◆【小出裕章ジャーナル~第63回】燃料棒破損、相次ぐ事故
http://youtu.be/KqrSjV8JNMA
燃料棒破損、相次ぐ事故「根本的な矛盾を抱えた物ですので、完璧に欠陥を防ぐということは今日に至ってもできないでいるわけです」~第63回小出裕章ジャーナル
http://www.rafjp.org/koidejournal/no63/
石井彰:
小出さん、今日は全国の原発で一番原発の心臓部である「核燃料集合体に小さな穴が空く等のトラブルがたくさん起きていた」と、東京新聞の取材でこれが明らかになったんですが。
この核燃料棒のトラブルについて、実は小出さんは1973年に美浜原発で起きた燃料棒が折れてしまう。折れて損傷してしまう事故の調査をされたことがあるそうですね。
※美浜原子炉の燃料棒をめぐる問題(1)今中哲二・小出裕章
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/100/PDF/Mihama1.pdf
※美浜原子炉の燃料棒をめぐる問題(2)今中哲二・小出裕章
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/100/PDF/Mihama2.pdf
小出さん:
そうです。美浜原子力発電所というのは、1970年の大阪の万博に合わせて発電を開始しました。そして、運転をして定期検査をしてということをやってきたのですが、73年の4月に第2回目の定期検査をした時に、燃料棒が折れてしまって、合計で1メートル70センチにもわたって粉々になって無くなってしまっていたという事故を発見した。
ところが、発見をした途端に、それを隠してしまうということになりまして、その事故が発覚したのは、1976年の暮れになってから初めて「あっ、そんな事故があったんだ」ということがわかったわけです。
※関西電力(株)美浜原子力発電所第一号炉燃料棒折損事故に関する質問主意書 石野久男
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a080005.htm
その事故の調査を日本原子力研究所という所でやったのですが、美浜の原子力発電所から日本原子力発電所に壊れてしまった燃料の欠片等を輸送するために特殊な容器が必要にになりまして、その容器は私が勤務している京都大学原子炉実験所にしか当時ありませんでした。
それで、当時の所長であった柴田俊一さんっていう方が「容器は貸すけれども、キチッと自分達で調査をするからデータを寄こせ」ということで、関電と合意をしまして容器を貸しました。そして、京都大学原子炉実験所の中に調査の委員会を作りまして、私もその一員として調査に加わりました。
で、まあ一番驚いたことは、日本の原子力開発というのがほんとに酷い事故が起きても、それを隠してしまうような体制だったんだということでした。
そして、結論から言えば、燃料棒が壊れたというのは原子炉の構造の欠陥でした。ちょっと専門的になって申し訳ないのですが、燃料集合体を配置してある場所にバッフル板という特殊な鋼鉄の板が外側を囲っていたのですが、そのバッフル板に隙間があって、そこから異常な水が炉心に向かって流れ込んで燃料棒が振動して、そして壊れてしまったということだと私は思っています。
そして、その問題は今でも根本的な解決に至らないまま続いていますので、今後もまた起こりうるのではないかと私は心配しています。
石井彰:
なるほどね。それで、あの最初の話に戻るんですが、福島以外の原発でも燃料棒にピンホール(小さな穴)が空いていたり、いろんな自体があるということがわかりました。
小出さん:
はい。
石井彰:
このことについて、まず小出さんはどういうことをお考えになってらっしゃいますか?
小出さん:
はい。まず、皆さんその燃料棒という物のイメージを持っていただきたいのですが。形で言うと、外形が約1センチ、長さが4メートルという細なが~いパイプです。
そして、パイプの肉厚がとても薄くて0.6ミリ、厚いものでも0.9ミリぐらいしかないという。そんなものなのです。 で、なぜそんな薄くしてあるかと言うと、そのパイプの中にウランを焼き温めたペレットという物が入っているわけですが、そこでウランが核分裂して熱が出てくるわけですね。
その熱を燃料棒を通して外側にある水に伝えて、それで蒸気を発生させて発電するというシステムなのですが。パイプが厚いと熱が伝わりにくくなってしまいますので、できるだけ薄くしなければいけないのです。
そして一方では、その燃料棒というのはウランが核分裂してできてくる核分裂生成物という物を閉じ込める。水の方には漏らさないという大切な役割もまた負わなければいけないのです。
放射能を漏らさないためには、できるだけ厚くした方がいいわけですけれども、逆に、熱を通すためには薄くしなければいけないということで、なかなか難しい課題を背負わされたものなわけです。
で、原子力をやるにあたって「この程度でいいだろう」ということで、まあ様々な試行錯誤を繰り返しながら今日まで来ているわけですけれども。
金属のパイプというのは、時には傷が付いたり、穴が空いたりということは避けられないわけで。特に原子力発電をやり始めた当初はたくさんの原子力発電所のたくさんの燃料で穴が空いたり割れたり。先ほど聞いていただいたように、折れて無くなってしまうというような事も頻発していました。
ですから、そういうトラブルは、今日ご質問いただいたのは燃料棒という物ですけれども、その他、原子力発電所の中の様々な配管でも、これまでもたびたび様々なトラブルが起きてきて、いつだったかな? 2000年を過ぎた頃だったと思いますけれども、やはり美浜という原子力発電所で二次系のもの凄い太いパイプがいきなり割れてしまって、作業をしていた労働者5人だったか、6人だったか熱湯を浴びて死んでしまうという、そんな事故もありました。
※美浜3号炉事故の全体像と課題 2004 年 10 月 7 日 小出裕章
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No98/koide041007.pdf
石井彰:
そうですね。とすると、つまり放射能という大変私達が制御できない物を先ほどの小出さんのお話では、大変細い管の中に入れて管理をしてる。で、実はそれが原子力発電所の一番の心臓部にむしろ脆弱性があるという理解をした方がいい。
小出さん:
はい。おっしゃる通りです。避けられないのです。それは。
石井彰:
ん~、すみません。あの、小出さん、そういう事が最初っから当然科学者達はわかってたわけですよね?
小出さん:
もちろんです。分かっていましたし、なんとか壊れないような物を作りたいとして、技術的には一歩一歩進んではきているのですけれども。
始めに聞いていただいたように、放射能は閉じ込めなければいけないし、熱は通さなければいけないという根本的な矛盾を抱えた物ですので、完璧に欠陥を防ぐということは今日に至ってもできないでいるわけです。
石井彰:
「福島第一原子力発電所が事故を起こしたから、原発を止めなければいけない」ではなくて、そもそも原子力発電所という構造自体に科学的に無理がある。無茶があるというふうに僕は思うんですが、そういう理解でよろしいでしょうか?
小出さん:
私は基本的にそう思っています。
石井彰:
いつもほんとに全然科学や物理の知識がないばっかりに、なんかトンチンカンな質問をしたかもしれませんが、またこれに懲りずによろしくお願い致します。
小出さん:
こちらこそ、よろしくお願いします。
石井彰:
今日はどうもありがとうございました。
小出さん:
はい、ありがとうございました。
今私たちが知っておかなければならない、核・原子力の真実 2010年4月10日 小出裕章
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/spr100410.pdf
『原子力戦争』1978 黒木和雄
http://youtu.be/OVbCHAK0asg
原子力戦争 - Wikipedia
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ZDFホイテショー「ニコニコする人に放射能は来ない!」
http://youtu.be/tQ0_J3jSWDU
140314 報道するラジオ「原発作業員が語る3年」上田崇順
http://youtu.be/HbIT8lcMEoU
【原発作業員が語る3年】きょうは、事故から3年がたった福島第一原発と、廃炉作業の現状について、原発作業員の声をお届けします。テレビの映像では、少し片付いてきたように見える構内も、建屋の中は、放射線量が高く、手つかずのまま。
「アンダーコントロール」とは程遠い状態です。
作業員の働く環境や住居は、事故直後より悪くなっている面もあると言います。
原発作業員は今、どんな状況で、どんな思いで、働いているのでしょうか。
この問題を取材し続けている上田崇順アナウンサーのリポートです。
(プロメテウスの罠)
内部告発者:18 水が止まれば終わり(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11040743.html?iref=comtop_list_ren_n08
ケイ・スガオカ(62)の親友、山田光昭(61)は昨年11月20日、避難先の宮崎市から、福島県双葉町の自宅を訪れた。2011年3月11日、震災の日の夜にここを出て以来の帰宅だった。
前夜は相馬市に泊まった。午前9時半すぎ、ハイエースを広い敷地に乗り入れる。
「ただいまぁ」
頭にしばりつけるように固定した防護マスクの中で、そうつぶやいてみた。
平屋の家の向こうに、屋根の3倍を超える高さの大きなブナの木が見える。葉は落ちているが、見事な枝ぶりが青空に映える。
「ただいまぁ」
もう一度、呼びかけた。遠くでカラスが鳴いている。カア、カア、カア。庭の柿の木に、たくさんの赤い実がなっている。
毎時13マイクロシーベルト。線量計にそう表示されている。東京電力福島第一原発の原子炉から直線距離で3キロ余のこの家は、帰還困難区域の中にあり、事前に役場に届けを出して初めて立ち入りが許される。
母屋の玄関の前に車を止める。軒先に震災前の洗濯物が干したままとなっている。トレーナーの青色はずいぶんくすんでしまった。
枯れ草に覆われた庭を見て山田は「しかしねぇ」とつぶやく。「笑っちゃうよねぇ」
もう、あの時代は戻ってこない。やっぱり夢も希望もない。その現実がこれだ、と思う。
離れの2階家に向かう。軒下に愛用のサーフボードがある。中に入るとギターアンプ。全部で9台。宮崎からわざわざ戻ってきた目的は、この「お宝」を持って帰ることだ。
この家に住んでいた30年ほど前、GE技術者だったスガオカがよく遊びに来た。
スガオカは、酔いつぶれてそのままソファで泊まることがあった。それほど酔っているときにも、折に触れて繰り返すことばがあった。
「原発は水が命だ。水が止まったら原発は終わりだ。そのときはできるだけ遠くに逃げなければいけない。水以外では冷やすことができないんだ」
そんな言葉が脳裏にあったから、11年3月11日夕、福島第一原発の異常を伝えるニュースをテレビで見た直後、山田は家を出ると決めた。
毛布を車に積み込み、家族と犬3匹。10キロ圏内に避難指示が出たのはその10時間後だった。(奥山俊宏)
福島原発事故から3年・飯舘村ルポ(東京新聞)こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014032202000136.html
福島原発事故で大量の放射性物質が降り注いだ福島県飯舘村。「こちら特報部」は今月中旬、昨年に続いて京都大原子炉実験所の今中哲二助教ら「飯舘村放射能エコロジー研究会」による放射線量測定調査に同行した。公開されるモニタリングポストの線量データはさほど高くない。だが、雪深い現地に入ると、それがうわべの数字であることに気付かされた。(榊原崇仁)
◆進まぬ除染 遠い日常
飯舘村には、まだ50センチほどの雪が残っていた。
村は2月上旬から中旬にかけて「半世紀ぶり」ともいわれる大雪に見舞われ、積雪は一時、1メートルを超えたという。今月に入っても朝の最低気温が氷点下5度前後の日が続き、雪解けが遅れているようだ。
全村避難している飯舘村だが、大半は立ち入り自由の居住制限区域や避難指示解除準備区域だ。両地区の主要な道路は除雪され、トラックや乗用車とすれ違うことも少なくない。
ただ、民家まで続く道路や店舗の駐車場、墓地などの多くは1カ月前の雪がどかされずに残っており、生活の営みが少しも戻ってないことを実感する。
気になるのは放射線量だ。原子力規制委員会のホームページで閲覧できるモニタリングポストのデータによると、村内の立ち入り自由区域ではおおむね毎時1マイクロシーベルト未満だった。
車で移動中に手持ちの線量計に目をやると、1マイクロシーベルトを下回る場所が大半。除染の長期目標は年間1ミリシーベルト以下で、毎時に換算すると0.23マイクロシーベルト以下になる。これよりは高めだが、除染の効果などにより、帰還基準とされる年間20ミリシーベルト以下になったということか。
車は村内唯一の帰還困難区域、長泥地区に着く。通行止め用のゲートを警備員に開けてもらい、地区内に入る。車を降り、固い雪で覆われた田んぼの上で今中助教らとともに線量を測った。毎時2マイクロシーベルト。年間10ミリシーベルト弱相当だ。
ただ、スコップで雪を掘って少し地面が見えるようにしただけで、線量計が示す数値は2.5倍の毎時5マイクロシーベルトまで跳ね上がった。帰還困難区域外でも雪をどかして計測すると、同じような傾向が見られた。
今中助教は「地面の放射性物質が出す放射線が雪で遮られるのが現在の状況。線量が低く見えるのは除染がどうこうということじゃない」と言い切った。
◆予想超す廃棄物 行き場なく
そもそも飯舘村では除染が進んでいない。
当初の計画では今月末で長泥を除く全地区の除染が終わる予定だったが、仮置き場の確保が難航したほか、廃棄物の量が予想を大幅に上回り、宅地の実施率は予定分の9%、農地や森林は5%前後、道路は1%弱にとどまり、除染終了のめどは生活圏が2014年内、残りは16年内に先送りされた。長泥地区に至っては除染をどう進めるか見通しが立っていない。
車に同乗してくれた村の男性は「今年は雪があっても除染作業をやっている。去年と違う。行政は焦ってるんだろう」と話した。
今中助教らは避難指示解除準備区域の佐須地区にある山津見神社で再び車を降りた。昨春に焼失した社殿跡で線量を測ると、毎時1.5マイクロシーベルトを記録した。
ここは除染未着手地区だが、今中助教は「社殿の下は事故直後、放射性物質が付着してないはず。建物があったわけだから。それでもこの線量になるのは周辺の山林から放射線が飛んできているから。除染で線量を下げるには山林までしっかりやらないといけないが、膨大な費用と時間がかかってしまう」と指摘した。
そんな状況に置かれながらも村は今月4日、長泥以外の地区について避難指示解除目標を16年3月とする復興計画を示した。
ただ、早期帰村に積極的な菅野典雄村長と村民の思いは一致していない。
1月末に公表された村民意向調査によると「現時点で村に戻りたいと考えている」は60代以上でも3割にとどまり、30代以下では「現時点で戻らないと決めた」が6割を超えた。
伊達市の仮設住宅で暮らす男性(45)は「国も村も東京電力もウソばかり。放射線による健康影響が考えにくい、何年後に帰れるなんて言われても信じられない。原発事故は母親の生きがいだった畑仕事を奪った。飯舘じゃもう、野菜つくるのは無理。何のために帰還するのか」と語る。
今冬の雪も帰還を滞らせる原因になりかねない。
村を巡ると、雪の重みで押しつぶされた民家の納屋や駐車場の屋根、ビニールハウスがあちこちで見られた。家々は雨漏りやネズミのふん尿に悩まされているのに修繕の負担がさらに増えてしまった。ある村民は「除染が終わった場所でも、山からの雪解け水で放射性物質が流れてこないか」と不安を訴えた。
伊達市の仮設住宅の女性(75)は吐き捨てるように言った。「お先真っ暗。帰村のことを考えると、精神的に参ってしまうからもう考えないようにしている」
[福島県飯舘村]
東京電力福島第一原発の北西28キロに位置する。事故前は1700世帯、6200人が居住した。2011年4月に計画的避難区域となり、12年7月に放射線量に応じて避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰還困難区域に再編された。
[デスクメモ]
昨年、この調査に同行した。放射線量の経年変化から、初期被ばく量を逆算するのが調査の目的である。今中先生ら研究会に集う人たちは惑わされず、淡々と仕事をこなしていく。その姿はまるで求道者だ。記者は現場では役立たずだ。せめて貴重な仕事の断片を伝えるくらいはお手伝いさせていただきたい。(牧)
20140321 報道するラジオ「復興予算は復興に使われているか?」
http://youtu.be/MRadO78WjSU
昨日、来年度の政府予算が、参院本会議で可決・成立しました。
戦後3番目のスピード成立で、一般会計総額は、過去最大の96兆円です。
それに加え、復興予算なども可決・成立しています。
これらの予算の財源は、いうまでもなく、私たちの税金です。
復興は、国民全ての願いです。誰もが願う復興だからこそ、税金で賄われる復興予算が本来の目的をきちんと果たしていくのか、今後も復興に使われる予算編成なのか、きょうのこの番組で考えます。
ゲストには、元兵庫県職員で、その時に阪神・淡路大震災を経験し、
現在は復興庁の副大臣を務める谷公一衆議院議員をお招きし、現在や今後の復興予算の使われ方を聞きます。
また、2012年に復興予算の数々の流用をスクープした、ジャーナリストの福場ひとみさんにもお繋ぎし、復興予算の使われ方があれからどう変わったのかを聞きます。
国家のシロアリ
復興予算流用の真相
著/福場ひとみ
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784093798563復興予算19兆円を奪ったのは誰だ!
「復興予算19兆円を奪ったのは誰だ!」――「復興予算流用問題」を週刊ポストでスクープした記者が、「流用はなぜ、どのようにして起きたのか」「流用を仕組んだのは誰だったのか」を徹底検証した小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞作。
東日本大震災からの「復興」という名目で、政府は19兆円にも及ぶ「復興予算」を組んだ。ところが震災から1年以上が経過した2012年中頃、その復興予算の大半が、被災地とは「無関係」の事業に使われていることが明らかになった。霞が関の合同庁舎、捕鯨のシーシェパード対策に次世代原子力の核融合計画まで、目を疑うような「予算の流用」が、霞が関の主導で公然と行なわれていた。
〈彼らは何も、意図的にこの国を壊そうとしているわけではない。彼ら個々人は、みな有能で優秀で、そして仕事に忠実な「働きアリ」のはずだ。しかし、組織における働きアリが、国家にとってはシロアリと化してしまうのが、この国の現実である。〉(本文より)
流用はなぜ、どのようにして起きたのか――その全過程を辿ることで、政治家、官僚、そしてメディアまでが一体化した「日本というシステム」の構造的欠陥を明らかにする。
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2014/03/08
【京都】未来を担う子どもたちの為に、今、私たちにできること ―ヘレン・カルディコット医師・小出裕章助教
(IWJ)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/128435
2014年3月8日(土)14時から、京都市上京区のKBSカルチャーで、ヘレン・カルディコット財団主催の講演会が開催され、『未来を担う子どもたちの為に、今、私たちにできること』と題し、ヘレン・カルディコット氏と小出裕章氏が講演を行った。
※3月8日の講演の模様を、3月18日に配信しました。
■Ustream録画
・1/2(19:58~ 2時間29分)
・2/2(22:28~ 37分間)
講演 ヘレン・カルディコット氏(医師)/小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)
日時 2014年3月8日(土)14:00~
場所 KBSカルチャー(京都市上京区)
主催 ヘレン・カルディコット財団
「もし、私が、この方と同じように1歳の娘さん、そしてお腹に6ヶ月の子どもがいるのであれば、私は連れ合いを逃がします。私はたぶん東京に残ると思います。私が仮に福島に居たとしても、福島に残ってやるべきことがあるかもしれませんので、私は残りたいと思いますけれども、子ども、あるいは、妊娠している女性というものが汚染地帯に居るということが、私は許すことができませんので、私の場合なら、家族が、家庭が崩壊するというリスクを取って、子どもたち、そして、連れ合いを逃がすことにしたと思います。」
さよなら原発3・9関西行動
http://youtu.be/l_h2zIQJ2mY
文字起こし
皆さん、ご承知のように、この日本という国は、数十年前まで戦争していました。
アジアのたくさんの人々に罪悪を加え、そして、日本の国民もたくさんの苦難を負いながら戦争を進めました。
結局日本は負けました。
でも、国破れて山河ありという言葉があるように、国家などが戦争に負けても大地はありました。
大地があれば、そこで人々は生きられる、ということなのですけれども、3年前に起きた福島第一原子力発電所の事故で、今現在、1000平方キロメートルという地域、琵琶湖が1.5個も入ってしまう地域が無人になってしまいました。
土地自身を失くしてしまうというようなことが現在進行しています。
その周辺にも、およそ14,000平方キロメートルにも及ぶ広大な地域が、本来であれば放射線管理区域にしなければいけないほどの汚染を受けています。
本当であれば、そこも無人にして、土地を失っても仕方がないという程の酷いことが現在起きています。
しかし、先日政権に返り咲いた自民党は、今止まっている原子力を再稼働させる、新たな原子力発電所も造る、そして、原子力発電所を海外へ輸出する、というようなことまで言っています。
そのため彼らがやっていることは、福島を無かったことにするということです。
忘れさせてしまおうということを、彼らは作戦を練りながらやってきています。
それに対抗するのはただ一つだと私は思います。
「忘れない」ということです。
私たちは決して忘れない、福島のことを忘れないということをやることが、彼らと戦う唯一の方策だろうと思います。
今、自民党政権は、オリンピックというようなことを持ち出して、福島の事故が終息したかのように言っています。
オリンピックに反対すると非国民であるかのような、そのような論調も生まれているように見えます。
しかし、福島の人たちを苦難のドン底に落としながら、何がオリンピックなんだろうと私は思います。
こんな国であるなら、私は喜んで非国民になって戦いたいと思います。
私自身は決して福島のことを忘れないで生きたいと思いますし、これだけのたくさんの皆さんが福島を忘れないでいてくださるということを力にして、また生きていきたいと思います。
今日はありがとうございました。
小出裕章氏「子どもたちを放射能から守るために」 【大阪】
http://youtu.be/G7_liXC3wkE
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小出裕章先生:こんな国であるなら、私は喜んで非国民になって戦いたい
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