、社会にどんな影響を与えるのか。
内橋さんは「単に格差を拡大するだけではない。経済は栄えるが、社会は滅びるというような状況にもなりかねない」と話す。
国民に恩恵が波及しない以上、国内市場はやせ細る一方だ。
少子化による人口減少が今後も続くことを考えると、内需の活性化は現状では見通せない。
中小企業やそこで働く労働者らを軽視する安倍政権の姿勢は、日本が誇るものづくりの力を衰えさせることにもなるという。
「派遣労働者ばかりになれば技能の伝承、新たな技能の開発はどうなるのか。ものづくりの現場に身を置き、何が必要とされているかについて腰を据えて考えられる人がいなければ、社会が求める製品の開発にはつながらない」
見せかけの好景気の中で突然訪れる大不況の可能性も看過できない。
バブルの崩壊で、近年で言えばリーマンショツクがそうだ。「富める者すらいつまでも富めるわけではない」
では、金もうけ第一の経済政策の対案にどのような政策が考えられるのか。
内橋さんは理念型経済を訴える。
金もうけ優先ではなく、社会がどうあるべきかに力点を置く考えだ。
「柱に据えるべきは、食糧や再生可能エネルギーの確保など、人間の生活に不可欠な分野の充実だ。これらの自給態勢を支援する政策を進め、生み出した利益を地域に根付かせていくこと。デンマークなどでは、すでにこうした取り組みが進められている」
安倍政権は地方創生を掲げるが、内橋さんは「人間的な豊かさを第一に考えていない]と切り捨てる。
「大企業に利益を吸い上げさせる節操のないシステムを終わりにしないと、未来は見えてこない」
武器、原発輸出…タブー破り進行中
戦後のタブー破りともいえる安倍政権の経済政策は現在も継続中だ。
四月に防衛装備移転三原則が閣議決定され、それまでの憲法が掲げる平和主義に基づく武器輸出三原則が百八十度転換された。すでに売り込みは始まっている。六月のパリ郊外での国際展示会「ユーロサトリ」には、十三社が出展した。九月にも東南アジア諸国連合(ASEAN)のうち、ブルネイを除く九カ国の外務・防衛当局者らを対象にした防衛装備品の展示会が防衛省で開かれ、川崎重工業や三菱重工業など大手七社の装甲車やパラシュートが紹介された。
外遊に経済ミッションを引き連れた原発輸出の行脚も繰り広げられている。福島原発事故の原因すら不透明な中、輸出への批判は強い。しかし、安倍首相は三月、カザフスタンのナザルバエフ大統領との会談で「原発事故の経験を踏まえた安全性の高い技術の提供」と明言、原発事故をも宣伝として利用している。
すでに輸出を可能とする原子力協定はトルコとアラブ首長国連邦(UAE)との間で締結、発効。インドとも締結を急いでいる。
こうした武器や原発の輸出以外の経済政策でも、従来は自制されていた一線を踏み越えている。典型例がカジノ特区の創設だ。与党は七日までに、今国会での法案成立を断念している。だが、首相は先月八日の参院予算委で「投資が起こり、雇用が大きく創出される。経済成長にも資する」と述べ、歓迎する姿勢を明らかにした。
国民の年金資金をリスクの大きい市場に委ねる動きも物議を醸した。厚生、国民両年金の資産は従来、その二割だけが国内外の株式で運用されていた。
だが、資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は先月、これを計五割に拡大する方針を明らかにした。株価の上昇を狙った「流用」という批判が出ている。
(白名正和)
福島原発事故は最悪の公害です
宮本憲一 環境経済学者
あの人に迫る(東京新聞)2014年11月9日
戦後の高度経済成長の陰で大気や水が汚され、多くの市民がぜんそくに苦しむ四日市公害か起きた。経済学に明るい夢を抱いていた若き研究者は、悲惨な現実に衝撃を受けた。以来、負の経済学-公害研究がライフワークに。今夏、刊行した「戦後日本公害史論」(岩波書店)は、その集大成であり、戦後の裏面史でもある。公害と闘ってきた半世紀余の熱い思いを、宮本憲一さん(八四)に聞いた。
(小島一彦)
四日市公害との出合いは何がきっかけでしたか。
金沢大で財政学を教えていたころ、大きな話題だったのは新産業都市政策でした。全国に四日市コンビナートのような臨海工業地帯を誘致して、それをバネに地域開発するというものでした。当時、石油を燃焼させる四日市方式のコンビナートは、石炭をたく北九州工業地帯に比べ、ぱい煙の出ないきれいな工業地帯と
して評判がよかった。
そのころ私は地方自治体の労働組合が主催する自治研究集会の助言者をしていました。一九六一年、静岡での研究集会で三重県職労と四日市市職労が四日市のぜんそく患者や、地元で捕れる石油臭い魚のことを報告しました。当時はあまり大きな話題になりませんでしたが、最新鋭の工業地帯でそんな深刻な健康被害が出ていることに衝撃を受けました。翌年の現地調査で、四日市公害の実情を知りました。
現地で見たものは?
コンビナートの石油精製会社を訪ねると、総務課長が「地域開発やコンビナートの調査に来る人はいるが、公害の調査に来たのはあなたか初めてだ」と驚き、大気や水の汚染は言下に否定しました。ところが、既に漁業紛争が起き、名古屋大などの研究者が大気・水汚染を調査。その報告書は秘密になっていました。市職労はその報告書を研究会で暴露したのです。臭い魚やぜんそくの原因はコンビナートに関係あり、と結論を出していました。
地元の病院を訪ねると、ぜんそくに苦しむたくさんの老人や子どもがおりました。地域開発は福祉向上が目的なのに、夢と現実の違いにがくぜんとし、それまで学んできた経済学は間違っているんじやないかと疑問か膨らみました。四日市は戦後の地域開発政策の失敗であり、その典型でした。
そもそも経済学は公害を対象にしていなかった?
経済学者は公害に興味を持っていなかった。四日市の後、大阪や北九州など全国各地を調べ、六二年十二月号の雑誌「世界」に「しのびよる公害-その政治経済学」を書きました。戦後の経済発展は明治期の足尾鉱毒事件の教訓を学ばず、足尾鉱毒のような被害を出し始めていると、警告を発したのです。
それを読んだ一橋大教授だった都留重人さんが「自分も資源と環境問題を経済学者がやらないのはおかしいと思っていた。公害の問題は経済活動にある。経済学だけでなく自然科学など学際的な研究対象にすべきだ」と提言されました。
そこで学者同士の研究会が始まったのですか。
六三年に都留先生を委員長に、大気汚染研究者の庄司光・京都大教授や、都市問題研究者の柴田徳衛・都立大助教授(当時)ら七人で公害研究委員会を発足しました。公害問題は医学や法学などを総合しないと解けない。私は庄司さんと共著で「恐るべき公害」(岩波新書)を書いたところ、四十二万部のベストセラーになりました。
そのころから「公害」という言葉が広く認知されるようになったのですね。
「公害」という言葉は戦前からありましたが、今日のような意味ではなく、「公益」の反語として使っていました。それが、大気や水などの環境汚染を通して健康被害など公衆衛生に害悪を及ぼすものを「公害」と呼ぶようになりました。
どんな少年時代を過ごされたのですか。
少年期まで台湾で過ごしました。父は台湾電力の経理課長で、母と弟三人の六人家族でした。
四五年三月、中学(旧制)三年のとき、海軍兵学校に合格しました。敗戦後、台湾は封鎖されて実家に戻れず、伯父を頼って金沢に移りました。第四高等学校(現金沢大)に進学し、翌年、母と弟三人が引き揚げてきました。
父は国民党政権下の台湾電力で残留。送金もなく、せっかく復学したのに、働かなければならず一年留年しました。四高では学生運動に走り、理系から文系に転科。卒業後は名古屋大に進学し、アダム・スミス研究の権威、水田洋教授に就いて古典派経済学をみっちり学びました。
経済学を原点に、やがて負の経済学である公害研究に出合うのですね。
四大公害のうち、水俣病が公害の原点とすれば四日市は公害対策の原点です。水俣病や富山のイタイイタイ病は特異な疾患で、個別の企業が汚染源となり、地域も限定されています。ところが、四日市の場合は石油を燃焼させれば全国どこでも発生しうる。
コンビナートの企業を共同不法行為で訴えるのですが、これが認められれば全国の工業地帯が同じように責任を問われる。だから経団連は裁判で解決されることに恐怖心を抱き、責任をあいまいに行政が救済する道を望んでいました。
四日市裁判では、原告側証人になりましたね。
しっかりした疫学的調査に基づいていたので、七二年七月の裁判では、企業が排出する亜硫酸ガスとぜんそくなどの症状との因果関係を認め、原告側か全面勝訴しました。四日市裁判は公害対策の分岐点でした。
七九年、公害研究委員会と全国公害弁護団連絡会議を軸に、日本環境会議が生まれ、初代事務局長を務めます。
全国で環境を守る市民運動が盛んになり、政府も法制度上も環境を優先し、世界で最初の公害健康被害補償法を制定。これで約十万人の大気汚染患者か救済されます。その後、産業公害裁判は縮小して、いきますが、大気汚染を中心に考えていたので水俣病などは未解決の状態が続きます。
しかし、米国のマスキー法など厳しい環境基準で、かえって自動車産業が発展。公害先進国といわれた日本は公害対策の先進国になりますが、七〇年代の石油ショックや世界不況などで、環境基準は緩和され、環境政策か後退し始めます。六〇年代に逆行する行政や司法に危機感を抱き、創立したのが日本環境会議です。
今、私たちは福島原発事故が起きた3・11以降の時代に生きています。
原発は天災に対し制御できず、最悪の公害です。強制的に住民や自治体が避難させられ、コミュニティーの喪失という点で足尾鉱毒事件と共通します。
原発再稼働を認めなかった福井地裁の判決で人格権を最上位とし、営業権を下位に置いたのは公害裁判の到達点を示しています。原発事故は私たちに最終回答を迫っています。将来世代に今の環境や資源を残す維持可能な社会をつくる理念が公害をなくす基本姿勢です。メディアは今後も、被害者と将来世代の側に立って報道してほしいですね。
みやもと・けんいち 1930年、台湾生まれ。敗戦直前、海軍兵学校予科78期生に合格。在学5ヵ月で終戦を迎える。伯父を頼って金沢に移り、45年10月、金沢二中から飛び級で第四高等学校(現金沢大)理科乙類に入学した。50年4月、名古屋大経済学部に進学し、卒業後、金沢大法学部助手に採用。65年、大阪市立大に移籍し、教授、商学部長を経て、93年から2000年まで立命館大教授。01年7月~04年7月、滋賀大学長を務める。専攻は財政学と環境経済学。国内や世界各地の環境問題を調査。主な著書に「恐るべき公害」(共著、岩波新書)「日本社会の可能性」(岩波書店)「環境経済学新版」(同)など多数。
あなたに伝えたい
原発再稼働を認めなかった福井地裁の判決で人格権を最上位とし、営業権を下位に置いたのは公害裁判の到達点を示しています。
インタビューを終えて
京都・四条通から小路を曲がると三階建ての宮本研究室がある。宮本さんが立命館大を退職しても研究を続けられるようにと、十四年前、妻の英子さんが購入を决めた。そのころ、宮本さんの新著の取材で訪ね、今回インタビューで再訪した。
「嵐山の自宅から通っています」。書斎・書庫だけでなく社会人の教え子たちか集まる「背
広ゼミ」の教室でもある。
「僕は教育を一生の仕事だと思っていますから」
長年、公害研究を共にしてきた水俣病研究の原田正純氏や経済学者、宇沢弘文氏ら”戦友”を失ったが、情熱は衰えない。
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お知らせ と 「北海道の少女の涙の訴え」「悪の凡庸さについて」
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