着物と羽織には9の紋どころ…憲法9条を守る噺家登場
(ラジオフォーラム#95)
http://youtu.be/7piVrKR0rMI?t=15m50s
15分50秒~第95回小出裕章ジャーナル
四国電力伊方原発の現状と問題点「伊方原子力発電所は北には中央構造線、南には南海トラフがあるという、まさに地震の巣のような所に建っています」
http://www.rafjp.org/koidejournal/no95/
谷岡里香:
今日のテーマが「四国電力伊方原発の現状と問題点」ということですが、伊方原発は四国でたったひとつだけの、しかも内海に面している原発ですね。
小出さん:
そうです。
谷岡:
という所をお話した所ではあるのですが、今日のお客様が噺家の古今亭菊千代さんでして。どうぞ、菊千代さん。小出さんとお話下さい。
菊千代さん:
すいません、こんにちは。
小出さん:
はい、こんにちは。
菊千代さん:
古今亭菊千代と申します。私は、国会でのお話をなさった時から小出先生の大ファンで。
でも、もうすごいご活躍というかみんなに力を与えて頂いてるんですけど。あまりにもいろんな所でご活躍なさってるようなので、お体が心配なので、元気でますます私達を正しい方へ導いて頂きたいと思います。
小出さん:
はい、ありがとうございます。ただ、私自身は原子力の場で生きてきた人間として、福島第一原子力発電所の事故を防ぐこともできなかったわけですから、皆さんに対して大変申し訳ないと思っています。少しでも被害を軽減するためにできる力をこれからも使おうと思っています。
菊千代さん:
はい、よろしくお願い致します。
小出さん:
よろしくお願いします。
谷岡:
菊千代さん、もしこの後、聞きたいことがあったら途中から参加して下さい。お願い致します。
菊千代さん:
分かりました。
谷岡:
それでは伊方原発の所に話を戻しますが、愛媛県の伊方町で原発から5キロ圏内に住んでいる皆さんに安定ヨウ素剤の配布が行われました。これは、安全対策として放射能が漏れるような大事故に備えて配られたものということですが、小出さんはこの安定ヨウ素剤をもう既に配布したということは、どういうふうに評価されていますか?
小出さん:
当たり前のことだと思います。安定ヨウ素剤というのは、原子力発電所の事故が起きて、放射性のヨウ素が住民達の元に届く前に飲まなければいけませんので、あらかじめ住民達に配布しておかなければ間に合わないのです。
国や電力会社の方は安定ヨウ素剤を配布すると、何か事故が起きるというイメージを住民に与えてしまうということで、事前に配布することを嫌がっていたわけですけれども。そんなことでは全く意味がありませんので、あらかじめ配っておかなければいけませんし、5キロなんていう範囲では狭すぎるとむしろ私は思います。
谷岡:
そうですか。小出さんとしては、どのぐらいの範囲までの住人に手渡すべきだという風に思ってらっしゃるんですか?
小出さん:
例えば、福島第一原子力発電所の事故の場合には、40キロ~50キロ離れた福島県飯舘村という所まで猛烈な汚染が行ってしまいましたので、せめてそのぐらいの範囲はやっておくべきだと思います。
谷岡:
そうすると、かなり大きな範囲になりますね。愛媛の伊方町から50キロの範囲と言うと、宇和島とかその辺まで行くんですかね?
小出さん:
はい、そうですね。松山もひょっとしたら入ってくるんじゃないかと思いますが。
谷岡:
逆に、今度内海ですから対岸にまではいかないにしても、結構な距離になりますね?
小出さん:
そうです。
谷岡:
安定ヨウ素剤ですから、これ基本的には錠剤のような物を想像すればいんですか?
小出さん:
そうです。
谷岡:
もし、起こった場合にはすぐに飲む?
小出さん:
はい。日本のこの国というのは、事故が起きた時の情報を正しく住民になかなか伝えてくれないということが福島第一原子力発電所の事故の時にも起こりましたので、事故が起きたということを知ったら速やかに飲むべきだと私は思います。
谷岡:
速やかに、大人子供どのように飲むべきかという事も当然既に配布された時に情報も伝わっているという理解でよろしいのでしょうか?
小出さん:
伝えておかなければいけないのですが、どれだけキチッと伝えて下さってるのか、申し訳ありません。私は知りません。
谷岡:
この伊方原発、今手元に地図があるのですが、ほんとに突端の海に面した所ですが、ここの原発をどういうふうに評価してらっしゃいますか?
小出さん:
はい、私は1974年に京都大学原子炉実験所に就職してきたのですが、ちょうどその前年の秋から伊方原子力発電所の設置許可取消裁判というのが始まりまして、私もその裁判に関わって、証人に出たりしたことがありました。そのためにたびたび現地にも行きましたし、現地の放射能汚染の測定ということもやってきましたので、私にとっては大変馴染みの深い原子力発電所です。
谷岡:
そうですか。今、伊方には1号機、2号機、3号機まであるんですね?
小出さん:
そうです。
谷岡:
全部もちろん今、稼働はしていないという状況ですが、この内海に面した所にある伊方原発はどのようなリスクを負っているのでしょうか?
小出さん:
はい、皆さんは中央構造線というのをご存じでしょうか? 日本最大の活断層といわれてるものでして、1973年だったと思いますが、小松左京さんが『日本沈没』という小説を出してくれたことがありました。それは、その中央構造線を境に日本が割れて海の中に滑り落ちていくという、そういう事を題材にした小説でした。
それほど、この中央構造線というのは、日本という国の中では重要な位置を占めていまして、もし、この中央構造線という活断層が動くようになれば、巨大な地震が起きるだろうと考えられています。その中央構造線のほんとにきわの所に伊方原子力発電所は建っています。
赤線が中央構造線、青線に囲まれた部分はフォッサマグナ
谷岡:
その中央構造線に加えて、ここ数年は南海トラフという言葉を非常によく聞こえるようになりました。その両方が関係するということもあり得るわけですよね?
小出さん:
はい、中央構造線自身は伊方原子力発電所のすぐ近くの北側に走っているのです。南の方には南海トラフという、また巨大な断層というかプレートの境界というものがあって、そこでも南海地震、東南海地震というような巨大な地震が過去繰り返し、繰り返し起きてきたという事が分かっているのです。ですから、伊方原子力発電所は北には中央構造線、南には南海トラフがあるという、まさに地震の巣のような所に建っています。
谷岡:
1号機~3号機の中でも、特に3号機が問題があるというふうに考えてよろしいですか?
小出さん:
3号機はプルサーマルという非常に馬鹿げたというか、安全性を犠牲にし、そして経済性もないというようなことをやろうとしているわけでして、プルサーマルというのは、プルトニウムという物質を燃料に使うということなのですが、プルトニウムというのは、人類が遭遇したうちで最大の毒物と言われてるほどの毒物でして、普通の原子力発電所で使っているウランに比べれば、何万倍、何十万倍も毒性が強いという、そういう物を燃料として使ってしまおうという計画なのです。なんとしても止めさせなければいけないと思います。
谷岡:
私たちに何ができるかということを、自分にできることっていうのを考えて行動していかなければならないなあって、菊千代師匠思いますよね?
伊方原発を襲おうとするゴジラ
菊千代さん:
そうですね。まだまだ全然。「もう大丈夫なんでしょ?」なんて平気で言ってる人ほんとにいますからね。
小出さん:
そうですね。
谷岡:
なかなかテレビでは伝えられない情報がたくさんあるので、みなさんに小出さんのお話を私達が拡散していくということも大事な役割だなって改めて思いますね。
小出さん:
ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします。
谷岡:
小出さん、どうもありがとうございました。
小出さん:
はい、ありがとうございました。
菊千代さん:
ありがとうございました。
原発事故時の備え 甘すぎ
別冊 南海日日新聞
(東京新聞【こちら特報部】話題の発掘)2014年10月8日
四国電力伊方原発の放射能漏えい事故時に甲状腺被ばくを抑制する安定ヨウ素剤の二回目の事前配布が五日に愛媛県伊方町内であった。九月二十八日の一回目と合わせて計二千六百五十三人が受け取ったが、これは対象者の48.3%にすぎない。町民はヨウ素剤の効果よりも事故そのものを強く恐れているようだ。
ヨウ素剤配布 対象者の48%
事前配布の対象者は、原発から五キロ圏内に住む三歳以上の伊方町民五千四百九十四人。二日間とも町民会館など二カ所で配られた。ヨウ素剤を受け取った女性(七○)は「ないよりはいいが、飲むような事態になったら大変だ。近所の人は、事故になったら逃げられんと言っている。(原発は)このまま動かんでほしい」と声を潜めて語った。
筆者は伊方町の担当者に疑問点をただした。まず5キロ圏外の町民はどうするのか。担当者は「避難指示が出た場合には、自家用車で避難してもらうのでヨウ素剤は必要ない。自家用車に乗れない人は町がバスを用意する」と説明したが、町の保有バスはスクールバスを入れても二十五台、収容定員は五百八十人分しかない。自家用車やバス利用者の見込み数は「想定できない」とあいまいだ。
地震を伴う複合災害の時の地滑り、道路の崩壊による集落の孤立について聞くと、「どの集落も道は数本あるので孤立する集落はない」と言い切った。伊方町に隣接する八幡浜市でさえ二十集落が大地震時に孤立する可能性があると想定されている。しかし、伊方町の担当者は「各自治体で(孤立)想定が違うのではないか」とけむに巻いた。旧伊方町誌に「伊方町の地形の特色は、第一に低いが険しい山地が多い」「雨期に地滑りを起こし、耕地や道路を押し流すことが多い」などと記されていることを知らないのだろうか。ヨウ素剤を事前配布しただけでは、何の解決にもならない。
(近藤誠・元南海日日新聞記者)=随時掲載
http://www.hangenpatsu.net/files/SaimaIkataBook.pdf
まえがき
一九七八年四月二五日、松山地方裁判所の玄関から「辛酸亦入佳境」の垂れ幕を持った住民が飛び出してきた。七三年から始まった四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)二号炉の設置許可取消しを求める裁判で住民が敗訴した瞬間であった。この垂れ幕の言葉は一九〇七年六月、谷中村の強制破壊を前に田中正造が書いたものであった。
一九世紀から二〇世紀に移る頃、日本は日清・日露の戦争を勝ち抜き、列強諸国の仲間に入ろうとしていた。そのためには鉱工業を中心に国内産業を飛躍的に増大させることが必要とされた。栃木県足尾の銅山はその中心を担ったが、 鉱山の鉱毒は渡良瀬川下流一帯の田畑を汚染し、 多数の農漁民の命を奪った。田中正造は帝国議会の議員として一〇年にわたって、国と企業が一体となった自然破壊と人民殺戮を告発し続けた。
しかし富国強兵の名分の前に議会は無力であり、人民の被害はますます拡大した。一九〇〇年二月一七日、正造は「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」を提出して議会を捨てる。その中で彼は「民を殺すは国家を殺す也。法を蔑ろにするは国家を蔑ろにする也。皆自ら国を毀つ也。財用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、之を奈何」と書いた。
東京を流れる江戸川に鉱毒が拡大するのを嫌った政府は、利根川・江戸川の分流点であった関宿で河川改修工事をして渡良瀬川を現在の利根川に流すとともに、谷中村を水没させて鉱毒溜にしようとした。正造は「谷中問題は日露問題より大問題なり」として谷中村に入村、弾圧される村民に全身全霊をかけて寄り添った。しかし、国・企業・官憲一体となった攻撃で村民の住居は強制破壊され、村は水底に沈められた。以降、正造は利根・渡良水系の河川調査を進め、自然を守ることの大切さを説き続けた。一九一三年九月四日の昼下がり、彼は生涯を捧げた河川調査の途上、倒れた知人宅で亡くなった。その少し前の日記にはこう書かれている。
「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。 その戦うに道あり。 腕力殺戮をもってせると、 天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり。 」
伊方原発を含め日本の原子力発電はエネルギー需要を満たすために必要だといわれる。その大義を振りかざす国の周りには、利権を求める集団や個人が集まり、権力・金力をふんだんに使って住民から土地と海を奪った。 伊方原発は動きはじめ、 そして今も動き続け、 裁判も敗訴した。 斉間さんが本書で詳細に、ある時は淡々と、ある時は怒りを込めて事実を書き留めているように、行政・議会・司法、そして警察・さらに学者までが一体となった原子力の推進は苛烈であり、住民の力はあまりにも弱い。刀折れ矢尽きるように、いや住民ははじめから刀も矢も持たず、ある時は警察に弾圧され、ある時はだまされ、ある時は私財を抛ったあげくに倒れていった。残った者も自分の命を削るように抵抗を続けてきたが、闘いの当初若者であった人々もいまや老年にさしかかってきた。
斉間さんは一九六九年伊方原発の誘致話が表面化して以降、ほとんど自らの一生をかけてこの問題に取り組んできた。新聞記者として、一人の住民として、裁判の原告として長い長い闘いであった。その彼も二号炉訴訟の判決を前に病に倒れ、本書は闘病中の力を振り絞っての刊行である。正造さんが最後まで闘いをあきらめなかったように、斉間さんの闘いも彼の生命のあるかぎりこれからも続くであろう。詳細な事実を記録し広く知らせるという本書のような闘いは、余人をもって為しがたいものであり、斉間さんがこの時、この場所に生きていてくれたことをありがたく思う。
ただの庶民たちにとって、苦難の歴史は今後も繰り返し、長く続くであろう。しかし、斉間さんが担ってきた闘いこそ「天理によって広く教え」るものであり、 「斃れてもやまざる」闘いである。斉間さんに幸あれ。伊方の住民たちに幸あれ。
二〇〇二年二月二五日 記
京都大学原子炉実験所 小出裕章
<小出裕章さんに聞く>原発の町・愛媛伊方の住民と共に闘った40年
(アジアプレス)2014年7月18日
http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/07/18192622.php
2014/05/24
【愛媛】「国のやり方に抵抗しようと思ってきたし、今後もそうしたい」
~小出裕章氏講演「原子力発電所という機械」
(IWJ)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/141606
京都大学原子炉実験所の小出裕章氏は、新たに原発を作り、輸出するために、福島のことを忘れさせようとしている政府のやり方を批判しながら、「原発事故を起こした世代の人間として、子どもたちを守るための責任を果たさなければならない」と訴えた。
2014年5月24日(土)、松山市に隣接する愛媛県伊予郡松前町の松前総合文化センターで、小出裕章氏講演会「原子力発電所という機械」が行われた。小出氏は、原発の安全神話が崩壊したことを指摘しながら、いまだに福島第一原発の事故は収束していないとして、「1号機から3号機は炉心が溶け落ちて、どこにあるかすらわからない。ただ、水をかけ続けるだけで、汚染水があふれている。むき出しになった4号機の使用済み燃料の移動作業も完了していない」と語った。
さらに、福島原発事故で膨大な量の放射性物質が環境にばらまかれ、土地は汚染し、人は被曝したことについて、「どんなに微量の被曝でも危険はある。それが現在の学問の到達点である」と述べ、今回の事故に何の責任もない子どもだけは守らなければならない、と訴えた。
記事目次
原発も機械。事故を起こさない機械などない
浴びていい放射線の量などない。どんなに微量でも被曝は危険
福島原発事故で子どもに責任はない。子どもだけは守らなくては
原発も機械。事故を起こさない機械などない
原子力発電所という施設について、小出氏は「原子力発電所は非常に単純な『機械』。内部にある圧力容器は、厚さが16センチもある猛烈に分厚い鋼鉄製の圧力釜である。その中に水が張ってあって、ウランが浸けてある。そのウランを核分裂させると熱が出てくるので、水が沸騰して蒸気として噴出する。それでタービンという羽車を回して発電する。ただのお湯を沸かす機械である」と語る。
「しかし、火力発電所は、東京湾、大阪湾にもたくさんあるが、原子力発電所だけは都会に作ることができない。なぜかというと、ここで燃やしているものがウランだからである。ウランを燃やし、核分裂をさせてしまうと、核分裂生成物という放射性物質が大量に溜まる。だから、原子力発電所だけは都会でなく、過疎地に建てるということを、今日までずっとやってきた」と解説した。
「原発は機械である。事故を起こさない機械なんてない。そして、原発を動かすのは人間である。人間は、時に誤りを犯す。当たり前のことである。だから、原発でも、小さな事故から大きな事故までさまざまな事故が起きる。これに対して、原発を推進してきた人たちは、大きな事故、破局的な事故は『想定不適当』だとして、無視してきたのである」。
「どういうことかというと、『5重の壁で厳重に放射性物質を閉じ込めるので、放射能は絶対に外に漏れない。だから、放射能が外に出る事故は、考えること自体が不適当だ』ということである。特に、原子炉格納容器は絶対に壊れない、ということにしてしまった。だから、国は原発立地において、『原子炉格納容器だけは、いついかなる時も壊れない』という仮定のもとに安全審査をやってきた。絶対に壊れないから、放射能も出ないので被害はない。そういう主張で今日までやってきた。しかし、福島第一原発では原子炉格納容器が壊れて、大量の放射性物質が吹き出した」と、小出氏は安全神話の破綻を指摘した。
浴びていい放射線の量などない。どんなに微量でも被曝は危険
放射能の被害に関して小出氏は、「放射能で汚染された地域の人々は、捨てられてしまっている。日本の政府、電力会社は、あたかも低い被曝であれば『安全、安心、何の被害も出ない』と言わんばかりの宣伝を流してきた。今でも、そうであるかのように宣伝をする人たちがいる。しかし、残念ながらそんなことはない。放射能は必ず危険」と述べ、BEIR-Ⅶ報告を紹介した。
これは、米国の科学アカデミー内の生物が放射線被曝した時の影響を調べる専門委員会が、2005年に出した報告である。「『利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない』と報告された。被曝に関する限り、浴びていいという量は存在しない。どんなに微量の被曝でも危険はある。これが現在の学問の到達点である」。
合わせて、ICRPの2007年の勧告にも触れ、「『約100ミリシーベルト以下の線量においては不確実性が伴うものの、がんの場合、疫学研究および実験的研究が放射線リスクの証拠を提供している。約100ミリシーベルトを下回る低線量域でのがん、または遺伝的影響の発生率は、関係する臓器および組織の被曝量に比例して増加すると仮定するのが科学的に妥当である』」と紹介した。これらの報告をもとに小出氏は、「日本では100ミリシーベルト以下の被曝であれば『安全、安心、無害だ』という学者すらいる。こんなことを言う学者は、刑務所に入れなければいけない」と断じた。
福島原発事故で子どもに責任はない。子どもだけは守らなくては
住民の帰還について、小出氏は「日本政府は、1年間に20ミリシーベルトという被曝をする地域にまで『帰れ』と言っている。20ミリシーベルトは、私のような放射能を使って働いて給料をもらう、ごく特殊な大人に対して適用した基準。それを『赤ん坊に対しても許す』と日本政府は言い出した。今回の事故には責任のない子どもたちに、そんな危険を負わせるなど、私は我慢がならない。国のやり方に抵抗しようと思ってきたし、これからもそうしたい」と表明した。
子どもを守るためには、「一番いいのは避難。放射能と戦っても勝てないので、まずは逃げる。でも、国が人々を捨ててしまった以上、避難できる人は大変少ない。今現在も汚染地帯で、多くの人は苦悩しながら生活している」と話す小出氏は、次のような対策を示した。
「避難できなければどうするか。サマーキャンプなどで疎開してみる。夏休みの1週間でもいい、とにかく汚染地帯から子どもを引き離す。そして、校庭や園庭の地面の剥ぎ取り。子どもたちが集中的に暮らす場所である学校の校庭や幼稚園の庭は、必ず土を剥ぎ取らなければならない。もうひとつは、給食の材料を厳選することである」。
今の被災者への対応に関して、「福島のことを忘れさせようとしている。これまで日本では、58基の原子力発電所が認可されてきた。その原子力発電所すべてを認可したのは、自由民主党。安全性を確認した、と言っている。そして、福島事故が起きた後も、安全性を確認して再稼働させると言っている。伊方原発もそうである。新たに原子力発電所も作る。そして、金儲けのためには原発の輸出もする。彼らにとっては、自分たちの責任をまず逃れて、さらに原発を推進するためには、福島の事故を忘れさせることが必要なのだ」と批判した。
最後に小出氏は、「とにかく、子どもを守らなければいけない。守りたいと話してきた。こんな事故を引き起こしてしまった大人として、今、子どもたちを守らないのであれば、私は私自身が許せない。だから、やりたいと思っている。一人ひとりが、何をやることが自分の責任なのかを考えてほしい」と訴えた。【IWJテキストスタッフ・花山/奥松】