今日(10月23日)は中越地震から、ちょうど10年になります。
また、今年は新潟地震から50年目の節目の年です。
この50年間で新潟地震、中越地震、中越沖地震と大きな地震が3回も起きたのですね・・(。-_-。)
そこで、中越地震を簡単に振り返って見ることにします。
ところで、余計なことですが、私が中越地震に遭った日は玉川温泉→後生掛温泉→酸ヶ湯温泉→夏油温泉→飯坂温泉(温泉ばかり~笑)と巡った東北家族旅行の最終日でして、帰宅途中に休憩していた津川温泉 清川高原保養センターで地震に遭いました…。
津川町津川の公式震度は4ですが、ここでは震度5強くらいの揺れだったような感じがしましたね・・本当に揺れましたもの・・(;^ω^)
短時間に3回も大きな揺れが来たのでしたが、こうして見てみると最初の揺れから約30分間に6回揺れたのですね・・(^_^;)
電子基準点がとらえた新潟県中越地震の地殻変動
2004/10/23 新潟県中越地震の報道(放送中にM6.5の余震)
http://youtu.be/EB_MYzirUSc
新潟県中越地震を知らせるANA機長のアナウンスとスピーチ可愛いCAさん♡
http://youtu.be/CXHfl0N9-AE
中山間地を襲った中越地震は、23日で発生から10年が過ぎた。秋が深まる里山には今、穏やか
な時間が流れている。
68人のかけがえのない命を失った。故郷の山々も、街並みも壊れた。住宅12万棟余りが被害を受け、最大で10万人以上が避難を余儀なくされた。悲しみも、無念も、恐怖も、あの日の記憶は消せない。
今日までの歩みも忘れない。くじけずに立ちあがるひた向きさ、支え合う隣人がいる心強さ、全国から伸ばしてくれた手の温かさ-。古里の棚田、山並み。被災地はこれからも確かな営みを紡ぎ、記憶を語り継いでいく。
夢でいい会いたい
次女を亡くした小千谷の星野さん
中越地震きょう10年
(新潟日報)2014年10月23日
最大麗度7の激震により、68人の犠牲者を出した2004年の中越地震から23日で10年となる。犠牲者のうち、6人は子どもだった。活発だった小学生、生まれたばかりの赤ちゃん…この10年、家族も友人も悲しみを受け止めようと必死だった。時間は流れたが、あの時の笑顔や何げない会話を思い出すと今も涙がこぼれる。思い出も悲しみも心にとどめ、いつまでも忘れない。
笑顔あの時のまま
朝もやがかかる山道を、軽トラックが駆け上がる。東から尾根が明るくなる。「やっぱり山はいいなあ」。小千谷市塩谷で22日、星野武男さん(56)がつぶやいた。錦鯉の世話をするため
に毎朝、集団移転した小千谷の平場から通っている。
10年前、中越地震で塩谷にあった自宅が倒壊し、次女の和美さん=当時(11)=を失った。「10年たっても何も変わらない。ふとした瞬間に、和美の笑顔を思い出すんだ」
本震時は自宅近くの養鯉池にいた。家に戻ると大きな余震が起こった。和美さんは脱衣所にいた。「あそこにいるのは分かっていた。でも自分は外に飛び出てしまった」。今もあの時の行動を悔やみ続ける。
塩谷では和美さんのほか、星野一輝君日当時(12)=と星野有希君=同(11)=が亡くなった。自宅跡地に建つ慰霊碑には、観音様と共に3人の姿が刻まれている。鯉の作業を終え、手を合わせる。3本の線香を供えた。碑は花が絶えることがない。子どもたちが忘れられていないと感じ、安心する。
現在、市内にある福祉施設で臨時職員として働いている。鯉の作業は仕事前の早朝と、仕事を終えた夕方に行う。塩谷に向かう山道を運転していると、時々不思議な気持ちになる。「カーブを曲がると、和美がひょっこり出てくるんじやないかなって」。次のカープ、次のカープ・…娘の姿を探してしまう。
その姿は、小学6年生のままだ。アイスが大好き。いつも「がはは」と大笑いした。でも、大人になった姿を想像する時もある。ことし4月、二つ違いの長女、美幸さん(23)が結婚。長岡市で行われた結婚式で、和美さんの席が用意されていた。
生きていたら21歳。「和美なら和装が似合うだろうなあ」。そんなことを考えると、涙が出てしまう。席には娘がランドセルに付けていたパンダの指人形を置いた。
「こんなに思っているのに、夢に出てきてくれないんだ」。武男さんが、観音様に抱えられた和美さんをなでながら打ち明けた。仮設住宅にいた時、2回”会えた”きり会えていない。
「夢でいい、また会いたい」
(´・ω・`)
思い出を胸に前へ進む
二ヵ月の長男亡くした樋熊さん(十日町)
家族と共に乗り越え
「大地が歩けるようになったら、この辺りで散歩していたのだろうか」
雨模様となった22日、樋熊実さん(51)は中越地震当時住んでいた十日町市中条でかつて自宅だった周辺を眺めた。長男の大地ちゃんは地震当日、家族と共に自宅前に止めてあった車に避難したが、息を引き取った。生後わずか2ヵ月だった。
その日、勤め先たった六日町(現南魚沼市)の飲食店にいた。公衆電話で家族と連絡を取り、家族5人全員の無事を確認。胸をなで下ろして店の片付けを済ませ、ひび割れがあちこちに走る峠を車で越えた。地震発生から数時間がたっていた。
自宅は家具が倒れた程度。家族もマイカーなど2台に分かれて避難していた。大地ちゃんも、チャイルドシートの上で眠っているように見えた。「明るくなったら家の中を片付けよう」。一安心した樋熊さんは、車に戻って休むことにした。
大地ちゃんの異変に気が付いたのは夜中たった。比較的被害の少ない部屋に戻ることにし、大地ちゃんを運ほうと、樋熊さんが懐中電灯で照らしたその時。「変だな…」。大地ちゃんはぐったりしていた。救急車ですぐに病院に迎んだが、再び泣き声を上げることはなかった。
大地ちゃんは結婚8年で生まれた待望の第1子だった。育児らしい育児もできなかったが、日をまたいで帰ることも多い中、眠る姿を目に焼き付けて床に入った。
なぜ亡くなったのか、今もはっきりとは分からない。地震からしばらくは、家族連れを見ると「わが子はもういないのか…」と心が痛んだ。2009年12月には市内の別の場所に移り、自分の飲食店を構えた。自宅だった建物は今は親戚が住んでいる。現在は妻と、06年1月に生まれた次男の3人で暮らす。
「過去を振り返るのは好きではない」という。仏壇に大地ちゃんの写貞は飾らず、次男には「お兄ちゃん」の存在は教えていない。「こちらからは話すことはない。いつか聞かれたら、そ
の時は答えるかもしれないけれど…」。樋熊さんは静かに語った。
http://kataritsugumono.jp/
上越新幹線とき325号【ありがとう】
http://youtu.be/j71v5HnSP64
東京消防庁 ハイパーレスキュー その6 新潟県中越地震
http://youtu.be/YW9tcMqBm9g
新潟中越地震あすで10年 救出の2歳児に夢が芽生えていました。(14/10/22)
http://youtu.be/J15-zHHnCk0
今後の課題
ギャップDにおいては,図1のD-1とD-Zが依然として未破壊区間として残されている。未破壊区間の長さ(約40 km)から,ここに発生する地震の規模は最大でいずれもМ7程度と推定される。なお、ギャップCについても十分な注意を要する。