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Channel: 私にとって人間的なもので無縁なものはない
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忘れないよ 汐凪ちゃんはどこに・・(´;ω;`)

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忘れない 汐凪ちゃん
大熊町 最後の津波不明者
東京新聞2014年5月19日付
忘れない 汐凪ちゃん 東京新聞

 東京電力福島第一原発がある福島県大熊町で津波に流され、町で最後の行方不明者になっている木村汐凪(ゆうな)ちゃん=当時(七つ)=の写真展が、東京・新宿の喫茶店「ベルク」で開かれている。町は帰還困難区域になり、除染廃棄物の中間貯蔵施設が建設されようとしている。父紀夫さん(四八)は「汐凪のこと、そして福島の現状を知ってほしい」と呼び掛ける。三十一日まで。
(樋口薫)

 自衛隊が見つけた汐凪ちゃんの写真、がれきをかき分けて娘を捜す紀夫さんの姿-。店内の壁に掛けられた写真は十九枚。「都会の一角に私たちの写真が並んでいるのは、不思議な感じがする」。家族の月命日の十一日、長野県白馬村の避難先からベルクを訪れた紀夫さんは、一枚一枚眺めながらつぶやいた。
 JR新宿駅の駅ビルにある同店は客の出入りが激しいが、コーヒーを口に運ぶ手を止め写真に見入る人も多い。副店長で写真家の迫川(さこかわ)尚子さん(五二)は「飲食中に見るにはつらい写真かもしれないが、忘れてはいけない問題だから」と話す。
 一家は原発から約三キロ南の海岸近くに住んでいた。東日本大震災の津波は紀夫さんの父と妻、次女の汐凪ちゃんの三人を奪った。原発事故で避難を強いられ、遺体の捜索もままならないが、紀夫さんは毎月の一時帰宅のたびに防護服姿で娘を捜し続ける。
 紀夫さんのことを知った都内の写真家尾崎孝史さん(四八)が昨年、捜索活動などに密着したルポ「汐凪を捜して」(かもがわ出版)を出版。内容に共感したベルク側が尾崎さんに写真展を持ち掛けた。

父・紀夫さん 貯蔵施設計画に憤り

 四月下旬、国は中間貯蔵施設建設のため、大熊、双葉両町の住民から土地を買い取る計画を示した。買い取りに応じれば自由に立ち入れず、捜索も難しくなるだろう。「死んだ三人とつながれる場所を手放すなんて考えられない。その気持ちを国は考えられないのか」と紀夫さんは憤る。
 近く開かれる住民説明会で思いをぶつけるつもりだが、東京の人々には福島の現実が伝わっていないのではと、もどかしく思うこともある。写真を見てそうした思いも感じてもらえればと願う。

 ベルクはJR新宿駅東口改札を出て左側すぐ、地下通路の左手。営業は午前七時~午後十一時。

木村汐凪

汐凪を捜して
原発の町 大熊の3.11

かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ya/0652.html
汐凪をさがして
その時、原発の町でなにがあったのか娘を捜す父親と現場で出会った写真家が1年半をかけてまとめた渾身のルポ
震災で父、妻、そして次女の汐凪(ゆうな)ちゃんが行方不明となった福島県大熊町の木村紀夫さん。自宅から3キロのところにあった福島第一原発の事故のため、家族の捜索を続けることは許されなかった。2ヵ月後、父と妻の遺体は発見されたが、汐凪ちゃんは行方不明のままだ。あの日、原発のある町で人々はどう行動し、何を思ったのか。汐凪ちゃんが最後に会った親友、先生、隣人、未曾有の震災に対応した役場職員、町長、東電社員や協力会社の作業員たち、30人をこえる人々の証言で紡いでいく。
『娘が最後どんなだったのか、それを知りたくて』


震災で行方不明の少女の写真展 東京 2014年5月23日

http://youtu.be/QsafZY5LcsE


DAYS JAPAN
「私は2011年3月末には、コンクリート構造物に溜っている汚染水を漏れのない構造物に移さねばならないとして、タンカーを提案した。また5月には溶け落ちた炉心が地下水と接触しては取り返しがつかなくなるので、汚染を局限化するため原子炉建屋周辺に遮水壁を張り巡らせるべきだとの提案もした。しかしすべては無視されたまま、汚染水は増大し、今や福島原発の敷地が放射能の沼のような状態になってしまっている」小出裕章
DAYS JAPAN 10月号【最大1800ミリシーベルト計測~高濃度汚染水、管理不能】本文より

汐凪をさがして days02



東京新聞【話題の発掘】2014年5月27日
話題の発掘 震災不明者 発見頭打ち

 復興進み狭まる捜索範囲

 東日本大震災の行方不明者の遺体発見が頭打ちになっている。東北を中心に千二百人の所在が分かっていないが、時間の経過とともに得られる手掛かりは減るばかりだ。復旧・復興工事で捜索範囲は狭まり、関係者は「地域再生とともに不明者家族にも目配りを」と要望する。
 宮城県名取市の海岸で今月九日、県警岩沼署が不明者を捜索した。十五人で流木などの漂着物をかき分けたが、手掛かりは得られなかった。不明者の発見件数は激減している。宮城県内では、震災から二年半後の昨年九月十日以降、今月八日まで新たな発見はない。
 県警によると、人骨の一部は毎月数件、海岸に打ち上げられたり、漁網に引っ掛かったりするなどして見つかる。ただし、DNA鑑定で身元が判明しても、頭部が見つかっていないと二重計上の恐れがあり、死者の数には含まれない。
 遺体が見つかる可能性がある海沿いの土地は、地盤のかさ上げや港湾の再建地域と重なる。工事が本格化し、不明者家族のかすかな望みが断たれつつある。宮県幹部の一人は家族の心情に理解を示しながら。「復旧・復興工事を早期に進めたい。不明者発見まで待つのは難しい」と話す。

「行政は家族への目配りを」

 ボランティアで不明者捜索を続ける一般社団法人気仙沼復興協会(気仙沼市)の担当者は「行政側が不明者家族とつながりを持ち、配慮する姿勢を見せることが必要。誰もが復興に前向
きになれる努力をしてほしい」と指摘する。


釜石市 鵜住居地区の津波被害

http://youtu.be/ARv_4a_8FBA


被災地発 生き抜いた記憶を伝承

釜石の津波女将 1/2 宝来館 岩崎昭子 landlady was shed tsunami

http://youtu.be/mDSUeTrBdPk

釜石の津波女将 2/2 宝来館 岩崎昭子 landlady was shed tsunami

http://youtu.be/CzaOEX1Wsd0


生活苦に陥る「避難区域」を解除された被災者たち
(東京新聞【こちら特報部】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014052702000162.html
 福島原発事故の避難指示区域の解除に伴い、生活苦に陥る被災者らが増えている。月々の精神的賠償が解除後、一年で打ち切られ、なお避難生活を続ける人びとは自主避難者扱いにされるためだ。帰還するか、移住するかの判断を被災者に委ね、その選択を保障するのが東京電力や国の務めのはず。ところが、現実には帰還を押し付け、後は自己責任という「棄民化」政策が進んでいる。
(上田千秋、榊原崇仁)

生活苦に陥る「避難区域」を解除された被災者たち

原発事故の避難区域解除で被災者に生活苦

 「単純に安全、安心でないから、皆、帰ろうと考えない。核燃料を抜き取っている4号機で何かあれば、真っ先に被害を受ける。事故の恐怖感は拭えない」
 福島県川内村の住民約220人が暮らす同県郡山市の南1丁目仮設住宅。自治会長を務める志田篤さん(65)はそう話した。
 昨年12月、志田さんを驚かせる出来事があった。「皆の生活が苦しいことは分かっていたけど、はるかに想像を超えていた」
 志田さんは昨年10月、高齢の避難者の支援を目的にNPO法人「昭和横丁」を設立。全国の市民団体などから米や衣服、トイレットペーパーなどの支援物資を集め、12月に郡山市内3カ所の仮設で配った。
 「さすがに、誰かが一度使った古い布団や毛布は余るだろうと思っていた。ところが、そんなものまでわれ先にと持ち帰り、米や衣服もすぐになくなった」
 なぜ、人びとは困窮しているのか。川内村は事故後、福島第一原発から20キロ圏内が警戒区域(2012年4月に避難指示解除準備区域と居住制限区域に再編)、20キロ圏外は緊急時避難準備区域とされ、大半の住民は村外に避難した。
 緊急時避難準備区域の指定は11年9月に解除。この区域からの避難住民は12年8月分を最後に、1人当たり月10万円の精神的損害賠償を打ち切られた。その後は自主避難者扱いだ。
 「こっちでは、お金がかかるようになった。ぎりぎりの生活が続いている」。一人暮らしの矢吹一郎さん(85)はそう語った。
 村にいた時、住民の多くは自家消費分の米や野菜を栽培し、みそも手作りだった。井戸水を使っていたため、水道代もかからなかった。ところが、仮設では食料品はスーパーなどで買うしかない。それなのに賠償金を打ち切られ、矢吹さんの収入は現在、月4万円余りの国民年金だけだ。
 若い世代は新しい仕事を見つけられても、高齢者はそうはいかない。矢吹さんは「好きこのんで避難を続けているのではない。戻れないから戻らないだけだ」と憤りを隠さない。
 避難指示が解かれても、家屋は震災で壊れ、畑は動物に荒らされたまま。ほぼ手つかずの森林など、除染も十分ではない。それに加えて、住民が不安視するのは医療が不十分なことだ。村では事故前、近隣の双葉町や大熊町、富岡町などの病院を利用していた高齢者が多かった。いまは閉鎖された。村にも医療機関はあるが、規模が小さい。
 この仮説に住む女性(83)は「村に戻ればお金がかからないのは分かっているけど、病院までの距離が遠くなってしまう。ここなら近くにいくらでもあるので離れにくい」と話した。

「避難区域」を解除された被災者たち 賠償打ち切り

 金銭支援惜しむ政府 公的保険減免や高速・医療費無料も風前

 川内村の遠藤雄幸村長は12年1月、緊急時避難準備区域の住民を対象に「帰村宣言」を出した。4月からは、避難指示解除準備区域の解除も視野に村民の長期宿泊を認めている。
 しかし、村民は帰村に消極的だ。村の人口は4月1日現在、2739人。避難指示が解かれた村西部は2412人で、全体の9割近くを占める。村は帰村者を「週4日以上を村内で暮らす住民」と定義しており、その数は1396人に上る。ただ、文字通り、自宅に戻って生活する「完全帰村者」に限ると639人で、村の人口の23%にとどまる。
 川内村は本年度、帰村を促す対策を次々に実施する予定だ。帰還住民らに、村の商店などで使える地域振興券を1人当たり10万円分出すほか、住宅の新築は400万円、アパート建設は3000万円まで補助する。
 一方、自主避難者扱いとなった住民に対する支援はない。「『村の生活環境を整えているから早く戻ってきて』が村のスタンス」(村総務課)という。
 こうした事態は川内村だけではない。同様に緊急時避難準備区域だった広野町全域、南相馬市と田村市、楢葉町の一部もそうで、やはり11年9月で避難指示は解かれた。かつての警戒区域や計画的避難区域では避難指示が続くが、4月には田村市都路地区で指示が解除され、楢葉町も今週中に解除時期を示す。
 ただ、被災者は追い込まれている。解除の1年後には月額10万円の精神的損害賠償が打ち切られるほか、仮設住宅は解除の有無にかかわらず、使用期限は来年3月まで。根本匠復興相は16日の記者会見で「延長は自治体の判断次第」と発言。自治体側が避難指示を解いた後、「延長不要」とすれば、避難を続ける住民は路頭に迷いかねない。
 首都圏の被災者を支援する「東京災害支援ネット」代表の森川清弁護士は「住居を自分で借りると、東京なら1世帯で10万円前後必要になる。仕事も簡単に見つからない中、ただでさえ家計が逼迫(ひっぱく)しているケースが少なくなく、非常に重い負担になる」と語る。
 そもそも政府は金銭的支援を惜しんでいる。
 新旧の避難指示区域では現在、介護保険や国民健康保険、後期高齢者医療制度の保険料などが減免されているが、長くても来年2月末までと期間が区切られている。これらの区域の住民以外でも、今は離散家庭の高速道路無料化や、18歳以下の医療費無料化などが実施されているが、いつまで続くかは不透明だ。
 福島県からの避難者による「ひなん生活をまもる会」の代表で、いわき市から東京に避難している鴨下祐也さん(45)は「家族ばらばらで避難する例が目立つ現状で、高速の無料化が終わったら、家族の絆が断ち切られてしまう」と語る。
 ちなみにチェルノブイリ原発事故で、旧ソ連は年間積算線量1~5ミリシーベルトの区域を「移住権利ゾーン」と設定し、住民が移住を選択した場合、住民が失う家屋などの財産を補償した。日本では20ミリシーベルト以下の地域で帰還を促し、もしも拒否すれば、その後の生活は自己責任とされてしまう。
 前出の志田さんは「原発事故の被害者は全員、賠償をもらい続けていると思われがちだが、とんでもない誤解だ」と強調する。
 「東電は国が救済しているのに、避難している高齢者たちは誰からも守られていない。頼れる親戚や子どもがいない人たちもいる。国は帰還を前提とした政策をとらないでほしい」



「昭和横丁」は支援物資や支援金を募集している。
問い合わせは電080(1387)2302=へ。

生活苦に陥る「避難区域」を解除された・デスクメモ



放射性ヨウ素内部被ばく 線量推計に問題点 政府「正しい情報」強調
(東京新聞【こちら特報部】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014052602000135.html
 東京電力福島第一原発事故による健康影響で、現状、最も心配されるのが甲状腺がんを誘発する放射性ヨウ素の内部被ばくだ。福島県は「影響は考えにくい」と主張し、政府は周知する。だが、根拠とする独立行政法人・放射線医学総合研究所(放医研)の被ばく線量の推計は、担当者が「道半ば」と認める頼りないものだ。政府は「正しい情報発信」を掲げるが、そう言い切れるのか-。
(榊原崇仁)

放射性ヨウ素内部被ばく線量推計に問題点

 「正しい情報を出すことが大切だ。政府も情報の出し方を検証し、分かりやすくしたい」。安倍晋三首相は今月17日、福島市内の県立医科大(県医大)を視察し、こう述べた。
 2日後の19日、福島県民の小児甲状腺がんを検査する「県民健康調査」の検討委員会終了後の記者会見で、座長の星北斗・県医師会常任理事は「放射性ヨウ素の内部被ばく線量の推計に照らせば、いま見つかるがんと事故の因果関係は考えにくい」と述べた。
 翌20日、原発事故に伴う健康管理を扱う環境省の専門家会議では、「特別の仮定を置かない限り、ヨウ素被ばくは50ミリシーベルトを超えない」とする議論のまとめの骨子案が示された。つまり、被ばく線量は、国際原子力機関(IAEA)が安定ヨウ素剤の服用を推奨する50ミリシーベルト超に達していないという趣旨だ。
 首相発言を受け、「正しい情報」が矢継ぎ早に発信された形だが、違う。今年に入って作られた流れの継続にすぎない。
 2月に復興庁は、放射線教育用の冊子「放射線リスクに関する基礎的情報」を作成し、「100ミリシーベルト以下の被ばくでは発がんリスクの明らかな増加の証明は難しい」「専門家の見解では原発周辺にいた子どもの甲状腺の被ばく線量は総じて少なく、いま見つかる甲状腺がんは事故の影響と考えにくい」と宣伝した。
 3月には環境省が、「福島県と他県における甲状腺がんの発見率はほぼ同じ」という調査結果を発表した。政府ではないが、4月には国連科学委員会が、「福島県での明確ながんの増加は予想していない」とする報告書を出している。
 一方で、甲状腺がんへの不安を伝える報道には、素早い反論がある。
 テレビ朝日の番組「報道ステーション」が3月、原発事故3年のニュースで、ニュースキャスターが「事故とがんの因果関係は『考えにくい』ではなく、『まだ分からない』ではないか」と発言した。県医大は放送翌日、「県民健康調査の検討委では『因果関係は考えにくい』が一致した見解」という文面をネット上のサイトに掲載した。環境省もサイトで、放医研がまとめた推計を紹介した。
 原発事故と健康被害の因果関係や被ばく線量を説明する際、政府と福島県が有力な根拠として使うのが、放医研が「福島県民のヨウ素被ばくは30ミリシーベルトまでにほぼ収まる」と見立てた推計だ。環境省が調査を委託し、昨年2月に報告書をまとめた。
 ヨウ素被ばくの線量の推計は、①甲状腺にたまった放射性ヨウ素の測定値に基づく②ホールボディーカウンターで調べた全身の内部被ばく線量から割り出す③事故直後にいた場所、生活状況から呼吸や飲食で体内に入った量を想定する─の3つの方法が取られた。

放射性ヨウ素内部被ばく 放医研「道半ば」認める

 しかし、放医研の推計はよりどころとしては相当に頼りない。推計を担った被ばく評価研究チームリーダーの栗原治氏は「こちら特報部」の取材に対し、「実は道半ばというところだった」と明かした。
 半減期が8日と短い放射性ヨウ素の内部被ばく線量は、被ばく直後に測定しなければ実際の数値は分からない。単純計算で、16日後には4分の1にまで減るため、被ばくから何日後に測定した数値かを踏まえ、線量の最大値を推計した。
 問題は全ての測定値をかき集めても約1300人分のデータしかないことだ。放医研は、政府の指示で調べた15歳以下の分を推計に使ったが、1080人分しかなかった。事故直後で混乱したためかもしれないが、1080人は県民健康調査が甲状腺検査の対象とする事故時に18歳以下の40万人近くの約0.3%にすぎず、あまりにも少ない。
 地域的な問題もある。事故当時、いわき市と川俣町、飯舘村にいた15歳以下の測定値しかない。この測定値自体の正確性も疑われる。使われたのは誤差の生じやすい簡易式の測定器だった。放射性物質が付いた服を着たまま測った例もあるようで、栗原氏は「誤差は10~20ミリシーベルトになる見込みだ」と指摘した。
 ホールボディーカウンターで測定した内部被ばく線量からの推計にも問題がある。測定は県内各地で行われ、データも多いが、事故の数カ月後に始まったため、半減期の短い放射性ヨウ素の検出は難しかったが、半減期の長い放射性セシウムは測定できた。
 まず、川俣町と飯舘村でホールボディーカウンターで測定した放射性セシウムの数値と、この2町村で測定した放射性ヨウ素の数値を比較して割合を計算した。その比率を、県内各地で測定した放射性セシウムの測定値に掛け合せることで、ヨウ素被ばくの最大値を推計した。ただ、川俣町も飯舘村も福島第一原発の北西方向にあり、他の方向にある地域でも同じ割合で拡散したかは分からない。
 残る一つも、どこまで正確な数値に近づけたか定かではない。聞き取りに基づく避難経路を元に、呼吸や飲食でどれだけ放射性ヨウ素を取り込んだかを判断する手法だが、無数にある避難経路は、推計のために18に絞られた。
 呼吸分の算出には、放射性物質の大気拡散予測システム「SPEEDI」の世界版を使ったが、「予測データは放射性物質がいつどう飛来したかという点では使えるが、飛散した量の判断は難しい」(栗原氏)。そもそも、個人差が大きいことなどから、飲食分の推計はできていない。
 栗原氏らは報告書でこうした事情を公表し、推計の問題点も説明している。それなのに、政府と福島県が利用する際には、なぜか「正しい情報」になる。
 政府と福島県の主張に賛同する人ばかりでない。福島大の清水修二特任教授は19日の県の健康調査検討委で、「100ミリシーベルト以下は問題ないという点を判断基準にするのは、適切ではない」と訴えた。
 国立医薬品食品衛生研究所の春日文子安全情報部長は20日の環境省の専門家会議で、「福島県に関連して得られた実測データは数的にも地域的にも限られ、不確実性が付随する」と指摘した。春日氏は閉会後にこう述べた。「『福島県で今までに見つかった甲状腺がんと原発事故との因果関係は考えにくい』と、ある程度推測することは可能でも、それが正しいかどうか、早急に結論を出すことはできない。長期的な調査を継続することが重要だ」

放射性ヨウ素内部被ばく デスクメモ




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